第三十九話 アタシが我慢強いの、知ってるだろ
突如として目の前に広がった夜の闇。その奥底から聞こえてくる鳴き声と伝わってくる凄まじい熱気。徐々に夜の淵を染めてゆく、蒼炎の輝き。
空を裂く音とともに夜の中から焼滅の不死鳥が飛び出し、グラップレッドを包みこんだ。
「うああああぁぁぁ!」
「そんな、攻撃魔法を跳ね返すなんて…!」
「ヘヘッ、どうだイカスだろ我の新作魔法。発動までにちいと時間がかかるのが難点だが、これだけの威力の魔法も返せるならハナマルだな」
シュバルシャーフが自慢げに語っている間にグラップレッドを包み込む蒼い炎は鎮火し、拳士はモクモクと煙を上げながら床に膝をついた。
その衣装はもうほとんど消し炭になり、肌を覆っている部分はわずかばかりだった。
「そのザマだともう魔力はほとんど残ってねえだろ。これぞ風前の灯ってやつだな」
「まだだ、アタシはまだやれる…!」
拳を床に打ちつけて立ち上がろうとするも体が傾き、ドサリと床に崩れ落ちた。
「かんな…!」
駆け寄ろうとするゆかりの前にシュバルシャーフが立ちふさがった。
「麗しいユウジョウゴッコの前に、そのご自慢の服を切り裂かせてもらおうか」
ニヤリと笑うとシュバルシャーフの手には、グラップレッドの衣装を切り裂いた漆黒の刃が握られている。
やっと買えたお気に入りの服だけど、仕方がない。自分のために戦ってくれた親友をゆかりは労ってやりたかった。
「お好きにどうぞ。だけどそれが済んだら、もうグラップレッドには手を出さないでください」
「ふん、オマエの言うことを聞いてやる義理なんかねえな」
ゆかりに襲いかかろうとしたシュバルシャーフが足を引っかけたかのように前につんのめった。
「待てよ…ゆかりに手を出すな…」
魔力を使い果たし、息も絶え絶えなグラップレッドがシュバルシャーフの足首を掴んでいる。燃え尽きない闘志を宿した目で、シュバルシャーフを見上げている。
「へえ、驚いたな。まだ動けんのか」
魔力を使い果たした魔法少女は制限時間いっぱいまで戦ったプロレスラーくらいの疲労感に襲われて、指一本動かすのも困難になる。
変身を解けば多少は体力が回復するものの、そうしたらその日はもう魔力不足で魔法少女状態にはなれない。だからまだ、グラップレッドは魔法少女状態を解かない。
シュバルシャーフと戦い、ゆかりを守るのを諦めていない。
「グラップレッド、もうやめて!あなたはじゅうぶん戦った!」
それを知っているゆかりは親友を止めようとした。これ以上かんながぼろぼろになるのを、見ていられなかった。
「だめだ、ゆかりの服を守れなきゃ、じゅうぶんじゃない…」
「かんな…」
「アタシもそれと似た服を買って、一緒にお出かけしようって、約束したじゃんか…」
「かんな…!」
でもかんなに、こういう甘い系統の服ってあんまり似合わないよなあ、という思いをゆかりは瞬時に遮断して目に涙を浮かべた。
雑念を友情が上回った稀有な瞬間だ。
涙目になるゆかりと、やさしく微笑むグラップレッド。それに挟まれたシュバルシャーフはパチパチと乾いた拍手を送った。
「おうおう、泣かせるねえ。それじゃひとつ、我と戯れようか」
「戯れ…?」
「なあに、簡単なことだ」
シュバルシャーフはグラップレッドを見下ろし、理不尽な契約を持ちかける悪魔のような笑みを浮かべた。
「我の覚えている素敵魔法の中に、消えない痛み(デア・シュメルツ)というものがある。我に触れているものに痛みを与える魔法だ」
「痛み?」
眉をひそめるゆかりをシュバルシャーフは楽しげに見下ろす。
「そう。何の傷もつけずにぶっ叩いたり切ったりもしねえで、我に触れているものにただ純粋な痛みだけを与える魔法。メカニズムはよくわかんねえけど、たぶん脳に痛みを伝える電気信号を送る魔法なんだろうな。まったく、えげつないったりゃありゃしねえぜ。これに一分間、たったの一分間、熱血ちゃんが耐えられたらお友だちのことは見逃してやってもいいぜ」
「わかった、やってやるよ」
「そんな、やめてグラップレッド!服なんて破れていいし、また買えばいいんだから!」
「だいじょぶだってゆかり。アタシが我慢強いの、知ってるだろ。それに服をむちゃくちゃにされたら、帰り道どうすんのさ。こいつみたいにパンツ丸出しで帰るわけにいかないだろ」
「それは…確かに…」
このところ魔法合戦で服を破きあうのが日常だったゆかりはすっかり忘れていた。
そうだ、普通に暮らしてたら服って破れたりしないし、人前で下着姿でいるなんて異常なことだわ。破れた服で帰るとか、冷静に考えたらよっぽどの大事件じゃないの。
グラップレッドはゆかりに大切な感覚を思い出させてくれた。恥じらいという感覚を。
「だろ。アタシに任せとけって」
ニヤリと笑うかんなの前にシュバルシャーフがしゃがみ込み、手を差し伸べた。まるで慈悲を与える聖母のような顔つきで、悪魔の手を。
「よしよし、いいぞ熱血ちゃん。我も我慢強いやつは好きだ。だから我から触れるんじゃなくて、オマエに触れさせてやるよ。いつでもギブアップできるようにな」
「離すわけないだろ、陰険女。ちゃんと時間計っとけよな」
「へいへい、きっちり計ってやるから心配すんな。いつでもいいぞ」
シュバルシャーフは差し出していない方の手に持ったスマホを見せた。きっちりタイマーをセットしてある。
「ふん、ごまかしたりすんなよ」
「おいおい、つまんねえこと疑うんじゃねえよ。なら計ってる間はオマエに画面を見せといてやるよ」
「よし。それじゃあ、いくぞ」
「ああ、いつでもいいぜ」
ゴクリとツバを飲み込み、グラップレッドはかすかに震える手を伸ばした。
「グラップレッド…」
「心配するなよ、ゆかり。一分なんてあっという間さ」
ゆかりの目を見て力強くうなずくと、手の震えは止まった。グラップレッドは差し出された魔の手に、勇ましく自らの手を重ねた。するとピリピリと静電気のようなものが走り、なんだこんなものかと拍子抜けする。
だけど地獄は、ここからだった。




