私の知ってる勇者じゃない!
「リオン……リオン!」
私は裏庭の門を強引に押し開けて、林の中を一直線に突っ走った。
「どこにいるの!? リオン! どうか、無事でいて……」
私だけが知っていたはずの未来。
弟、リオンの死。
リオンの死は、ゲームの中では、フィリアの口から語られる、既に起きてしまった過去だった。
リオンが魔物に殺されてしまったから、フィリアは、そんな魔物を生み出した魔王を倒すために、少しでも役立とうと決意する。
だけど私が記憶を取り戻した時、幸いにもまだリオンは生きていた。
防ぐことができるかもしれない。そう思った。
しかし、父に話した時には、「魔王の手下の悪い魔女と疑われる。二度と不吉な予言をするな」と叱られた。
その時、必ず私が未来を変える、私しかリオンを救えない、と決意した。それなのに……
聖女が使う杖だって、昨日の間に裏庭側の玄関に準備しておいた。動きやすいブーツだって。
それなのに、それすら持たずに走ってきてしまった。
「それもこれも、全部……ユリウスのせいよ!」
八つ当たりだ。分かっている。
ユリウスの訪問に少し驚いたって、弟の死より重要なことなんてないはずだ。
それなのに、知らない未来に振り回されて、気を取られて……自分で自分に憤っている。愚かな自分が一番許せない。
「全部僕のせい、か。確かに君の言う通りだよ。ごめんね、フィリア……」
「って、何でいるのよ!?」
気づけば、ものすごい勢いで追い上げたユリウスが、私の隣を並走していた。
滑るように滑らかに、音もなく走っていて、息一つ上がらずに、場にそぐわない沈痛な面持ちをしている。
「そんなことより、さっきの声って?」
「弟! きっと、何かに襲われてる!」
「それじゃあ、出番だね」
ユリウスは腰に携えた剣の柄に、そっと手を置いた。微かに金属の音がカチャ、と鳴った。
そして……
「って、えぇ!? 速っ!」
ぎゅん、とスピードを上げると、一瞬で背中を見せ、そしてすぐ背中さえ見えなくなってしまった。
今までわざわざスピードを合わせて走ってくれていたらしい。私だってこれでも、記憶を取り戻してから、結構鍛えてきたはずなのにな……
「どこ……行ったのよ……はぁっ……」
私がようやく追い付くと、ユリウスが剣を抜いて立っていた。
その後ろには、怪我をして血を流した腕を押さえているリオンが、座り込んでいた。
「リオン! 大丈夫!?」
「お姉ちゃん……痛いよ……」
「よかった、まだ生きてる!」
これだけ大けがしたのに、よかった、なんて言ったらリオンは怒るかもしれないけど……
私にとっては生きていただけで奇跡だ。
滑り込むようにしゃがんで、思わずそのままリオンを抱きしめた。
「痛いよ……」
「すぐ治すからね。でも、今は……」
ユリウスが見つめる先には、その三倍は背丈がある、巨大な傷だらけの熊だった。
グールベアと呼ばれるその凶悪な生物は、魔王の生み出した魔物の一種だった。
「逃げましょう、ユリウス。リオンを運ぶのを手伝って」
「大丈夫だよ」
グールベアを倒すためには、攻撃を引きつける騎士や、強力な魔法を叩き込む魔術師のような仲間が必要だ。ゲームでも中盤以降に出てくるはずの敵だ。
たった一人で、それもまだ若いユリウスが、自分の三倍以上大きな魔物に、敵うはずがない。
「大丈夫って、馬鹿言わないで!」
「だって、僕は君を守るために、ここまで来たんだから」
そう言って、ユリウスは笑った。
そして、剣を構え、勢いよく突き出した。
「えい」
緊張感のない、気合の入っていない掛け声が、ユリウスの口から出た。
その瞬間、グールベアが、視界から消え去った。
「へっ?」
何が起きたかわからなかった。けど、グールベアの足から下だけが、地面に着いたまま残っていたから、ようやく理解できた。
そして、グールベアの後ろにあった木々が、真っすぐ円形状に切り取られて、やがてゆっくりと両側から内側に、一斉に倒れた。
つまり、ユリウスが一突きしただけで、グールベアはこの世から消し飛んでしまった、ということだ。後ろの罪のない木々も道連れに。
「な、何が起きたの?」
そうとしか言えない。あまりにも非現実的な光景だった。
「フィリア。リオンを」
「あ、え、ええ。そうね」
私は痛がるリオンの腕にそっと両手を当てて、聖力を流し込んだ。身体を巡る聖力を相手に流し込めば、傷を癒すことができる。これが聖女の役目だ。
杖を使えばその力を増幅したり、遠くの相手にかけたりすることもできるが、無くてもこうして触れてあげれば、傷を癒すことはできる。
淡い青の光に包まれて、リオンの腕の引っ掻き傷が、徐々に塞がっていく。
「あり……がとう。お姉ちゃん……」
「リオン? リオーン! ……眠っちゃったみたい」
私の聖力は、リオンの自己回復能力を無理やり加速させているようなものだ。だから、元々鍛えている戦士とは違って、まだ子供のリオンには多少負担がかかって疲れてしまったのだろう。
ともあれ傷は治って、リオンは無事なままだ。
ユリウスは剣を鞘へとしまい、リオンの無事を確認すると、私の方を見て微笑んだ。
そしてそっと、眠っているリオンを抱き抱えた。
「えーと、ありがとう、ユリウス……さん」
さっきはあれほど恨んだけど、結果的にはユリウスのおかげでリオンを助けることができた。
全部が全部、無茶苦茶だったけど。
「杖も無しに、ちゃんと傷を治せてたね。もう立派な聖女だ」
「私なんてまだまだ……見習いよ。そんなことより!」
聞きたいことがまだまだ沢山ある。
「教えて、全部話して!」
どうして今日、ここに来たの? あの力は一体、何? まさか、何が起こるか知っていたの?
もしかして……私と同じ、転生者?
聞くべきことが多すぎて、何から話せばいいかわからないくらいだった。
しかし、そんな時、父が使用人たちを引き連れて、二人のところへとやって来た。
他でもない父、ゴルドール・セラエンデル子爵が、今日のユリウスの訪問を承諾したのだろう。
きっと出迎えもしたはずだから、ユリウスが来ていることは知っているはずだ。それから私を探してくるとかそういうことを言って、ユリウスは一人で行動したのかもしれない。
「お父様!」
「フィリア! 無事か!? さっきの音は、何事だ! リオン!? 一体全体……何があった!」
心配する父親の声に、リオンが目を覚ます。
「お父様? ふぁあ……」
「おぉ……リオン。なんだ、寝ておっただけか。肝を冷やしたぞ」
お父様は、リオンの無事を確認すると、ユリウスへと向き直った。
「一体何があったのかね。事と次第によっては、偉大な勇者の息子といえども!」
「僕はただ……」
「お父様、違うの。ユリウスさんは助けてくださったのよ。誤解しないで」
私は、リオンが魔物に襲われた事を説明した。
誤解が解けたお父様は、ユリウスに心から感謝を述べた。
「いや、本当に感謝してもし切れない。命には代えられないが、何とかお礼をしたい。何か欲しいものはあるだろうか。何でも持って行ってくれ。あぁ……といっても、我が家の至宝、フィリアだけはご勘弁頂きたいがな! がははは!」
「お父様! おふざけが過ぎますよ……」
もうほんと恥ずかしい。そろそろ私も親離れの時期かもしれない。
「そうか。フィリアは駄目ですか。困ったな……」
「ほれ見ろ、ユリウス殿も冗談がお好きなようだ!」
笑い飛ばすお父様だったが、ユリウスの目は少しも笑っていなかった。むしろちょっと怖いくらいだ。
「欲しいものは、そうですね……想い出です。いつかフィリアさんが聖女になったらその時は……一緒に冒険して、かけがえのない思い出ができたら、嬉しいですね」
「ほう?」
「なんて、妙なことを言ってしまいました。まだ勇者に選ばれてもいないのに。さて、思いがけず、フィリアさんの聖力も見せてもらってしまったことですし、今日はこれで失礼します」
「おお、もう帰ってしまうのかね。是非ゆっくりしていっていただきたいものだが……」
「実は、自分もまだまだだな、と思い至った次第です。リオンさんに怪我を負わせてしまった。僕に、もっと力があれば……」
ユリウスはさっき剣を握った右手を見つめ、それから、ぎゅっと握った。
「見上げた向上心ですな。男として、これ以上何も言いますまい。いつかこの恩、返させていただきたい」
「ちょっと、待ってお父様! 私まだ、ユリウスさんに聞きたいことが沢山あって……」
「そう言うな、フィリア。こういう時は深く詮索せず、黙って恩に着ておくのが礼儀というものだ」
「でも……!」
そんな会話を聞いていたのに、ユリウスは背中を向けて、庭の方へと歩いていった。
追いかけようとすると、リオンが、そっと私の手を取って、尋ねた。
「また会えるかな? かっこよかったね!」
「……ええ、そうね」
そうだ。今日は……リオンが無事だったんだ。
物語は、筋書き通りには進まない。
もしかしたら、どうあがいてもリオンが助からない運命なのかもしれないと、そんな不安もあったけど、そうはならなかった。
これ以上のことを求めるなんて、傲慢なのかもしれない。
生きていればきっとこの先、いくらでも聞く機会はあるだろう。
しかし、そんな考えは予想外の出来事で、すぐに打ち砕かれることになる。
この数日後、父は……私の婚約が決まったと告げたのだ。
つまり、このままでは私は、聖女になって冒険することすら、無くなるのかもしれない。




