#7
私は一度部屋に戻ると、浴衣に着替え一息ついた。あと20分ほどで、夕食の時間だ。私が浴場に行っている間に、すでに布団が敷かれていた。布団に埋もれるのは気分がいい、外にいる感覚があるのに包まれるからだ。昔からベッドで寝ている身としては、布団で寝るというのは一種の非日常体験であり、それこそ遠出しかも旅行の時にしかお目にかかれないのだ。
少しだけ窓際に立ち、外を眺める。私が到着したころにぽつぽつと存在した人たちもどこかへ消え去り、ガス灯に照らされた川の流れが白い筋として形を作っていた。ここへ来るまでに見た暗闇とは、また違った静けさが存在した。私がしばらく時間を忘れて川を眺めていると、夕食まであと7分というところになった。私は部屋を出ると、食事処へ向かった。
食事処はというと、個室のような作りがいくつかあり、そこへ料理が運ばれるというものであった。私は案内された個室へ着くと、旅館の名が書かれたスリッパを脱ぎ、そのまま座敷に上がった。敷かれた座布団に座りながら、座敷を見回す。白色の照明が漆塗りの座卓に反射して小さく月を生み出していた。今まで訪れた宿は、人々の談笑や子供がはしゃぐ声がそこら中から聞こえていたものだが、今私に聞こえるのは琴の音と私の衣擦れだけでカエルの声など届きもしなかった。
しばらくすると、仲居の声とともに戸が開かれ、いくつかの料理が運ばれてきた。山菜の天ぷら、地産の和牛、卓上コンロにくべられた鍋、刺身の盛り合わせ、蓴菜の合わせだし、菊花のおひたし、ハマグリのお吸い物など様々だ。率直に思うのが、ここにはおそらくすべての色があった。真夏に外に出た時、すべての色が鮮やかに写るような鮮烈さ、料理だけでなく器一つとっても素朴でありながら料理と併せ、一つの芸術として作られたのだと感じさせる力があった。私は地酒に手を伸ばしたところで、気が付くと満腹になっていた。
私はそのまま酔いの火照りに任せ、散歩に向かうことにした。とぼとぼと川沿いを歩く。この温泉街は、端から端を見渡せるだけの大きさだが、少し肌寒さを覚える私にはそれが丁度良かった。先ほど眺めていた川を改めて近くで見る。柵に手を添えると私のように冷たかった。水面は川底の礫を這うような凹凸を見せ、巨体の爬虫類が絶えず動いているようだ。
しばらく川を眺めながら瞼が重くなるのを感じていると、風上から甘みのあるたばこの香りがした。




