番外編⑤:魔導健康診断と驚異の診断結果
王都魔導省の地下倉庫。
就業開始時間早々、ゼノス課長がどこか申し訳なさそうな顔でサトシに歩み寄ってきた。
「サトシ君、おはよう。あ、いや、そんなに警戒しないでくれ。今日は仕事の追加じゃないんだ」
その手には一枚の赤色の羊皮紙…もとい健康診断の通知書が握られている。
「年に一度の定期魔導診断だよ。王都魔導省に属する全職員の義務なんだ。これをパスしないと僕の管理責任が問われてボーナスがカットされちゃうんだよ…というわけで、午前中は医務室に行ってきてくれないかな?」
サトシは手に持っていたモップを止め、無表情に通知書を見つめた。
「健康診断ですか。今日も遺物整理や在庫管理などで、時間の余裕もあまりないのですが…会社の義務なら仕方ありませんね、分かりました」
サトシはしぶしぶと健康診断へ向かう準備を始める。
「サトシ、私もついて行くわ。あなたの健康管理も私の「業務」の一環なんだから」
ミラは鏡面を揺らし、その姿を霧のような思念体へと変えると、サトシの体内に憑りつくように入っていった。
「ふん、我も同行しよう。貴様の肉体が、人間の生ぬるい医学でどう評価されるのか興味がある」
ユリウスもまた、実体である抜け殻を倉庫に残し、漆黒の思念体となってサトシの影へと溶け込んだ。
左手の指輪からは、「私も行く!」とメルの声が聞こえてきた。
こうして一人のようでいて、その体内には「鏡の美女・魔王・メンヘラ悪魔」の特級呪物ハッピーセットを詰め込んだサトシが、王都魔導省の最上階にある医務室へと向かった。
医務室で待っていたのは、これまでに数千人の魔導省で働く命を救ってきた老医師のガレンだった。
「さて、まずは基本の魔力量と精神汚染度の測定だ。この水晶玉に手を触れてくれ」
サトシが、乾燥してひび割れた皮膚の目立つ手を水晶玉に触れさせた。
その瞬間、医務室の空気が凍りついた。
キィィィィィィィン! と耳を劈くような高音が室内に響き渡る。
暫くして水晶玉の中に「0」という数値が表示された。
「な…精神汚染度が、ゼ、ゼロ…だと?」
ガレンは椅子から転げ落ちそうになった。
「君は、あの呪物の巣窟である遺物整理課で一年半も働いているんだろう? どんな屈強な騎士だって、一ヶ月もいれば精神に『濁り』が出る場所なのに、君の心はまるですべてを悟った聖者か、あるいは、完全に死に絶えた灰のように静かだ…。君、本当に生きているのか?」
「ああ、多分【感情殺し】のおかげですかね。前世で上司の理不尽な怒号を毎日聞き流していた頃に比べれば、地下倉庫の呪いなんて心地よいホワイトノイズみたいなものですよ」
今しがたサトシの言うことに疑念を持ちながら、次にガレンは震える手で魔導聴診器を取り出し、サトシの胸に当てた。
本来なら、そこからは規則正しい心音と、魔力の脈動が聞こえてくるはずだった。
しかし、ガレンの耳に届いたのは、この世のものとは思えない「多重音声」だった。
「あ、先生。そこ不整脈予備軍だから気をつけてくださいね。サトシったら最近、朝昼晩とブラックコーヒーを飲みすぎなのよ」
ミラが体の内側からサトシの心臓を検品するように囁く。
「おい医師よ、もっと丁重に扱え。貴様の指がサトシの肌に触れるたび、我が不快になる」
ユリウスの重低音がサトシの影から地鳴りのように響く。
「ねえねえ! 今、サトシの心臓が私のことを想ってドクンって言った! 私が一番近くで聞いてるんだからね!」
指輪の中からメルがサトシの心拍数に合わせて嬉々として叫ぶのが聞こえる。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?」
ガレンは聴診器を放り投げて後ずさりした。
「な、なんだ今の声は…胸からは麗しい女性のような声、影からは威圧するような男性の怒号、 手元からは小悪魔のような女の子の声が聞こえてきたぞ…それに君の脈拍が機械のように一分の狂いもなく一定に保たれている。普通の人間なら、これほどの呪いに囲まれれば精神が削られ心拍が乱れるはずなのに…君は一体何者なんだ!?」
「ああ、最近は栄養価が高い食事(社食)を食べられているおかげですかね…前世の『エナジードリンクと胃薬のコンボ』で無理やり動かしていた頃に比べれば、安定していると思いますよ」
サトシは至って冷静にシャツのボタンを留め直した。
ガレンは真っ白な顔になりながら、震える手で診断書にペンを走らせる。
彼はこれまで多くの患者を見てきたが、「強すぎる呪いたちが共生しすぎて、宿主が人間を辞めている」という症例には出会ったことがなかった。
「診断結果を伝える。君は…判定不能だ。いや、医学的に言えば、君はもう『人間』という枠組みには収まらない。いかなる病もいかなる精神汚染も、これまで様々な特級呪物に晒されてきた君の体の中で即座に排除し、常に『最適稼働』な状態を保っている。今の君は『絶対に壊れない理想の労働体』と呼ぶべきだろう。医学の常識では測りきれん…」
「理想の労働体ですか…」
サトシはその診断書をひょいと受け取り、「判定:不能(過剰健康)」という文字を眺めた。
「じゃあ、再検査の手続きが面倒なので、このまま『異常なし』ってことで処理しておいてください。午後からまた、遺物の棚卸があるので仕事に戻ります。壊れない体なら、どれだけ残業してもビクともしないってことで、むしろ業務上の強みですからね」
「き、君…本気で言っているのか?」
「ええ。前世では、どれだけ心身が壊れそうでも代わりの人間がいませんでしたから…」
そう言い残して、サトシは医務室を後にした。
サトシが去った後の医務室で、ガレンはしばらくの間、呆然と天井を見上げていた。
手元に残されたカルテには、人間一人に許容されるはずのない膨大なエネルギー量と一切の揺らぎがない精神波形が記録されている。
「あんなものが、この魔導省の地下に埋もれているというのか。病も呪いも疲労すらも、内なる怪物が『業務の邪魔だ』と食い尽くしてしまう程の領域に達している…。もはや、神が創りたかった『究極の従業員』…いや彼自身が神に近い存在そのものではないのか」
その後、王都魔導省の医師たちの間では、とある「都市伝説」が密かに語り継がれることになる。
『地下倉庫には決して壊れない、決して止まらない、理想の労働体が住んでいる。彼は自らの内側に魔王や呪物を飼い慣らし、人智を超えた健康体を維持しながら、今日も淡々と在庫を数えている』と。
一方で地下倉庫に戻ったサトシは、元の姿に戻ったミラに「診断結果に慢心しちゃダメよ。今日はキメラのレバーを多めに食べなさい」と栄養管理の指導を受け、メルには「指輪を外そうとしたら、血管が止まるくらい束縛してあげるからね!」と不穏な愛を囁かれていた。
「さて、健康診断も終わったことだし、午前中のロスを取り返すとするか。ユリウスさん、奥の棚の移動をお願いします。再検査の必要も無くなったことだし、これで心置きなく業務に取り組めるかな」
「…ふん、医学的に『壊れない』と証明された瞬間にこれか。貴様、やはり人の心がないのではないか?」
ユリウスが呆れ顔で巨大な棚を持ち上げる横で、サトシは清々しい顔で台帳を開いた。
前世では壊れるまで働くのが当たり前だったが、今は壊れないから働ける。
サトシにとって、これほど健康的でホワイトな職場環境は、どこを探しても他にはないのであった。
社畜の健康診断ということで、すでに判定不能(人間の域を超えている)という状況を描きたくて今回のストーリーとなりました。
深夜のサービス残業の御供と言えば、やはりブラックコーヒーかエナドリは外せないですよね(作者の体験談)
当たり前のように会社の健康診断に引っかかるので、皆さんは健康には気を付けて仕事に取り組んでください。




