第二十八話 食べちゃいたいくらいかわいい…
夢のように楽しい撮影会を終えて、羊子は麻友のアパートにお泊りに来ていた。レトロな外観をしているものの、室内はしっかりリフォームされているようで清潔感が漂っている。
部屋の間取りは2K。玄関から続くのは六畳の部屋で、六畳の部屋から四畳半とキッチンに入れる作りになっている。
六畳はテーブルやテレビを置いて居間として使い、四畳半を寝室として使っているらしい。
ゴテゴテの少女趣味の部屋を想像していた羊子は、余計なものが一切置かれていないシンプルな部屋を見て拍子抜けした。
「麻友ちゃんの部屋って、なんかスタイリッシュだね」
「ふふ、ゴテゴテに飾ってると思ってた?」
「うん、足の踏み場もないくらい骸骨とか干からびた人間とか転がってて、血しぶきがそこらじゅうに飛んでると思ってた」
「だからあたしはヴァンパイアじゃないって」
麻友は楽しそうに笑って、羊子の肩を軽くたたいた。たたかれた場所からあまいしびれが広がり、羊子の心臓が跳ねるような脈を刻む。
「実家に住んでたころはあたしもそういう部屋だったんだけどさ」
「スプラッターハウス?」
「もう、違うってばか」
ばかと言われるのも心地良い。もっと言われたい。
「ゴテゴテの痛部屋。いろいろ飾ったりしてたんだけどさあ、囲まれてると見慣れてきちゃうんだよね。こう、ありがたみや新鮮さがなくなってくる、っていうかさあ」
「ああ、ちょっとわかるかも…」
自分の趣味で塗り固めた羊子の部屋も、ひと月が過ぎるとそれに浸るような感覚は薄れてきていた。
「あといろいろ置いてあるとシンプルに掃除がめんどくさい」
「それな」
ほこりのたまってきたやたらと重い燭台のレプリカやコウモリ飾りのついた鏡とかを拭き掃除していて、あれこれいらなくね、飾りないほうが掃除楽じゃね、と羊子はすでにちょっと後悔していた。
その話をすると麻友は楽しそうに笑ってくれて、胸がウキウキとはずんだ。もっと麻友の笑顔が見たい。
「重い燭台ウケる」
「でもコナンくんとかで凶器に使われそうな雰囲気はあるし」
「ネクストのヒントで出てくるやつ」
「そうそう、凶器がヒントとして出てきちゃうそのまんまのやつ」
そんなくだらないことを言って笑いあえるのが、羊子はたまらなく嬉しかった。
大学ではこんなふうに笑いあえる相手はいないから。いや、高校のときにだって、こんなに気を許せる友だちはいなかった。
「そうゆう凶器以外で実用性皆無な燭台とか引っ越しになったときにめんどうになるのが目に見えてて、もう私生活はシンプルにしようって決めたんですよ」
そう言う麻友は部屋着の黒のスウェットに着替えていた。羊子も部屋着を借りて、チーターのロゴの入ったジャージに着替えている。どちらもいたってシンプルな服。
しっかり着飾ってメイクもばっちりしている麻友しか見たことがなかったから、これがまた新鮮で羊子はドキドキしていた。
お泊りだからこれから化粧も落とすんだよね。麻友ちゃんのすっぴんってどんななんだろ。あっ、でもうちもすっぴんになるわけか。えっ、やだ、どうしよ。ちょっと恥ずかしい。
「さてと、そろそろ晩ごはんの支度しよっか。今日は羊子ちゃんの初スタジオと、初飲酒の二大初めて記念日だし」
「へへっ、お酒お酒」
飼い主の後を追う犬のようにキッチンに向かう麻友についていき、隣に並んだ羊子の肩はウキウキと揺れていた。
羊子が大学に入ったらしたいことリストにはお酒を飲むことも入っていた。根が真面目な羊子はこれまで、お酒の類を飲んだことがなかったから。
本当はよくないが大学生だしもういいだろうと、今日は思い切って飲んでみたいと麻友に話していた。
「ちょび酔い買ったからね。ジュースみたいなもんだし、羊子ちゃんでも飲めると思うよ」
「むう、うちは赤ワインがよかったんだけどなあ」
「赤ワインはお主にはまだ早かろう」
「そうなんですか、師匠?」
急に渋い声を出す麻友に羊子も合わせる。
「うむ。わしとてまだまだ酒道は修行中の身。ワインの真髄には到達しておらぬのじゃ。おそらく今のお主が飲んだとて、美味とは感じぬじゃろう。わしらにワインはまだ嗜めぬ」
「ダメだって、飲んだとてと嗜めぬの合わせ技は…」
「ごめん、急に心の中の師匠が出てきちゃった」
二人して我慢できなくなり、ゲラゲラと声を上げて笑った。
「あー、でもそんなになの?ワインってぶどうジュースみたいなもんじゃないの?」
「ぜんっぜん違うよ。もっとなんかこう、ぶどう丸ごとのエグみというか渋味みたいなのもギュッと抽出した感じっていうか…。ほんとに大人の飲み物って味」
「へえー、でもいつか飲んでみたいなあ。ツィーゲ様が嗜んでいらっしゃったし」
「そうだねえ、そのうち二人で挑戦してみよっか」
「うん!約束だからね!」
満面の笑みでうなずく羊子を麻友がギュッと抱き寄せて身体を少し離し、ほほをしっとりとした指先で撫でた。
「ああ、だめだ。もうガマンできないや…」
それだけで羊子の口からはうっとりした吐息が漏れ出し、心臓が歓喜に打ち震える。
「麻友ちゃん…」
「羊子ちゃんかわいい…。食べちゃいたいくらいかわいい…」
「んぅ…」
耳元で囁かれて耳朶を吐息がくすぐり、ゾクゾクと身体が震える。
麻友はお酒に酔ったかのような、とろんとした瞳で羊子の目をじっと見つめた。視線が絡み合うだけで身体の奥底から甘い疼きが湧き上がり、初めての感覚に羊子は戸惑う。
ほほを撫でる指先が耳の後ろや首筋をゆっくりと、羽毛が触れるかといったくらいの手触りで這い回り、甘い疼きが走る。
「あぁっ、だめ…」
思わず掴んだ麻友の手が優しく羊子の手を握り返し、指先で軽く手の甲をひっかかれる。それすらも甘美な刺激となって、言葉とは裏腹にもっと求めるように麻友にすがりつく。
麻友はそんな羊子を強く抱きしめて、頭を撫でた。羊子も抱き返して麻友の背中をそっと撫でる。
「あっ、羊子ちゃんの触り方、やらしい…」
麻友が反応してくれたのが嬉しくて、もっと声を聞きたくなり、羊子は指先でじらすようにまさぐった。
荒くなっていく麻友の吐息を聞いていると羊子もますます興奮してきて、うなじのあたりが一番反応するのに気がつくと、そこを指の腹で優しくねぶるように触れた。
「うん…はぁ…」
「ふふっ、麻友ちゃんかわいい…」
それだけで身体をくねらせて太ももをこすりつけてくる麻友にもう、羊子はどうにかしてしまいそうだった。
触らなくてもわかるくらい、熱く潤っている。
そういう経験の一切ない羊子は興奮に身を任せつつも、どこか冷静に自分に問いかけていた。
えっ、いいの、これって。なんというか、これ以上しちゃって。いや、してきたのは向こうからなんだけど、今や立場逆転と言うか。そもそもうちと麻友ちゃんは友だち同士なんだから、こういうことをするにはそれなりの手順を踏んで、気持ちを確かめ合ってからするのが正道なんじゃ。
というかそもそも正道ってなんだ。こういうのにそんなのあるのか。もうそういう雰囲気なんだし、ここで止めるのはむしろ邪道では。逆に邪道なのでは。いや、逆ってなんの逆だよ。
あー、もうわかんない。身体も脳みそも熱くってもうわけわかんない。
とりあえず今いちばん求めているのは。
「のど、乾いた…」
のぼせ上がった額にはすっかり汗が滲んでいた。
麻友は余裕しゃくしゃくな様子でくすりと笑うと、額にへばりついていた羊子の前髪を指先で整えて、耳元で囁いた。
「お酒、飲んじゃおっか」
「うん、飲む」
甘えるような口調で言う羊子の頭をくしゃりと撫でて、麻友は冷蔵庫からちょび酔いを取り出した。
薄いピンク色の缶。桃味。
「あれ、一本だけ?」
「あたしが羊子ちゃんに、飲ませてあげる」
どういう意味かと首をかしげていると、麻友は薔薇のように妖しく微笑んで、プルタブをカシュッと開けた。
耳に届く炭酸の弾ける清涼感溢れる音。鼻を突くかぐわしい桃のアロマ。
ああ、飲みたい。今すぐそれを飲んで、乾いた喉を潤したい。
だというのに麻友は缶を傾けて自らあおり、口の中を冷たい炭酸で満たしている。
「あっ…」
羨望の眼差しでそれを見ていると、麻友は指先でそっと羊子のあごをなぞり、くいっと杯を傾けるように上向かせた。
そして髪をかき上げると、半開きになった羊子の唇を自らのそれで塞ぎ、甘く弾ける液体を羊子の口の中に流し込んだ。
「………!」
口内を犯す、暴力的なまでに甘く弾ける炭酸水。
ジュースにはない独特のもったりした風味がアルコールなのか、それとも麻友の味なのか、それすらわからない。
けれどそれをじっくり味わって嚥下する羊子は、全身が骨抜きになるような快楽と幸福感に酔いしれていた。
水っぽい音を立てて離れていく唇を、羊子は麻友のやわらかな胸に手を当てながら、名残り惜しく目で追った。
「どう、羊子ちゃん。はじめてのお酒は。美味しい?」
「うん、すごく、美味しい…」
上目遣いに見つめる羊子に妖艶な笑みを返し、耳元に口を寄せた麻友が蜜のような声で問いかける。
「もっと飲みたい?」
「うん、飲ませて…麻友ちゃんのお口で…」
「ふふっ、いい子ね」
羊子の髪をくしゃりと撫でて、麻友は耳元であまく囁く。
「ベッド、いこっか」
羊子はその言葉にぞくりと背筋を震わせ、花がしおれるように静かにうなずいた。




