第227話 死神と悪魔Ⅲ――共通の敵 【本郷愛理視点】
「あんたは……」
掠れた声が、私の唇から零れ落ちた。
目の前にいるのは、銀髪のオッドアイ。
私が彼女と出会ったのは、高校へ入学して間もない頃だった。
ゆういちと再会するため、私はこの女の協力を借りた。
いつも陽気で、馴れ馴れしくて。
笑顔だけを見れば、人当たりのいい少女にしか見えない。
けれど――その瞳からは、何の感情も読み取れなかった。
私が心の底から嫌悪する感応科学者であり、同時に、私と同じEES発現者。
「……死神」
私は銀髪の少女を睨みつけ、小さく呟いた。
しかし彼女は、そんな呼び名など気にも留めなかった。
「久しいね、本郷愛理」
にこやかに笑いながら、許可もなく私の手を握ってくる。
「こうして顔を合わせるのは、あのとき以来かな? 私も君に会えて嬉しいよ」
その瞬間――。
ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。
頭の内側へ、見えない指を差し込まれたような感覚。
(また……何かを覗かれてる感覚?)
反射的に手を引こうとする。
けれど、星梨奈は私の動揺などお構いなしに、愉快そうに首を傾けた。
「ところで……死神?」
その口元が、わずかに吊り上がる。
「また、ずいぶん物騒なあだ名をつけてくれるね?」
――あのとき。
ゆういちとの再会を手助けしてくれたあと、夕焼けの向こうへ消えていった彼女の背中。
それが、私には何かに取り憑かれているように見えた。
いや――違う。
あれは、何かに取り憑かれた人間の背中じゃない。
誰かの魂を連れ去ろうとしている者の背中。
そう。
まるで――死神のような背中だった。
「あんたの名前、安城星梨奈っていうんでしょ?」
「覚えてくれてたんだね?嬉しいよ」
私は握られた手を見下ろしながら、鼻で笑った。
「星だなんてキラキラした名前、何を企んでいるのか分からない陰気なあんたには似合わないからね。皮肉を込めて、死神って呼んであげたの」
「なるほど」
星梨奈は気分を害するどころか、嬉しそうに目を細めた。
「君らしくて、すごく素敵な名前だよ」
そして私の目を覗き込み、静かに付け加える。
「でも――星は、暗闇の中だからこそ輝けるんだよ?」
「…………」
君らしく。
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
まるで、ずっと以前から私を知っているような口ぶり。
それに、この女を見ていると、なぜか懐かしい感覚を覚える。
一体、どこで――。
「君らしく、ですって?」
私は胸に浮かんだ疑問を振り払うように、彼女を睨みつけた。
「馬鹿言わないでよ。一度しか会ったことのないあんたに、私の何が分かるっていうの?」
「さて。どうだろうね?」
星梨奈は、曖昧に笑うだけだった。
やっぱり、胡散臭い。
この奇妙な懐かしさだって、どうせ気のせいだ。
そう結論づけた私へ、星梨奈は何事もなかったように尋ねてくる。
「ところで、神田ゆういちとは無事に再会できたようだね?」
「ええ。おかげさまでね」
「あれ?」
星梨奈は意外そうに瞬きをした。
「少しくらい怒ると思っていたんだけどな。ずいぶん変わったじゃないか」
私の顔を観察しながら、楽しそうに続ける。
「以前の君は、神田ゆういちのことになると、周りが何も見えなくなっていたのに」
「違うわ」
私は静かに首を振った。
「まだ変わったわけじゃない。今、変わろうとしているの」
ゆういちへの想いが薄れたわけじゃない。
むしろ、以前よりずっと強くなっている。
ただ、その愛し方を――私は変えようとしている。
「それに私は、あんたに感謝してる」
「感謝?」
初めて、星梨奈の笑顔がわずかに揺れた。
私は空いた手を胸に当て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あんたがいたから、私はゆういちと再会できた」
それだけじゃない。
ゆういちと、あの女が教えてくれた。
愛は支配するのではなく願うことを。
そして苦しみは、人を壊すだけのものじゃない。
同じ痛みを抱えている人に寄り添い、その人を救う力にも変えられるのだと。
「二人が、私の苦しみに意味を与えてくれたの」
星梨奈は何も答えなかった。
ただ、そのオッドアイで私をじっと見つめている。
その瞳を見て、私は一人の少女を思い出した。
金色の髪。
左右で色の異なる瞳。
――安城恵梨香。
そして、目の前にいる銀髪の女もオッドアイ。
何より、その名前は――安城星梨奈。
「もしかして……あんたたちって――」
その瞬間。
星梨奈の笑顔が消えた。
周囲の空気まで冷え込んだような錯覚に陥る。
さっきまでの陽気さが嘘だったかのように、内側のスイッチが切り替わる。
「ご明察」
星梨奈は、感情の抜け落ちた声で告げた。
「安城恵梨香は、私の妹だよ」
一拍置いて、その冷たい瞳が私を捉える。
「妹が、ずいぶんと世話になったみたいだね」
「世話になったのは、私の方だけどね」
安城恵梨香がいなければ、私はきっと、自分の苦しみに意味を見いだせないままだった。
「本郷愛理」
不意に名前を呼ばれる。
星梨奈は私の手を離すと、ゆっくりと頭を下げた。
「礼を言う。神田姫花を助けてくれて、ありがとう」
その横顔から、ふざけた雰囲気は完全に消えていた。
声も、表情も、真剣そのもの。
少なくとも今だけは、本心から感謝しているように見える。
「……どうして、あんたがそれを知ってるの?」
私の問いに、星梨奈は答えなかった。
代わりに、同じ部屋にいた姫花ちゃんへ顔を向ける。
「姫花ちゃん。少しだけ、二人で話をさせてもらえないかな?」
「うん、分かった」
姫花ちゃんは何かを察したように頷き、部屋から出ていった。
扉が閉じる。
私と星梨奈、二人きりになった室内へ、重い沈黙が落ちた。
「以前にも言ったよね?」
沈黙を破ったのは星梨奈だった。
「私もEES発現者だって」
「……あんたの能力は何なの?」
星梨奈は、自分の両手へ視線を落とした。
「私の能力は――記憶の閲覧と転写だ」
「記憶の……閲覧と転写?」
「ああ」
彼女は小さく頷く。
「あのとき、君の記憶を読み取ったのと同じさ。さっきの握手で、もう一度、君の記憶を覗かせてもらった」
「…………」
全身に怖気が走った。
やはり、あの感覚は気のせいではなかった。
この女は、私の許可もなく――私の記憶へ土足で踏み込んだのだ。
そして、ようやく分かった。
あのとき道場で、どうしてゆういちが私の過去を知っていたのか。
この女が私から読み取った記憶を、ゆういちへ転写していたのだ。
「そこで見た」
星梨奈は悪びれる様子もなく、淡々と続ける。
「君が片倉遥輝から、姫花ちゃんを守った記憶をね」
星梨奈の能力が本物なら、今は問い詰めるより先に確認したいことがある。
「それなら、話が早くて助かるわ」
私は星梨奈のオッドアイを真っ直ぐに見据えた。
「あんた――羽衣雪音って女を知ってる?」
羽衣雪音。
片倉が口にしていた女の名前。
あの日。
私は立ち去る直前、片倉の無意識に二つの命令を刻み込んだ。
一つは、復讐の矛先を神田ゆういちから私へと変えること。
そして、もう一つは――。
ゆういちに危害を及ぼす可能性のある、あの女について知っていることを、すべて自白すること。
その命令によって、片倉の口から一人の女の名がこぼれ落ちた。
――羽衣雪音。
私は片倉が知る範囲で、羽衣雪音に関する情報をすべて吐かせた。
けれど、それだけでは足りない。
片倉自身も、羽衣雪音の全貌を把握しているわけではなかったからだ。
その結果、私は知った。
羽衣雪音こそが、ゆういちの過去に刻まれたトラウマの元凶であること。
そして片倉が、彼女の指示を受けて動いていたことを。
だから私は、すぐに羽衣雪音を捜し出すつもりだった。
その矢先、姫花ちゃんから家へ招かれ――。
そこで私は、再びこの死神と出会った。
星梨奈なら、何かを知っているかもしれない。
いや。
その表情を見る限り――間違いなく知っている。
長い沈黙のあと、星梨奈はゆっくりと口を開いた。
「知っているよ」
その瞳から、光が消えた。
「そして私も――羽衣雪音について、君に協力してもらいたいと思っていた」




