↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/5

第二話 幽霊と漫才コンビを組むな。

梶ヶ谷伊吹、二十四歳。

人生には、絶対に受け入れてはいけない提案がある。


借金の連帯保証人。 怪しい投資話。 そして、幽霊からの漫才コンビ結成の申し込み。


「伊吹! コンビ組もうや!」


「嫌や」


「まだ何も説明してへん!」


「説明聞いたら断りづらなるやろ!」


朝食の席で、鳴海千暁は一枚の紙を突きつけてきた。


《漫才コンビ結成届》


ご丁寧に、伊吹の署名欄まで用意されている。


「なんやこれ。婚姻届の親戚か?」


「似たようなもんや! 一生添い遂げような!」


「お前の一生もう終わっとるやろ!」


「死後も有効やで♡」


「重いわ!」


千暁は昨夜、伊吹の古い漫才台本を見つけて以来、妙に張り切っていた。


しかも勝手にコンビ名まで決めている。

《成仏待ち》。


「縁起悪すぎるやろ!」


「覚えやすいやん!」


「片方ほんまに成仏待ちやないか!」


「ちなみに俺がボケ、伊吹がツッコミな」


「客からお前見えへんやろ!」


「そこは愛で!」


「漫才を心霊現象で成立させようとすんな!」


伊吹は紙を突き返した。


もう舞台には立たない。

そう決めてから、何年も経っている。


押し入れの奥にしまったネタ帳も、今では開くことすら怖かった。


千暁はそんな伊吹をじっと見つめたあと、ふっと笑った。


「ほな、一回だけ。嫌やったらやめよ」


「……何を」


「俺と笑うん」


その言葉が、妙に胸に引っかかった。


*


商店街の掲示板に、一枚のチラシが貼られていた。

《夕凪お笑いライブ・出演者募集》


千暁はそれを見つけるなり、伊吹の手首を掴んだ。


冷たい。

けれど、不思議と嫌ではなかった。


「これや!」


「何がや!」


「初舞台!」


「勝手に決めんな!」


「優勝賞品、商店街商品券三万円分!」


伊吹の足が止まった。


「……三万?」


「三万」


「現金?」


「商品券」


「換金性は?」


「夢ないなあ!」


結局、伊吹は申し込んだ。

生活苦は時として人間の尊厳を軽々と飛び越える。


ただし問題があった。


「出演者、二人って書いてあるぞ」


「二人おるやん」


「受付のおばちゃんには俺しか見えてへん!」


千暁は考え込んだ。

そして、伊吹の肩に両手を置いた。


「伊吹。俺を信じてくれ」


「……なんや急に」


「俺らなら、絶対できる」


真剣な顔だった。

端正な顔立ちが近づき、伊吹は思わず視線を逸らす。


「……近い」


「照れた?」


「除霊すんぞ」


「愛情表現が過激!」


結局、受付には「腹話術の相方」と説明した。


人形は持っていない。

受付のおばちゃんは、最後まで不審そうだった。


*


本番当日。


舞台袖で、伊吹は震える手を握り締めていた。


客席から笑い声が聞こえる。


照明の熱。 マイクの匂い。 床板の軋む音。

すべてが懐かしく、同時に恐ろしかった。


高校時代、隣にはいつも相方がいた。


「……無理や」


小さく呟くと、千暁が顔を覗き込んだ。


「伊吹」


「……なんや」


「失敗してもええねん」


「簡単に言うな」


「失敗したら俺がボケ倒す。お前は好きなだけツッコめ」


千暁はいつもの調子で笑った。


「一人にせえへんから」


その言葉に、伊吹の喉が詰まる。


かつて、同じようなことを言ってくれた人がいた。

けれど今隣にいるのは別の誰かだ。


冷たい手が、そっと伊吹の背中を押した。


「ほら、行こか。相方」


伊吹は深く息を吸った。


「……今回だけやぞ」


「もちろん!」


千暁は満面の笑みを浮かべた。


嘘をつく幽霊の顔だった。


*


「どうもー! 《成仏待ち》でーす!」


伊吹が舞台へ飛び出した。


隣には千暁。

ただし、観客には見えていない。


「いやあ、今日は皆さんに会えて嬉しいわ!」


千暁が手を振る。

伊吹がツッコむ。


「お前、客から見えてへんやろ!」


客席が静まり返った。


当然だった。

観客からすれば、若い男が誰もいない空間に怒鳴っている。


「最近、健康に気ぃ遣ってましてね!」


千暁が続ける。


「お前もう死んどるやろ!」


沈黙。


「毎朝、散歩してるんですよ!」


「足ないやろ!」


さらに沈黙。


伊吹の額に冷や汗が滲んだ。


終わった。


そう思った瞬間、千暁がマイクスタンドを浮かせた。


客席から悲鳴が上がる。


「お前! 何しとんねん!」


「いや、ちょっと演出を!」


「心霊現象を演出言うな!」


マイクが宙を舞い、椅子が勝手に回転する。

伊吹は必死に追いかけた。


「戻せ! 舞台壊すな!」


「盛り上がっとるやん!」


「悲鳴や!」


ところが、客席の一人が吹き出した。

続いて、別の客も笑う。


恐怖よりも、伊吹の必死すぎるツッコミが勝った。

千暁はそれを見て、悪戯っぽく笑った。


「伊吹、次いくで!」


「何を――」


ズボンのベルトが、ひとりでに緩んだ。


「お前ぇぇぇ!」


伊吹は慌てて腰を押さえる。


「下ネタに逃げるな!」


会場が爆笑に包まれた。


千暁は調子に乗り、舞台袖から巨大なハリセンを飛ばしてきた。


伊吹はそれを掴み、反射的に千暁の頭を叩く。


ぱぁん!


乾いた音が響いた。


「……え?」


伊吹は目を見開いた。


触れた。

幽霊のはずなのに。


千暁も驚いた顔をしていたが、すぐに笑う。


「ええ音したなあ!」


「なんで叩けんねん!」


「愛の力?」


「便利すぎるやろ、その理屈!」


客席は腹を抱えて笑っていた。

伊吹も、気づけば笑っていた。


怖かった舞台が、いつの間にか楽しくなっていた。


隣にいるのは、かつての相方ではない。


けれど、今ここにいる千暁とならもう一度、笑えるかもしれない。


*


結果発表。


優勝、《成仏待ち》。


「やったで伊吹!」


「ほんまに優勝してもうた……」


千暁は喜びのあまり伊吹に抱きついた。

冷たい身体が、ふわりと重なる。


「伊吹ぃ! 大好きやぁ!」


「やめろ! 人前や!」


「誰にも見えてへんから大丈夫!」


「俺が一人で悶えとる変態になるやろ!」


観客は最後まで大笑いだった。


その様子を、客席の最後列から一人の男が見つめていた。


黒いスーツ。 鋭い眼光。 胸元には、霊務局の銀色の徽章。


鉄輪厳十郎。


「……鳴海千暁」


男は低く呟いた。


十五年前、百人分の怨念を封じ込めた特級危険霊。


本来なら、物理的な干渉すら不可能なほど不安定な存在。


それが今、舞台上で人間と触れ合っていた。

しかも笑っている。


「……どういうことだ」


厳十郎は懐から封印札を取り出した。


その表面に刻まれた文字が、千暁の笑い声に反応して淡く光る。


「まさか、封印が……」


*


帰り道、伊吹は商品券の封筒を握り締めていた。


「……なあ、千暁」


「ん?」


「今日、楽しかったわ」


千暁が振り返る。

伊吹は照れくさそうに視線を逸らした。


「……ありがとな」


千暁は少しだけ目を細めた。


「どういたしまして、相方」


その呼び方に、伊吹は何も言い返さなかった。

ただ、口元が緩む。


そんな二人の前に、黒いスーツの男が立ちはだかった。


「鳴海千暁」


低い声が夜道に響く。

千暁が首を傾げた。


「……誰や、おっちゃん」


「霊務局、特級怪異対策課。鉄輪厳十郎だ」


厳十郎は封印札を掲げる。


「貴様を、特級危険霊として回収する」


伊吹は千暁を見た。

千暁も伊吹を見た。


そして、同時に口を開く。


「「……回収?」」


千暁が真顔で尋ねた。


「粗大ゴミの日、まだ先やで?」


「誰がゴミやねん!」


伊吹のツッコミが、夜の商店街に響き渡った。


厳十郎は、早くも頭痛を覚えていた。




第二話・了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。