↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
228/235

第229話 本郷愛理――あなたの幸せを守るために

「知っているよ」


 そう答えた瞬間、安城星梨奈の瞳から、すっと光が消えた。


「そして私も――羽衣雪音の件で、君に協力してもらいたいと思っていた」


「私に……協力してほしい?」


「ああ。おそらく、私が裏切ったことは、もうじき羽衣雪音にバレる」


「だから、私にあんたを守れって?」


 私が問い返すと、安城星梨奈は静かに首を横へ振った。


「いや、違う」


 短く否定したあと、彼女は真剣な眼差しをこちらへ向ける。


「私はどうしても、《EES未来支援施設》にある自分の研究室へ戻らなければならない。そこに、必要なものがあるんだ」


「必要なもの……?」


 それが何なのか、私はあえて聞かなかった。


 聞いたところで、彼女が素直に答えるとも思えない。


 安城星梨奈は、そのまま話を続けた。


「その間、君には羽衣雪音の足止めをしてほしい」


「…………」


 羽衣雪音。


 かつて、ゆういちを悪者に仕立て上げ、その心に消えない傷を刻んだ女。


 あの女だけは、絶対に許さない。


 今度こそ、私が羽衣雪音からゆういちを守る。


 そう心に誓った――その瞬間。


 ズキリ、と胸の奥が痛んだ。


 違う。


 羽衣雪音だけじゃない。


 私もまた、ゆういちを地獄へ突き落とした人間の一人だ。


 それだけは、絶対に忘れてはいけない。


 私も彼女と同じだ。


 どれだけ後悔しても、どれだけ罪を償おうとしても。


 過去は、決して消えてはくれない。


 だからこそ、私は決めたのだ。


 これからは、ゆういちの幸せのためにこの力を使う。


 たとえ――その幸せな未来に、私の居場所がなかったとしても。


「……分かったわ。あんたに協力する」


「助かるよ。詳しいことは、また連絡する」


「それじゃあ、私は帰るわ。そろそろ、ゆういちも戻ってくる頃でしょうし」


 そう告げて立ち上がろうとした私に、安城星梨奈が問いかける。


「もう二度と、神田ゆういちには会わないつもりかい?」


 その言葉に、私は一瞬だけ動きを止めた。


 それでも振り返ることなく、静かに答える。


「ええ。もう決めたの」


 口にしただけで、胸が締めつけられる。


 けれど、ここで揺らいではいけない。


「ゆういちに会えば、私はまた自分の能力に飲み込まれて、あの子を傷つけてしまうかもしれない」


 会いたい。


 本当は、今すぐにでも会いたい。


 顔を見て、声を聞いて。


 許されなくてもいいから、もう一度だけ名前を呼んでほしい。


 それでも私は、その願いを心の奥へ押し込めた。


「この能力は、誰かを傷つけるためにあるんじゃない。誰かを幸せにするために使いたいの」


 今度こそ、間違えない。


 自分の寂しさを埋めるためではなく。


 自分の願いを叶えるためでもなく。


 誰かの未来を守るために、この力を使う。


「それを教えてくれたのが、ゆういちと――あんたの妹、安城恵梨香よ」


「……そうかい」


 安城星梨奈は、それ以上引き止めようとはしなかった。


 ただ、何かを見透かすような瞳で私を見つめている。


 やがて、何かを思いついたように小さく笑った。

「そうだ。よかったら、神田ゆういちの部屋に行ってきたらどうだい?」


「…………は?」


 あまりにも唐突な提案に、私は思わず振り返った。


 安城星梨奈は、どこか面白がるように口元を緩めている。


「乙女なら、好きな男の部屋に一度くらい入ってみたいんじゃないのかい?」


「な、何を言って――」


「別に構わないよ。神田ゆういちの枕に顔を埋めて、好きなだけくんかくんかしても」


「なっ……!?」


 瞬く間に、顔が熱くなる。


「い、いい加減にしてよ! そんなこと、す、するわけないでしょ! 私、そんなエッチな女の子じゃないんだから!」


 私が声を荒らげると、安城星梨奈は不敵な笑みを浮かべた。


「神田ゆういちの夢に介入するため、彼の体操服の匂いを嗅いでいた君が、それを言うのかい?」


「げっ……ど、どうしてそれを……」


「私は感応科学者でもあるんだよ? 君の無意識へ介入する能力については、よく知っているさ」


(そっちじゃないわよ! なんで私が体操服の匂いを嗅いでたことまで知ってるのよ!)


 冷や汗が背中を伝う。


 けれど、これ以上追及すれば、かえって墓穴を掘りそうだ。


 私は誤魔化すように頬を緩めた。


「にしし♡ まあ、せっかくだし……ゆういちの部屋、見てみようかしら。案内して」


     ◇


 私は安城星梨奈に案内され、そのまま二階へ上がった。


 そして、ゆういちの部屋の前まで来たところで、思わず足を止める。


(……何よ、このドア?)


 目の前にあるのは、黒く無機質な扉。


 周囲の雰囲気とは明らかに馴染んでおらず、そこだけ妙にサイバー感が漂っている。


(まあ……いいか)


 深く考えたら負けな気がして、私はあえて触れないことにした。


 そして扉を開けようとした、そのとき。


「私は部屋の外で待っているよ」


 背後から、安城星梨奈がそう告げた。


「……そう」


 私は一人で、ゆういちの部屋へ足を踏み入れる。


 その瞬間――。


 懐かしくて、胸が締めつけられるような匂いが、私を包み込んだ。


(あぁ……ゆういち♡)


 間違えるはずがない。


 私の大好きな、ゆういちの匂い。


 それだけで、もう会わないと固く決めたはずの心が、簡単に揺らいでしまう。


 ベッド。


 枕。


 机。


 本棚。


 彼が毎日を過ごしている空間を、私は一つひとつ確かめるように眺めていく。


 そして――彼の机の上に置かれた紙袋が目に入った。


(……これ)


 私が安城恵梨香に預けた紙袋。


 中に入っているのは、ゆういちの体操服だ。


 もう二度と、ゆういちとは会わない。


 そう誓ったからこそ、私は恵梨香に頼んで、本人へ返してもらった。


 けれど――。


(これを、もう一度持って帰れば……)


 また、ゆういちの夢に入れる。


 夢の中なら、もう一度だけ会える。


 彼の顔を見て、声を聞いて。


 私の名前を、呼んでもらえる。


(少しくらいなら……いいよね?)


 気づけば、私の手は紙袋へ向かって伸びていた。


 もう会わないと決めたはずなのに。


 また能力に飲み込まれようとしている。


 それが分かっていても、指先を止められなかった。


 ――そのとき。


「……何、これ?」


 紙袋の隣に置かれていた、一冊のノートが目に入った。


 何気なく開いたページに、大きな文字が書かれている。


『絶対、愛理のお母さんを見つける!』


「…………っ」


 間違いない。


 ゆういちの字だ。


 その下には、母を捜し出すための具体的な方法が、ページを埋め尽くすほど細かく書き込まれていた。


 調べるべき場所。


 連絡する相手。


 必要になりそうな情報。


 いくつもの可能性を想定して、諦めることなく考え抜いた跡が残っている。


 すべて――私のために。


「……ゆういち」


 視界が滲んだ。


 堪えようとしたのに、涙が次々と頬を伝っていく。


(ゆういち……ゆういち……)


(本当に、あなたは……)


 どうして、そこまで優しいの。


 私はあなたを傷つけた。


 あなたの人生を壊して、地獄へ突き落とした。


 それなのに、あなたは今も――私の幸せを諦めていない。


 私は震える手でノートを持ち上げ、胸元へ強く抱きしめた。


「……ありがとう」


 誰にも届かないほど小さな声が、唇から零れ落ちる。


 先ほどまで私を支配しようとしていた衝動は、いつの間にか消えていた。


 私はノートを元の場所へ戻す。


 もちろん、紙袋にはもう手を伸ばさない。


 机の隅に置かれていた小さな鏡が目に入り、私はそこに映る自分と向き合った。


 涙で濡れた瞳。


 今にも崩れ落ちそうな、弱い自分。


 それでも――私は鏡の中の自分を真っ直ぐに見つめ、心に誓う。


(私が、絶対にあなたを守る)


(あなたが私の幸せを諦めないでいてくれるなら――)


(私も、あなたの幸せを諦めない)


(たとえ、その未来に私がいなくても)


(あなたの幸せは、私が必ず守ってみせるから)


 そう言い聞かせるように、私は小さく頷いた。


 そして鏡を元の場所へ戻すと、ゆういちの部屋を後にした。


 廊下へ出ると、壁にもたれて待っていた安城星梨奈が、こちらへ視線を向ける。


「忘れ物はしていないかい?」


「…………」


「本当に食えない女ね。私を試したでしょ?」


「どうだろうね?」


 安城星梨奈は、肯定も否定もせず、不敵に笑った。


 そのとき、廊下の奥にある部屋の扉が開く。


「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」


 姿を現したのは、姫花ちゃんだった。


「うん。姫花ちゃん、今日はありがとうね」


「そっか……」


 姫花ちゃんは寂しそうに目を伏せる。


 その顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。


 もう二度と会わない。


 そう言うべきなのかもしれない。


 曖昧な期待を持たせないためにも、ここできっぱり別れを告げるべきなのかもしれない。


 それでも――私の口から出たのは、別れの言葉ではなかった。


「……またね?姫花ちゃん」


 姫花ちゃんは一瞬だけ目を見開く。


 そしてすぐに、花が咲くような笑顔を浮かべた。


「うん! またね、お姉ちゃん!」


 その笑顔を胸に刻み、私はゆういちの家を後にした。


 ――もう、ゆういちには会わない。


 その決意は変わらない。


 けれど、もう一人で消えるつもりもなかった。


 私には、守りたいものがある。


 そして今度こそ、この力を――誰かを幸せにするために使う。


 たとえ、どんな未来が待ち受けていたとしても。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。