第222話 『最後にプリクラで写真撮る!』
夕焼けが。
少しずつ――夜の色へ変わり始めていた。
空を染めていた茜色も。
いつの間にか。
深い藍色へと溶け始めている。
「…………よし」
俺は黒羽の膝から。
ゆっくりと身体を起こした。
「神田っち?」
「ごめん、黒羽。もう大丈夫だ」
「…………」
黒羽が。
少し心配そうに俺を見る。
正直――。
全然、大丈夫じゃない。
身体中が痛い。
頭もまだズキズキするし。
殴られた頬だって熱を持っている。
けれど。
いつまでも黒羽の膝を借りているわけにもいかない。
それに――。
これ以上ここにいたら。
また泣きそうになる。
「ほんとに?」
「ああ」
俺は笑ってみせる。
「もう平気だって」
「ふ〜ん……」
黒羽は。
疑うように俺の顔を覗き込んでいたが。
やがて――。
「ねぇ、神田っち」
「ん?」
「もうちょっとだけ――」
にこっ。
黒羽が笑った。
「デート、続きしない?」
「…………」
…………はい?
「え!?」
思わず。
声が裏返った。
「今から!?」
「うん」
「いやいやいや!」
俺は。
自分の身体を指差した。
「見ろよ俺!」
頬には絆創膏。
口元にも傷。
服だって。
あちこち汚れてボロボロ。
ちなみに。
いつの間にか。
傷のいくつかにはちゃんと処置までされていた。
おそらく――。
甲斐谷だろう。
冬花たん冬花たん言ってるだけの男じゃなかったらしい。
「こんな傷だらけの変な奴連れてショッピングモール歩いたら――」
俺は。
自分の顔を指差す。
「絶対、変な目で見られるぞ!?」
すると。
黒羽は一秒たりとも悩まず。
「大丈夫大丈夫!」
ぽんっ。
俺の肩を叩いた。
「神田っちは怪我してなくても変な奴だから!」
あっ。なるほど。
「そうか」
「怪我してようが関係ないか」
「そういうこと!」
納得しかけた。
危ない。
「――って、おい!!」
俺の声が響く。
「ふざけんなよ!!」
「あはははっ!」
「フォローしてるように見せかけて、ただ俺のこと馬鹿にしてるだけじゃねぇか!!」
「聞こえな〜い」
黒羽は。
両耳を手で塞ぐ。
「神田っち!」
突然。
黒羽が両耳から手を離した。
そして――。
びしっ!
俺を指差す。
「さっき言ったよね?」
「…………何を?」
「忘れたの?」
「だから何を――」
「お詫びに」
一拍。
黒羽の口元が。
にやり。
と吊り上がった。
「何でもするって」
「…………」
俺は。
頭を抱えた。
「……わ、わかったよ」
「ほんと?」
「行けばいいんだろ! 行けば!」
すると――。
「えへへ」
黒羽が。
満足そうに笑った。
「…………」
その笑顔に。
思わず。
言葉が止まる。
夕焼けの残光が。
黒羽の黒髪を照らしている。
風に揺れる髪。
そこに結ばれた。
赤いシュシュ。
そして。
嬉しそうに細められた瞳。
「…………」
なんだろう。
その顔を見ていると。
さっきまであったはずの。
断りたい気持ちが。
少しずつ。
どうでもよくなっていく。
「…………ったく」
俺は。
小さく息を吐いた。
「もう暗くなるからな」
「うん」
「少しだけだぞ」
すると。
黒羽が。
くすっと笑った。
「神田っち」
「なんだよ」
「親みたいなこと言うね」
「誰が親だ!!」
「あははっ!」
黒羽が。
楽しそうに笑う。
「ほら、神田っち! 行こ!」
「引っ張るなって!」
黒羽に袖を引かれながら。
俺は再び。
ショッピングモールへ向かって歩き出した。
◇
「で?」
ショッピングモールへ戻った俺は。
黒羽の少し後ろを歩いていた。
さっきまで。
羽衣雪音と殺気むき出しで殴り合っていたとは思えないほど。
モールの中は――平和だった。
買い物袋を抱えた家族。
楽しそうに笑うカップル。
友達同士ではしゃぐ学生達。
そんな人混みの中を。
黒羽は。
何やら上機嫌に歩いている。
「なぁ、黒羽」
「ん〜?」
「どこ行くんだよ?」
「ふふ〜ん♪」
「なんだよ、その笑い」
黒羽が。
くるりと振り返った。
「着いてからのお楽しみ〜」
「…………」
絶対。
ろくなことじゃない。
そんな確信だけはある。
「神田っち、早く〜」
「はいはい」
黒羽を追いかけ。
エスカレーターへ乗る。
二階。
さらに上がって――。
その時だった。
ピコピコピコ。
ジャラジャラジャラ。
ドンッ!
「うわぁぁ! 取れたぁ!」
聞き覚えのある。
騒がしい電子音が耳へ飛び込んでくる。
「…………あ」
目の前に広がっていたのは――。
ゲームセンター。
(ゲーセンか!)
思わず。
心の中で拳を握る。
(正直――)
(めっちゃありだ!!)
ゲームセンター。
クレーンゲーム。
メダルゲーム。
音ゲー。
格ゲー。
無数の筐体から。
色とりどりの光が溢れている。
(ここなら――)
俺のホームグラウンド。
(あそこのプリクラ以外なら!!)
(全部俺のテリトリーと言っても過言ではない!!)
さっきまでの警戒心が。
一気に消えた。
「…………ん?」
きゅっ。
俺の袖が。
黒羽に掴まれる。
「お、おい」
「こっち!」
「ちょっ、黒羽!」
黒羽は。
俺の袖を掴んだまま。
ゲームセンターの奥へ。
ずんずん進んでいく。
クレーンゲームを通過。
(…………あれ?)
メダルゲームも通過。
(あれ?)
音ゲーも通過。
(あれ?)
格ゲーも――。
通過。
(あれ?)
俺のテリトリーが。
次々と遠ざかっていく。
「な、なぁ黒羽」
「ん〜?」
「どこまで行くんだ?」
「もう着くよ〜」
「…………」
嫌な予感が。
再び。
急速に膨れ上がる。
そして。
俺達が辿り着いた場所。
そこには――。
「…………嘘だろ?」
巨大な機械。
ピンク。
白。
キラキラ。
周囲には。
楽しそうにはしゃぐ女の子達。
そして。
機械の中央には。
でかでかと書かれていた。
――PHOTO。
俺は。
無言で立ち止まった。
「黒羽」
「ん?」
「まさかとは思うが」
黒羽が。
にこっ。
と笑った。
そして。
プリクラ機を指差す。
「一緒に撮ろ?」
「…………」
終わった。
(ちくしょう!!)
(テリトリー外だ!!)
プリクラ。
それは。
俺の人生とは。
あまりにも縁遠い存在。
(…………正直)
(ちょっと嫌だ)
いや。
プリクラが嫌いなわけじゃない。
ただ。
怖い。
あの。
圧倒的キラキラ空間が。
女子高生達が。
楽しそうにポーズを決め。
写真を撮り。
落書きして。
それをSNSに上げたりする。
そんな。
青春偏差値七十くらいの世界。
対する俺は――。
(…………無理だ)
根本的に。
生息区域が違う。
「いや、黒羽」
俺は。
そっと一歩後ろへ下がる。
「俺はやっぱり――」
「はいはい」
「…………え?」
ぐいっ。
袖を引っ張られる。
「入るよ〜入るよ〜」
カーテンが閉まる。
◇
「えーっと、これにしよっかな〜」
黒羽が。
慣れた手つきで画面を操作していく。
「黒羽、やっぱり慣れてんな」
「さすがスクールカーストNo.1」
「慣れてますね」
「何よそれ」
「そりゃ撮ったことあるし」
「神田っちはないの?」
「いや俺だってあるし!!」
「高校の願書の写真でとったし」
「それ証明写真な?」
「…………」
そして。
撮影ブースへ。
狭い。
近い。
というか――。
(黒羽、近くね?)
肩が。
普通に触れている。
ふわっと。
さっき嗅いだ――いや。
寝ている間に嗅いでいたらしい香りがした。
(…………どうやら俺は匂いフェチみたいだ)
思い出すな。
俺。
『そういう癖』がある奴みたいになるだろ。
『撮影を開始します!』
機械から。
やたら明るい声が流れる。
「ほらほら!」
黒羽が。
俺の肩へ身体を寄せた。
「神田っち、笑って笑って!」
「いや無理だろ!」
「なんで!?」
「笑えって言われて笑えるかよ!」
「じゃあ――」
黒羽が。
悪戯っぽく笑う。
「女の子ぶん殴った記念で!」
「おい!ふざけんな!!」
「どんな記念だよ!!」
「あはははっ!」
パシャッ――!
「あ」
フラッシュが。
俺達を照らした。
「お前! 今の絶対変な顔になっただろ!」
「大丈夫大丈夫!」
「何が!?」
『次の撮影まで――』
画面に。
カウントダウンが表示される。
5。
「ほら神田っち!」
「だから笑えねぇって!」
4。
「…………神田っち」
「ん?」
黒羽の声が。
少しだけ変わった。
3。
俺は。
隣を見る。
黒羽は。
画面ではなく。
俺を見ていた。
2。
「私――」
その顔から。
さっきまでのふざけた笑みが。
少しだけ消える。
「変わるよ」
「…………え?」
1。
黒羽が。
笑った。
今度は。
ふざけた笑顔じゃない。
「過去を断ち切って――」
そして。
まっすぐ前を見る。
「未来に進むよ」
パシャッ――。
白い光が。
俺達を包んだ。
「…………」
一瞬。
何も言えなかった。
黒羽冬花。
羽衣雪音によって。
大切な人を奪われ。
学校にも行けなくなって。
ずっと。
過去に囚われ続けていた少女。
そんな黒羽が。
今。
笑っていた。
「…………そっか」
「出来るよ、黒羽なら」
俺は。
小さく呟いた。
「うん」
黒羽も。
それだけ答えた。
『撮影終了です!』
明るい機械音が。
俺達の間に流れた。
◇
数分後。
「…………ぶっ!」
プリクラを見た黒羽が。
吹き出した。
「神田っち何よこの顔!!」
「うるせぇ!!」
そこには。
満面の笑みを浮かべる黒羽と。
その横で。
ものすごく微妙な表情をしている俺。
「もっと笑えばよかったのに!」
「だから無理だって言っただろ!」
「あははっ!」
黒羽は。
楽しそうに笑いながら。
プリクラを眺めている。
「…………」
そして。
一枚。
俺へ差し出した。
「ほら」
「俺も貰っていいのか?」
「当たり前じゃん」
「二人で撮ったんだから」
「…………そっか」
受け取る。
小さな一枚の写真。
俺と。
黒羽。
たったそれだけの写真なのに。
何故だか。
捨てちゃいけないような気がした。
「ねぇ、神田っち」
「ん?」
黒羽が。
プリクラを見つめながら。
ぽつりと言った。
「今日は、ありがとね」
「…………何が?」
「色々」
黒羽は指折り数えるように。
「一緒に買い物してくれたし」
「水着も選んでくれたし」
「変な相談にも付き合ってくれたし」
「…………」
そして。
プリクラを。
大事そうに両手で持った。
「今日――」
一拍。
「楽しかった」
「…………」
その言葉は。
何でもない。
普通の一言だった。
だけど。
黒羽にとっては。
きっと――。
何でもない言葉じゃない。
過去に囚われて。
ずっと止まっていたこいつが。
今日という一日を。
『楽しかった』
黒羽が。
今日という一日を。
そう言えた。
「…………俺も」
「ん?」
俺は。
少しだけ笑った。
「すげぇ楽しかったよ!!」
「…………!」
黒羽の目が。
僅かに大きくなる。
そして――。
「…………えへへ」
ほんの少しだけ。
照れたように笑った。
「――って!」
突然。
黒羽が俺を指差す。
「何いい感じに締めようとしてんの!」
「…………は?」
「まだお別れじゃないからね!?」
「え?」
「これから私ん家で勉強会でしょ!」
「…………あ」
そうだった。
忘れてた。
「もうみんな待ってるかもしれないんだから!」
そう言って。
黒羽はくるりと背を向ける。
「ほら、神田っち! 行くよ〜!」
「はいはい」
黒羽は。
るんるん、と。
見るからに上機嫌な足取りで。
俺の少し前を歩いていく。
「…………」
本当に。
元気な奴だな。
ついさっきまで。
あんな話をしていたのが嘘みたいだ。
その時だった。
ひらっ――。
「ん?」
黒羽のポケットから。
何かが落ちた。
白い紙。
「おい、黒羽」
「あ?」
「なんか落としたぞ」
俺は。
何気なくそれを拾う。
「…………ん?」
そして。
反射的に。
そこに書かれている文字へ。
視線を落とした。
『12:00 ショッピングモール待ち合わせ』
「…………」
『12:30 水着屋』
その横には。
小さな文字で。
『※下見してたところ』
「…………?」
さらに。
『13:00 予約したお店』
『混んでたら困るから事前に確認!』
『神田っち甘いの苦手だったはず』
『移動時間も考える』
『お金は私が出す』
なんだ。
これ。
まだある。
紙の下まで。
びっしりと。
今日一日の予定が書き込まれている。
そして。
一番最後。
そこだけ。
少し大きな文字で――。
『最後にプリクラで写真撮る!』
「…………」
俺は。
手元のプリクラを見る。
それから。
紙を見る。
もう一度。
プリクラを見る。
「…………っ」
ダメだ。
「ははっ……」
「…………?」
前を歩いていた黒羽が。
振り返った。
「神田っち?」
「ははははは!!」
耐えられなかった。
「ちょっ!?」
腹を抱えて笑う俺を見て。
黒羽が眉を寄せる。
「何!? 急にどうしたの!?」
「いや、お前……!」
「?」
「めちゃくちゃ考えてくれてたんだな」
「すげぇ慣れてると思ったけどさ!」
「…………え?」
黒羽の動きが。
止まった。
その視線が。
ゆっくり。
俺の右手へ。
そして――。
紙を捉えた。
「…………」
黒羽の顔から。
笑顔が消えた。
「…………神田っち」
「ん?」
「それ……」
「落としたぞ」
「…………」
次の瞬間。
黒羽の顔が――。
ぼっ!!
一気に真っ赤になった。
「――ッ!!」
ダッ!!
「うおっ!?」
凄まじい勢いで距離を詰めてきた黒羽が。
俺の手から。
バッ!!
紙を奪い取る。
「み、見た!?」
「見た」
「どこまで!?」
「全部」
「全部!?」
黒羽が。
頭を抱えた。
「最悪ぅぅぅぅ!!」
「いや何がだよ!」
「だって!」
紙を胸元へ隠しながら。
黒羽が俺を睨む。
「こういうのは見せないからいいの!」
「何が?」
「裏でめちゃくちゃ準備してるのとか!」
「…………」
「余裕ある感じで!」
黒羽は。
顔を真っ赤にしたまま。
髪を弄る。
「『あ、なんとなくここ行こっか〜』みたいな感じにしたかったの!」
「…………」
全部。
計画してたのか。
水着屋も。
昼飯も。
さっきのプリクラも。
こいつ。
今日一日のために――。
「…………」
すると。
さっきまで騒いでいた黒羽が。
急に静かになった。
「…………ねぇ」
「ん?」
視線を逸らしたまま。
ぽつり。
「……重たいよね?」
「…………」
「私」
黒羽が。
紙をぎゅっと握る。
「別に……その」
「デート一回するだけなのに」
「こんな予定とか作って」
「お店まで下見して」
「予約して……」
だんだん。
声が小さくなる。
そして。
恐る恐る。
俺を見上げた。
その顔を見た瞬間。
考えるより先に。
本音が口から出た。
「俺――」
黒羽が俺を見る。
俺は。
笑った。
「やっぱり黒羽のこと、嫌いじゃねぇわ!!」
「…………」
数秒。
沈黙。
「…………は?」
黒羽の顔が。
さらに赤くなった。
「な、なによそれ!!」
「いや、そのまんまだけど」
「意味わかんない!」
「なんでだよ!」
「もっと他に言い方あるでしょ!?」
「じゃあ何て言えばいいんだよ!」
「知らないわよ!!」
黒羽は。
真っ赤になった顔を隠すように。
くるりと背を向けた。
「わ、忘れなさい!」
「は?」
「今すぐ!」
「いや無理だろ」
「忘れて!!」
「お前が予定表落としたんだろ!」
「で次どこ行くんだよ?」
「うるさい!!」
「私ちょっとお手洗い!!」
ずんずんと。
黒羽が先へ歩いていく。
俺は。
その背中を見つめた。
黒羽の耳は。
真っ赤だった。




