第三十四話 うちもツィーゲ様になれる…
黒柳羊子の学生生活は灰色だった。
麻友のお店にゴスロリ服を買いに行く約束をしていた奈津美とは、やっぱり行けなくなったと謝りのメッセージを送り、それに対して短い返事があってそれっきり。
改めて奈津美から羊子に接近してくることはなく、羊子から声をかけたりすることもなかった。
この前ちらりと見かけた彼女は眼鏡からコンタクトにして垢抜けて、今風の格好をした集団に溶け込んでいた。
その姿を見て複雑な思いはしたが、羊子は何も言わずに横を通り過ぎた。
何を選ぶのかはその人の自由。
そう自分に言い聞かせてみても引きずり込むチャンスを逃したという思いは消えずに、その晩羊子は酒を飲んだ。甘ったるいチューハイを。
羊子の唯一の話し相手だったおばちゃんは、里帰り出産に戻ってくる娘のために学食のパートを辞めた。
去り際まで真顔で親指を立てるものだから、羊子は泣き笑いのような顔になってしまった。
麻友とは部屋に置いていた荷物を取りに行ったときに会ったのが最後。
手首に巻いた包帯が痛々しく、他人行儀な態度を取られるのが思いのほか辛かったが、その場では泣かずに堪えた。
その反動のせいか帰りの電車内では盛大に泣いてしまい、同じ車両に乗り合わせてしまった人たちには悪いことしたなと反省した。
そして迎えた十月。大学祭の季節。
すごろくでふりだしに戻ったような気分でいた羊子に、サークルのグループチャットが届いた。部誌へ載せる原稿を提出するようにというお知らせ。
無視してもよかったが、ジャンルは何でもいいと書いてあったので気まぐれに書いてみることにした。
タイトルは『服装自由な入学式にゴスロリを着て出たら、大学デビューに失敗した件』。
印刷に出した原稿を提出しに部室に行くのはちょっと面倒だったがどうせ用事は何もない。帰ってゲームをするくらいなもの。
部室に続く廊下の途中でぷりぷりと怒った様子で歩く、やたらと胸の大きい美女とすれ違った。
半人半馬のやけにリアルなおじさんが描かれた趣味の悪いTシャツを着ているものの、思わず振り向いてしまうほどの美人。
なんだあれ、ケンタウロスTシャツ?もったいねえなあ、ああいう人がゴスロリ着たら映えるだろうに。おっぱいもでけえし。
美人を頭の中で好き勝手に着せ替えて楽しんでいると部室についた。
ノックをして中に入ると会長がいたので、挨拶して原稿を渡すと驚かれた。
「ああ、黒柳さんありがと。てっきり書いてくれないと思ってた」
「まあ、気が向いたんで」
「ありがとねえ、部誌が薄いとカッコつかないから助かるー。薄い本は同人誌だけでいいもんねえ。ついでに学祭の当日に配ってくれたりとかは…」
「あっ、それはパスで」
「ですよねー」
言葉少なに答えて去ろうとすると、原稿を並べた長机に置かれた異物が目に入ってきて思わず立ち止まり見入ってしまった。
「これも原稿っすか…?」
それはやたらと力強い書体で書かれた書道の作品。
書き初めとかに使われる長半紙に堂々たる筆致で、『在学無友 されど 就活苦戦』と書かれている。
左下には阿部聖愛と署名してある。まさか本名ではあるまいしペンネーム的なものだろうか。それにしてもすごい字面だ。
「ざいがくむゆう…しゅうかつくせん?」
「ああ、それね…」
会長は苦笑いしながら、頬にかかった髪を後ろに流した。
「来る途中ですれ違わなかった?やたらとおっぱい大きくて美人で、それを台無しにするケンタウロスTシャツ着てる人に」
「あっ、見ました。二度見しちゃいました」
「それね、その人が書いた作品なの」
「へえ、これをあの人が」
あんな美人がこんなにも力強い書を認めるなんて、少し意外だった。
だけどやけにリアルなケンタウロスのおじさんが描かれたTシャツを思い出して、そういうこともあるかと納得した。
「阿部聖愛っていう四年の先輩なんだけどちょっと変わり者でね。これは在学中にずっと友だちがいなくて孤独だったのに、就活に大苦戦している怒りをぶつけた作品らしいの。在学中の人間関係にまつわるエピソードがほとんどなくて面接で聞かれても話せなくて、けっきょく上手く人間関係築けるやつが勝つ世の中なのか!って」
「それは変わった人っすね」
しかも本名なんだと思うと笑えた。
阿部聖愛って、ウケる。冗談みてえな名前だな。
麻友と別れてから久しぶりに浮かべた、自然な笑いだった。
「見てる分には面白い人なんだけどねえ。はあ、どうしようこれ。この長さだとこのままコピーできないし、半分に切って二ページに渡って掲載するか。いやでも、ヘタに手を加えて怒られたらやだもんなあ…」
会長が腕を組んでブツブツ言ってる隙に羊子は部室を抜け出した。自分には関係のないことだし。
いやでも、その阿部聖愛とかいう変わり者の先輩の苦労は後の自分にも襲いかかってくる可能性が大いにある。
なにしろこのままだと、自分の四年間も人間関係にまつわるエピソードが追加されないまま終わってしまう可能性大だから。授業以外は引きこもって、アニメを観たりゲームをしたり自堕落の限りを尽くしてしまうのが容易に想像できる。
その結果、阿部聖愛センパイみたいに就活で話せることがなにもない状態になって、あの怨念が込められた書と似たようなものを認める自分が目に浮かぶ。
麻友とのことなんか面接で話してもドン引きされるだけだし、困ったものだ。
閉鎖的で陰湿な地元には帰りたくないし、こっちでの就活に失敗するわけにはいかない。
特にやりたい仕事も思いつかないが、気が向いたらゴスロリショップに行けるこの地に齧りついていたい。
アパートに帰ってもなお悩み続けていた羊子は、バイトでもしてみるかと思い立った。
お金を稼げて暇な時間を潰せて、なおかつ就活で話せるエピソードにもなる。
バイト探しのアプリをスマホにインストールして流し見していると、麻友の働いているゴスロリショップの募集が目に入ってきた。
あのお店で働ければそれは夢のようだけれども、麻友ちゃんと同じ職場で働くのはさすがになあ。
でも、それがきっかけになって復縁とか…。
いや、ないない。またうちらは何かですれ違ってお互いを傷つけ合ってしまう。
たぶん、そういう宿命にあるんだ。
悲劇のヒロインチックな思いにどっぷり浸りながら画面をスクロールさせると、たまたま一つの求人ページを開いていた。
「闇魔法少女大募集、初心者歓迎…。あなたの欲望、ストレス、フラストレーション、世の中にぶつけてみませんか…」
新手のイタズラかと思って斜めに読み飛ばそうとすると、怪しげな募集文句とは裏腹に給与形態や福利厚生などがこと細やかに書かれていて、つい読み込んでしまっていた。
ここに書かれていることが本当なら、一般的なアルバイトよりもよっぽど稼げるではないか。
しかもこんな一文が書かれていて、羊子はすっかり乗り気になった。
「どんな衣装も魔法の力で自由自在…自分の好きな服装で闇魔法少女活動をレッツエンジョイ…」
どういう理屈かはわからないが、魔法なら衣装だって好き勝手できるのだろう。なんせ魔法だし。
「ツィーゲ様の衣装をうちが着られる…うちもツィーゲ様になれる…」
脳裏に思い浮かべた、ツィーゲ様の艶やかで華やかな衣装。
現実ではとても手を出せないが、魔法の力を借りればそれに手が届く。
羊子は震える指先で応募ボタンをタップした。
するとスマホから黒い霧のようなものがモクモクと立ち昇り、驚いた羊子はスマホを手から落とした。
これは何か、ヤバいものと契約してしまったのでは。黒魔術みたいな感じで。悪魔が召喚されてきそうな雰囲気がムンムンと漂っている。
子羊のように怯えて震えていると、霧の中から白いうさぎのマスコットみたいなものが姿を現した。
うさぎのマスコットは何もない空中に当然のように浮いている。たぶん、魔法の力で。
「お初目にかかります、お嬢様。私は闇魔法少女の水先案内、使い魔のノワールと申します。どれくらいのお付き合いになるのかは貴方様次第となりますが、今後ともよろしくお願い致します」
慇懃な口調かつ芝居がかった仕草で礼をする使い魔に、羊子の目は釘付けになった。
その目は未知の存在への恐怖よりも、これから始まる新しい日々への希望で輝いていた。




