第八話 えっ、なにこれ、桃源郷?
私立黒岩学園。数多のオリンピック選手を排出したことで知られる柔道の強豪校。
スポーツにはあまり興味のないピュアホワイトでも名前くらいは知っている、おそらく全国で最も有名な男子校。
そう、男子校。思春期の男子高校生たちの汗と熱気とその他の情熱でムンムンとした、男の園。
そこがピュアホワイトの出動先であった。
「やだなあ、やっぱり帰りたいよお。帰ってシュバちゃんとの愛の日記を書き綴りたいよお…」
屋上に降り立ったピュアホワイトは暗い顔をして、校舎内への出入り口となる重々しい扉に怖気づいて足を止めていた。まるで魔界への入り口のように思えるその扉。
開けた瞬間にムワッと何かが襲いかかってくるんじゃないとビクビクしていた。こう、男性フェロモン的な何かが。
なんせ日夜クマのような大男たちがくんずほぐれつ身体をぶつけ合っている柔道の強豪校だ。その男性濃度たるや想像を絶するものだろう。
しかしこうしていたずらに時間を浪費しているうちに、辱められる人々の数は増えてしまう。それはよくない。人助けはしなければならない。
なぜなら私は、魔法少女ピュアホワイトだから。
闇魔法少女の魔の手から人々を守り、貯蓄を増やすという大切な使命があるから。
たとえ思春期のむさ苦しい男子高校生の群れであっても、守らなきゃならないんだ。
そう言い聞かせて、校舎へと続く重々しい扉を開いた。
そして吹き込んできた香りに、ピュアホワイトは目を見張った。
まるで花園に足を踏み入れたのかのような、華やかで甘いフローラルな香り。
覚悟していた汗臭さや男臭さはみじんも感じられず、ピュアホワイトはほっと息をついた。
よかった、これなら呼吸ができる。
あまりの男性濃度の高さにむせたりしない。
偏見を抱いててごめんなさい、男子校。
多感なお年ごろの男の子たちだし、においに気を使ったりするよね。
ピュアホワイトはペコリと頭を下げて謝罪の意を示し、校内に足を踏み入れた。
いろいろ警戒しつつ階下へと続く階段を下りると、耳にキャピキャピとした声が届いてきた。
「やだなにそれ、ウケるー」
「マジであったんだって」
「てか放課後クレープ食べいかない?超クリーム食いたいんだよねえ」
「さんせー。駅前に新しいお店できてたよね。あそこ行ってみたい」
「いいねえ、行こ行こ!」
どういうことだ、ここは天下に名を轟かせる男子校、黒岩学園のはず。そこでなぜ、女の子同士がクレープを食べに行く素敵計画を立てているのだ。
クレープなんてカワイイワード、男子校で出るはずがない。
ちなみにピュアホワイトの好きなスイーツは芋けんぴだ。なんとも地味。
クレープはまだ食べたことがない。なぜなら友だちがいなかったから。放課後に一緒にクレープを食べに行くなんていう素敵イベント、経験したことがない。
だからピュアホワイトにとってクレープは雲の上の食べ物だった。
いつかシュバちゃんと食べに行くんだ。必ず…!
シュバちゃんとやりたいことメモに新たな目標を付け足したピュアホワイトは、落ち着いて考えを巡らせた。
男子校と言えど教職員に女性がいてもおかしくはないが、繰り広げられている会話はどう聞いても生徒同士のもの。声質も若い感じがする。
まさかうっかり場所を間違えたかと思いスマホで現在位置を調べる。ここが黒岩学園で間違いない。
もっと下の階から闇魔法少女の魔力反応もあるし、ここであっている。だったら、これはいったいどういうことだ。
まさか知らぬ間に共学になっていたとか、そういうことなのだろうか。
疑問を抱きつつ廊下を進み、近くの教室を不審者のようにコソコソと覗き込んだ。
そして教室に広がる予想だにしない景色に、ピュアホワイトは絶句した。
「何……だと…!?」
教室にいたのはまぎれもなく健康的な可愛らしさを振りまく女子高生たち。そこにクマのようにむさ苦しい男子生徒は一人たりともいない。
化粧っ気のない肌はツヤツヤと輝き、唇はプルンと瑞々しい。髪のハリツヤも光を照り返すほど若々しく生命力に溢れている。
そんな女子高生たちが、見るからに男物の学ランやワイシャツに身を包んでいた。
ワイシャツ姿の生徒は袖丈や裾が余ったりしていて、それがまた絶妙に可愛い。彼氏のワイシャツ着ちゃいました感があって、非常にいい。さらにブラを着用していないのか、そこかしこで胸がゆっさゆっさと揺れている。
中にはワイシャツを脱いで、Tシャツ一枚の子までいる。その破壊力たるや、プチっと飛び出るプリンをお皿に出したときのような衝撃だ。
そしてそれを気にする風もなく、じゃれ合っている。みんな男装姿で、キャッキャウフフしている。
花の女子高生たちが、男装姿でキャッキャウフフしている。ゆっさゆっさと、臆面もなく揺らしている。
「えっ、なにこれ、桃源郷?」
この教室をシル◯ニアファミリーみたいな感じのミニチュアにして持ち帰りたい。ピュアホワイトファミリーみたいな感じで。
そしてそれを日がな一日眺めて暮らしたい。今後の生活費とか就職難とか老後の心配とか物価高とか、そういうのをすべて忘れて一日中眺めていたい。
ああ、そういう魔法があればいいのに。
残念ながらそういう魔法はないので、そのかわりと言うようにピュアホワイトの欲望の右手が勝手に動いた。スマホのカメラを起動し、教室内の様子を心ゆくまで撮影しようとしている。
しかし理性の左手がそれをグッと押さえつけた。
右手と左手の激しいせめぎ合い。荒くなる息遣い。充血してくる目。
史上稀に見る葛藤である。
「こんなのダメ、今の私は魔法少女。魔法少女、ピュアホワイト(二十二歳)なのよ。人々を闇魔法少女の魔の手から守る使命があるの。それなのにこんな、盗撮みたいなことをしている暇なんてないの!」
みたいじゃなくてまんま盗撮である。盗撮ダメ、絶対。
ピュアホワイトは危ういところで自身の欲望に打ち克った。目には涙を、額には大粒の汗を、ついでに鼻水もちょっと垂らしながら打ち克った。
これがダルダルのウサちゃんスウェット(洗濯は週一回)姿の阿部聖愛であったら、あっさりと欲望に屈服していたことであろう。魔法少女という制服が理性を強め、彼女の身を律したのであった。
漏れ出た体液をどこからともなく取り出したマジカルハンカチで拭っていると、ジーッとノイズが走り、ピンポンパンポンと校内放送の前置きが聞こえてきた。
すうっと息を吸い込む音に続けて聞こえてきたのは、作った感の凄まじいアニメ声。
『ピュアホワイトさま。魔法少女、ピュアホワイトねえさま。ようこそ起こしくださいましたわ、我が黒百合学園へ。わたくしは闇魔法少女、リーリエ・ショコラーデ。体育館でおねえさまをお待ち申し上げておりますわ。わたくしたちのステージで、熱い逢瀬を楽しみましょう。フフフフフ』
パンポンピンポンと結びの音がしてブツッと途切れる放送。
作った感の凄まじいアニメ声と芝居がかかった口調の合わせ技に、なんだかこっちまで恥ずかしくなってしまうピュアホワイトであった。




