第22話 推しが我が家に来た日、俺は理性を失った
「え? 姫花、急にどうしたんだ?」
スーパーでぴたりと足を止めた妹が、くるりと振り返り――安城の方をまっすぐに見つめる。
「私、もっと安城さんと仲良くなりたいの。……ダメかな?」
その声は真剣で、それでいてどこか甘えてくるような響きを帯びていた。
――えっ、上目遣い炸裂……!?
子猫のように潤んだ瞳で見上げる妹の一言に、俺は思わず息をのむ。そしてその熱量を帯びた視線は、次の瞬間、こっちへ向けられた。
「ね、お兄ちゃんも……安城さんに来てほしいよね?」
「え? あ、ああ……」
(来て欲しい来て欲しい来て欲しい来て欲しい)
俺は素っ気ない返答と見せかけて、内心では「かなり来てほしい」という本音と建前の狭間を、行ったり来たりしていた。
そんな俺の心の声は――
まるで、そのまま安城に届いてしまったかのような気がした。
ふと安城と目が合い、俺は動揺のあまり、思わず視線を逸らす。
(いや、待て。なんで俺が照れてんだ!? 誘ったのは姫花だろ!?)
……だけど。
目の前には、期待に満ちた妹の笑顔。
その隣には、静かに俺の反応をうかがう、金髪オッドアイの剣姫――安城。
彼女の表情を見ていると、確信とまではいかないが、
なんとなく……押せばいけそうな気がしてくる
俺は察しのいい男なのだ。
「ま、まあ……でも安城も忙しいだろうし。無理は言えねぇよ」
察しだけはいいのだが、彼女いない歴=年齢の俺にとって、女の子に「家に来てほしい」と押すなんて高度な行為はできない。
授業で習っていないことは、できないのだ。
……陰ながら推すことなら、いくらでもできるんだけどな(笑)。
(………上手い事言ってる場合じゃないな)
ふと、俺は思った。
心の中でどれだけ願っても、それは伝わらない。
だったら――不器用でも、言葉にしたほうがいいんじゃないか。
たとえ、それが不恰好だったとしても。
俺はそっと決意し、口を開いた。
「けど……もし予定とかなくて、嫌じゃなかったらさ……
ウチにおいでよ。姫花も喜ぶし……あと、俺も…………」
(…………実際は姫花より、俺の方が大喜びする事になるだろうけどな)
そんな俺の心の声は彼女には筒抜けである。
しばしの沈黙のあと、安城がふっと視線を逸らしながら言った。
「せっかくのお誘いだし、お邪魔するわ」
その瞬間、姫花がぱぁっと顔を輝かせた。
「やったーっ!じゃあ、今日の晩ごはんはカレーね!あ、材料買わなきゃ!」
テンション爆上がりの妹の声につられて、俺も思わず嬉しくなった。
「……よかったな?姫花……」
(えっ!?推しがウチに来るの?
マジで嬉しいマジで嬉しいマジで嬉しいマジで嬉しい)
俺はそんな姫花の喜びを一歩引いて見守っているふりをしながら、内心では大はしゃぎしていた。
そして姫花は、嬉しそうに安城の袖を引っ張る。
「うんっ! じゃあ安城さん、一緒に行こっ!」
「ふふ、うん」
(なんでだろ……姫花ちゃんの笑顔を見てると私も嬉しい気持ちになるわ……)
自然と微笑む安城。
二人は仲良く、スーパーの食品売り場へと向かっていった。
──そのとき、俺はハッとした。
「……すまん!姫花!」
俺は急に立ち止まり、ポケットから財布を取り出しながら振り返る。
「ちょっと……どうしても欲しいものがあるのを思い出した!先に二人で買い物しててくれないか?」
「え? お兄ちゃん、どこ行くの?」
姫花が不思議そうな顔で問いかけてくる。
だが、俺はそれに答えず、ただ叫ぶ。
「あとで合流するって!すぐ戻るから!」
そして、踵を返して全速力で駆け出す。
俺の行き先は、もう決まっていた。
あの店へ。さっきの、白いワンピースの元へ――
(……あれを買わないと、きっと後悔する)
試着室のカーテン越しに見た、あの眩しすぎる姿。
それをただの“記憶”で終わらせるのではなく――
“現実”にしたいと思ってしまった。
──そして、数十分後。
「すまねぇ! 姫花、遅くなった!」
息を切らしながらスーパーに戻った俺の手には、
“あの白いワンピース”の袋と、それを隠すように重ねた俺の私服の袋――
二つが、しっかりと握られていた。
スーパーの前に姿を見つけるなり、
俺は両手を挙げて、勢いよくダッシュで駆け寄った。
「おっそーい! お兄ちゃん何してたの?」
妹・姫花の声が、若干の怒気を含みながら飛んできた。
「いや、それがさ……
自分の服、ちょっと買っててさ。ほら、見てくれ! この“タイムマシンTシャツ”!」
(……さっきの白いワンピースを買いに行ってたなんて言えないな……サプライズってやつだ)
(なんとか……ごまかさないとな?)
ドヤ顔で紙袋から取り出したTシャツを掲げる俺。が、次の瞬間──
「……いや、めっちゃダサいよ?」
……言葉が鋭利すぎる。
妹のキレッキレのツッコミが、俺の自尊心を粉砕した。
「あ、いや、違う! これは偶然通りかかって……というか、むしろ運命的な出会いというか……!」
必死の弁明も虚しく、姫花はもう一つの袋に視線を落とし──何かを悟ったように微笑む。
「あっ、なるほど……にぃに…やるじゃん。」
どうやら俺の安城へのサプライズは、一瞬で見破られていたらしい。
さすが、察しのいい俺の妹だ。
そんなことを考えていると、ふと――安城の姿が見当たらないことに気づく。
胸の奥が、ひやりとした。
(……まさか、用事ができて帰ったとか……?)
嫌な想像が頭をよぎり、不安に駆られながら、俺は口を開いた。
「…………安城は、どこ行ったんだ?」
「ここよ?」
ちょうど両手に袋を抱えた安城が、レジのほうから現れた。
思わず息をつく俺の前で、彼女は何でもないことのように立っている。
俺は慌ててその荷物を受け取り、
三人――俺と安城と姫花は、並んで店を後にした。
そしてそのまま、連れ立って我が家へと向かう。
「………お邪魔します」
玄関先で、控えめにそう告げたのは――
金髪オッドアイの剣姫、安城恵梨香だった。
推しが、家に遊びに来る。
それだけで、この家では前代未聞、最大級の“奇跡”が発生していた。
(ま、待て……推しが俺の家に………!?)
(……夢じゃないよな?)
俺は右手で自分の頬をつまみ、ここが現実だと確認した。
痛い。間違いない。
その横で、姫花は相変わらずのマイペースで靴を脱ぎ、
そのまま安城の手を引いて、リビングへと向かっていく。
「安城さん、遠慮しないでね〜♪」
──この日、推しが家に来たことを、俺は一生忘れない。
「ねぇ安城さん、この前言ってた料理……教えてほしいの!」
キッチンでエプロンを結びながら、姫花が笑顔で振り返る。安城は少しだけ驚いたように瞬きをして、ふっと表情をやわらげる。
「ええ、いいわよ。今日は……カレーでしょ? 隠し味にインスタントコーヒーを少しだけ入れると、コクが出るの」
ちょっぴり得意げに話す安城が、ただただ尊い。
(むしろインスタントコーヒーより推しが夕飯を作ってくれる方がよっぽど隠し味だわな?)
(………いや…むしろ隠れてないのか……もはやカレーよりメインというか……)
馬鹿な俺は口元に手を当て、必死に熟考していた。
そして――そんな馬鹿な考えは、どうやら安城にも届いてしまったらしい。
(……馬鹿じゃないの?)
だが、そんな俺の葛藤など気にも留めず、
姫花は何事もなかったかのように話を続けた。
「えっ、コーヒー!? 意外〜! すごい、安城さん料理できるんだ〜!」
「……剣道部の合宿で、嫌でも覚えたのよ」
二人のやり取りは、まるで姉妹――いや、もう家族のようで、
ほんわかとした空気が、家の中をやさしく包み込んでいた。
(……待て、待て待て待て)
俺はリビングの食卓の席から、その光景を静かに見守りながら、
思わず心の中でガッツポーズを決めていた。
(推しと妹が、キッチンで並んで料理してる……。これが“家族”ってやつか……)
もし、もしも安城が俺の嫁だったら──
こんな風景が、毎日、俺の目の前に広がるのかもしれない。
(やばい……未来の俺、幸せすぎる。これはもう、神に感謝しても足りんやつ……!)
当然、そんな熱を帯びた俺の心の声にも、安城はびくんと反応し、こちらを見て言った。
「……なにニヤニヤしてるのよ、変態」
(ばっかじゃないの?嫁ってそれじゃまるで……)
安城は少し頬を赤らめ、
そのせいか、具材を切る手元がわずかに早くなっていた。
そして――
ふわりと、スパイスの香りが部屋いっぱいに広がっていく。
「……できた」
木べらを置いて、安城がそっとつぶやいた。
たったカレーが完成しただけ。
それなのに、なんだろう……この“あたたかい空気”。
(……やべぇ、推しが作ってくれた料理。泣きそう)
そう思いながら、スプーンを口に運んだ。
「うっ……うまっ!!」
口の中に広がるスパイスの香りと、深みのあるコク。まるでレトルトとは次元が違う、これは……プロの味。
「美味すぎんだろ……マジでお店の味だぞ、これ!」
「……当然よ」
照れたように顔をそらして、小さくつぶやく安城。その表情が、やけに可愛く見えてしまった。
安城は一瞬だけ間を置き、さっきまでの空気を断ち切るように、真剣な表情で俺に言った。
「……あなた、やっぱり剣道の才能あるわ。昔、何かやってたの?」
おそらく、先日の剣道対決の一件だろう。
俺は少しだけ間を置いて、答える。
「いや、特には。でも……ウチの親父が格闘家でさ。子どもの頃から“男は強くなれ”って、よく叩き込まれてたんだよな」
その言葉に、安城はなにか思うところがあるように静かにうなずいた。
「へぇ……」
「お兄ちゃん、めちゃくちゃ練習してたもんね〜」
姫花がスプーンをくるくる回しながら、くすっと笑う。
「……もしかして、姫花を守るためだった? なーんて♪」
冗談交じりのその言葉に、俺は一瞬スプーンを止め──
「当たり前だろ。
俺はもう、姫花をあんな怖い思いはさせないからな」
軽く、笑顔で心からの本音でそう答えた。
そして俺は、姫花の髪をわしゃわしゃと撫でる。
姫花は顔を真っ赤にして、俯いてしまった。
(あの時から、俺は姫花を守ると決めたんだ)
――その本音の“声”が、すぐ隣の席の安城にだけ、確かに届いた。
しばらくして、空になった皿を見つめながら、安城が口を開いた。
「……そろそろ帰ろうかしら」
「……ちょっと待って」
食器を片付けようと立ち上がった俺――神田ゆういちは、ポケットから小さな包みを取り出す。
「これ……安城に。プレゼント」
「えっ?」
安城恵梨香が、思わず目を見開いた。
あの凛とした彼女が――
“キョトン”とした表情を浮かべるのを、俺は初めて見たかもしれない。
(もしかして……意外すぎた?サプライズ成功?)
俺は心の中でガッツポーズを決めた。
心が読める“超人”みたいな彼女に、俺みたいな凡人がサプライズを成功させたのかもしれない。
「……安城、開けてみてよ?」
「え、う、うん……何かしら?」
安城はおそるおそる包装をほどく。
ふわりと広がったのは――白い布。
「……えっ!これ…」
それは、昼間に安城が試着していた、白いワンピースだった。
「……ど、どうしてこれが……?」
「……すげぇ似合ってたから。……買っといたんだ!」
俺は、照れながらもまっすぐに答えた。
その瞬間、安城の目がぱちぱちと揺れて――
「もう……バカなんじゃないの?」
「でも……ありがとう。人生でサプライズなんて経験できると思わなかったわ」
「いや、それは大袈裟だろ?」
顔を真っ赤に染めて、ぎゅっと袋を抱きしめる。
でもその呟きは、どこかうれしそうで。
俺の胸の奥も、じんわりと温かくなった。
そんな幸せな空気を引き裂いたのは――
バシャアァァァアアアアアアアアアア!!!
「うわっ!? なにこれ……!」
外から聞こえてきた、バケツをひっくり返したような轟音。カーテンを開けた俺の目に飛び込んできたのは、視界ゼロのゲリラ豪雨だった。
「……傘、持ってきてないわ」
静かにそう言う安城。あの冷静沈着な彼女ですら、“想定外”の顔をしている。
「これは……マジで帰れないやつだな。あと普通に危ない」
「タクシーも、こんな天気じゃ来ないかもしれないわね……」
沈黙が落ちる。
そしてその静けさを爆破したのは――
「じゃあ、安城さん泊まっていけばいいよっ♪」
「…………え?」
姫花の発言で時が完全に止まった。そして、俺と安城が同時にフリーズ。
「お兄ちゃんもそれでいいよね? 女の子をこんな雨の中帰らせるわけにいかないし」
姫花は無邪気な笑顔で、最高の提案をしてくる。
(………推しとお泊まりだと!?ラブコメ漫画でもその展開は早いんじゃないのか……)
俺はまた手を口に当て、しばらく考え込んでいた。
すると、安城恵梨香が静かに口を開く。
「……たしかに、この雨じゃ帰れそうにないわね。
じゃあ……ご迷惑でなければ、泊めてもらってもいいかしら?」
心の中で俺は思いっきりガッツポーズ。
(よっしゃああああああ!!)
けど当然、そんなテンションを外に出せるわけもなく――
「い、いいよ! えっと、布団は俺の部屋にあるし、姫花の部屋もあるし! な、なにか必要なものあれば言ってくれよな!」
安城は少しだけ目を丸くして、それからふっと笑った。
「……ありがとう、神田くん」
その声は、降り続く雨の音に紛れて、胸の奥にすっと染み込んできた。
そして――
俺はこの日、生まれて初めて、雨が降ってよかったと思った。




