第三十二話 実は私も好きなんだ、ゴスロリ…
ご飯を作って麻友の帰りを待つのが日課になっていた羊子は、今日もそうしようとしていた。
冷蔵庫の中身を思い浮かべて晩ご飯は何にしようか考えているうちに気がつくと講義は終わっていて、いそいそと帰り支度を始める。
今日は鶏の照り焼きに千切りキャベツをたっぷり添えよう。
羊子も麻友も鶏肉が好きで、鶏肉を使ったメニューが食卓に並ぶことが多かった。
「あの、黒柳さん、ちょっといいかな…」
照り焼きの味を思い浮かべながら立ち上がった羊子は、声をかけられてビクリと震えた。
声をかけてきたのは文芸サークル語り部のメンバー。同じ一年生。
丸っこいレトロな雰囲気の眼鏡をかけた大人しそうな子で、顔は覚えていた。名前は確か、えっと。
「玉置奈津美です。同じサークル、語り部の」
「あっ、うん、そうだそうだ、玉置さんだ。ごめん、うち全然サークル出てないから覚えてなくて…」
「あっ、ううん、気にしないで。私影薄いから、一発で名前覚えてもらえたことってないし。だいたい眼鏡の人って認識止まりだから。もはや眼鏡が本体みたいな」
「眼鏡が本体」
自虐的な笑みを浮かべる玉置につられて、羊子も思わず笑ってしまった。
このごろは麻友と一緒にいても、あまり心の底から笑えていなかった。麻友が沈みがちなせいで気疲れしてしまうことが多くて、羊子もブルーな気分でいることが多かった。
大好きだし一緒にいたいけど、距離の近さに息苦しさを覚えてしまう。
だから久しぶりの自然な笑いが、草原を吹き抜ける風のように心地よかった。
「あっ、笑った。黒柳さんひどい。確かにって思ったんでしょ」
「いやいや、そんなことないって。玉置さんそういうこと言わなさそうだから、ちょっと意外だなって笑っちゃっただけ」
「ええー、ほんとかなあ」
少し前かがみになった玉置から、上目遣いで見られてドキッとしてしまう。
玉置は襟足の短いショートヘアーで、前髪をパッツンと切りそろえている。
それでその仕草をされると、なんだか絶妙にかわいい。
おしゃれで垢抜けた雰囲気の麻友とは違った、素朴なかわいさに溢れている。
「そんな疑わないでよ。それで玉置さん、うちに何か用?」
「えっと、もしこのあと時間あったら、どこかでお茶とかご飯とかどうかなって思って…」
もじもじと恥ずかしそうに手を合わせながら玉置が言う。
羊子は目をしばたたかせ、言われたことを理解するまでしばし時間がかかった。
えっ、いまもしかして、玉置さんから誘われてるの。大学の同級生から、はじめてお茶とかご飯とかに誘われてるの。
「あっ、イヤなら断ってくれていいから!急にこんなこと言われても、あれだろうし」
「あっ、いや、てっきりうちはサークル関連の連絡とかかなと思ってたから、びっくりして」
「ああー、だよね。私たちの接点ってそれくらいだもんね。えっとね…」
玉置は教室を見回して、羊子の耳に口を近づけてささやくように言った。
「実は私も好きなんだ。ゴスロリ…」
「えっ!?」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押さえた。
教室に残っている生徒は少なく、あまり気を引いた様子はなくてほっとする。
「好きって言ってもいいなあって思ってネットで写真とか見てるくらいで、服を買ったりとかはまだないの」
「あっ、そうなんだ」
小声でしゃべる玉置に合わせて声のトーンを落とすと、秘密の話をしているみたいで楽しくなってくる。
玉置の言うことが実家にいたころの自分みたいで懐かしくて、ふんわり優しい気持ちになっていた。
うちも麻友ちゃんと出会えてなかったら、服を買う勇気までは持てなかったかもなあ。
「だから入学式からずっと黒柳さんのこと気になって、勇気あるなって憧れてたんだあ。お話できたらなってずっと思っていたの」
「玉置さん…」
あれは勇気というよりは、母親に対するヤケっぱちな反抗心がさせた選択だった。だけどそう思ってくれた人がいてくれて、羊子は救われたような気持ちになっていた。
憧れのツィーゲ様に、少しだけ近づけたような気持ちになれた。
入学式にゴスロリを着ていった意味があったと、初めて思えた。
「玉置さんこそ、勇気出して誘ってくれてありがと。お腹空いたしご飯行こ。ドリンクバーあって、ゆっくりできるところ」
ニッと笑って羊子が言うと、玉置もほっとしたように笑ってうなずいた。
「うん!ありがとう黒柳さん!」
「羊子でいいって。うちも奈津美ちゃんって呼ぶからさ」
「ほんと?じゃあ、羊子ちゃん」
「奈津美ちゃん」
はにかんだように笑いあい、二人は肩を並べて教室を後にした。
麻友には友だちと晩ご飯を食べてくるとメッセージを入れとけば問題ないだろう。たまには麻友もひとりになりたいはずだし。
♡
羊子が麻友のアパートの最寄り駅についたのは二十三時を回ったあたりだった。
駅に着いたタイミングでポツポツと雨が降り出したものの、羊子は気にすることもなく、浮かれた足取りで麻友のアパートまでの道を走っていた。
同じ県の出身だとわかった奈津美との話が盛り上がってしまい、名残惜しさを抱えた帰宅。
かつて麻友がそうしてくれたように、自分も奈津美にいろいろと教えてあげられるのが嬉しくてたまらなかった。
連絡先ももちろん交換して、初めて大学でできた友だちに羊子は浮かれていた。
奈津美とは今度、麻友の働く店で一緒にゴスロリ服を買う約束までしていた。
奈津美に麻友のことを紹介できると思うと、それだけで羊子の胸は躍った。
お客さんを連れて行ってあげれば麻友はきっと喜ぶし、奈津美は初めてのゴスロリ服を買えるし、自慢の恋人を紹介できて羊子も嬉しい。
一石三鳥のみんなハッピーなプランに、羊子は浮かれていた。
送ったメッセージに既読はついたのに、返信がないことが気にならないくらいに。
疲れて寝ちゃったのかなくらいに思っていた。
アパートに帰り着くとほぼ同時に空は本格的に泣き出し、あまり濡れずにすんだ羊子はツイてるとガッツポーズをした。
合鍵を使って玄関を開けると中は真っ暗で、物音が聞こえてこない。雨音だけがやけに大きく響く室内。
寝ているのかなと思い、小声で帰宅を告げてなるべく音を立てずに室内に入った。
寝ているのを起こしたら悪いので、スマホのライトを使って居間を照らす。麻友の姿はない。
奈津美とのことを麻友にいっぱい聞いてほしかった羊子は、ちょっとスネた気持ちになって唇を尖らせた。
いつもならまだまだ起きている時間なのに、もう。
でも疲れて寝ているところを起こすわけにもいかないし、とりあえず洗面所に置いてあるバスタオルで雨に濡れた頭を拭いた。麻友が買ってくれた、羊子専用のバスタオル。
ソファに座ると寝室の方からカチャッと、ナイフがお皿に当たるような音がした。
横開きの寝室の扉は閉ざされていて、中の様子は見えない。
「麻友ちゃん?」
起きているならぎゅってしたいなと思って呼びかけるも返事はない。
返事のかわりのようにもう一度、カチャッ、と無機質な音が聞こえてくる。
雨脚はさらに強まり、窓を叩く雨音がイヤな胸騒ぎを呼び起こす。
「麻友ちゃん、開けるよ」
強張った手で寝室のドアを開くと、ぼんやりとした間接照明の灯りがついていた。
薄明かりの照らす室内にぽつんと咲く、赤い花。
「麻友ちゃん…!?」
引きつった声を上げる羊子の目の先には、ベッドの縁に背中を預けて床にペタリと座り、手首から真っ赤な血を流している麻友がいた。




