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隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
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第233話 安城星梨奈――明日、妹を頼むよ

「ただいま〜」


 黒羽の家での勉強会を無事に終え、俺は自宅へ帰ってきた。


 おかげで数学はばっちりだ。


 時計を見ると、すでに午後十時。


 こんな時間まで帰ってこなかったのだ。きっと妹の姫花も、寂しい思いをしているに違いない。


 俺は靴を脱ぐなり、急いでリビングへ向かった。


「姫花! 遅くなって悪かったな。寂しかっただろ?」


「あっ、にぃに。おかえり」


「…………」


 一ミリも寂しさを感じさせない平坦な「おかえり」に、なぜか俺の方が寂しくなった。


 リビングでは、姫花と相棒――安城星梨奈が、仲良くテレビを見ている。


 もしかして俺がいない間、二人で存分に楽しんでいたのか?


 お兄ちゃん、ちょっと泣きそう。


 そんなことを考えていると、姫花が俺の顔を二度見した。


「に、にぃに!?」


 ソファから勢いよく立ち上がる。


「また怪我してる! 一体何があったの!?」


「いや、これは……」


「デートへ行って、そんなボロボロになって帰ってくることある!?」


 姫花の言うとおり、俺の身体は満身創痍だった。


 真田蓮也との一件で負った傷に加えて、今日は羽衣雪音に散々痛めつけられたのだ。


 我ながら、よく自力で帰ってこられたと思う。


「すまん、姫花。買い物の途中で階段から落ちたんだ」


「デート中に階段から落ちるとか、私なら耐えられないんだけど! 主に心が!」


「いや、別にデートじゃねぇよ」


 黒羽とはデートではない。


 少なくとも、昨日までの俺なら迷わずそう答えていた。


 でも――。


 今日一日を黒羽と一緒に過ごしたことで、俺の中にある彼女への印象は、大きく変わった気がする。


 黒羽冬花は、俺が思っていたよりもずっと好みの女の子で。


 よく笑って。


 照れたり、拗ねたり。


 そして時々、驚くほど可愛らしい表情を見せる。


(しっかりしろ……俺には推しがいるだろ)


 そうだ。


 俺には、強くて凛々しい最愛の推し――安城恵梨香がいるのだ。


「やぁやぁ、神田ゆういち!」


 そんな俺の葛藤など知る由もなく、相棒が呑気にシュークリームを掲げる。


「シュークリームはいかがかな?」


「お前それ今日何個目だ?」


「細かい事は気にしないでくれ?この一個で最後にするから」


「そんな事より相棒」


「なんだい?」


「聞きたいことがある」


 そうだ。


 相棒には、どうしても確認しなければならないことがある。


 ――羽衣雪音について。


 俺は相棒の手を掴むと、そのまま急いで自室へ向かった。


    ♢


 相棒を部屋へ連れ込み、扉を閉める。


「相棒に聞きたいことがあるんだ」


「その前に、一つ確認してもいいかな?」


「なんだ?」


「君はいつまで、私の手を握っているつもりなんだい?」


「……あっ。悪い!」


 慌てて手を離そうとする。


 しかし、その瞬間。


「いや――」


 相棒が小さく呟いた。


「話を聞くより、直接覗いた方が早そうだね」


 その瞳孔が、すっと開く。


「おい、ちょっと待――」


 制止するよりも早く、相棒の能力が発動した。


 俺の記憶が、彼女の瞳へ吸い込まれていく。


    ♢


 やがて、相棒の瞳が元に戻った。


「まさか……もう接触するとはね」


 珍しく、その声には驚きが滲んでいた。


「羽衣雪音は言ってたんだ。施設に裏切り者がいるって」


 俺は相棒をまっすぐ見つめる。


「そいつは――銀髪の発明家だって」


 銀髪の発明家。


 どう考えても、目の前にいる安城星梨奈のことだ。


 以前、相棒は自分と施設との関係を、こう説明していた。


『私は――EES未来支援機構の関係者だ』


『といっても、感応科学者としてじゃない。発明家として、彼らに協力していただけだよ』


『私が作った発明品を、あの機構へ提供していた。ただ、それだけさ』


『施設にも何度か足を運んだことはある。でも、実際にあそこで暮らしていたわけじゃない』


『だから、真田蓮也や本郷愛理と顔を合わせたこともないよ』


 確かに、そう言っていた。


「羽衣雪音から聞いた。俺が施設の連中に見つからないよう、相棒が裏で手を回してくれてたんだって」


「ああ。確かに私は、君が彼らに発見されないよう手を尽くしたよ」


「なんでそこまでしてくれるんだ?」


「それは……」


 相棒は肩をすくめる。


「君が救世主だからだよ」


「もっとも、結局は見つかってしまったようだけどね」


「なぁ、相棒」


「なんだい?」


「羽衣雪音は――何のEES発現者なんだ?」


「…………」


 相棒は少しだけ考え込むと、俺のベッドへ静かに腰を下ろした。


「羽衣雪音の能力は、世論操作」


 そして、足を組みながら告げる。


「いわゆる――プロパガンダというやつだ」


「プロパガンダ?」


「集団に対して、自分の思想や価値観を植えつける行為のことさ。本来なら、テレビや広告、インターネットなど、さまざまな媒体を使って人々へ繰り返し刺激を与える」


「けれど、羽衣雪音にはそんなものは必要ない」


 相棒は自身の喉元を指で示した。


「あの女は、自らが発する声だけでそれを実行できる」


「声だけで……?」


「ああ。声の抑揚、口調、速度、間の取り方――それらすべてを利用して、聞いた人間の脳へ干渉するんだ」


「…………」


 俺はショッピングモールでの出来事を思い返す。


 羽衣雪音に吹き飛ばされた俺を見ても、周囲の人間は誰一人として彼女を責めなかった。


 羽衣が「浮気した恋人を懲らしめただけ」と告げた途端、全員がそれを信じ込んだ。


 俺が悪いのだと。


 殴られて当然なのだと。


「でも、さすがに無理があるだろ」


 俺は眉をひそめる。


「どれだけ自分の考えを植えつけても、おかしいものはおかしい。普通なら、誰か一人くらい疑うはずだ」


「確かに。君の言うとおりだ」


 相棒はあっさり頷いた。


「ただし、羽衣雪音の能力には、もう一つ厄介な副産物が存在する」


「副産物?」


「ああ」


 相棒の口元から、いつもの笑みが消える。


「――同調圧力だ」


「同調圧力……」


「周囲の人間が同じことをしていると、それだけで正しいように感じてしまう心理さ」


 そう言うと、相棒は机の上に置かれていた四本の割り箸を手に取った。


 そして、それぞれ長さが違う状態で机へ並べる。


「少し講義をしようか、神田ゆういち」


「いや、さっき黒羽の家で数学の勉強したから勘弁してくれ」


「この中で、一番長い割り箸はどれだい?」


「普通に無視すんなよ」


「てか……は? 馬鹿にしてるだろ?」


 俺は迷わず、一番長い割り箸を指差した。


「どう見てもこれに決まってる」


「正解」


「馬鹿にしてるのか?」


「では、君より先に答えた九十九人全員が、この真ん中の割り箸を選んでいたとしたら?」


「…………」


 相棒が指差したのは、どう見ても一番ではない割り箸だった。


「それは……」


「君は一瞬、こう考えるはずだ」


 相棒が俺の顔を覗き込む。


「もしかしたら、間違っているのは自分の方なんじゃないか――とね」


「…………」


「羽衣雪音は、そのわずかな疑念を最大限まで増幅させる。そして、最初の一人が間違った答えを選べば、それを見た次の人間も同じ選択をする」


 一人が選べば、二人目も。


 二人目が選べば、三人目も。


 そうして間違った答えが積み重なり、いつしかそれが集団の中での正解へ変わる。


「要するに、集団を相手にした時ほど、激烈な効果を発揮する能力ということさ」


「そんなの……無敵じゃないか?」


「いや、そうでもない」


 相棒は長い割り箸を指先でつまみ上げた。


「さっきの話には、簡単に正解を選べるようになる方法がある」


「どんな方法だ?」


「九十九人の中に、一人だけでも異を唱える人間がいればいい」


「一人だけ……?」


「ああ。たった一人でも、自分と同じ疑念を抱く人間がいると分かれば、人は自分の感覚を信じられるようになる」


 相棒が、俺へ長い割り箸を差し出した。


「すると、正しい答えを選べる確率は格段に上がるんだ」


「君が黒羽冬花と昼食を取っていた時――」


 相棒が、わずかに口元を緩めた。


「店中に響き渡る声で『俺はヤンデレが大好きだ』と叫んだだろう?」


「…………」


「ぷぷっ」


「おい。今、さらっと笑っただろ」


「おっと、失礼」


 絶対に悪いと思っていない顔だった。


「ともかく、あの瞬間。それまで周囲を支配していた『愛が重いことは悪である』という共通認識に、初めて亀裂が入った」


「俺が、違う意見を言ったから……?」


「そういうことだ。君が反対意見を口にしたことで、周囲の人間も一瞬だけ、自分の中にあった疑念を取り戻した」


 相棒は人差し指を一本立てる。


「そして今日。甲斐谷俊一が、君と羽衣の戦いへ割って入った時も、周囲の人間が少しずつ正気に戻っていただろう?」


「ああ……」


 だから、羽衣は俺への攻撃を止めた。


 甲斐谷という、支配の外側にいた人間が現れたことで、羽衣の作り上げた空気が崩れ始めたのだ。


「でも、待てよ」


 一つ、疑問が浮かんだ。


「羽衣が思想そのものを変えられるなら、どうしてショッピングモールにいた奴らは、あんなに早く正気へ戻れたんだ?」


「そこが重要なんだよ」


 相棒は机の上へ並べた割り箸を、指先で軽く叩く。


「羽衣雪音の能力には、二つの段階がある」


「二つ?」


「ああ。一つ目は、その場の空気を利用した一時的な同調。そして二つ目は、同じ言葉を何度も聞かせることで起こる――思想の定着だ」


「思想の……定着」


「ショッピングモールにいた人間たちは、まだ一時的な同調状態にすぎなかった。だから、甲斐谷俊一という支配の外にいた異物が入り込んだことで、簡単に空気が崩れた」


「じゃあ……阿崎蒼真は?」


 相棒の表情から、笑みが消えた。


「長い時間をかけて、羽衣雪音の思想を植えつけられている」


「…………」


「あそこまで深く定着してしまえば、一人が反対意見を唱えた程度では覆らない。たとえ羽衣雪音がそばにいなくても、本人は自分の意思で灰色の道を歩き続ける」


 あの時の蒼真を思い出す。


 黒羽を目の前にしても、羽衣の言葉をそのまま繰り返していた。


 自分の頭で考えることもなく。


 まるで、それが初めから自分の考えだったかのように。


「でも――」


 相棒が、まっすぐ俺を見る。


「君がいれば、話は別だ」


「俺?」


「ああ。君の能力は、本人さえ押し殺している本音を強制的に表へ引きずり出す」


「……それが、どう関係するんだよ」


「羽衣雪音によって植えつけられた思想の下にも、阿崎蒼真が本来抱いていた感情は残っている」


 相棒は、自分の胸元を指で示した。


「君の能力は、それを一時的に表層へ浮かび上がらせることができるんだ」


「じゃあ、あいつが黒羽と話せたのは……」


「君の能力によって、羽衣雪音の思想よりも、本来の感情が一時的に上回ったからだろうね」


 だから阿崎蒼真は。


 ほんのわずかな時間だけでも、黒羽冬花と自分の言葉で話すことができた。


「もっとも、定着した思想そのものを消したわけじゃない。君の能力が弱まれば、また羽衣雪音の植えつけた価値観に飲み込まれる」


「…………」


「それでも――」


 相棒は口元に不敵な笑みを浮かべた。


「本人の奥底に眠っている本音を引きずり出せる君は、羽衣雪音にとって、間違いなく天敵ということさ」


 俺の能力が。


 誰かの本音を勝手に漏らし、俺自身も散々な目に遭わせてきた、この罰ゲームみたいな力が。


 羽衣に抗うための力になる。


「羽衣雪音の能力には、意外と大きな穴がある」


 相棒は割り箸を机へ戻した。


「本人に、直接相手を倒す力はない。一対一で、しかも事前の仕込みがなければ、それほど強い能力ではないんだ」


「でも、人が大勢いる場所なら……」


「ああ。話はまったく変わる」


 相棒の声が低くなる。


「周囲の人間が多ければ多いほど、同調圧力は強くなる。戦闘向きではないが、集団を操るという一点においては――最強クラスの能力だ」


「じゃあ、あいつはその力を使って……」


「羽衣雪音は他者を地獄へ突き落とし、精神的に追い詰め、EESを発現させる役割を担っていた」


「…………!」


 背筋に、冷たいものが走った。


 あいつのせいで。


 いったい、何人の人間が人生を壊されたのだろう。


「私たち人間の脳は、考えることが苦手なんだ」


 相棒は淡々と続ける。


「可能な限り、自分では考えずに生きていたい。誰かから正解を与えてもらい、その通りの道を歩きたい。無意識のうちに、そう願ってしまう」


「…………」


「羽衣雪音は集団の中へ疑念を生み出し、自分が用意した答えを正解だと思い込ませる」


 そして――。


「同調圧力によって、その道から降りられなくする」


 灰色の道。


 羽衣雪音が決めた正解だけを信じ。


 自分で考えることも。


 自分で選ぶことも許されない道。


「阿崎蒼真の言っていた『灰色の道を歩く』とは、まさにそういうことだろうね」


「じゃあ……」


 俺は、ショッピングモールにいた人々の顔を思い浮かべる。


「みんなが羽衣雪音を好きだと感じた能力も、あいつが植えつけた感情なのか?」


「いや、それは違う」


 相棒は即答した。


「単純に、羽衣雪音が可愛くて魅力的なだけだ」


「そこは能力じゃないのかよ!」


「あの女は、見てくれだけはいいからね。その外見の良さが、能力の効果に拍車をかけているのも事実だろう」


 確かに。


 羽衣雪音は、黙っていれば目を奪われるほど綺麗な少女だった。


 もっとも、中身を知った今では、とてもそんな目で見ることはできないが。


「でも、それって……愛理の能力に似てないか?」


「本郷愛理の――無意識への介入かい?」


「ああ。相手の選択を無理やり変えて、あたかも自分の意思で選んだように錯覚させる能力」


「似ているように見えるが、本質的にはまったく違う」


「どう違うんだ?」


 相棒は、先ほどから持ったままだったシュークリームを俺の前へ差し出した。


「例えば、このシュークリームを使って説明しよう」


「お前、さらっと二個目を食べようとしてるだろ?」


「本郷愛理が能力を使った場合、君の無意識へ介入して『このシュークリームを食べない』という行動を選ばせる」


「無視かよ……」


「だが、羽衣雪音は違う」


 相棒の灰色の瞳が、静かに細められる。


「君に、シュークリームそのものを嫌いだと思わせるんだ」


「…………!」


「本郷愛理は、選択だけを変える」


 相棒がシュークリームを軽く揺らす。


「好きだけど、なぜか食べない――そう選ばせるのが本郷愛理」


 そして。


「嫌いだから、自分の意思で食べない――そう思わせるのが羽衣雪音だ」


「じゃあ、一度嫌いにさせられたら……」


「ああ。思想として定着してしまえば、羽衣雪音がその場からいなくなった後も、君は自分の意思でシュークリームを避け続ける」


 背筋が、ぞくりと震えた。


 行動を操られるだけじゃない。


 好きだったものを嫌いにされる。


 信じていたものを否定させられる。


 大切だった人間さえ――自分の意思で傷つけてしまう。


「ただし、思想は一瞬で変えられるものではない。効果が定着するまでには時間がかかるうえ、個人差も大きい」


「だから羽衣は、同じ相手へ何度も言葉を聞かせる必要があるのか」


「そのとおり」


 相棒は満足そうに頷いた。


「対して、本郷愛理の能力は即効性が高い。戦闘中にも使用でき、相手の夢にまで介入可能。応用範囲も極めて広い」


 そして、シュークリームを一口かじる。


「感応科学における総合評価では――」


 ゆっくりと咀嚼してから、淡々と告げた。


「本郷愛理の能力が、S+」


「羽衣雪音は――S−だ」


「てかさ」


 俺は、ふと浮かんだ疑問を口にした。


「前に言ってただろ? 施設の連中は、証拠が残りにくいEES能力を利用して、裏で金儲けしてるって」


「ああ。言ったね」


「それで俺は、連中にとって都合の悪い本音を勝手に吐かせて、その発言を物的証拠として残せる。だから施設から狙われてるんだよな?」


「概ね、その認識で間違いないよ」


「だったらさ」


 俺は腕を組み、首を傾げる。


「愛理の“無意識への介入”でも、同じことができるんじゃないか?」


「同じこと?」


「施設の奴に、全部喋るって選択をさせればいい。そうすれば、俺の能力なんて必要ないだろ?」


「…………」


 相棒は少しだけ目を見開いた。


 それから、感心したように頷く。


「君にしては、なかなかいい疑問だ」


「“君にしては”って必要か?」


「重要な部分だよ」


「なんかムカつくな……」


「結論から言えば、その方法では駄目だ」


「なんでだよ?」


 相棒は食べかけのシュークリームを皿へ置いた。


「確かに、本郷愛理の能力を使えば、対象へ『秘密を喋る』という選択をさせることはできるだろう」


「だったら――」


「ただし、それは本郷愛理が、自分の意思で能力を行使できる状況に限られる」


 相棒の声から、わずかに軽さが消える。


「君の能力は、君自身の意思とは無関係に発動する。近くに隠された本音があれば、相手が誰であろうと、どれほど危険な秘密であろうと、勝手に表へ引きずり出してしまう」


「迷惑な話だけどな」


「今はまだ無差別で、発動する対象も予測できない。だが、いずれ君が成長すれば、狙った相手の本音を意図的に引き出せる可能性もある」


「でも君の能力のベースは無差別に起こる」


 それは以前にも聞いた話だった。


「対して、本郷愛理の能力には、明確な意思が必要だ」


「愛理が、こいつに能力を使うって決めないと駄目なのか」


「ああ。つまり、本人に能力を使わせなければいい」


 相棒の瞳が、静かに細められる。


「大切な人間を人質に取る。危害を加えると脅す。あるいは、能力を使う意思そのものを折る」


「…………!」


「そうすれば、本郷愛理は能力を使えない」


「でも、俺だって人質を取られたら――」


「君は使わないと決めても、能力が勝手に発動する」


 相棒は淡々と言い切った。


「命令にも、脅迫にも従わない。時には、君自身の意思にさえ逆らって、隠された真実を表へ引きずり出す」


 そこまで言って、相棒は小さく肩をすくめる。


「施設にとって危険なのは、強い能力じゃない」


「制御できない能力……?」


「正確には――自分たちでは制御できない能力だ」


 胸の奥に、冷たいものが落ちた。


 俺が狙われているのは、愛理より強いからではない。


 施設の都合で止めることができないからだ。


「それに、本郷愛理は優しいからね」


 相棒は、どこか遠くを見るような目をした。


「あの子は、自分の大切な人を犠牲にしてまで能力を使ったりはしないよ」


「…………」


 その言い方に、妙な引っかかりを覚えた。


「随分と、愛理のこと詳しいんだな?」


 ほんの一瞬。


 相棒の表情が止まった。


 けれど、すぐにいつもの笑みを浮かべる。


「はいはい! 難しい話はこれでお〜しまい!」


「それより君は、早くテスト勉強へ戻りたまえ」


「…………あっ!」


 黒羽の家で勉強した内容を、まだ復習していなかった。


「しまった! 早く復習しないと忘れる!」


 俺は慌てて鞄の中から教科書とノートを取り出す。


「まったく。君という男は……」


 相棒が呆れたように笑った。


 その声が。


 いつもより少しだけ、優しく聞こえた。


「――神田ゆういち」


「ん?」


 ノートを開きながら振り返る。


 相棒は、俺ではなく。


 閉ざされた部屋の扉を見つめていた。


「明日――」


 一瞬だけ、言葉を詰まらせる。


 それから、いつもの調子で笑った。


「妹を、頼むよ」


「……は?」


「恵梨香のことだよ。私の妹は、寂しがり屋だからね」


 相棒は、静かに目を細めた。


 その横顔が。


 なぜか、ひどく遠く感じられた。


 この時の俺は――。


 相棒がどうして、そんなことを言ったのか。


 まだ何も、理解していなかった。

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