第39話 推しではなく、女王様先生と体育倉庫に閉じ込められた件
「お、おいおい……どうしてこうなったんだよっ!?」
焦りを押し殺しながら、俺は体育倉庫のドアノブに手をかけた。
ガチャガチャッ。
開かない。
もう一度、強めに回す。
ガチャガチャガチャッ。
――開かない。
まったく、びくともしない。
(まさか……鍵、かけられたのか?)
じわり、と冷や汗が背中を伝う。
体育倉庫。放課後。密室。閉じ込め。
……単語だけ並べると、完全にラブコメイベントである。
(……なんだこのラブコメみたいな展開は?)
(もし王道なら、ここで推しの安城と二人きりになる流れだろ)
(ふむ……それはそれで、悪くないな)
――緊急事態にも関わらずそんなことを考えている俺、どう考えても終わってる。
そのとき。
「……神田君」
背後から、かすかなため息混じりの声。
びくっ、と肩が跳ねる。
振り返ると――そこにいたのは。
俺の推し、安城恵梨香ではなかった。
サラサラの茶髪を軽やかに揺らす、完璧美人教師。
英語教師――朝倉華恋先生。
体育倉庫の片隅。
積み上げられたマットの上に、彼女は静かに腰を下ろしていた。
いつもなら。
ピンと背筋を伸ばし、全方位の男を魅了する“ピンクのオーラ”を撒き散らしている女王様。
けれど、今は違う。
俯いたまま、視線を落とし。
どこか落ち着かないように、指先をわずかに動かしている。
……そして。
よく見ると、頬がほんのり赤い。
(……暑さのせい、だよな?)
――どうしてこうなった。
話は、数時間前に遡る。
◇◇◇
朝のホームルーム。
担任の遠坂がプリントを配り終え、思い出したように口を開いた。
「――あ、そうだ! 学級委員長! 今週、保護者会を体育館で開くから、その準備、放課後お願いな!」
学級委員長。
それは――俺、神田ゆういち。
そして。
隣の席の俺の推し――安城恵梨香。
その言葉を聞いた瞬間。
俺は机に突っ伏した。
ズーン……。
そんな効果音が見えそうな勢いで、魂が口から抜けていく。
(マジかよ……めんどくさすぎる……)
(いっそこのまま昇天して、魂だけ家に帰りたいんだけど……)
心の声は、もはや絶叫だった。
何を隠そう俺は、“放課後に何か準備する系”が大嫌いである。
文化祭準備。
体育館準備。
保護者会準備。
――名前に「準備」とついた瞬間、俺のやる気は即死する。
(安城はどんな反応してるんだろう?)
俺はうつ伏せのまま、横目でちらりと視線を送る。
斜め前の席。
金髪オッドアイのギャル――安城恵梨香。
(さすがに安城も、これは嫌そうな顔してるよな……?)
そう思って、慎重に覗いてみる。
――が。
「……」
動かない。
微動だにしない。
凛とした横顔。
整いすぎた輪郭。
静かなまつ毛。
(……おいおい、嘘だろ?)
放課後の体育館準備。
このワードに、眉ひとつ動かさないだと?
(っは!?)
いや、待て。
ふと、あることに気づく。
この角度。
つまり――下からのアングル。
(人間って、下から見るとブサイクになるって言うじゃん?)
(だからみんな自撮りは上から撮るわけで……)
(なのに――)
安城の顔。
下から見ても。
普通に――可愛い。
(……え、なにこれ)
(普通に癒されるんですけど?)
(あかん。下から見る推し、可愛すぎる)
(さっきからうるさいわね、この男)
(なに、下から堂々と見てるのよ)
(うつ伏せで隠してるつもり? 全部バレてるからね?)
ぴくり。
安城のまぶたが、わずかに動く。
頬が、ほんの少しだけ色づく。
――けれど。
俺の思考は止まらない。
(下からでこのレベルとか、化粧いらないだろ)
(どんな遺伝子構成してんだよ!?)
さらに、ほんの少しだけ。
安城の頬が赤くなる。
まるで、晴天がゆっくり夕焼けに染まっていくみたいに。
静かに。
でも確実に、熱を帯びていく横顔。
(……ん? 今ちょっと赤くなってた?)
(はは〜ん……さては安城も準備が嫌なんだな?)
(なんだよ、ちゃんと嫌そうで安心したわ)
――その瞬間。
ギロッ。
視線が、合った。
――凍る。
空気が。
時間が。
俺の思考が。
全部まとめて、氷漬けにされたみたいに。
身体が、一瞬で固まった。
その目は――
「変なこと、考えないで」
とでも言いたげな、鋭すぎる眼光。
さすが“心眼の剣姫”。
それはもう、“可愛い”とか“綺麗”とか。
そんな評価をすべて吹き飛ばす――
一撃必殺の殺気だった。
「あっ……」
「す、すみません……」
思わず謝った。
いや待て。
俺、何もしてない。
なのに。
安城は、目だけで俺を完全に黙らせにくる。
その視線はまるで――
腐った魚を見る目。
……いや違う。
餌にもならない小動物を見る目だ。
――ふんっ。
鼻で、笑われた。
そのまま何事もなかったかのように、前を向く安城。
(……え、俺なにも喋ってないよな!?)
(……けど、怒ってる安城もそれはそれで……)
(アンタ本当にブレないわね?)
◇◇◇
――そして、放課後。
俺は朝のホームルームで命じられた“保護者会の準備”のため、
体育館へと向かっていた。
もちろん、隣には安城恵梨香。
体育館にはすでに、各クラスの学級委員長たちが集まっている。
前方では、先生の声がマイク越しに響く。
「それでは、今日の進行は朝倉先生にお任せします」
――マジか。
一瞬、思考が止まる。
脳裏に蘇るのは、あのときの記憶。
階段での――“抱きかかえ事件”。
(なんだよ……あの変わった先生か)
そして、現れた。
サラサラの茶髪。
アイドル顔負けの輝く笑顔。
男子にとっては完全に――
**“推しの具現化”**だった。
「はーい♡今回指揮する事になった朝倉華恋で〜す♡♡みんな今日はよろしくね〜♡」
甘い声が、体育館中に広がる。
……その瞬間。
俺と、目が合った。
「……は?」
ほんのわずかに。
彼女の表情が歪む。
怒っているような。
呆れているような。
……それでいて、少しだけ照れているような。
説明のつかない、妙な顔。
「あれ? なんか俺は、睨まれてる?」
俺は、何もしていない。
本当に、何もしていないはずだ。
(げっ……あの豚……まさか――神田ゆういち!?)
(なんであんたがこんなとこにおると!?)
思わず一歩引いた俺の前で、朝倉先生はふっと視線を逸らした。
壇上に立つその姿は、完璧なアイドル。
ふわっと巻かれた茶髪。
ピンクのリップ。
手にはマイク、足元はヒール。
その気になれば、ここをライブ会場に変えられるレベルの完成度。
なのに――
そんな雰囲気すら“自分の一部”として、彼女は堂々と口を開く。
「はぁ〜いっ♡ それじゃあ〜……男の子たちぃ〜?」
くるっ、とターン。
巻き髪がふわりと舞う。
その瞬間、数名の男子が限界を迎えかけていた。
「パイプ椅子、ぜ〜んぶ運んできてね?それからカーペット敷いて、あと機材もお願いっ♡」
「はい!華恋先生!喜んでぇぇぇ!!」
即答。
しかも全力。
「で、女の子たちは〜……お掃除でもしてもらおっかな?」
(いや配分おかしすぎるやろ!?)
(ちくしょう!理不尽だ!)
心の中でツッコミが止まらない。
――だけど。
(……けど、何が一番怖いって)
(あの可愛さで命令されたら、全部“ご褒美”に変換されるってことなんだよ)
そう。
可愛いは、正義。
いや違う。
可愛いは――暴力だ。
男子たちは、完全に壊れていた。
「わかりましたァァァ!!」
「華恋先生のためなら何でもやります!!」
「オレ、この瞬間のために生まれてきました!!」
「好きだァァァァ!!」
……終わってる。
完全に、終わってる。
体育館の一角で、俺はただ一人、冷静にその光景を見つめていた。
(……はやく終わらして帰ろう)
そんなカオスの中で。
俺はまだ、知らなかった。
この“ただの準備”が。
――後に起こる。
体育倉庫での“閉じ込め事件”へと繋がることを。




