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隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
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第217話 神田ゆういちvs羽衣雪音――力を貸してくれ

爪が掌へ食い込み、じわりと血が滲む。


それでも。


そんな痛みは、どうでもよかった。


「お前だけは――」


胸の奥で燃え続ける怒りを、そのまま言葉へ乗せる。


「俺は……絶対に許さない!」


羽衣雪音へ、剥き出しの殺意を叩きつける。


その瞬間。


ふいに、ついさっき黒羽へ言った言葉が頭をよぎった。


『……だから俺は、復讐することをやめたよ』


『俺さ、やっぱりみんなと仲良くしたいんだよ』


『人を恨み続けるのって、どうも性に合わないみたいで』


今の俺は。


その言葉を、自分自身で否定している。


あれだけ偉そうに。


復讐なんてやめた。


恨み続けても仕方がない。


そう言ったばかりなのに。


(……黒羽に、謝らないとな)


(あんなに息巻いてたくせに)


(今の俺、真逆じゃねぇか)


でも。


その瞬間――。


脳裏に。


姫花の笑顔が浮かんだ。


『にぃに、大好きだよ』


いつものように。


屈託のない笑顔で。


『ずっと姫花を守ってね』


そう言って。


俺の腕に抱きついてきた、小さな妹。


あの明るい笑顔。


俺を見る時だけは。


何の疑いもなく。


何の恐怖もなく。


ただ純粋に笑ってくれる。


その笑顔を――。


目の前の女は。


一度、壊した。


姫花の心に。


消えない傷を刻み込んだ。


「…………っ」


奥歯を強く噛み締める。


無理だ。


やっぱり。


こいつだけは――。


どうしても許せない。


俺は地面を蹴った。


「羽衣ッ!!」


一直線に。


全力で。


羽衣雪音へ向かって走り出す。


拳を振り抜く。


そして――。


バシィンッ!!


「――ッ!」


俺の拳と。


羽衣雪音の拳が。


真正面から激突した。


瞬間。


凄まじい衝撃が腕を駆け抜ける。


「ぐっ……!」


骨が悲鳴を上げる。


手首から肘まで、痺れるような痛みが走った。


なんなんだ。


この力。


あんな細い腕から出ているとは思えない。


常軌を逸している。


それでも。


俺は止まらなかった。


右。


左。


また右。


何度でも拳を振るう。


バシッ!!


バシィンッ!!


そのたびに。


羽衣も俺へ拳をぶつけてくる。


拳と拳。


互いの怒りを。


意地を。


真正面から叩きつけるみたいに。


「あれから!!」


俺は叫んだ。


「姫花は!!」


「誰かと過ごす時だって!!」


「ずっと心のどこかで怖がってんだよ!!」


羽衣の拳が俺の拳を弾く。


それでも。


俺は一歩踏み込む。


「また虐められるかもしれない!」


「また仲間外れにされるかもしれない!」


「今は笑ってくれてる相手も!」


「いつか自分を嫌いになるかもしれないって!!」


拳を振るうたび。


姫花の顔が浮かぶ。


明るく笑う顔。


何も気にしていないように振る舞う顔。


でも俺は知っている。


あいつが時々。


相手の顔色を窺うことを。


笑い声が聞こえただけで。


ほんの一瞬。


自分のことを笑われたんじゃないかと不安そうな顔をすることを。


「あいつは今でも!!」


「人と仲良くなるたびに怖がってんだよ!!」


「また裏切られるんじゃないかって!!」


「また自分だけ置いていかれるんじゃないかって!!」


声が震える。


怒りだけじゃない。


悔しかった。


俺がどれだけ傍にいても。


どれだけ守ると言っても。


あの日。


姫花の心へ刻まれた傷だけは。


完全には消してやれなかった。


「それでもあいつは!!」


「俺の前じゃ笑ってんだよ!!」


「俺に心配かけないように!!」


「何もなかったみたいに!!」


「明るく笑ってんだよ!!」


喉が焼ける。


息が苦しい。


拳も。


もうまともに握れないくらい痛い。


それでも。


怒りだけは。


少しも消えない。


「そんな姫花を――!!」


「地獄に落として!!」


「他人を苦しめることを!!」


「ゲームだの!!」


「ガチャだの!!」


そして――。


俺は真正面から。


ありったけの力を込めて拳を振り抜いた。


「そんなふざけた言葉で片づけるお前を――!!」


ドォンッ!!


拳と拳が。


今までで一番強くぶつかり合う。


衝撃で。


一瞬。


腕の感覚が消えた。


それでも。


俺は羽衣雪音から目を逸らさない。


灰色の瞳を。


真正面から睨みつける。


そして。


腹の底から。


叫んだ。


「俺は――絶対に許さない!!」


俺がどれだけ怒りをぶつけても。


拳がぶつかるたびに血が滲んでも。


羽衣雪音は、まるでこの状況そのものを楽しんでいるかのように。


「……ふふ」


灰色の瞳が、愉快そうに細められる。


そして。


「神田君」


羽衣は俺の拳を軽く弾きながら、口元を歪めた。


「さっきから――」


一拍置いて。


「ペラペラとうるさいよ」


その一言で。


胸の奥に燻っていた怒りが、さらに燃え上がった。


「お前は……」


俺は羽衣を睨みつける。


「俺達と同じ人間じゃない」


「…………」


「少なくとも――」


拳を強く握り締める。


「赤い血なんか、通ってねぇよ」


俺の言葉を聞いて。


羽衣は、一瞬だけ目を細めた。


けれど。


すぐに――。


「ふふっ」


挑発するように笑う。


「じゃあ――」


羽衣は両腕をだらりと下ろした。


まるで。


俺に殴れと言わんばかりに。


「神田君の拳で、確認してみればいいじゃない」


「…………あ?」


「私にも――」


自身の胸元へ指先を当てる。


「君と同じ、赤い血が流れているのか」


「――ッ!!」


考えるより先に。


拳へ力が入った。


「羽衣ッ!!」


地面を踏み込み。


渾身の右拳を――。


羽衣の顔面へ叩き込む。


――はずだった。


「…………!」


スッ――。


羽衣の顔が。


視界から消える。


俺の拳は。


虚しく空を切った。


「なっ――」


次の瞬間。


ガシッ!!


「――っ!?」


伸び切った俺の腕を、羽衣の細い手が掴んだ。


まずい。


そう思った時には――。


遅かった。


そして。


「……ッ!!」


身体が。


ふわりと宙へ浮く。


視界が。


ぐるん――と回転した。


「な――」


羽衣は俺の勢いを殺すどころか。


そのまま利用して。


腰を落とし。


俺の身体を一気に担ぎ上げる。


次の瞬間。


ドゴォォンッ!!


「ぐはっ!!」


背中から。


地面へ叩きつけられた。


肺の中の空気が。


一瞬で全部吐き出される。


「がっ……は……!」


呼吸が。


できない。


背中から。


全身へ。


遅れて激痛が駆け抜けた。


視界が白く瞬く。


(……なんだよ……)


(こいつ……!)


(柔道もできるのかよ……)


ただ強いだけじゃない。


俺が怒れば怒るほど。


拳へ力を込めれば込めるほど。


羽衣雪音は――。


その全部を。


俺自身へ返してくる。


地面へ倒れた俺を見下ろしながら。


羽衣は灰色の髪をさらりと揺らす。


そして。


相変わらず。


楽しそうに――笑っていた。


地面に叩きつけられたまま。


俺は、ぼんやりと周囲を見渡した。


「…………」


さっきまで。


あれだけ熱狂していたはずの人間達が。


今は――。


誰一人として声を上げていない。


怒鳴りもしない。


騒ぎもしない。


ただ。


虚ろな目で。


無表情のまま。


俺と羽衣雪音の喧嘩を眺めていた。


まるで。


ここで起きていることなんて。


最初から全部、どうでもいいみたいに。


(……完全に)


(羽衣に支配されてやがる)


羽衣雪音に。


思考も。


感情も。


疑問すらも。


全部。


こんな異常な状況なのに。


誰も。


「おかしい」とすら思っていない。


その光景が。


どうしようもなく気味悪かった。


やがて。


羽衣雪音が。


地面に転がる俺を、じっと見下ろす。


灰色の瞳。


その奥には。


相変わらず余裕があった。


「……もう、勝負ありね」


淡々と。


まるで。


結果なんて最初から分かっていたかのように言う。


「結局――」


口元が、わずかに吊り上がる。


「一撃も、私に食らわせられなかったね」


「…………っ」


悔しい。


反論したい。


けれど。


声すら。


まともに出ない。


そんな俺を見下ろしながら。


羽衣は続けた。


「ねぇ、神田君」


一拍。


そして。


あまりにも冷たく。


言い切る。


「弱い奴は――」


「何も守れないよ?」


その言葉が。


胸の奥へ。


深く。


突き刺さった。


守れない。


姫花を。


大切な人を。


何も。


「…………くそ」


身体を動かそうとする。


けれど。


指先すら。


まともに言うことを聞かない。


腕も。


脚も。


まるで。


自分の身体じゃないみたいだった。


「……もう終わりね」


羽衣は。


それだけ言うと。


俺から興味を失ったかのように。


ゆっくりと背を向けた。


そのまま。


数歩。


俺から離れていく。


そして。


ポケットからスマートフォンを取り出した。


画面を操作して。


誰かへ電話をかける。


「もしもし、××さん?」


その声が。


少しずつ。


遠ざかっていく。


「…………」


ああ。


もう。


ダメだ。


そう。


思った。


俺は。


負けた。


何もできなかった。


一発すら。


届かなかった。


でも。


諦めたくない。


こんなところで。


終わりたくない。


(立て)


何度だって。


立ち上がってやる。


そう思って。


俺は。


ゆっくりと。


地面へ手をついた。


「…………ぐっ」


力を込める。


腕が。


震える。


身体を。


持ち上げようとする。


「…………っ」


けれど。


上がらない。


何度やっても。


身体が。


言うことを聞かない。


「……ちくしょう」


声が。


かすれる。


「ちくしょう……!」


悔しい。


悔しくて。


どうしようもない。


(姫花……)


脳裏に。


妹の顔が浮かぶ。


あの。


無邪気な笑顔。


俺を信じ切っている顔。


『にぃに、大好きだよ』


『ずっと姫花を守ってね』


「…………ごめん」


喉が。


震えた。


「姫花……」


情けない。


何が。


兄貴だ。


何が。


守るだ。


「お兄ちゃん……」


唇を噛み締める。


「姫花を酷い目に遭わせた奴に……」


声が。


どんどん弱くなる。


「何も……できなかった」


その瞬間。


視界が。


滲んだ。


ぽたり。


涙が。


一滴。


頬を伝って。


そのまま。


俺の手元へ落ちる。


――銀色の指輪。


相棒から渡された。


あの。


妙に重たい指輪へ。


涙が。


触れた。


その瞬間――。


「…………え?」


カッ――!!


銀色だった指輪が。


突然。


赤く。


眩い光を放った。


「なっ……」


弱々しかったはずの光が。


脈打つように。


どんどん。


強くなっていく。


ドクン。


ドクン。


まるで。


誰かの心臓みたいに。


赤く。


赤く。


輝いていく。


そして。


その光を見た瞬間。


頭の中に。


相棒の言葉が蘇った。


『その指輪は――』


『救済した人間の能力を使える装置だ』


『他人の“苦しみ”と“人生”を――』


『借りることができる』


救済した人間。


その言葉に。


一人の男の顔が浮かぶ。


真田蓮也。


俺の親友で。


本気で殴り合った。


それでも。


最後には。


もう一度。


手を取り合った。


蓮也の力。


他人の苦しみを。


分かち合う力。


俺は。


ゆっくりと。


目を閉じた。


身体は。


まだ。


動かない。


痛みも。


消えていない。


それでも。


胸の奥で。


何かが。


確かに。


燃え始めていた。


(蓮也……)


赤く輝く指輪を。


ぎゅっと。


握り締める。


(頼む)


そして。


心の底から。


願った。


(……力を貸してくれ)


俺は、ゆっくりと瞼を閉じた。


暗闇の中。


胸の奥に溜まっていた感情だけが、嫌になるほど鮮明になる。


姫花の笑顔。


怯えた顔。


それでも何もなかったように笑おうとする姿。


そして。


その全部を壊した――羽衣雪音。


(頼む……)


拳を握る。


(蓮也)


(大切な人を傷つけられる苦しみを――)


胸の奥が、焼けるように熱くなる。


(あいつに……ぶつけさせてくれ!!)


その瞬間。


指輪が。


ドクン――と。


心臓のように脈打った。


「…………っ」


身体の奥へ。


何かが流れ込んでくる。


熱い。


重い。


苦しい。


まるで。


自分のものじゃない感情まで。


無理やり胸の中へ押し込まれてくるような感覚。


それでも。


俺は。


ゆっくりと――瞳を開いた。


その瞬間だった。


「…………」


視界が。


赤く滲んだ。


頬を。


熱いものが伝っていく。


ぽたり。


ぽたり。


地面へ落ちる。


――赤い涙。


「…………」


俺の視線が。


波動のように一直線に。


羽衣雪音を捉えた。


その瞬間。


「――っ!?」


羽衣の身体が。


びくん、と大きく震えた。


「くっ……!」


頭を押さえる。


「な……に……」


さっきまで。


あれだけ余裕そうに笑っていた顔が。


一瞬で歪む。


「何よ……これ……」


呼吸が乱れる。


「苦しい……!」


カラン――。


その手から。


スマートフォンが滑り落ちた。


地面へ転がる音が。


妙に大きく響く。


「…………一体何が起こって……」


羽衣が。


頭を押さえたまま。


膝を僅かに折る。


そして。


次の瞬間。


その灰色の瞳から。


赤い雫が――。


ぽたり。


こぼれ落ちた。


「…………え?」


羽衣自身が。


一番驚いていた。


頬へ触れる。


指先についた赤い液体を見て。


目を見開く。


「これって……」


声が。


震える。


「A+の……!?」


羽衣が。


ゆっくりと俺を見る。


そこにあったのは。


初めて見る顔だった。


余裕でも。


嘲笑でもない。


純粋な――困惑。


「どうして……」


「どうして神田君が……」


俺は。


何も答えなかった。


答える余裕なんて。


なかった。


俺自身も。


今。


胸の中を。


あり得ないほどの嫌悪感が駆け巡っていたから。


それでも。


俺は。


ゆっくりと。


地面へ手をついた。


震える腕へ。


力を込める。


一度。


膝を立てる。


そして――。


立ち上がる。


「…………くっ」


羽衣の目が。


さらに見開かれる。


俺は。


一歩。


前へ出た。


脚が震える。


身体中が痛い。


それでも。


もう一歩。


羽衣雪音へ。


近づく。


呼吸を整える。


拳を。


ゆっくりと握る。


そして。


一歩。


また一歩。


距離を詰める。


やがて。


歩みは。


走りへ変わった。


「羽衣ッ!!」


地面を蹴る。


一直線に。


羽衣雪音へ。


俺は。


拳を――。


大きく振りかぶった。


「――ッ!」


羽衣の灰色の瞳が、大きく見開かれる。


さっきまで浮かんでいた余裕が。


初めて――消えた。

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