第48話 推しが寂しそうだったから、一生味方でいることにした
俺は食卓の椅子に腰を下ろし、目の前で肉じゃがを器によそう安城へ、何気ないように装って声をかけた。
「なあ、安城……さっき俺のこと“可愛い”って言わなかったか? いや、もしかしたら聞き間違いかもしれんけど」
その問いに、安城は箸を止めることもなく、静かにこちらへ視線だけを向ける。
「――言ってないわよ」
即答だった。
迷いも焦りもない、あまりにも自然な返答。
だけど俺は見逃していない。
さっき確かに、「可愛い」と口にした直後、安城の顔がほんの一瞬だけ真っ赤になって、まるで自分の言葉に驚いたみたいな“きゃっ”という表情を浮かべていたことを。
(いやいやいや、絶対言ってただろ!? しかもあの顔……可愛すぎるだろ!)
(危うく推しから進化してファンになるとこだったぜ)
(それ、何も変わってないわよ)
(くっそ……あの顔、写真に収めて待ち受けにしたいレベルだぜ……!)
(それでさ、「安城、ちょっと俺の携帯見て時間確認してくれないか?」って渡したら、待ち受けが安城の顔で照れさせるって寸法よ)
(頭沸いてるんじゃないの。普通にドン引きよ)
(顔真っ赤になってポカポカ叩かれたりするのかな?)
(だめだ~、どんな顔するんだろ)
(前を見てみなさい。すぐ分かるわよ)
(ドン引きしてるから)
俺は心の中だけで大盛り上がりしながら、俺たちの妙に甘い夕食は続いていく。
そして、せっかく二人きりなんだ。
「推しのことをもっと知れるチャンスじゃないか」
そんな下心を胸に、俺は思い切って切り込んだ。
「安城の父さんって、どんな人なんだ?」
俺と同じでお母さんが亡くなっていることは以前聞いていた。
だから父親の話なら大丈夫だろう。
空気を読める男である俺の完璧な配慮だ。
(……さすが俺)
そう自画自賛した、その直後だった。
安城の手が、ぴたりと止まる。
箸を持ったまま小さく瞬きをして、伏せた横顔にほんの少しだけ影が落ちた。
「……父は、政治家だったわ」
「だった?」
問い返す俺に、安城は静かに微笑む。
「今はね――」
ほんの少し間を置いてから、優しく言葉を落とした。
「意識のない状態で入院してるの。もう、ずっと……」
その声は驚くほど穏やかだった。
「私は、できる限りお見舞いに行ってる」
何気なく投げた質問が、思っていた以上に深い場所へ触れてしまった。
そんな静かな後悔が胸を締めつける。
(……何やってるんだよ俺)
それでも安城は責めることなく、昔話をするようにゆっくり続けた。
「とても厳しい人だった。家の道場もやっていて……剣道は父から直接教わったの」
そこまで言って、彼女の視線はふっと宙へ向く。
まるで遠い日の景色を見つめるように。
「最後まで……何を考えてる人なのか、よく分からなかったけど」
その横顔は少しだけ寂しそうで。
言葉よりも、その沈黙のほうがずっと多くを語っていた。
「……私は、そんな父を尊敬してるわ」
ぽつりと零れた一言。
「父はね。本当にこの世界を良くしたいって、心の底から思ってるような……そんな真っ直ぐな人だったの」
その瞳は遠くを見つめている。
強く、凛としていて。
それでも、その奥には誰にも見せてこなかった寂しさが静かに揺れていた。
(……ああ、そうか)
胸の奥で小さく息を呑む。
安城はずっと父親の背中を追い続けてきたんだ。
大好きな父親を理解したいと思いながら、理解しきれなくて。
尊敬と寂しさを抱えたまま、今日まで歩いてきたんだ。
だけど――。
今は、これ以上踏み込む時じゃない。
(俺は……どうやら推しが寂しい思いをしてるのが、耐えられないらしい)
ほんの一瞬だけ見せた弱さ。
その表情を見た途端、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
だから俺は、まっすぐ彼女を見つめる。
「なぁ……安城」
一呼吸置いて、思ったことをそのまま口にした。
「寂しくなったら――いつでもウチ来ていいからな!!」
(俺は、ずっと……推しの、安城の味方だから)
安城は少しだけ目を丸くして、それからほんの僅かに表情を緩めた。
(ほんと……あんたってバカなんだから)
胸の奥に張り付いていた冷たい寂しさが、少しずつ溶けていく。
暗闇しかなかった荒野へ、朝日が差し込むような温かさ。
そんな感覚だった。
「……ふん。大丈夫よ?」
照れ隠しのように視線を逸らし、すぐにいつもの凛とした表情へ戻る。
「私、見ての通り強いのよ?」
そう言って席を立ち、バッグを手に取った。
「そろそろ帰るわ。遅くならないうちに」
「危ないし、俺が家まで送っていくぜ!」
反射的に立ち上がる俺。
だけど彼女は小さく首を横に振る。
「近いから大丈夫よ?」
そう言って俺の横をすり抜け、玄関へ向かっていく。
伸ばしかけた手は宙で止まり、結局何も掴めなかった。
「……じゃあ、また明日。学校で」
静かに閉まる玄関のドア。
その音だけが部屋に響いて、余韻を残していく。
俺は拳をぎゅっと握りしめた。
(よし……俺はもっと推し活を頑張るぞ!)
今日よりも、もっと。
明日、安城がもう少しだけ笑えるように。
その笑顔を守れる味方でいられるように。
俺は全力で、彼女の隣に立とう。
そう心に決めた。
そしてその日、俺の心の中に新しい組織が誕生した。
――その名も。
『安城を寂しくさせない委員会』である。
もちろん。
会員は俺一人。
そして同担拒否勢の俺は、誰一人として加入を認めるつもりはなかった。




