第41話 ぶりっ子教師、“強制解除”されました。
「え?豚?」
俺は耳を疑った。いや、聞き間違いだろ?……そう思いたかった。
「……先生今、なんて?」
もう一度、確認するように聞き返すと――
「は……!」
朝倉華恋の瞳が一瞬揺れた。その表情は明らかに動揺していた。
(やば……今、口に出た!? 嘘でしょ私!? 何とかごまかさないと……)
そんな心の声を、本人は隠すように愛想笑いで捩じ伏せてきた
「さぁ〜?♡ なにか聞き間違えたんじゃないかしら〜?♡♡」
猫撫で声で首を傾げながら、しらばっくれるその姿。だが、俺の耳は――
(いや、確かに……豚って聞こえたけど……まぁ、さすがに俺の聞き間違い……だよな……?)
俺は自分の疑念を、自分で無理やり押さえた。現実から目を逸らすスキルなんて俺にとって朝飯前どころか昼飯前だ。
「……てか、その方言って、博多弁ですか?」
空気を変えるように、無理やり話題を転換する。
朝倉華恋は、ぱちりとまつ毛を瞬かせ、にこりと微笑んだ。
「そうなの〜♡♡ 先生、出身博多だから〜。……あの〜そろそろどいてもらえるかしら?♡」
ハート付きの丁寧語のはずが"はやくどけよ"と妙に威圧感を帯びて聞こえたのは、気のせいだと思いたい
「あっ、すみません!」
慌てて俺は身を引いた。気づけば、先生の真横にいた。
俺と先生の間にあったのは――ほんの数センチの隙間だけ。
制服の生地が触れそうで息を飲むたびにお互いの吐息が混ざりそうになる。
さらに女の子特有のいい匂いが俺の鼻先をかすめた瞬間、脳にまで痺れるような甘さが走った。
ただのシャンプーの香りのはずなのに……いや、絶対それだけじゃない。
女の子の“体温”が混ざったような匂いに、思考がぐらりと歪んでいく。
(やべぇ…このままじゃ俺の理性が狂ってしまう)
どうやら恋愛経験の少ない俺にとっては今の状況はかなりレベル不足みたいだ。
俺が慌てて体勢を立て直すと、先生も静かに起き上がり、制服の襟を丁寧に整え始めた。その仕草は、いつものクールで完璧な“アイドル教師”に戻っていて――
まるで、さっきまでのドキドキなんて存在しなかったかのようだった。
(……はぁ、もぉ……なんしよったと私……)
顔をプイッと横に向け、頬を膨らませながら先生は、胸元にそっと手を当てながら心の中で呟く。
(男の子に、あんな体勢で……あ〜もう、顔近すぎたっちゃろ!? 心臓バクバクやし……ほんっとバカバカバカ!)
思考の中ではすっかり博多弁が全開だったが、外見は完璧に取り繕われた笑顔。
そんな先生に、俺はそっと問いかける。
「困りましたね……俺たち、閉じ込められたみたいですね」
ガチャッ……。
何度試しても、ドアはビクともしない。体育準備室の鉄製のドア。窓も小さく、外に声が届くような構造じゃない。
(……まさか、このまま一晩、二人きり……?)
頭の片隅で浮かんだ最悪(幸)の想像を、俺は慌てて振り払った。
そんな俺の隣で、先生も――
(やだ……ほんとに二人きりになったら……どげんしたらいいと……!?)
そんな中俺の頭が冴えわたる
「そうだ! 先生、携帯って……」
俺は一縷の望みにすがるように、朝倉先生に向き直った。けど現実はそう簡単にはいかなかった
「私も今ちょうど、それ思ったのよね〜♡」
先生は柔らかな笑顔を浮かべながら――
「……でもねぇ、職員室に置いてきちゃったみたいなの〜ごめんね〜♡♡」
(バカバカバカ!なんで忘れてきたん私!?)
内心はすでに修羅場だった。
両手を合わせて、首をかしげながら、悪びれもなくそう言った。
暗がりの中、俺は必死に脱出口を探そうと手を伸ばした。
見えない闇をかき分けるように、壁をなぞり、何か――外へ通じる方法を探そうと動き回る。
その瞬間。
背後で静かに立ち尽くす朝倉先生の心は、ふと別の闇へと引きずり込まれていた。
――フラッシュバック。
???「ねぇ? 地味なあんたがセンターって、調子にのってるんじゃない? 譲りなさいよ。そんなのアンタの“キャラ”じゃないんだから」
耳にこびりついたあの声。
気づけば、彼女らの嫌がらせによって私は真っ暗な用具室に閉じ込められていた。
ドアは開かない。
助けなんて来ない。
あのときの私は、そう信じ込んでいた。
(もう二度と……誰も私を助けに来ないんじゃないか?)
底なしの闇に吸い込まれるような不安。
あの記憶と、今の状況が重なっていく。
(私はアイドルになってただ誰かを笑顔にさせたいだけなのに…)
手が震える。心臓が早鐘を打つ。
そして――俺(神田君)が先生のそばを離れ、暗闇に消えていく背中を見たとき。動悸が早くなり呼吸が早まる。そして完全に俺の姿が見えなくなった瞬間――
(……やだ……やだやだやだ! ウチをひとりにせんでよ! ねぇ、お願いやけん! ひとりにせんでぇ!!もう、あんな暗かとこでひとりぼっちは嫌っちゃ!)
心の声は震え、博多弁があふれ出す。
孤独の寂しさに押しつぶされそうになりながら、私は彼の進んだ方向に必死に手を伸ばした。
けれど、その手は空を切る。
視線を落とした瞬間――温かい手が、そっと私の手を包み込んだ。
「……え?」
驚いて顔を上げると、そこには神田ゆういちがいた。
「先生! 大丈夫!?」
息を切らしながら、ものすごく真剣な表情で私を見つめている。
その顔を見た瞬間、胸の奥に押し込めていた寂しさが一気に溢れ出しそうになる。
だけど私は――完璧美少女の仮面を被り直し、強がってみせた。
「も、もう……寂しかったっちゃけん! ひとりにせんでよ! バカ! アホ! 豚っ!!」
――しまった。
それは、誰にも見せたことのない“素の私”の声だった。
神田くんの手を握っている限り、何か不思議な力で私はもう……本音を隠すことができない。そんな気がした。
「す、すみません!! なんか上手く言えないんすけど……先生の“寂しい”って感情が、俺に流れてきたんですよ。暗い部屋でひとり閉じ込められてるみたいな……そんな気持ちが」
言っていて自分でもおかしいとわかる。
「……まるで俺と先生の感情がリンクしたみたいに」
その声には不思議な温かさがあって――私の中で渦巻いていた寂しさを、少しずつ溶かしていった。
「あ、あっ……すみません! じゃあ、手離しますね!」
神田ゆういちが焦ったように手を放そうとした瞬間――
「ま、まだ離さんで! 怖かけん! 絶対離したらいかんとよ!?!」
「はっ……な、何言いよると私!? ち、違うけん! これは……その……!」
……しまった。
また本音があふれ出す。顔が熱くなり、思わず視線を落とした。
「え?大丈夫ですよ。なんか……いつもの完璧な先生より、その、なんて言うか?そっちの方が可愛いっすね?」
(あかん、これはあかんぞ?)
(なんでそんな可愛いことばっかり言うんですか先生!?)
(俺は何かを試されてるんですか?)
(それともこれテストにでもでるんですかぁぁああ!?)
彼の言葉に、心臓の鼓動が跳ね上がる。体中が熱くなる。
私は反射的に、いつものように“完璧な大人の対応”で返そうとした――その瞬間。
「すっごい嬉しかってば! ねぇ、もっと言ってよ〜っ♡ うちのこと、可愛いって……ずーっと言い続けてほしか!」
――まただ。
本音が、止まらない。
恐らく、この手を離せば――罰ゲームみたいに漏れ続ける本音も終わる。
頭ではそう理解していた。だから、私は離そうとしたのに。
(……やだ、まだ離さんで……ほんとは離したくなかとよ……)
理性で下したはずの判断を、感情的な心の声が邪魔をする。
そして、本音は私をいじめるかのように口からこぼれた。
「ね、ねぇ……もっと強く握って……お願い、離さんでほしか……」
ワガママな少女みたいに、上目遣いで彼に甘える言葉が飛び出してしまう。
「え、えぇっ!? す、すみません!!」
神田ゆういちは慌てながらも、ギュッと力を込めて私の手を握り返してきた。
……ああ、もう。これじゃあ離せるわけがない。
けど――そう思う自分がいる一方で。
(……なんで、こんなに……嬉しいんやろ……)
胸の奥から込み上げてくる熱を、私はもう誤魔化せなくなっていた。
私たちはまだ、手を繋いだまま。
そのぬくもりが、心の奥までじわじわと満ちてくる。




