愛していないなんて、嘘
結局、帰らなければならない時間になっても、ディルーグが再び姿を現すことは無かった。
ベルグ夫妻に見送られて、私は馬車に乗り込んだ。
「散々な目に遭ったわ」
結局聞きたいことは何一つ聞けなかった。ユリウスの時と一緒だ。
自分の知らないところで何か変化が起きている……そういう違和感だけは確かに持っているのに。
向かいに座っていたクロエは苦笑した。
「今日起きたことは、ご主人様には黙っておきましょう」
「でも、なんとか言い訳を考えないと。これだもの……」
来た時とは違うディルーグの姉の、時代遅れなエメラルドグリーンのドレス。あんなことがあったお詫びというわけでもないが、このドレスは返さなくていいとのことだった。
「悪い人では無さそうでしたけど……」
「そうかもしれないけど。何を考えているのかさっぱりわからないわ。少なくとも、私のことを愛しているわけでは無さそうね」
ディルーグが何を考えているのか、どうして婚約なんて申し込んだのか。
一番知りたいのはそれだ。
だけど、私だって人間だ。将来結婚する人間が、自分のことをどう思っているのか……それも大事に決まってる。
ディルーグは私のことを出迎えもしなければ、私を見つけたらすぐに逃げ出すし、ついには見送りさえしてくれなかった。
少なくとも、多分、彼は私を愛しているわけではない。
当然だ、会ったこともないのだから。
何か政治的な理由か、あるいは家柄の上の事情か。そういうもので、私との婚約を決めたのだろう。
もしディルーグが私の推測どおり転生者なら、なおさらだ。私に会って準備したりしなくても、フィリアがどんな人物か、わかっているつもりなのだろう。
だけど、お生憎様。
私はゲームのキャラみたいに、空っぽじゃない。ちゃんと心の通った人間だ。何でも思い通りにいくと思ったら、大間違いだ。
そんな時、御者が突然悲鳴を上げた。
そして馬車が左右に揺れ、蛇行し始めた。
「何かあったの!?」
「魔物です!」
御者の言葉を聞いてクロエがカーテンを開けると、黒い野犬のような魔物が、いきなり窓へと飛びついてきた。
「きゃあぁ!」
「襲われてるの!?」
張り付いた魔物は窓を割ることは無く、幸いにもずり落ちていったが、地面に叩きつけられたにもかかわらずすぐに体勢を立て直し、再び追いかけて来た。
恐ろしいことに、魔物はそいつ一匹ではなく、反対側にも、そして後ろからも、群れになって私達の馬車を追いかけて来ていた。
「杖はあるわ! できることをしないと」
聖女は人を癒すだけではない。聖なる光を操り、目くらましをすることくらいはできる。
「そのまま走り続けろ!」
杖を手に取ったその時、馬車の後ろの方から声がした。窓から覗くと、黒い大きな馬に乗ったディルーグが、魔物の後ろからこっちへと走って来ていた。
ディルーグは猛スピードで走る馬の上から矢を放ち、魔物に見事命中させた。
矢を受けた魔物は躓いて、ボールのように転がって、森の方へと消えていった。
ディルーグの馬は分かれ道で、崖沿いの道へと走った。
そこからは、私達が進んでいる林道を上から見下ろせる。
ディルーグは崖の上を走りながら、弓を構え、次々に魔物を倒していく。魔物は矢に当たり、転がって、馬車についてこられなくなる。
「やったぁ! やれ! そこだ! イェス!」
クロエが白熱してガッツポーズをしている……
まあ、命がかかってたら多少は熱狂するのも仕方ない……のかな?
「ディルーグ様、かっこいいじゃないですか。きっとこれを見越して、フィリア様を見守っててくれたんですよ!」
「確かに……どう考えても、タイミングが良すぎるわね」
ベルグ家の屋敷からは、既にそれなりに離れている。はじめから追いかけていたのでなければ、今この場にディルーグがいるはずがない。
「ディルーグ様が愛していないなんて、嘘ですよ!」
気が付けば、馬車の周りの魔物は一掃されていた。
私は馬車の窓を開けて、ディルーグのいる崖の上の方を見上げた。
ディルーグの馬はそれ以上進めないところに来たので、崖の前で立ち止まった。
「王国内にも、魔物が蔓延っている! 俺は魔王を倒す!」
相当離れているのに、ここまで聞こえる声で、ディルーグは叫んだ。
「君を守る! 信じてくれ!」
遠くからの叫び声だ。耳に届いたときには、既にそれほど大きな声ではないはずなのに。
だけど、その言葉は、私の心をびりびりと揺らした。
愛していないなんて、嘘。クロエの言った通りかもしれない。
ディルーグが何を考えているのか。彼が本当は何者なのか。それはわからない。
けれど、彼はもしかしたら、婚約を結ぶことで、私のことを守ろうとしてくれているのかもしれない。
「また来ます!」
届いているかはわからない。ディルーグほど大きな声は、私には出せない。
ディルーグを信じるとか、聖女になるのはやめて結婚するとか、そんなことも、今の私には決められない。
「また!」
だから、私は大きく手を振って、そう伝えた。
ディルーグは、謎めいていて不器用で、それでも確かに命を守ってくれた、私の婚約者だ。




