番外編⑥:新入社員の洗礼と絶望のOJT
サトシが王都魔導省の遺物整理課に配属されてから、2年(730日)が経過した。
その間にサトシがこなした遺物整理の件数は数万を超え、地下の生態系は彼を中心とした「異常な業務効率化空間」へと変貌していた。
そんなある朝のことである。
「サトシ君! 今日から遺物整理課にも新入社員が配属されたよ!」
ゼノス課長が上機嫌な様子で一人の青年を連れてきた。
銀髪を華やかに整え、仕立ての良い特注の魔導ローブを纏った青年は、埃っぽい地下倉庫の空気に露骨に顔を顰めながら、サトシの前に立った。
「初めまして、本日付けで配属されました『ニック・マーベル』です。まあ、ご存じかもしれませんが、マーベル家は代々、宮廷魔導師を輩出する名門貴族でしてね。僕のような『国家の至宝』が、なぜこんな掃き溜めに配属されたのか、人事部の正気を疑いますが…。まあ、これも宮廷魔導士になるための修行の一環だと思いましょう。1週間…いや3日もあれば、ここの仕事などすべて覚えてみせますよ。先輩は横でコーヒーでも飲んでいてください」
ニックは、サトシの着古して黒ずんだ事務服と、感情の起伏が一切感じられない「死んだ魚のような目」を見下すように鼻で笑った。
サトシは無表情に手元の台帳から目を上げた。
「よろしくお願いします、ニックさん。無理のない範囲で、少しずつ仕事を覚えてもらえたら大丈夫なので、分からないことがあれば何でも聞いてください」
「ははっ、このエリートの僕に分からないことなどありませんよ。完璧な成果を先輩に見せてあげますよ」
ニックはそう言い放つと、意気揚々と倉庫の奥へと足を踏み入れた。
それが自身のプライドと精神が粉々に砕け散る始まりだとも知らずに…。
ニックが最初に取り掛かったのは、棚の隅で不気味な黒い霧を吐き出していた『絶望を啜る古鏡』の再封印だった。
ミラが潜む『嘆きの鏡』と親類の存在であり、同じく特級呪物に指定されている1つである。
「これは『特級呪物』に分類される遺物ですね。だが、僕の家系に伝わる高密度魔力障壁にかかれば、こんな呪いなど…」
ニックが自信満々に鏡に触れたその瞬間だった。
「なっ、なんだ、この寒気は…!?」
鏡面がドロリと波打ち、そこから無数の「死者の腕」が爆発的に伸び出した。
死者の腕はニックの首や手足に絡みつき、彼の意識を底なしの深淵へと引きずり込もうとする。
「ひ、ひぎぃっ!? 意識が…溶ける…! 僕の魔力障壁が一瞬で食い破られただと…!? 助け…て…!」
ニックの瞳から光が消え、泡を吹いて倒れそうになったその時だった。
ニックの背後から、あまりにも場違いな事務的な呼びかけ声が響いた。
「あ、ニックさん。その鏡は『魂喰いの時期』で情緒不安定なんですよね。左上の角を少し強めに叩いてやると、大人しくなると思います」
サトシが通りすがりに手に持っていた分厚い台帳で、鏡の縁をコンコンと軽く叩いた。
すると、あんなに猛威を振るっていた死者の腕が、まるで「システムエラー」が解消されたかのように霧散し、鏡はただの古びた調度品へと戻った。
「は? 先輩、いま何をしたんですか? 結界は? 聖水は…!? 」
「ただの『物理的なデバッグ』ですよ。前世でも言うことを聞かない精密機器は物理的な衝撃で機嫌が直ることがありましたからね。あ、その霧散した際に床に落ちた鏡の破片は、指に刺さると『三代先まで呪われる』ので、後で箒で掃いておいてください」
サトシはそう言い残すと再び台帳に目を落とした。
ニックは冷や汗を流しながら、震える手で自分の喉元を擦った。
昼時、半死半生で震えるニックを、サトシは「福利厚生を紹介します」と言い、第二倉庫の「社員食堂」へと案内した。
扉を開けた瞬間、ニックを襲ったのは暴力的なまでの殺気と熱気だった。
「おお、サトシ。今日の肉は活きがいいぞ」
厨房に立っていたユリウスが、漆黒のオーラを纏いながら、サトシに呼びかける。
「ま、魔王ユリウス!? 嘘だ…歴史書にも刻まれた災厄の象徴が、何故こんなところでコックコートを着てフライパンを振っているんだ…!?」
「何故って、ユリウスさんもここの職員ですからね。社食のお勧めはそこのカレーですね。食べると体内の魔力回復効率が上がるので、午後の仕事にも精が出ると思います。あ、お冷やはミラさんにお願いしてください」
「あら、新人さん? さっき私のお友達に粗相を働いたのは、あなたかしら? あまり度が過ぎるようなら、次は鏡面を磨く刑に処してあげてもいいのよ?」
目の前の絶世の美女が、ニックを呪い殺さんばかりに微笑みかける。
「ひ、ひぃぃぃ…!」
ニックは目の前のミラの言葉に恐怖を抱き、食器を持つ手がガタガタと音を立てて震えた。
さらにサトシの左手の指輪からは、「ねえ、 この新人君、魂が不安定みたい。私が束縛して大人しくさせてもいいかな?ねぇ、 サトシ、いいよね!?」と悪魔の囁きが聞こえてくる。
「な、何なんだここは…王都の地下にこんな地獄があるなんて…。そして、なぜこの先輩は、魔王や呪物に囲まれている中で、平然とパスタを啜っているんだ…!?」
ニックは一口も味を感じることなく、ただただ命の危機を感じながら、社食のカレーを胃に流し込んだ。
午後、もはや恐怖を通り越した境地に達しているサトシの横顔を、ニックは震えながら見つめていた。
サトシは、触れば即座に精神が発狂を引き起こす『狂気の戦斧』を、あろうことか「肩たたき棒」代わりに使いながら、鼻歌まじりに在庫の数を数えている。
「せん…ぱい…なぜ、あなたは平気なんですか…? それにさっきから棚の隙間にいる『死影の傀儡』が、あなたの影を喰らおうと覗き込んでいるんですよ…そんなに悠長にしてて大丈夫なんですか…?」
既に様々な呪物の洗礼を受けて、精神がボロボロにすり減ったニックが、かすれた声でサトシに問いかける。
サトシは手に持っていた『狂気の戦斧』を置き、少しだけ昔を懐かしむように、ひどく遠い目をしながらニックの問いに答える。
「前世で徹夜三日目にサーバーのログが赤一色に染まっていたあの朝…修正箇所が見つからないまま、あと一時間で本番環境への反映を迫られたあの瞬間の絶望に比べれば、影の魔物が僕の影を齧る程度の不調なんて、大した問題じゃないですよ。呪物も所詮は『仕様外の挙動』に過ぎません。適切に運用すれば、これほど有能で便利なツールはないと思いますよ」
サトシの言葉を聞いて、ニックは悟った。
目の前の男が、エリートの自分が目指すべき「魔導師」とは比べ物にならない常識を異する存在であり、あらゆる恐怖を「業務上の仕様」として切り捨て、魔王すらも「労働力」として管理し、魂が摩耗しきってもなお「使命」のために微笑み続ける。
それは人間を超越した、あるいは人間であることを辞めた「絶対的社畜」という名の怪物なのだと…。
「あ、ニックさん。その足元に転がってる『怨念の髑髏』、踏んで歩くと足つぼのマッサージに丁度いいですよ。血行が良くなって仕事も捗りますよ」
「…ひぃぃぃっ!!」
ニックは悲鳴を上げ、その場から飛び退いた。
「無理だ!!」
ニックは震える手で、ニック家の家紋が入った高級な杖を床に落とした。
「呪物が怖いんじゃない…サトシ先輩、あなたが、あなたという存在が一番恐ろしいんだ!!」
就業時間の17時半、ニックはプライドもエリート意識も、そして「人間としての尊厳」もすべて地下の闇に飲み込まれ、這うようにして階段を駆け上がった。
「やめてやる! 宮廷魔導師になんてならなくていい! 僕は、僕は、人間として生きていたいんだぁぁぁぁ!!」
翌朝、ゼノス課長の机には涙と鼻水でぐしょぐしょに濡れた、ニックの退職届が置かれていた。
ゼノス課長が彼の退職を引き止める間もなく、ニックは逃げるようにしてこの王都を去って行った。
せっかく、まともな新人が入社したことを喜んでいたゼノス課長も、この日は涙と鼻水でデスクを濡らしていたというのだった…。
「ニックさん、辞めちゃったんですね。最近の新人は精神が脆いのか、1日も持たないとは…」
ニックが逃げ出したことを知ったサトシは残念そうに首を振りながら、彼が脱ぎ捨てていった特注のローブを「掃除用具入れの雑巾」として備品登録をするのだった。
「さてと、人手は減ってしまったが、気を取り直して仕事に戻るか。ユリウスさん、奥の棚の移動をお願いします。メルさんは在庫の監視を。ミラさんも僕の台帳整理のフォローをお願いします」
「ふん、あのミジンコのような若造に、この職場は早すぎたといったところか」
「メル、あの新人君は好きになれなかったな。やっぱりここにはサトシだけで十分なんだから」
「所詮は貴族あがりの御坊ちゃまだったわね。下らないプライドだけでは、社会は生き残れないことを身に染みて経験できたんじゃないかしら」
地下倉庫には、再びいつも通りの業務の音が響き渡る。
サトシは清々しい顔で、また一つ、呪物を素手で対処しながら、静かに台帳にペンを走らせるのだった。
新入社員のOJT編ということで、無駄にプライドだけが高い新人が仕事の現実を知り、己の無力さを痛感するようなストーリーを描いてみました。
まぁ、こんなブラックな環境(呪いが殺伐する環境)では、人間をやめた精神力の極地に達していなければ、辞めたくなるのも無理ないと思いますけどね…(笑)
最近は退職代行を使って入社1日目に退職ってことも聞きますが、この遺物整理課に退職代行の概念は通用しないと思うので、ニック君の選択した消失(逃げる)は、ある意味、彼が出した唯一の正解だったかもしれません。




