第23話 推しと同じベッドで迎えた夜
「おいおい……一体どうなってるんだ?」
――人生で一番、心臓に悪い夜が来た。
理由?
聞かなくてもわかるだろ。
なぜなら今――
俺のベッドの上で、俺のすぐ隣に。
安城恵梨香(推し)が、
当たり前みたいな顔で添い寝している。
……いや、ちょっと待て。
状況どうなってんの!?
心臓は暴走。鼓動はもはや打撃音。
顔面は熱暴走を起こし、耳まで真っ赤。
一方で本人はというと――
「……すぅ……すぅ……」
規則正しい寝息を立てて、
まるで最初からここが自分の定位置だったかのように、
何事もなかった顔で夢の世界へダイブ中。
……いやいやいや。
これ、夢だよな?
幻覚? 集団幻覚?
それとも――異世界転生の前兆か?
少なくとも一つだけ、はっきりしている。
俺の心臓は、今夜を越えられる気がしない。
──話は、少し遡る。
安城が俺の家から帰ろうとした、そのタイミングで。
まるで見計らったかのように、突然の豪雨が俺たちを襲った。
さすがにこの雨の中を帰るのは無理、という結論になり、
安城は――我が家に泊まることになったのだ。
「……家に連絡しなくて、大丈夫なのか?」
俺がそう聞くと、
安城は相変わらず涼しい顔で答える。
「大丈夫。一人暮らしだから。問題ないわ」
その一言に、隣の姫花が目を輝かせた。
「ひ、一人暮らし!?
すごい……大人っぽいっ!」
「いやいや……でも女の子一人ってのはさ、なんというか……」
言いかけて、俺は一瞬言葉に詰まる。
「……か弱いし――」
(……いや。
か弱くは、ないか?)
その瞬間だった。
安城から、
ギロリと刺すような視線が飛んでくる。
(……あれ?)
背筋が、ひやっとした。
(ばれてる?
……いや、そんなわけないよな?)
誤魔化すように、俺は話題を変える。
「そ、そういえば……服とか、大丈夫なのか?」
安城は淡々と答えた。
「今日、買い物で下着はいろいろ買ったから大丈夫よ」
一拍置いて、少しだけ視線を逸らす。
「……でも、上に着る服が……」
そこまで言った瞬間。
「大丈夫だよ!」
姫花が、満面の笑みで割り込んできた。
「にぃにの服、貸してあげるから!」
「……は?」
俺の思考が、一瞬止まる。
俺の服を――
推しが、着る?
(……ちょっと待て)
(それ、心臓に悪すぎないか……?)
その後、姫花がにこにこと笑いながら言った。
「じゃあ私、安城さんと一緒にお風呂入ってくるね〜♪」
そう言うが早いか、
姫花は安城の手を引っ張って、脱衣所のほうへ向かっていく。
「ちょ、ちょっと姫花――」
安城は軽く抵抗するそぶりを見せつつも、
結局そのまま連れていかれてしまった。
──そして、残された俺。
正直に言おう。
……覗きたい。
いや、誤解しないでほしい。
俺はただの健全な高校生だ。
思春期真っ盛りの、どこにでもいる男子高校生である。
だからこそ――
うっかりドアが開いてしまうとか、
偶然タオルを落とすとか、
そういうラブコメ的事故を、反射的に想像してしまうのは――
不可抗力だと思う。
(……いや、ダメだダメだダメだ!)
俺は我に返り、
ぶんぶんと首を横に振った。
(最低だろ俺!
推しをそんな目で見るな!
俺は紳士! 理性の塊!)
そうやって必死に自分を戒めていると――
不意に、視線を感じた。
顔を上げると、
廊下の向こうに立つ安城が、じっとこちらを見ている。
……なんで?
その目は、
どこか疑うような、
そして微妙に呆れたような――ジト目だった。
「……どうしたんだ? 安城」
思わず、そう声をかける。
安城は一瞬だけ視線を逸らし、
いつもの涼しい声で答えた。
「別に。なんでもないわ」
(……覗いたりしたら許さないんだから)
そう言いながらも、
その目はほんの一瞬だけ、俺を刺すように細められていた。
(……気のせい、だよな?)
なぜか胸の奥が、ちくりと痛んだ。
それから間もなくして、
二人がお風呂から上がってきた。
濡れた髪をタオルで拭きながら、
姫花が棚の奥をごそごそと探る。
「そうだ! お隣さんからチョコもらったんだ〜」
そう言って取り出したのは、
ちょっと大人向けっぽい包装のチョコレート。
「安城さん、甘いの好き?」
その瞬間だった。
安城の肩が、ぴくりと反応する。
(……知ってるぞ)
(俺の推しは、甘いものに目がない)
開封されたチョコは、
香りだけで分かるくらい、しっかり甘そうだった。
俺は一口かじって――即、ギブアップ。
「……あまっ。これ、寝る前に食うもんじゃねぇ」
だが。
「……おいしいわね、これ」
そう言って、安城は平然と二口目。
もぐもぐ。
無表情のまま、
次々とチョコを口に運んでいく。
止まらない手。
止まらない咀嚼。
その光景を見ながら、
俺は自然と、そんなことを考えていた。
(……可愛い)
(俺はもう、見てるだけで十分だわ)
――その瞬間。
「ゴホッ……!」
安城が、思いきりむせた。
「どうした? 安城、大丈夫か!?」
「……っ、へ、平気よ」
そう言いながら、
安城はどこか睨むように、じっとこちらを見る。
(……もう……また可愛いって言った)
――そんな感情が、
視線の奥にほんの一瞬だけ滲んだ気がした。
それから程なくして、
それぞれが自分の寝室へ向かった。
俺も自分の部屋に戻り、
布団に潜り込む。
(……推しが、同じ屋根の下にいる……!)
それだけで、
心拍数が限界突破する。
布団の中で、
天井を見つめながら深呼吸。
(無理だ)
(これは無理だ)
(絶対に寝れない)
目を閉じても、
さっきの笑顔とか、声とか、仕草とかが
勝手に再生される。
(……人生で一番、心臓に悪い夜だろ……)
そう思った――はずだった。
──だが。
次に意識が戻ったとき、
俺はすでに夢の中に落ちていた。
♢♢♢♢
――安城視点
「……お手洗い、行きたい……」
ぼんやりとした意識のまま、
私はふらふらと上半身を起こす。
まだ半分、夢の中。
身体だけが、勝手に動いている感覚。
部屋を出て、廊下へ。
……けれど。
(……あれ?)
数歩進んだところで、
いつもと違う違和感が、胸の奥をかすめた。
壁の感触。
床の軋み。
空気の匂い。
――数秒遅れて、思い出す。
(……そうだった。ここ、神田くんの家……)
眠気で朦朧としながらも、
状況だけは、なんとなく理解する。
「……電気……」
壁を探って、スイッチを押す。
カチ。
……反応なし。
もう一度。
カチ、カチ。
(……つかない……?)
どうやら電球が切れているらしい。
(……まあ、いいわ……)
今さら完全に目を覚ます気力もなく、
私は感覚だけを頼りに歩き続ける。
無事にお手洗いを済ませ、
そのまま――部屋に戻ろうとした、そのとき。
光を浴びなかったせいか、
意識はまた、ふわりと沈み始めていた。
(……眠い……)
この時の私は、
もう“神田くんの家に泊まっている”という事実を、
すっかり忘れてしまっていた。
自分の家だと錯覚したまま、
いつも通りの間取り、
いつも通りのルートで、部屋へ向かう。
――まさか。
その部屋が、
彼の部屋だなんて、気づきもしないまま。
するり、とドアを開ける。
暗い部屋。
静かな空気。
規則正しい寝息。
(……あ、ここね……)
何の疑いもなく、
私は布団をめくり――
そのまま、するりと滑り込んだ。
(……あったかい……)
無意識に身を丸め、
安心したように息を吐く。
(……おやすみなさい……)
そして私は、
そのまま再び、深い眠りへと落ちていった。
♢♢♢
神田ゆういち視点
「まてぇぇええ! ダブルミックスゥ!」
夢の中で、巨大なソフトクリームを必死に追いかける俺。
――ガサッ
寝返りを打った、その先。
ふわっと柔らかくて、
あったかくて、
それでいて、やたらいい匂いのする“何か”に触れた。
(……え? なにこれ?
ソフトクリームにしては、あったかすぎないか?)
意識が浮上するにつれて、
状況と一緒に、心拍数も一気に跳ね上がる。
……嫌な予感。
パッと目を開けた瞬間――
そこにいた。
俺の推し。
安城恵梨香。
……安城ぉぉぉおおおおお!!???」
魂が、音を立てて悲鳴を上げた。
(なに!?
どうして!?
マジで!?
え!?
これは!?
やばいやばいやばいやばい!!)
――その瞬間。
隣で眠っていた安城が、
ほんのわずかに眉をひそめた……気がした。
(……いや、気のせいだよな?)
胸の奥に、
説明できない不安だけが、じわっと広がる。
「……ん……」
不意に、かすかな声。
思わず、息を止める。
安城は目を閉じたままだった。
規則正しい寝息も、たぶん……変わっていない。
(……な、なんで安城が俺のベッドにいるんだ?)
そう思った時には、もう遅かった。
安城は、
きゅっと唇を噛みしめているようにも見えた。
……いや、そう見えただけかもしれない。
その横顔は、
静かな夜の中で、あまりにも綺麗で。
まるで童話に出てくるお姫様みたいで――
俺は、完全に息の仕方を忘れていた。




