落ちたのは恋じゃなくて
ディルーグは盾を放り投げ、私から逃げるように、一直線に庭の方へと走った。
「はぁっ!? 何で逃げるわけ!?」
出迎えしないだけならまだしも、逃げるのはおかしいでしょ!
私は思わず駆け出して、ディルーグの後を追った。
特に深い考えはないけど、なんか逃げられたから、なんか追っただけだ。
……誰が肉食系狩猟女ですか。
「待ちなさい!」
ディルーグは広い庭を、暴走機関車のように駆けていく。
大きい身体のわりに身のこなしは機敏で、器用に庭木を避けて、花壇を飛び越えていく。
「なんなのよ、ユリウスといい、ディルーグといい!」
しかし、ディルーグはユリウスほど速くはなかった。
私でも頑張れば追い付けそうだ。動きやすい服装でよかった。
「待ちなさい! ほら、捕まえ……」
ディルーグの大きな背中に、指先が触れそうになったその瞬間……
ディルーグが勢いよく、ジャンプした。
「ぬおぉ!」
気づけば二人の前に円形の池があって、ディルーグはその中央にある小島に向かって、勢いよく踏み切ったのだった。
「へっ? ちょ、ちょっと待った! 嘘おぉ!?」
ディルーグの巨体は見事に宙に浮き、向こう岸へと無事、着地した。
一方、私はディルーグの身体で塞がれていた視界に、突然、池が現れた。
だから、一瞬、脳が迷ってしまった。
跳ぶべきか、止まるべきか?
こういう時、決断が遅いというのは罪だ。
どっちつかずで中途半端に勢いを殺しきれず、私は池の縁で腕を回して、必死でバランスを取る羽目になった。
「っととととと! 落ち……るうぅ!」
向かいであたふたしているディルーグの姿が、なんだかスローモーションに見えた。
でも、もうだめだ。体が傾いて、私は思わず目を閉じた。
結局、私はバランスを取り切れず、派手に池に落下した。
ばっしゃーん、と勢いよく水しぶきが上がる。
浅い池の水は幸い綺麗だったが、乾いている部分の方が少ないくらいに洋服を濡らした。
「ああもう、何なの? ただ婚約者に会いに来ただけなのに、何でこんなことに」
「悪い。まさか、ここまで追ってくるとは。怪我はないか?」
「ん?」
その声は不思議なことに、私のすぐ下から聞こえた。
「えっ!? ディルーグ? どうして!」
いつの間にか、ディルーグが私の下敷きになっていた。妙に硬い質感だと思ったら、私の手はディルーグの胸板に置かれていた。
私が倒れ込むのを見て、急いで身体を滑り込ませたらしい。ディルーグの身体はほとんど全身が池に浸かっていて、胸から上がかろうじて水面から出ていた。
ディルーグは支えるように腕を私の腰に回していたが、そっと触れるような優しさだった。
この腕に抱かれたからといって、ただちに致命傷になるわけではないようだ。
「あ、ありがとう?」
「いや、その、そのだな……」
ディルーグは半身を水に浸かりながら、顔を赤らめて少し下を凝視している。
つられて自分も下の方へ視線を映すと、白いドレスが水浸しになって肌に張り付いていた。
「はっ……見ては駄目!」
「違っ、ごぼっ!」
遠ざける様にディルーグを押すと、顔が水の中に沈んで、あぶくがいくつも浮かんできた。
いやいや、遠ざけたらディルーグが水に沈んでしまう。さすがに溺死させるわけにはいかない。私が手から力を抜くと、ディルーグが浮き上がって、再び身体が密着した。
「やっぱり駄目!」
「ごばっ!」
だから殺しちゃダメだって。
私はようやくディルーグを解放すると、濡れた服に足を取られる私をディルーグが手助けして、二人で池から上がった。
私達は芝生の上に無言で、並んで座り込んだ。
「はぁ……もう。どうしてこんなことになるわけ?」
「これが最善の方法だったんだ」
「何が最善ですって?」
「……」
ディルーグは、こんなに寡黙な設定ではなかったはずだ。
しかし、真面目で実直なディルーグは、嘘が下手だ。
つまり、こういう静かでバツの悪そうな反応の時は、何か後ろ暗いことがあるのでは?
「婚約の話はご存じですわね? 父親同士の決めたこととはいえ、あなたはどうなのかお聞きしたかったのよ」
「いい縁談だと思う」
「その割には、訓練にいそしんでいらっしゃる様子ですけど。まるで戦場に出て一騎当千の活躍でもしそうなくらい」
「当然だ。俺は魔王を打ち倒す。そのために力をつけているんだ」
「待って、どういうこと? 私と結婚するのに、あなたは魔王を討伐に行くの?」
「ああ。その通りだ。俺は魔王を倒すのに、欠かせない戦力だからな」
「そういう……こと。成程。私、勘違いをしていたみたいです。つまり、結婚して、聖女の私と夫婦で一緒に魔王討伐に向かう、ということですね!」
「いや、違う。結婚したら君には家を守ってもらう。俺はその後、魔王討伐の旅へ向かう」
思わず納得しかけたのに、またおかしなことを言い始めた。
結婚しても一緒に旅するというのなら、ゲームの筋書きとは少し近い。少なくとも初期メンバーは一緒なのだから。
でも、そうではないらしい。
「いい縁談とおっしゃいましたけど。私のことは……伯爵から聞く前から、何か知っていたのですか?」
「ああ」
「お会いしたことが、あったかしら」
「いいや」
「じゃあどうして知っているのです!」
「……」
要領を得ない……私の知っているディルーグというキャラとはまるで違う。
こんなに気難しいキャラだったっけ。眉間に深い皺が寄っていて、何かを恨んでいるような、何か、罪悪感を覚えているような。とにかく、気分爽快じゃないことは確かだ。
「……っくしゅん」
ディルーグに気を取られていたけど、そういえば水浸しだった。濡れた服が風邪で乾いて、体温が奪われていく。
「そろそろ戻ろう。風邪を引いてしまう」
「珍しく意見が一致したわ」
二人が立ち上がると、ちょうどディルーグと訓練をしていた騎士たちが、こちらに気づいて走って来た。
屋敷に戻り、ご両親にさんざん謝罪された後、ディルーグの姉のお古、少し流行遅れのドレスを借りて、応接室に戻った。
そこにはディルーグはおらず、ご両親だけが座っていた。
「まあ! お似合いね。娘が着るより、あなたに着られるために縫われたみたい! それにしても、息子が本当にごめんなさいね」
夫人は息子の失態を取り繕おうと必死で、にこにっこで見え透いたお世辞を述べた。
「いやはや、ディルーグもあれで難しい奴でな。どうしてもフィリア殿と結婚したいと言ったのは、あやつだというのに。照れ屋なのも、私に似たところか!」
「まあ、あなたったら!」
笑い合うご夫婦。いや、大事なのはそこじゃない。
今、何て言ったの? この縁談は、勝手に父親同士が決めたものと思っていたのに。
「待ってください。ええと、他ならぬディルーグ様自身が、私を妻に、と?」
「ああ、そうだとも。お父上と意気投合したのも確かだが、あやつがそうと言わなければ、そもそもクラブでお声をかけることも無かっただろうな」
……話が違う。
何もかもおかしい。私達はまだ出会っていないのに、ディルーグが私を婚約者に指名するだなんて。
そこで、私はほとんど確信した。
そうだ、絶対そうだ。
ディルーグもユリウスも、きっと、私と同じなんだ。
彼らもきっと、他の世界から来た、転生者に違いない。




