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隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい  作者: 夕凪虚音
第4章 完璧な推しは壊れていく ――推し曇らせ編――
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第209話 灰色の残照

「神田君のことなんて、べ、別に好きじゃないわ」


「き、気になる人は別にいるけど!?」


その言葉が。


鋭い刃みたいに、俺の胸の奥へ突き刺さった。


「…………」


息が詰まる。


心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくて、うまく呼吸ができない。


……分かっていた。


最初から、分かっていたはずなんだ。


安城は誰もが振り返るほど綺麗で。


成績優秀で。


剣道では全国優勝。


まさに高嶺の花と呼ぶにふさわしい女の子。


そんな安城が。


俺みたいな、どこにでもいるモブ男子を好きになるなんて。


そんな都合のいい話、あるわけがない。


……それでも。


心のどこかで。


ほんの少しだけ、期待してしまっていた。


一緒に過ごす時間が増えて。


他愛もない話をして。


一緒に笑って。


時には、同じ布団で眠ることだってあった。


そんな日々を積み重ねるうちに。


もしかしたら。


本当に、もしかしたら。


安城も俺のことを、少しくらいは特別に思ってくれているんじゃないかって。


そんな淡い期待を。


俺は、知らないうちに抱いてしまっていた。


だけど。


現実は違った。


安城には、俺じゃない誰かに気になる人がいる。


その事実を。


俺は、安城自身の口から聞いてしまった。


「……何期待してんだよ」


そうだよな。


俺はただのモブだ。


主人公でもなければ、イケメンでもない。


推しを遠くから応援しているくらいが、ちょうど似合っている。


それでいい。


それが俺なんだ。


そう、自分に言い聞かせた――その瞬間だった。


『君は救世主なんだ』


不意に。


あの時、相棒から告げられた言葉が脳裏によみがえる。


静かに。


けれど、真っすぐ俺の胸へ響くその言葉。


「…………俺は」


たとえ。


安城に、俺とは別に好きな人がいたとしても。


それでもいい。


俺は、安城に救われた。


何度も心を支えてもらった。


だから今度は。


俺が誰かを救える人間になりたい。


安城が誇れるような。


胸を張って隣に立てるような。


そんな男になりたい。


俺はゆっくりと息を吐く。


胸の痛みは消えない。


それでも。


立ち止まるわけにはいかなかった。


俺はお手洗いを済ませると、黒羽が待っているフリースペースへ戻った。


テーブルには、開きっぱなしのノートと問題集。


黒羽は椅子に座ったまま、俺の姿を見つけると、ほっとしたように顔を上げる。


けれど。


次の瞬間、その表情が少しだけ曇った。


心配そうに首を傾げながら、俺を見つめる。


「神田っち、どうしたの?」


「……なんか、元気ないじゃん?」


まるで、俺の心の中を見透かしたような言葉だった。


「いや、なんでもねぇよ!」


俺は慌てて笑ってみせる。


「ほら、休憩は終わり!」


「黒羽! 数学の問題、教えてくれよ!」


そう言って笑う。


けれど、自分でも分かる。


頬は笑っていても、その笑顔はさどこか引きつっていた。


完全な空元気だった。


俺は誤魔化すように椅子へ座り、シャーペンを手に取る。


そして、問題集へ視線を落とした。


(……切り替えろ)


(……今は数学に集中しろよ俺)


そう自分に言い聞かせながら、問題を解こうとした――その瞬間だった。


ぴたり、と。


俺の手が止まる。


頭の中へ、さっき聞いた安城の言葉が蘇る。


『気になる人は別にいるけど!?』


その一言が、離れない。


ふと、一つの考えが胸をよぎる。


俺は数学で一位を取って。


安城の隣の席へ戻ろうとしている。


でも――。


もし。


安城に好きな人がいるのなら。


俺が勝手に「隣へ戻りたい」なんて言っていること自体が、迷惑なんじゃないのか?


そんな疑念が、静かに胸の中で膨らんでいく。


(………俺自己中すぎないか?)


考え込む俺を見て、黒羽がもう一度首を傾げた。


「やっぱり神田っち、なんかあったでしょ?」


優しい声だった。


誤魔化そうと思えば、きっと誤魔化せた。


でも。


今の俺には、その余裕がなかった。


俺は小さく息を吐いてから、正直に口を開く。


「俺さ」


俺は手元のシャーペンを指先で弄びながら、ぽつりと口を開いた。


「安城の隣の席に戻るために、数学の勉強してるじゃん?」


「うん」


黒羽は静かに頷く。


茶化すこともなく。


ただ、俺が何を言おうとしているのか、その続きを待ってくれていた。


「でも……」


俺は視線を落とす。


開いたままの問題集。


途中まで書いた数式。


ついさっきまでなら、これを全部理解して、絶対に数学で一位を取ってやると思っていた。


それなのに。


今はシャーペンを握る手が、どうしても動かなかった。


「それってさ……」


俺は小さく息を吐く。


「安城にとっては、迷惑なんじゃないかって思ってさ」


「……迷惑?どうしたの急に」


黒羽が不思議そうに瞬きをする。


「安城には……どうやら好きな人がいるみたいでさ」


「だからさ」


俺は力なく笑った。


「そんな状況で俺が『安城の隣に戻る!』とか言って必死になってんの……もしかしたら迷惑なんじゃないかって」


安城には安城の気持ちがある。


俺が隣に座りたいからといって。


安城も同じように思ってくれているとは限らない。


むしろ。


別に好きな奴がいるのなら――。


俺の行動は、ただの自己満足なんじゃないのか。


そんな考えが。


さっきからずっと、頭の中を離れてくれなかった。


その言葉を聞いた瞬間。


黒羽の表情が、ぴたりと止まった。


「……安城さんに、好きな人?」


「ああ」


俺は小さく頷く。


黒羽は何も言わなかった。


ただ。


何かを考え込むように、じっと俺を見つめている。


(何言ってんの?……誰がどう見ても)


(安城さん、神田っちのこと好きでしょ?)


(……でも)


(これって……チャンスじゃない?)


(ここで神田っちに勉強を諦めさせられたら……)


(神田っちは、私の隣の席にいてくれる)


(…………違う)


黒羽は、ほんのわずかに唇を噛んだ。


そして。


何かを振り切るように俺を見た。


「……ならさ」


「神田っちは、努力するのやめるの?」


「…………え?」


予想していなかった言葉に、俺は顔を上げる。


黒羽は真っすぐに俺を見ていた。


「相手に別に好きな人がいたら、そこで諦めるの?」


「それは……」


言葉に詰まる俺に。


黒羽は、はっきりと言い切った。


「私はごめんよ」


いつもの明るい声とは少し違う。


静かで。


それでも芯の通った声だった。


「私だったら――最後まで、醜くてもあがく」


俺は目を瞬かせる。


黒羽は続ける。


「好きな人に他に好きな人がいたって、それだけで諦めるなんて私は嫌」


「だったら振り向かせる」


「その人から、奪ってやる」


強い言葉だった。


だけど。


不思議と嫌な感じはしなかった。


むしろ。


黒羽冬花という女の子の生き方そのものが、その言葉に滲んでいるような気がした。


「迷惑なんて考えてたら何も始まらない」


「諦めるとしても――私は最後までやり切ってから諦める」


「何もしないで諦めるのだけは、絶対に嫌」


「…………」


俺は何も言えなかった。


その言葉には。


嘘も。


誤魔化しも。


綺麗事もなかった。


黒羽冬花という人間から。


確かに滲み出た、本物の言葉だった。


そして。


その言葉を聞いた瞬間。


俺の中で、何かが繋がった。


俺は今まで。


何度も学んできたはずだ。


努力したからといって。


必ず報われるわけじゃない。


頑張ったからといって。


必ず欲しいものが手に入るわけでもない。


だけど。


それでも。


自分が努力すると決めて。


最後までやり切ったのなら。


その過去の自分を、いつか誇れる日が来る。


たとえ結果が望んだものじゃなかったとしても。


やったこと全部が、無駄になるわけじゃない。


(……俺、何忘れてんだよ)


安城に好きな奴がいるから何だ。


それで。


俺が数学を頑張る理由まで消えるのか?


違うだろ。


俺は。


安城の隣へ戻りたいと思った。


だから。


数学で一位を取ると決めた。


だったら。


まずは最後までやってみればいい。


結果がどうなるかなんて。


そのあと考えればいいじゃねぇか。


「……ははっ」


思わず笑いが漏れた。


さっきまで胸の中を覆っていた霧が、少しだけ晴れたような気がする。


俺は顔を上げた。


「黒羽」


「ん?」


「ありがとうな」


黒羽が目を瞬かせる。


俺は今度こそ。


無理に作った笑顔ではなく、自然に笑った。


「俺、頑張るよ」


「数学一位――ちゃんと最後まで狙ってみる」


その言葉を聞いた黒羽は。


ほんの一瞬だけ、複雑そうな顔をした。


だけど。


すぐに、いつもの明るい笑顔を浮かべる。


「うん」


そして。


「それでこそ、神田っちだよ」


そう言って笑った。


その笑顔の奥に。


どんな気持ちが隠れているのか。


今の俺には、分からなかった。


「――あっ、そうだ!」


黒羽が何かを思い出したように手を叩く。


「神田っち、このあと時間ある?」


「ん?」


「今日ね、私の家で夏美と麗花と勉強会するんだけど」


「…………え?」


黒羽は何でもないことのように続ける。


「泊まりでやる予定なの」


「もちろん神田っちは泊まりまでは難しいと思うけど……途中までなら一緒に勉強する?」


一瞬。


俺の頭の中で、その言葉が処理される。


黒羽の家。


夏美。


麗花。


泊まり。


勉強会。


「えっ!?」


思わず大きな声が出た。


「俺も行っていいのか!?」


「いいよ?」


黒羽は、きょとんと首を傾げる。


「勉強したいんでしょ?」


「したい!」


即答だった。


時刻は、午後四時。


まだ時間はある。


それに。


正直なところ。


数学で一位を本気で狙うなら、黒羽の力は必要不可欠だ。


今日教えてもらっただけでも。


自分一人で勉強するより、圧倒的に理解が早かった。


こんな機会を逃す理由なんてない。


「ありがとう、黒羽!」


「頼む!」


「おっけー!夏美達にも連絡いれとくね」


黒羽は楽しそうに笑った。


俺はスマホを取り出しながら、席を立つ。


「じゃあ、ちょっと妹に電話してくるわ」


「今日、帰るの遅くなりそうだからさ」


何も言わずに遅くなったら、心配させるかもしれない。


俺はスマホを片手に、黒羽を見る。


「ちょっと外で電話してくる」


「すぐ戻ってくるから!」


「分かった」


黒羽が小さく手を振る。


俺も軽く手を上げて応えると。


そのままフリースペースを離れた。



ショッピングモールの出口へ向かいながら。


俺はスマホの画面から姫花の名前を選び、通話ボタンを押した。


プルルルル――。


プルルルル――。


「…………」


出ない。


そのまま歩き続け。


俺はショッピングモールの外へ出た。


もう一度。


プルルルル――。


プルルルル――。


やっぱり。


出ない。


「……あれ?」


俺はスマホを耳から離し、画面を見る。


着信中。


間違いなく姫花にかけている。


「出ねぇな……」


そういえば今日。

相棒と一緒に愛理に会いに行くって言ってたっけ?


「……仕方ないな」


俺は通話を切る。


「またあとで掛け直すか」


そう呟いて。


黒羽の待つフリースペースへ戻ろうと、スマホをポケットへしまった。


――その瞬間だった。


「やっほ〜」


背後から。


妙に明るい声が聞こえた。


「神田君」


俺の動きが止まる。


「また会ったね?」


俺はゆっくりと後ろを振り返った。


そこに立っていたのは――。


「……羽衣さん?」


羽衣雪音。


黒羽の心に、大きなトラウマを残した少女。


どうして彼女がここにいる?


そう問いかけようとして――。


俺は、言葉を止めた。


「…………」


羽衣さんが。


じっと、俺を見つめていたからだ。


さっきまで浮かべていた明るい笑顔は、もうない。


まるで――。


長い間ずっと探し続けていたものを。


ようやく見つけ出したような。


そんな目だった。


風が吹く。


彼女の灰色の髪が、ふわりと揺れる。


それでも。


羽衣さんは俺から、一度も目を逸らさなかった。


そして――。


ほんの少しだけ唇を動かし。


ゆっくりと、呟いた。

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