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隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
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第212話 神田ゆういちvs羽衣雪音――英雄を悪に変えた女

「ああ……お前は、人間じゃねぇ」


吐き捨てるように言った、その瞬間だった。


羽衣雪音は、小さく肩を揺らし、心の底から可笑しそうに笑った。


「ふふ」


唇の端をゆっくりと吊り上げ、首を小さく傾ける。


「どんな理屈よ」


くすくすと笑いながら、灰色の瞳が俺を真っ直ぐ見つめていた。


まるで、檻の中で暴れる獣を眺める子供みたいに。


その笑みは、どこまでも楽しそうだった。


そして――。


「けど、これで」


一拍置いて。


「ようやく楽しめそうだわ」


その言葉が耳へ届いた瞬間。


考えるより先に、身体が動いていた。


「ッ!」


俺は腰を捻り、全身のバネを使って渾身の蹴りを放つ。


空気を裂く一撃。


だが――。


羽衣雪音は、俺の首を掴んでいた手をあっさりと離した。


そして、その勢いすら利用するように、ふわりと後方へ飛び退く。


軽い。


あまりにも軽い。


まるで最初から俺が蹴ることを知っていたかのような動きだった。


一切の無駄がない。


俺は宙へ放り出された身体を咄嗟に捻り、姿勢を立て直す。


ドンッ――!


両足で地面へ着地する。


足裏へ鈍い衝撃が走った。


その瞬間だった。


周囲から、一斉に怒号が飛ぶ。


「あいつ、女の子に暴力を振るったぞ!」


「最低なやつ!」


「人間のクズだ!」


「やっぱり危ない男だったんだ!」


まるで示し合わせたような罵声。


鋭い視線が、一斉に俺へ突き刺さる。


胸の奥がざわつく。


(またか……)


(また、同じなのか)


姫花を守ったあの日と、何一つ変わらない。


事実なんて、誰も見ようとしない。


人は、自分が信じたいものだけを信じる。


そんな光景が、再び目の前で繰り返されていた。


俺はゆっくりと周囲を見回す。


そして――。


低い声で吐き捨てた。


「……お前らは、もう黙ってろ!」


その瞬間だった。


ピシリ、と。


何かが割れるような感覚が走る。


次の瞬間。


周囲の人間の口から、ぽつり、ぽつりと本音が零れ始めた。


「……これ、本当にカップルの喧嘩か?」


「いや……よく見たら男の方が首締められてなかった?」


「そもそも被害者って、あっちじゃないのか?」


「俺達……何であいつ責めてたんだ?」


押し込められていた言葉が、一つ、また一つと溢れ出していく。


それはまるで――。


閉ざされていた蓋が、少しずつ開いていくようだった。


脳裏へ、一つの光景が蘇る。


(……あの時と同じだ)


阿崎蒼真の瞳へ、ほんの一瞬だけ光が戻った、あの日。


支配された心へ、小さな亀裂が入った瞬間。


今、目の前でも同じことが起きていた。


「……チッ」


羽衣雪音が、小さく舌打ちをする。


その表情から、余裕がほんの僅かだけ消えた。


灰色の瞳が素早く周囲を見渡す。


そして。


まるで再び蓋を閉じるように。


一人一人へ視線を向けた。


口元には、柔らかな笑み。


けれど、その笑みの奥には冷たい圧力が宿っている。


「みんな」


彼女は優しく語りかける。


「何か異論あるかな〜?」


甘い声。


まるで恋人へ囁くような口調。


「悪いのは、浮気した目の前の彼だと思うけど〜?」


その言葉が落ちた瞬間。


さっきまで迷い始めていた人達の瞳から、再び光が消えた。


「あ……そうだ」


「そうだった」


「浮気する奴なんて最低だ」


「女の子を泣かせるなんてクズだ」


空気が、一瞬で塗り替えられる。


本音は再び押し込められ。


彼らは羽衣雪音の描いた”正解”だけを口にし始めた。


俺は奥歯を噛み締める。


(また……支配された)


(そもそも浮気なんかしてねぇよ)


羽衣は小さく肩で息をしながら、俺へ視線を向ける。


呼吸はわずかに乱れていた。


額には薄く汗が滲んでいる。


それでも口元には、余裕の笑みが浮かんでいた。


「……もう完全に大衆を私へ誘導したわ」


少しだけ息を整えながら続ける。


「ステージ1のあなたじゃ」


「もう、この完全支配は解除できない」


その声音には、確かな自信が滲んでいた。


俺は何も答えない。


ゆっくりと顔を上げる。


そして。


静かに息を吸った。


「…………」


深く。


長く。


肺いっぱいに空気を取り込む。


その瞬間だった。


世界から、音が消えた。


ざわめきも。


怒号も。


風の音さえ、遠ざかっていく。


視界だけが。


異様なほど鮮明になっていく。


風が流れる軌道。


砂埃が舞う速度。


足裏から伝わる地面の硬さ。


羽衣雪音の重心。


肩の僅かな揺れ。


指先の動き。


呼吸の間隔。


そのすべてが、まるで時間がゆっくり流れているかのように見えた。


(……この感覚)


知っている。


忘れるはずがない。


片倉を返り討ちにした、あの日。


安城と剣を交えた、あの日。


蓮也と本気で殴り合った、あの日。


極限まで追い詰められたときだけ訪れる、この静寂。


身体と精神が、一つに噛み合う。


雑念が消え、目の前だけが異様なほど鮮明になる。


荒く息を吐く俺を見つめながら、羽衣雪音は満足そうに微笑んだ。


「……資料に書いてあった通りね」


俺は眉をひそめる。


「極限の集中状態」


「……極限の集中状態だと?」


羽衣は静かに頷いた。


「本音を吐き出させる――それは神田君の能力のただ一つにしかすぎないわ」


「本音ってね、いわば本能みたいなものなの」


彼女は人差し指を自分のこめかみに当てる。


「感情が理性を飲み込めば、人は目の前しか見えなくなる」


「怒り、憎しみ、恐怖……そういう感情に支配されるほど、本音は表へ出てくる」


その灰色の瞳が、俺を真っ直ぐ射抜いた。


「あの時」


「片倉を感情のままボコボコにして病院送りにしたのも、それが原因よ」


「怒りで拳が止まらなかったでしょ?」


胸の奥が、ズクリと痛む。


「あのおかげでね」


羽衣は楽しそうに笑う。


「妹を守った英雄だったあなたを、悪者へ変えるのは簡単だったわ」


「周囲の世論なんて、少し押すだけで簡単に傾くもの」


「…………!」


その言葉が胸を抉る。


あの日。


誰も俺の話を聞かなかった。


先生ですら、俺だけを責めた。


俺が悪者になった。


あの理不尽が――。


「全部、お前だったのか……!」


拳へ力が入る。


爪が掌へ食い込むほど、強く握り締める。


怒りが、全身を焼いていく。


俺は地面を蹴った。


一直線に羽衣雪音へ突っ込む。


「ぁぁあああッ!!」


右。


左。


肘。


蹴り。


考えるより先に拳が出る。


怒涛の連撃。


けれど。


「遅いよ」


羽衣は舞うように身を翻し、俺の拳を紙一重で避け続ける。


一発も当たらない。


まるで未来でも見えているみたいに。


それでも俺は止まらなかった。


拳を振るいながら、怒鳴る。


「なんでだよ!」


「なんで、そんなことするんだよ!」


羽衣は俺の拳を避けながら、穏やかな口調で答える。


「言ったでしょ?」


「神田姫花には、EES発現者の素養があった」


「それを確認するためよ」


ひらり、と俺の拳をかわす。


「知ってる?」


「孤独な人間の心を折るのって、本当に簡単なの」


「誰にも頼れない人は、少し追い詰めれば勝手に壊れてくれる」


俺はさらに踏み込む。


だが、届かない。


彼女は余裕の笑みを崩さない。


「でもね」


「神田姫花には、あなたがいた」


その一言に、俺の身体が僅かに止まる。


「支えてくれる人間がいる子を地獄へ落とすのは、骨が折れるのよ」


「だから」


「まず、あなたを壊すことにした」


心臓が、大きく脈打つ。


「まさか」


羽衣は肩をすくめる。


「そのあなたが、私の探していた能力者本人だったなんてね」


「思いもしなかったわ」


「ふざけるな!」


怒鳴る。


「俺は知らねぇ!」


「あの頃、灰色の髪の女なんて見たこともねぇ!」


羽衣は俺の渾身の拳を――


パシッ。


片手で受け止めた。


衝撃が腕を駆け抜ける。


「当然よ」


彼女は俺の拳を握ったまま、楽しそうに笑った。


「黒幕っていうのは、表へ出ないものだから」


「全部、裏から操るの」


「ゲームでもありがちな展開でしょ?」


「てめぇ……!」


歯を食いしばる。


羽衣は俺の拳を離し、懐かしむように目を細めた。


「でもね」


「あの日」


「あなたが片倉から神田姫花を守ったとき」


「ほんの一瞬だけ」


「本音が漏れた瞬間があったの」


その言葉を聞いた瞬間――。


脳裏へ、あの日の光景が鮮明に蘇る。


『……あいつが可愛いって、みんながチヤホヤするからよ!』


姫花をいじめていた女子。


突然、本音を口走り、自分でも信じられないように両手で口を塞いだ。


(……あの時か)


「あの瞬間」


羽衣は静かに続ける。


「私は違和感を覚えた」


「でも、私もまだ今より幼かった」


「資料には、『まだ発現していない』『これから発現する人間』しか載っていなかった」


「だから」


「たまたまだって判断した」


「疑う理由なんて、何一つなかった」


羽衣は自嘲するように笑う。


「それから何年も」


「何人も」


「何十人も」


「地獄へ落としては能力を確認してきた」


その笑顔には、狂気と空虚さが同居していた。


「でも――」


「誰一人として、当たりは出なかった」


一拍置く。


そして、ぽつりと呟く。


「その時、ようやく思ったの」


羽衣雪音は、どこか懐かしいものを思い返すように、小さく笑った。


「私が回し続けていたガチャには――最初から、当たりなんて入ってなかったんじゃないかってね」


静かな声。


けれど、その一言には長年積み重ねてきた疑念が滲んでいた。


「その疑念がね」


彼女は人差し指をこめかみに当て、楽しそうに目を細める。


「今までずっと引っかかっていた、他の疑問まで全部繋げてくれたの」


「……疑問?」


俺は荒い息を吐きながら睨み返す。


羽衣はゆっくりと頷いた。


「銀髪の天才発明家が作った、この観測機」


手にしたストップウォッチのような小さな機械を軽く持ち上げる。


「どうして、この機械は”発現した瞬間”しか観測できないのか」


「どうして、一度発現した能力者は二度と検知できない、こんな不便な仕様なのか」


その灰色の瞳が、静かに俺を見据える。


「資料にも、必ずこう書かれていた」


『まだ発現していない』


『これから発現する可能性がある人間』


「……どうして、そこまで断定できるの?」


彼女は自分へ問いかけるように呟いた。


「調査しただけなら、『可能性がある』で終わるはず」


「それなのに、最初から”まだ発現していない”って決めつけていた」


「まるで――」


羽衣は口元を歪める。


「既に発現している人間だけは、絶対に見つからないように仕組まれているみたいだった」


背筋が、ぞくりと震えた。


「探せ、と命令しておきながら」


「絶対に見つけられないルールを最初から作っている」


「そんなゲーム、普通はおかしいでしょう?」


くすり、と笑う。


「だから思ったの」


「組織の中に、裏切り者がいるんじゃないかって」


その笑みは嬉しそうですらあった。


長年解けなかった謎へ、ようやく答えが見え始めた人間の笑み。


「そして、その時――」


羽衣はゆっくりと俺を指差す。


「思い出したのよ」


「あの日」


「私が違和感を覚えながらも、子供だったから見逃してしまった、あの一瞬を」


俺は歯を食いしばる。


「……どうやって俺を見つけた」


低く唸るように問いかけた。


「あの後、俺と姫花は引っ越した」


「俺たちは、あの街から逃げるように消えたんだ」


「どうして、今さら俺を見つけられた」


羽衣は肩を竦め、あっさりと答えた。


「そこは、本当に偶然だったわ」


その言葉が、逆に不気味だった。


「私だって、まさかあなたがあの時の男の子だなんて思ってなかったもの」


「顔も成長していたし、名前だって覚えてなかった」


「当時、私が追っていた対象は姫花ちゃんだけ。あなたの名前までは資料になかった」


「NPCの名前なんて覚えるわけないでしょ」


少しだけ目を細める。


「でもね」


「蒼真たちが、私の能力で支配されていた、あの日」


「あの場は、誰も自分の意思なんて口にできないはずだった」


「私が彼らの世論を操作し支配していたから」


静かに微笑む。


「けどあの場で、本音が漏れた」


俺の胸が、大きく脈打つ。


「あれを見た瞬間」


「全部が繋がったの」


「昔、私が見逃した違和感」


「何年も引っかかっていた観測機の仕様」


「資料の不自然な記述」


「そして、あなたの能力」


羽衣は、心の底から嬉しそうに笑った。


「それで――」


「ようやく見つけたの」


灰色の瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。


「私が、ずっと探し続けていた」


「本当の――“EES発現者”をね」


その声音には。


長年、獲物を追い続けてきた狩人が。


ようやく目的の獲物を見つけた瞬間の歓喜が、隠そうともせず滲んでいた。


その笑みは。


恐ろしいほど穏やかだった。


そして――次の瞬間。


「ふふっ」


羽衣雪音は、地面を蹴った。


まるで風が吹き抜けるような速度。


一瞬で俺との距離を詰める。


「――ッ!」


速い。


そう認識した時には、もう遅かった。


彼女の身体が滑らかに回転する。


しなやかに伸びた脚が、大きな弧を描き――。


ドゴォッ!!


「……ぐっ、はぁっ!」


重い衝撃が脇腹へ突き刺さった。


息が、一瞬で肺から押し出される。


身体はまるで紙切れのように吹き飛び、何度も地面を転がった。


ゴロゴロと土埃を巻き上げながら転がり、ようやく止まる。


「……ッ」


全身が痛い。


骨が軋む。


肺へ空気が入らない。


咳き込みながら、俺は震える腕で身体を支えた。


そんな俺を見下ろしながら。


羽衣雪音は、どこか退屈そうに微笑む。


「もう終わりにしようかしら」


その声には、焦りも緊張もなかった。


ただ、勝利を確信した者だけが持つ、絶対的な余裕だけがあった。


「…………」


その時。


俺は、ようやく理解した。


(……勝てない)


圧倒的だった。


身体能力も。


戦闘経験も。


能力の使い方も。


何もかもが、俺より上だった。


羽衣雪音には――。


絶対に、勝てない。


その事実だけは、嫌というほど理解できた。


普通なら。


ここで心が折れても、おかしくなかった。


諦めても。


逃げても。


誰も責めないくらいの実力差だった。


だけど――。


そんなことは。


もう、どうでもよかった。


胸の奥へ浮かぶのは、一人の少女の姿だけ。


泣きながら俺の背中へ抱きついてきた、小さな妹。


「……もういいよ、お兄ちゃん……」


震える声。


涙で濡れた瞳。


あの日。


理不尽に傷つけられた姫花の姿が、鮮明に脳裏へ蘇る。


そして。


さっき羽衣雪音が笑いながら語った言葉。


『神田姫花を地獄へ落とした』


その一言が。


今も胸の奥を焼き続けていた。


(……こいつだけは)


(こいつだけは)


(絶対に)


許せない。


勝てるかどうかなんて、もう関係ない。


倒せるかどうかも、関係ない。


俺の大切な妹を苦しめた元凶に。


一撃でいい。


たった一発でいい。


この拳を――。


ぶち込んでやる。


「…………」


俺はゆっくりと両膝へ力を込める。


震える足。


悲鳴を上げる身体。


それでも。


俺は地面を踏み締め、ゆっくりと立ち上がった。


羽衣雪音は、その姿を見ても表情一つ変えない。


まるで、何度立ち上がろうが結果は変わらないと言わんばかりに。


俺は荒い息を吐きながら、真っ直ぐ彼女を睨みつける。


その灰色の瞳を、真正面から見据えた。


「羽衣……」


低く、腹の底から声を絞り出す。


拳を握る。


爪が掌へ食い込み、血が滲んでも構わなかった。


「お前だけは――」


胸の奥で燃え続ける怒りを、そのまま言葉へ乗せる。


「俺は……絶対に許さない!」




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