第38話 夕焼けに響いた“本音”
私が彼――神田ゆういちと出会ったのは、この公園だった。
剣道に行き詰まり、前に進めなくなっていたあの頃。
私は、ただ時間を潰すようにこの場所に来ていた。
――その時だった。
スパッ――
放たれたボールが、空気を切り裂く。
一直線に伸びた軌道は、迷いなくリングへと吸い込まれた。
(……綺麗)
思わず、そう思った。
遠くからでもわかる。
あれは、積み上げてきた時間の証。
努力を、裏切らなかった者のフォーム。
けれど――
彼は、それを当然のように受け入れていた。
笑顔すら浮かべながら、次のボールを拾い、また放つ。
何度も、何度も。
同じ動作を繰り返す。
その額を流れる汗は、沈みかけた夕日に照らされて、静かに輝いていた。
(……私とは、大違いね)
胸の奥が、ちくりと痛む。
気づけば私は――ずっと彼を目で追っていた。
ガンッ!
次のシュートが、リングに弾かれる。
「くっそ〜……やっぱ決定率悪いよなぁ〜」
悔しそうな声。
でも――
その声に、諦めはなかった。
(……何を考えているのかしら)
気づけば、私は耳を澄ませていた。
(……もう少し、近づいてみようかしら)
足が、勝手に動く。
夕暮れに染まるコートの端。
石の塀の影に、そっと身を隠す。
(ここなら……届く)
胸元に手を当てる。
この力は――これまで、試合の中でしか使ったことがなかった。
いや。
“使った”のではない。
勝手に、聞こえていた。
けれど今は違う。
目の前の彼は――誰とも戦っていない。
ただ。
自分と、向き合っているだけ。
(……私とは、正反対)
だから。
知りたくなった。
彼の中にある、“本当の声”を――
その瞬間。
私は初めて、自分の意思でこの力に触れた。
(もっと上手くなって……)
(愛理の隣に立てる男になるんだ)
――響いた声に、息が止まる。
それは、飾りのない。
まっすぐすぎる願いだった。
(誰かのために……ここまで)
胸の奥が、静かに揺れる。
私は知らなかった。
こんなにも――
真っ直ぐに、誰かを想う感情を。
夕焼けの中で。
ただひたすらに前を向くその背中から、目が離せなかった。
彼の“心の声”は、さらに続く。
(そういえば今朝、蓮也に言われたっけな)
(「好きな女に好かれるためにバスケ頑張るって、不純じゃね?」って)
(――うるせぇっての)
(不純かどうかなんて、俺が決めることだろ)
(こんな自分も含めて“俺”なんだからさ)
(誰だかわかんねぇ“正しさ”に縛られて生きるなんて、まっぴらだ)
(良いか悪いかなんて――俺が決める)
(俺の人生に民主主義なんてねぇ。独裁国家だ)
(……なんつってな)
ふっ、と。
彼が笑った気がした。
その直後――
放たれたボールが、夕陽を切り裂く。
迷いのない軌道。
一直線に――リングへ吸い込まれた。
――その瞬間だった。
私の中で、何かが弾けた。
(……こんな自分も、含めて“俺”)
その言葉が。
まるで、傷口に触れるように――
優しく、けれど確かに痛みを伴って。
私の奥に、深く刺さる。
私は、目を閉じた。
ゆっくりと息を吸い。
そして――吐く。
ざわめきが遠のいていく。
心の奥に溜まっていた濁りが、静かに溶けていく。
「……この力も、私か」
ぽつりと、言葉が零れた。
この“心の声が聞こえる力”も。
弱くて、迷っていた自分も。
全部――
私自身だった。
(私は……ずっと、誰かの声ばかり聞いていた)
(なのに、自分の声は――聞こうとしなかった)
胸の奥で、何かがほどけていく。
「……違う」
小さく、首を振る。
「大事なのは、“誰がどう思うか”じゃない」
「――私が、どう思うか」
その瞬間。
ゆっくりと、目を開く。
もう――迷いはなかった。
「……練習に戻ろう」
剣を握る手に。
ためらいも、罪悪感もない。
ただ、まっすぐに。
相手の本質を見抜く“心眼”だけが、そこにあった。
――この瞬間。
“心眼の剣姫”は、生まれた。
* * *
――神田ゆういち視点
「ふぅ……今日もよく頑張ったぜ」
夕焼けに染まるコート。
俺はベンチに腰を下ろし、タオルで汗を拭った。
「あれ……もうこんな時間か」
スマホを見る。
着信は――姫花から三件。
「やべ」
「これ絶対怒られるやつだろ……」
苦笑しながら立ち上がる。
荷物を取りに戻った、そのときだった。
「……ん?」
ベンチの上。
見慣れないペットボトル。
それと――小さく折りたたまれた紙。
「なんだこれ……?」
手に取る。
紙は、丁寧に折られていた。
開く。
そこに書かれていたのは――
『あなたの頑張りに、勇気をもらいました』
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出る。
誰だよ、これ。
そう思いながら――
ペットボトルに口をつけた。
レモンティー。
ほんのり甘くて。
少しだけ、酸っぱい。
「……変なの」
呟きながら、空を見上げる。
理由はわからない。
けど――
その味は、不思議と心に残った。
まるで、誰かに背中を押されたみたいに。
その日から、俺は――
前よりも、少しだけ強くなれた気がした。




