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隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
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第231話 あなたに捧げる最高の復讐

「久しぶりね……蒼真」


 夜の風が、私の頬を優しく撫でていく。


 彼と顔を合わせるのは、これで二度目。


 私を捨て、羽衣雪音とともに歩く道を選んだ――私の幼なじみ。


 阿崎蒼真。


「冬花……」


 蒼真が、私の名前を呼ぶ。


 その瞳は、以前のように虚ろではなかった。


 羽衣雪音に心を支配される前の――正真正銘、私が知っている阿崎蒼真の目だった。


「時間がない。もうすぐ俺は、また羽衣雪音の支配下に戻ってしまう」


 蒼真は焦りを滲ませながらも、まっすぐに私を見つめていた。


「だから、まだ正気を保てている今のうちに……冬花と話がしたかった」


「そうね」


 私は静かに頷く。


「私も、ずっとあなたと話がしたかったわ」


 そして、少しだけ笑ってみせた。


「ねえ、蒼真。昔話をしましょうか」


「昔話……?」


 時間がない。


 そんなことは、私にだってわかっている。


 それでも私は、そうしなければならなかった。


 ふと蒼真の顔を見ると、そこに焦りはなかった。


 穏やかな表情。


 どうやら彼は、何かしらの覚悟を持って、この場所へ来たらしい。


 私は鞄の中から、ゆっくりと一冊のアルバムを取り出した。


 蒼真の誕生日に贈るはずだった――未完成のアルバム。


 隣に並ぶ蒼真にも見えるように、最初のページを開く。


「ねえ、覚えてる? このとき、蒼真のお父さんと三人で釣りに行ったの」


 色褪せた写真を指でなぞりながら、私は懐かしい記憶を口にする。


「私、餌に触れなくてさ。蒼真が代わりにつけてくれたよね?」


「ああ、懐かしいな」


 蒼真の口元に、微かな笑みが浮かぶ。


「冬花、昔から虫とか苦手だったもんな」


 その瞬間――私にしか見えない数字が、彼の頭上に浮かび上がった。


 蒼真の恋愛好感度が、ゆっくりと上昇していく。


 私は次のページをめくった。


「あっ、これ! 一緒に夏祭りへ行ったときの写真!」


 浴衣姿で並ぶ、まだ幼い私たち。


「あの日、途中ではぐれちゃって、結局お祭りの花火を見られなかったんだよね。でも、それを見かねた蒼真が私のお父さんとお母さんに頼んでくれて……スーパーで花火を買って、公園で二人でしたんだっけ」


「ああ、そうだったな」


「あのときの花火、何よりも綺麗だった」


 私がそう告げると、蒼真は目を細めた。


「不思議だよな」


「え?」


「あの中のどれ一つ取っても、祭りの花火には敵わないはずなのに……今まで見たどんな花火よりも綺麗だった」


「……うん」


 胸の奥が、締めつけられる。


 蒼真の好感度が、また上昇した。


 私は震えそうになる指で、さらにページをめくる。


「あっ……これ、小学校の入学式だ」


 桜の木の下。


 真新しいランドセルを背負った私と蒼真が、隣同士で笑っている。


「私たち、こんなに小さかったんだ」


「本当だな」


「私、昔からどんくさかったから……いじめられそうになるたびに、蒼真が助けてくれたよね」


 写真の中の蒼真は、今と同じように笑っている。


「蒼真は、この頃から誰よりも人気者でさ。幼なじみの私まで、なんだか鼻が高かったんだ」


 そのとき――。


 あの日、私を振った蒼真の言葉が蘇った。


『冬花は、俺と付き合っているっていう事実に満足してるだけだろ』


「っ……」


 鋭い刃で抉られたように、胸が痛んだ。


 今でも、あの言葉を思い出すだけで息が苦しくなる。


 私は溢れそうになる涙を堪え、ページをめくり続けた。


 一枚めくるたびに、忘れたふりをしていた思い出が蘇ってくる。


 笑った日。


 喧嘩した日。


 二人で泣いた日。


 いつだって、蒼真が隣にいた。


 そして、そのたびに彼の好感度は上昇していく。


 蒼真は何も否定しなかった。


 言い訳もせず、ただ私の言葉と記憶を受け入れているようだった。


 やがて、アルバムの残りがあと僅かになる。


「これ……中学校の入学式だ」


 少しだけ大人びた、制服姿の私たち。


「私ね、この頃に蒼真から『好きだ』って言ってもらえて……本当に嬉しかった」


 声が震える。


「私の重たい愛を、蒼真だけは肯定してくれた。それが……何よりも嬉しかったの」


 その瞬間。


 蒼真の頭上に浮かぶ数字が――『80』に到達した。


 条件は、満たされた。


 蒼真は写真を見つめたまま、ぽつりと呟く。


「雪音に支配されてから……俺の世界は、ずっと灰色だった」


「……蒼真」


「頭では、どれだけ雪音を肯定していても……心の奥は、ずっと冷たいままだった」


 その声には、深い疲労が滲んでいた。


「まるで、凍てついた色のない灰色の世界を、たった一人で歩き続けているような感覚だった。歩きたくなんてないのに、何かに無理やり背中を押されて……それでも、自分の意思では立ち止まることさえ許されなかった」


 私は何も答えられない。


 ただ、最後の一ページに指をかける。


 その瞬間、二つの言葉が脳裏に蘇った。


『人間はね――未完の苦しみに、ずっと囚われ続ける生き物なんだ』


 安城星梨奈の言葉。


 そして――。


『最高の復讐は……相手に、もう二度と許しを請う機会さえ与えないことだと、俺は思う』


 神田っちの言葉。


 私は、このやり方が正しいのかわからない。


 蒼真だって、羽衣雪音に心を支配されていた。


 彼自身の意思で、私を傷つけたわけではなかったのかもしれない。


 それでも――。


 私は、蒼真を許せなかった。


 羽衣雪音を許せなかった。


 そして何より。


 すべてをなかったことにして、また昔のように笑い合うことなんて――できなかった。


 私は最後のページを開く。


 本来なら、完成するはずのなかったページ。


 そこには――私と神田っちが並んで写るプリクラが貼られていた。


 それを見た蒼真は、驚いたように目を見開く。


 けれど、すぐに安心したような笑みを浮かべた。


「そうか……」


 蒼真は、静かに息を吐く。


「冬花を守ってくれるやつが、もう近くにいるんだな」


「……っ」


 蒼真が、ゆっくりと顔を上げる。


 その瞳は、どこまでも穏やかだった。


 私はアルバムを閉じると、彼に向かって右手をかざす。


 そして空中に表示されたコマンドへ指を触れ、横へスライドさせた。


 好感度が『80』に到達した相手にのみ使用できる――《忠誠》のコマンド。


 相手がどれほど別の誰かを想っていようとも、その感情をすべて塗り潰す。


 対象は永遠に私へ恋焦がれ、私の下す命令に忠実に従い続ける。


「さようなら、蒼真」


 震える声で、私は告げた。


「もう二度と、私の前に現れないで」


 命令が、彼の魂に刻まれていく。


「あなたは永遠に私を想い続ける」


 視界が滲む。


「それでも私は、あなたに謝罪する機会も……やり直す機会も与えない」


 頬を、一筋の涙が伝った。


「これから先、あなたの心はずっと私に向き続ける。たとえ二度と、私の姿を見ることができなくても」


 淡い光が、蒼真の周囲に舞い始める。


 無数の粒子が彼の身体を囲い、その存在を夜の闇へ溶かしていく。


「最後に……何か言いたいことはある?」


 私は蒼真を見つめた。


「今だけは、何を言ってもいいわ」


 どんな言葉を告げられても、受け止めるつもりだった。


 これが、私から蒼真に与える最後の機会だった。


 けれど――。


 蒼真は、穏やかに笑っていた。


 まだ光が、蒼真を完全に包み込む前。


 彼の瞳には、最後の一瞬だけ――私の知る蒼真が残っていた。


「……ありがとう、冬花」


「――っ」


 予想もしなかった言葉に、胸が大きく揺さぶられる。


 私は泣き声を押し殺すように、強く下唇を噛んだ。


「なんで……」


 それでも、涙は止まらない。


「なんで、ありがとうなのよ……」

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