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最終話:異世界に転生したら、王都に仕えるブラック企業に就職したが、とりあえず3年勤めたらレベルアップした件について

王宮の広場は静寂に包まれていた。

数分前まで世界を滅ぼそうとしていた巨獣ベヒーモスは、今や風に舞う灰となり、石畳を薄暗く汚している。

その灰の真ん中で、よれよれの事務服を着たサトシが、震えるゼノス課長の前に立っていた。

「あ、あ…サトシ君、落ち着きたまえ」

ゼノスは歯の根が合わない音を響かせながら後ずさりした。

目の前の青年が放った一撃。

それは魔法などという生易しいものではなかった。

理不尽を存在ごと「消去(デリート)」する暴力的なまでの強者の力。

三年間、呪いと毒にまみれた地下室で、文句一つ言わずに働き続けた男が到達した絶望的なまでの強さの結晶だった。

「ゼノス課長。判子を押してください」

サトシの声は驚くほど穏やかだった。

だが、その手に握られた退職願は、周囲の空間を歪ませるほどの魔力を帯びている。

ゼノスは震える手で懐から公印を取り出した。

本来なら厳格な手続きが必要な書類だが、今この場で「社内規約が…」などと言い出せば、自分の首が物理的に消し飛ぶことを本能が察知していた。

『ドン!!』

重い音と共に退職願に赤い印影が刻まれる。

その瞬間、サトシを縛っていた目に見えない呪縛が音を立てて弾け飛んだ。

「あぁ…ようやく終わったか」

サトシが小さく呟いた。

脳内にこれまでで最も軽やかな通知が響く。


『通知:全業務の引き継ぎを完了』

『称号:【自由人】を獲得。全拘束魔法および契約呪縛を無効化します』


「サトシさん! 待ってください!」

背後からボロボロの鎧を鳴らしながら、リナが駆け寄ってきた。

彼女の瞳には、畏怖(いふ)とそれ以上の熱い羨望(せんぼう)が宿っていた。

「貴方はこの国を救った英雄だ! 王も貴方の功績を称えたいと、お会いしたがっている」

サトシは足を止め、ゆっくりと振り返った。

その表情には三年ぶりに見る「人間らしい」柔らかな笑みが浮かんでいた。

「リナさん、お誘いは嬉しいですが、遠慮しておきます」

「なぜだ!? 貴方の力があれば、この国を…いや、世界を導くことだってできるのに!」

サトシは空を見上げた。

そこには前世のオフィスビルからは決して見ることのできなかった、抜けるような景色が広がっている。

「僕は世界を救うためにこの力を手に入れたんじゃないんです。『明日、会社に行かなくていい権利』が欲しかった…ただ、それだけなんです」

その言葉の重みにリナは二の句が継げなかった。

英雄の咆哮でも、新たに誕生する王の宣言でもない。

それはあまりに切実で、あまりに矮小(わいしょう)で、だからこそ何よりも強固な「個人の意志」だった。

サトシは呆然とする一同を背に王門へと歩き出す。

豪華絢爛な王宮の門をくぐる時、彼はふと思い出したように立ち止まり、ゴミを見るような目で自分を見つめていた門兵たちを一瞥(いちべつ)した。

門兵たちは、サトシから漏れ出る圧倒的なプレッシャーに、ただ直立不動で敬礼することしかできなかった。

「あ、そうだ。ゼノス課長」

サトシは遠くでへたり込んでいる上司へ声をかけた。

「僕のデスクの引き出しに三年間溜まった『未払いの残業代請求書』を置いておきました。口座番号も記載しているので、期日までに入金してくださいね。踏み倒そうとしたら、次はペンじゃなくて『机』を投げますから」

ゼノスの顔が土気色(つちけいろ)になった。

ベヒーモスを屠ったペン。

それよりも遥かに重く、サトシの魔力が込められた「机」なんか投げられようものなら、王宮そのものが世界地図から消えてしまうだろう。

サトシは、今度こそ一度も振り返らずに歩き続けた。


王都の喧騒を抜け街道へ出る。

背負っているのは、わずかな私物が入ったカバン一つだけ。

だが、今の彼にはどんな財宝よりも価値のある「時間」があった。

数時間後、森の入り口にある小さなレストランに立ち寄り、サトシは椅子に深く腰掛けた。

運ばれてきたのは、ただの素朴なコーヒーと焼きたてのパン。

地下倉庫で食べていた「魔力補充精神安定剤入り乾パン」とは違う、麦の香りがする本物の食べ物だ。

「…美味しいな」

パンを一口かじった瞬間、自然と涙がこぼれていた。

強くなりすぎた体はもはや毒も呪いも受け付けないが、人の優しさと労働から解放された喜びだけは、乾いた心に深く染み渡った。

「さてと…明日は何をしようかな」

昼まで寝てもいい。

あてもなく隣町まで歩いてもいい。

気が向けば、森の奥で静かに暮らすのも悪くない。

彼を縛る「納期」も「残業」も「上司のパワハラ」も、もうどこにも存在しないのだから。

異世界に転生しても、務めた先はブラック企業だったが、とりあえず三年間働き抜いた男、佐藤智。

彼は今、この世界で最も恐ろしく強大な力を手にし、そして最も幸福な「無職」になったのだった。

今回は全部で5話構成の短編となりました。


3話目で、いきなり3年の月日が飛んだこともあり、私自身読んでて、ちょっと物足りなさを感じましたが、別作品が終わってもいないので、今回の作品はこれくらいのボリュームで仕上げることに至りました。


主人公のサトシのように、石の上にも3年、とりあえず3年は続けろという社畜精神を貫いた結果、最終的に自由を手に入れられたというのは、現実世界の仕事においても、ある程度自分で仕事を熟せるようになり、上司からも、くどくど言われなくなったイメージに近しいものを感じますよね(私の体験談にはなりますが)

※まぁ、サトシの場合は、上司すら凌駕する神の領域に達していますけどね…w


また、思いついた時に番外編という形で、3年間のストーリーも描いてみるのも、面白いかもしれません。


こんな思い付きの短編小説を読んでくださった皆様、改めて感謝申し上げます。

それでは、次の機会で、またお会いしましょう。

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