第三十一話 あたしには羊子ちゃんしか、いないから…
羊子と麻友は半同棲状態になった。
麻友のアパートに羊子の衣類や教科書類が置かれて、部屋の合鍵を渡されて、洗面所のコップには歯ブラシが仲良く並んでいる。
羊子は大学や買い物に行く以外はほぼ麻友の部屋にいる。でもたまに一人になりたかったり、ゆっくり寝たいなと思うときもあった。
だけどそういった素振りを見せると麻友は捨てられた子犬みたいな顔をするので、自分のアパートに帰ることはほぼなくなった。
たまに窮屈だなと思ってしまうことはあったが、麻友といるのは楽しいし幸せだし、それに気持ちいいことだってできるし、我慢というほどではなかった。
今は仕事が忙しくて不安定になってるだけで、それが落ち着けばほどよい距離感になれるよね。お泊りは週の半分くらいでいいかな。
そんなことを思っているうちに例年よりも早い梅雨入りがやってきた。
来ちゃったしてから三週間。
麻友の仕事は相変わらず忙しく、さらには人間関係ももつれてきたようでグチと疲れた顔が増えていった。
麻友の働く店舗の社員は店長と副店長である麻友の二人。バイトが二人という体制になっている。
あと一人、欲を言えば二人バイトを増やせれば休みも増やせて、だいぶ仕事が楽になるのにと麻友は口酸っぱく言っている。
「店長とバイト二人の仲が相変わらず悪くてさあ。店長がシフト決めてるんだけど、次の月のシフト出すのが毎回遅いってバイトの子たちあたしに言ってくんのよね。休みの希望が通ってないとかの文句もあたしに。で、店長からはあいつら休みの希望ばっか多くてやる気あんのか、ってこれもあたしにグチられて。あたしを仲介にしようとしないで、どっちも直接言ってよ、ほんと…」
羊子の作ったチャーハンを食べ終わり、麻友はグチモードに入っていた。
毎日新しいグチがあり職場の女に悪態をつく麻友に、羊子は薄暗い喜びと安心感を覚えた。職場で浮気の心配はなさそうで。
「それは見事な板挟みだねえ。よしよし、お疲れさ麻友ちゃん」
「ううー、ありがとう。羊子ちゃんだけがあたしの癒しだよお…」
お疲れさまの語尾に名前をくっつけた小ボケにも反応してくれないくらい、麻友は疲れ果てている。
最初のころはかわいくむくれてくれていたのに。
ひしっと抱きついて、頭をぐりぐりとしてくる麻友からはほんのり煙のにおいがするようになっていた。
大学の喫煙所の近くを通ったときと、そっくりなにおい。
別にタバコのにおいは嫌いじゃない。
でも自分に黙って吸っているのが嫌だった。
目の前でスパスパ吸っていたら話に出しやすいけど、そうでないと指摘しづらい。
それに自分の知らない麻友がいると思うとさみしかった。
「羊子ちゃんは大学どうだった?楽しかった?」
麻友は羊子の膝の上に頭を乗せて甘えながら聞いてくる。最近の麻友のお気に入りのポジション。
下から見上げられると問答無用に可愛くてなんでも許せてしまいそうになる。
「別に、講義受けて来ただけだし。相変わらず浮いててぼっちだし」
麻友の頭を撫でながら、羊子は唇を尖らせた。
羊子の大学生活は相変わらずで、以前より注目を集めている感じは薄れたものの、それでも檻の中の動物みたいに遠巻きにされていた。
友だちは相変わらずできる気配がない。話し相手は相変わらず食堂のおばちゃんだけ。
「ああ、そう言えば食堂のおばちゃんが、今度孫が生まれるんだって喜んでたなあ」
羊子にとっては久しぶりに聞く明るいニュースで、いつも真顔のおばちゃんの表情もさすがにゆるんでいた。
それを聞いたとき羊子は道端に咲いた綺麗な花を見つけたときみたいなほっこりした気持ちになって、麻友にもそういう気持ちになってほしかった。
「えっ、誰、それ?」
だけど麻友の顔は能面のような無表情になり、じっと羊子を見上げる眼差しには険がある。
「あれ、言ってなかったっけ。名前は知らないけど食堂のおばちゃん。毎日人が少ない時間帯狙って行ってたら顔覚えてくれて、ちょっと話したりしてるんだ。大学でのうちの唯一の話し相手」
「ふーん」
麻友は不機嫌そうに言ってごろりと背中を向けるので顔が見えなくなってしまう。
「えっ、まさか麻友ちゃん、ヤキモチ焼いてるの?食堂のおばちゃんに?」
「だって、あたしがいない間に羊子ちゃんとお話したんだって思うと、ちょっとムカつく。しかも羊子ちゃん、やさしい顔してたし」
「そんなお孫さんが生まれるような歳の人にヤキモチ焼かないでよ。うちの一番は麻友ちゃんなんだからさ」
「うん…」
そっと頭を撫でるとこくりとうなずくのが可愛い。
歳上なのに子どもみたいに素直に甘えてくるのが悶絶しそうなくらい可愛い。
麻友はくるりと仰向けになって、羊子の目を潤んだ瞳で見上げてくる。
「ごめんね、羊子ちゃん。あたしめんどくさくて。嫌いにならないで…。あたしには羊子ちゃんしか、いないから…」
ひんやりした手のひらで頬を撫でられて、そこから快感がゾワゾワと湧き上がってくる。
目の前のこの子は自分がいないとダメなんだと思うと、他の何もかもいらないと思えるくらい愛おしい。
でも、最近ときどき、魔が差したように、めんどくさいと思ってしまうことも確かにある。
「だいじょぶだよ、麻友ちゃん。麻友ちゃんのこと、うちはずっと大好きだからね」
そんな素振りはおくびも出さず、羊子は麻友に微笑みを向けた。
「うん…」
頭を撫でていた手をそっと鎖骨のあたりに這わせると麻友は熱い吐息を漏らして、泣き出しそうに潤んだ瞳で羊子を見上げた。
手をスウェットの襟から忍び込ませてやわらかな膨らみをなぞると、今度ははっきりと甘い声を上げた。
この子が自分のものなのだと思うと、羊子は天にも昇るような心地がした。




