第214話 本郷愛理vs片倉遥輝――決着
ドカンッ!!
激しい衝撃音が、目の前で弾けた。
一瞬。
片倉が投げつけた鉄の棒が、そのまま私の身体へ叩き込まれた。
そう思った。
怖くて。
反射的に目を強く閉じる。
身体を縮こませる。
痛い。
きっと、すごく痛い。
そう覚悟した。
けれど――。
「……え?」
痛くない。
どこも。
何も。
私は恐る恐る、ゆっくりと目を開いた。
最初に視界へ飛び込んできたのは。
綺麗な――ピンク色の髪だった。
「……お姉ちゃん……?」
目の前に。
あの少女がいた。
私を庇うように身体を寄せ。
自分の身体を盾にするようにして。
強く。
私を抱き締めている。
そして。
その左肘が――。
赤く腫れ上がっていた。
「…………っ」
その瞬間。
私は。
何が起きたのかを理解した。
この人が。
私の代わりに。
鉄の棒を受けたんだ。
それも――。
ただでさえ怪我をしている身体で。
「お、お姉ちゃん……」
声が震える。
「わ、私のせいで……」
胸が。
ぎゅっと締めつけられる。
私がここにいたから。
私が狙われたから。
私が――。
この人を巻き込んだから。
怪我を。
させてしまった。
そう思った。
けれど。
彼女は。
いつものように。
にっと。
悪戯っぽく笑った。
「にしし♡」
そして。
何事もなかったみたいに。
私へ優しく声をかける。
「姫花ちゃん、大丈夫?」
その顔には。
痛みなんて。
まるで存在していないみたいだった。
左肘は。
明らかに腫れている。
きっと。
痛いはずなのに。
それなのに。
彼女は。
私のことしか見ていなかった。
「……ごめんなさい」
気づけば。
声が零れていた。
「ごめんなさい……」
涙が。
ぽろり。
頬を伝う。
「私のせいで……」
「私がいたから……」
「お姉ちゃんが……」
それ以上。
言葉が続かなかった。
すると。
彼女は。
少しだけ。
困ったように笑った。
「なんで姫花ちゃんが謝るの?」
「……え?」
「姫花ちゃんは」
優しい声。
「何も悪くないよ?」
「姫花ちゃんは、被害者なんだから」
その言葉が。
胸の奥へ。
ゆっくりと。
沈んでいく。
涙が。
止まらなくなった。
昔から。
そうだった。
にぃにに守ってもらって。
誰かに助けてもらって。
自分一人じゃ。
何もできなくて。
いつも。
誰かの背中に隠れてばかりで。
(……私、本当に守ってもらってばかり)
そんな自分が。
情けなくて。
悔しくて。
どうしようもなくて。
「……お姉ちゃん」
私は。
涙を拭うこともできないまま。
彼女を見上げた。
そして。
震える声で。
言った。
「……ありがとう」
その瞬間だった。
彼女の顔から。
さっきまでの悪戯っぽい笑みが。
ふっと消えた。
真剣な表情。
静かな瞳。
彼女は。
私を見つめる。
そして。
ぽつりと。
言った。
「姫花ちゃん……」
「私なんかに」
少しだけ。
苦しそうな声で。
「礼を言っちゃダメだよ」
「……え?」
思わず。
目を瞬かせる。
彼女は。
言葉を続けようとする。
「それに」
「謝るのは――」
ほんの一瞬。
視線が揺れた。
「むしろ、私の……」
――その時だった。
「ははははははっ!!」
突然。
耳障りな笑い声が。
路地裏へ響き渡った。
「……っ」
彼女の言葉が。
途切れる。
私は。
反射的に振り返った。
そこには。
片倉がいた。
「ざまぁねぇなぁ!!」
顔を歪め。
心の底から馬鹿にするように笑っている。
「過去に縛られるな?」
「未来を捨てるな?」
「はっ!!」
片倉は。
唾を吐き捨てるように。
声を荒げた。
「先生ヅラすんじゃねぇよ!!」
「気持ち悪ぃんだよ!!」
彼女は。
何も言わない。
「そんな甘っちょろい綺麗事言うからよぉ!!」
片倉は。
嬉しそうに。
笑う。
「隙を突かれるんだよ!!」
「怪物は怪物らしくしてりゃいいんだ!!」
その言葉を聞いた瞬間。
彼女は。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
片倉の方へ顔を向けた。
さっきまで。
私に向けてくれていた。
優しい表情は。
もう、なかった。
ただ。
そのピンク色の瞳には。
悲しそうな色だけが。
微かに残っていた。
「……そう」
小さな声。
「あなたは」
ほんの少し。
目を伏せる。
「そう選択したのね」
その言葉には。
怒りよりも。
失望よりも。
どこか。
諦めに近いものが滲んでいた。
そして。
「……もういいわ」
静かに。
そう言った。
その瞬間。
片倉は。
さらに大きな声で笑った。
「おいおいおい!!」
「まだやる気かよ!!」
「右腕も!!」
「左腕も!!」
片倉は。
彼女の両腕を見ながら。
嘲るように叫ぶ。
「もう使い物にならねぇだろうが!!」
その言葉を聞いて。
私は。
はっとした。
右腕は。
もともと骨にヒビが入っていた。
そして。
今。
私を庇ったせいで。
左腕まで。
強い衝撃を受けている。
つまり。
「……お姉ちゃん」
胸の奥が。
冷たくなる。
両腕が。
まともに使えない。
「ははははっ!!」
片倉は。
勝ち誇ったように笑う。
「お前の敗因はなぁ!!」
「俺が改心するって信じた――」
一拍。
「その甘さなんだよ!!」
次の瞬間。
片倉が。
地面を蹴った。
ドンッ――!!
巨体が。
再び。
一直線にこちらへ向かってくる。
「……っ!」
速い。
でも。
さっきとは違う。
身体を。
低く沈めている。
腰を落とし。
重心を下げ。
彼女の脚を警戒している。
さっき。
回し蹴りで吹き飛ばされた。
だから。
足技を封じるために。
姿勢を変えたんだ。
戦いなんて。
ほとんど知らない。
素人の私にだって。
分かった。
(……あぶない!!)
片倉は。
本気で。
勝ちに来ている。
そして。
彼女は――。
両腕が。
使えない。
私は。
思わず。
「お姉ちゃん!!私の事はいいから!!逃げて!」
彼女の背中に向かって叫んだ。
片倉は、低く重心を落としたまま地面を蹴った。
ドンッ――!!
巨体が、一直線に彼女へ向かって突っ込んでいく。
そして。
走りながら、勝ち誇ったように叫んだ。
「いくら怪物みてぇな力があってもよぉ!!」
「体重までは変わらねぇだろう!」
その言葉に。
私は、はっとする。
確かにそうだ。
どれだけ強くても。
どれだけ片倉を圧倒できる力があっても。
彼女の身体そのものは、私とそう変わらない華奢な女の子。
対する片倉は。
見るからに何倍も重そうな巨体。
しかも今は。
姿勢を低くして。
全体重を乗せて突っ込んできている。
「吹き飛ばしてやるよぉぉぉッ!!」
片倉が叫ぶ。
ドンッ!
ドンッ!
一歩踏み込むたびに。
地面が揺れているようにすら感じた。
(まずい……!)
避ければいい。
さっきまでの彼女なら。
きっと簡単に避けられた。
だけど――。
私は、すぐ後ろにいる。
もし彼女が避ければ。
そのまま片倉が向かってくる先には――。
私がいる。
「……また私のせいで」
その事実に気づいた瞬間。
背筋が凍った。
逃げなきゃ。
そう思う。
けれど。
恐怖で足が動かない。
その時だった。
――ヒュウッ。
路地裏に。
一陣の風が吹き抜けた。
「…………」
彼女のピンク色の髪が。
ふわりと。
宙へ舞い上がる。
私は。
その後ろ姿を見つめていた。
逃げない。
避けようともしない。
ただ。
真正面から。
迫ってくる片倉を見つめている。
そして――。
「……え?」
私は。
目を疑った。
彼女が。
ゆっくりと――。
右腕を持ち上げたから。
「お姉ちゃん……?」
その腕は。
さっき。
自分で言っていた。
『骨にヒビ入っちゃっててさ』
『今、ほとんど使い物にならないんだよね』
その右腕。
まともに使うことすらできないはずの。
怪我をしている腕だった。
なのに。
彼女は。
静かに拳を握る。
ギュッ――。
その拳が。
ゆっくりと。
持ち上がっていく。
「…………」
ピンク色の髪が風に揺れる。
その横顔には。
もう。
笑顔なんてなかった。
怒っているようにも見えない。
憎んでいるようにも見えない。
ただ――。
冷たい。
まるで。
片倉という人間に。
何かを期待することそのものを。
完全にやめてしまったみたいな。
そんな顔だった。
「死ねぇぇぇぇぇぇッ!!」
片倉が吠える。
あと数メートル。
一メートル。
そして――。
巨体が。
彼女へぶつかる。
そう思った。
その――瞬間。
彼女の身体が動いた。
右腕が。
振り下ろされる。
速い。
そう思う暇すらなかった。
ただ。
握り締められた拳が。
上から下へ。
まるで。
巨大な杭を打ち込むみたいに――。
片倉の頭へ。
叩き込まれた。
ドガァァァンッ!!!
「――ぐはっ!!」
轟音。
何が起こったのか。
一瞬。
理解できなかった。
さっきまで。
あれほどの勢いで突進していた片倉の身体が。
突然。
真下へ落ちた。
いや。
違う。
落ちたんじゃない。
上から。
無理やり。
地面へ叩き落とされたんだ。
ドンッ!!
片倉の顔面が。
地面へ叩きつけられる。
「ぐっ……はぁ……ッ!!」
身体が。
一度。
大きく跳ねた。
そのまま。
地面へ倒れ伏す。
「…………ばけ……もんが」
静寂。
私は。
何も言えなかった。
ただ。
目の前で起きた光景を。
呆然と見つめることしかできなかった。




