第二十六話 変な服は着ていかない方がいいと思うよ
羊子が通う大学の入学式は、多くがそうであるように服装は自由と書いてあった。そうは書いてあるものの、ネットを見たらやはりスーツで行くのが無難だと書いてある。
大学入学を機に買ってもらったスーツは持って来ている。ごく普通の、なんの面白みもない黒のパンツスーツ。
「うーん…」
羊子はスーツと今日買った麻友とお揃いのゴスロリをハンガーラックに並べてかけて悩んでいた。
明日の入学式、着ていくのはどっちだ。
面白みはないが無難に周りに溶け込めるスーツか、気分は最高にアガるが絶対に浮くゴスロリか。
大学ではもう自分を偽らないと決めた。ツィーゲ様のように。
それなのにこんなにも揺らいでしまう自分が情けない。気弱な手は自然とスーツへと伸びてしまう。
これから四年間通うことになるのに、最初から躓くのはなあ。だってこの一張羅を着てったら絶対浮くし。激烈にカワイイけど一人でコスプレしてるみたいな状態になるし。
いやでも、最初からこれで行けばもう、周りの目を気にしないでいられる気もする。
たぶんそれで寄って来るのは同じ趣味の人くらいなものだろうし、好きなものを好きと堂々と言えて、好きなファッションをできる。
これまで感じてきた窮屈さと、おさらばできる。
狭い鳥籠から、抜け出せる。
ゴクリと喉を鳴らして本当の自分に手を伸ばそうとすると、アンティーク調の猫脚テーブルに乗せたスマホが震えた。
母からの着信。声を聞くだけで気が滅入る相手。
翌日が入学式だから心配して電話してきたのだろう。入学式に出たがっていた、過保護で保守的な母。
無視してしまおうかとも思ったがしつこく鳴り続けるので、仕方なく応答した。
「もしもし」
『あっ、羊子ちゃん。やっと繋がった。今どこ?家?あんまり夜遅くまで遊び歩いたりしてちゃダメよ』
まだ十九時を回ったばかりで遅いというほどの時間ではない。
「家。どうしたの?」
喉のあたりに息苦しさを感じつつ、最小限の言葉で応答する。
『カレンダー見たら明日、羊子ちゃんの入学式だなあって思ってね。ほんとにママ行かなくていいの?新幹線乗ればまだぜんぜん間に合うけど』
「来なくていいって。大学の入学式なんてわざわざ来る親いないって」
『そんなことないわよ。お隣のまなちゃんの入学式、羊子と同じ東京の大学でご家族揃って観光がてら行ってきたって言ってたわよ』
「だとしても、ほんと来なくていいから。だいたい今から来るのも大変でしょ」
『そんなの大丈夫よ。ママいざというときのためにお泊りの準備してあるから』
「いいってば、そんなの早く荷解きして」
『そう?ならいいけど。あっ、入学式用のスーツ、ちゃんと荷物に入ってたわよね?』
「うん」
『そう、明日はちゃんとそれ着て入学式出るのよ。変な服は着ていかない方がいいと思うよ。浮いちゃうから』
羊子はグッと奥歯を噛んだ。
昔一度だけ、通販でこっそり買ったゴスロリ服を母が受け取ってしまい、勝手に荷物を開けられて中を見られたことがあった。
まあ羊子ちゃん。こんなヒラヒラした変な服買って。お友だちから変な目で見られちゃうわよ。
露骨にしかめられた顔が今でも忘れられない。
それから羊子は、母に対してなんの理解も求めなくなっていた。
母は昔からそうだった。口では羊子の好きにすればいいよと言いつつ、それなのに自分の趣味に合わないものを見ると難色を示した。
うーん、羊子ちゃんが好きならいいけど、周りのお友だちがどう思うかなあ。
そういう回りくどい言い方をして不機嫌になるものだから、羊子は幼い頃から母親の顔色を伺うことを覚え、それがたまらなく窮屈で嫌だった。
『あっ、写真も送ってね』
だけど母は娘の思いはつゆ知らず、そんなことを頼んでくる。お友だち母娘で上手くいっていると思っている。
電話口で母が誰かにそう言っているのを聞いたときの気持ち悪さったらなかった。
人は本気で嫌悪感を覚えると背筋がぞわりとあわ立つのだと初めて知った。
「そんなの撮らない。一緒に撮る相手もいないし」
脳天気に言われて苛立ちを隠そうとするも、どうしても言葉の端々にトゲが生えたような感じになってしまう。
『そんなのいいじゃん、自撮りで。入学式の看板のとこで撮ってよ』
「そんな恥ずかしいことしないし。あー、というか明日の準備もあるしもう切る」
『あらそう。大学生活、しっかり楽しんで勉強もちゃんとするのよ。遊んでばかりじゃダメだからね』
「はいはい、わかってる。おやすみ」
『あなたはまたそんなテキトウな返事を』
言葉の途中で通話を切った。そしてむしゃくしゃをぶつけるように唸って頭をかきむしると、母の言う変な服に手を伸ばした。
買ったばかりのゴスロリ服。母にとっては変な服でも、羊子にとっては何よりも最高のドレス。
周りにどう思われても構うものか。大学では誰の指図も受けないで、本当のうちで生きていくんだ。
世界を敵に回すと決めた、ツィーゲ様みたいに。
そう、決めたんだから。
♡
五月の連休を終えて、新入生もある程度の人間関係が出来上がってくる時期。
羊子は広く顔を知られていたものの友だちはおらず、どのグループにも所属していなかった。
完全なるぼっち状態。
学食でご飯を食べているだけで、ひそひそと陰口が聞こえてくる。
「あの子、入学式にゴスロリ着てきてた子じゃない?」
「あっ、そうかも。そんなに目立ちたかったのかね」
「イタイよねえ。スーツ着てくりゃいいのに、なんでわざわざあんな格好してたんだか」
「大学デビューってやつかね。イタイイタイ」
「今日は普通の服だね。でも黒い。喪服かよ」
「あれじゃない、スーツ買うお金ないとか」
「ゴスロリは買えるのに?」
「スーツがなければゴスロリを着ればいいじゃない、みたいな?」
「なにそのパンがなければお菓子をみたいなノリ。ウケる」
ゲラゲラと笑う声が聞こえ、羊子は半分くらい食べたAランチにため息を落として、お盆をカウンターに返した。
もったいないとは思うが、とてもこれ以上は食べられない。
胃がムカついて、無理に食べたらたぶん戻してしまう。
「ごちそうさま」
「おや、もういいのかい?あんたそんなんじゃますます痩せちまうよ」
「おばちゃんごめん。でももう、食べられないから」
羊子にチラチラと目を向けて嫌らしく笑う集団を横目で見て、顔見知りになった学食のおばちゃんは目をスッと細めた。
羊子は人の少ない時間帯を見計らって学食を利用していたから、すぐに顔を覚えられた。
ゴスロリ入学式は教職員の間でもちょっとしたウワサになっていたみたいで、何も言わなくても事情を察せられて、何かと気遣う声をかけてくれていた。
それがくすぐったくて、心地よくて、毎日通っていた。
「まったく、あたしがガツンと言ってきてやろうか?」
「ありがと。気持ちだけ受け取っとく。たぶんもっと酷いことになるし」
「まあ、そうだね。順調にいけば四年で終わりなんだ、下らない奴らのせいでくじけないでね」
「うん。ありがと、おばちゃん」
励ますように親指を立てるおばちゃんに、羊子もニッと笑って同じサインを返した。おばちゃんはいつも真顔で親指を立てるから、ターミネーター2のラストみたいでちょっと面白い。
羊子が大学で毎日話しをするのは学食のおばちゃんだけだった。
たぶん年齢は羊子の母親より少し上くらいだと思うのに、気さくで話しやすい。あんな人が母親だったら、と詮無きことを思ってしまう。
母は毎日のようにメッセージを送ってきて、今日はどうだったと聞いてくる。
報告するほどのことなんて、羊子の大学生活には何もない。あったとしても、母に逐一報告しようとは思えない。
だからと言って無視していると今度は電話がかかってきてもっと鬱陶しいので、いつも通りとだけ返していた。
それのなんて面倒くさいことか。
母には入学式のことはもちろん話していない。
それ見たことかと鬼の首を取ったように責められるのは目に見えていたから。
だからスーツ着なさいって前日に電話までして言ってあげたのに。あなたはほんとに昔から…。
と昔のことまで掘り返してネチネチ言われるだけなので、順調に過ごしていることにしていた。
いちおう人間関係を広げられるかと思って、興味のあった文芸サークル、『語り部』には入ってみた。
それで知り合いはできたものの、みんなどこかよそよそしく羊子を腫れ物のように扱っているのですでに幽霊部員。
服装の規定のない入学式に好きな服を着て出ただけなのに、どうしてこうも異端者のように扱われてしまうのか。
高校よりも遥かに広く、比較にならないくらい人も多いのに、大学はただ大きくなっただけの鳥籠のように思えてならなかった。




