第208話 安城恵梨香――たった一つの嘘
私は福引会場で景品を交換したあと、桜間さんと待ち合わせをしていた場所へ向かった。
そこは、小さな子供達が自由に遊べるスペースになっている。
柔らかいマットが敷かれ、楽しそうにはしゃぐ子供達の笑い声が響いていた。
周囲にはいくつかベンチが並び、そのすぐ近くには自動販売機もある。
そのベンチの一つに、桜間さんは座って私を待っていた。
私の姿を見つけると、大きく手を振る。
「安城さーん!」
私は小さく息を整えながら、その隣まで歩いていった。
「桜間さん、待たせてごめんなさい」
「いいよ、いいよ!」
桜間さんは気にした様子もなく、にこっと笑う。
「そんなに待ってないし!」
その笑顔に少しだけ肩の力が抜けて、私は彼女の隣へ腰を下ろした。
目の前では、小さな子供達が元気いっぱいに走り回っている。
転びそうになっては笑い、また立ち上がって走り出す。
その無邪気な姿を眺めながら、桜間さんがぽつりと呟いた。
「子供って可愛いね〜」
「見てるだけで癒やされる」
彼女はどこか懐かしそうに目を細める。
「私も小さい頃は、こういうところでよく遊んでたな〜」
そう言って笑ったあと、不意にこちらを向いた。
「安城さんは、どんな子供だったの?」
「私は……」
自然と口が開く。
「普通の女の子だったわ」
そう答えた瞬間だった。
(……普通)
その言葉が、自分の胸に引っかかった。
普通。
そんな言葉とは。
本当は、ずっと程遠い人生だった。
人の心の声が聞こえる。
その能力のせいで、私はいつも誰かと少しだけ違う世界を見ていた。
笑顔の裏にある本音も。
優しい言葉の奥に隠れた感情も。
聞きたくなくても、聞こえてしまう。
だから私は、人と同じように笑うことも、信じることも、少しずつ苦手になっていった。
だけど――。
私は、その能力がいつ発現したのかを覚えていない。
何度思い出そうとしても。
そこだけ、白い霧がかかったみたいに曖昧で。
手を伸ばせば届きそうなのに、あと少しのところで記憶が逃げていく。
胸の奥が、少しだけざわついた。
そんな私の表情を見て、何かを感じ取ったのだろう。
桜間さんは、それ以上何も聞かなかった。
代わりに、ぱんっと手を叩くような明るい声で話題を変える。
「そうだ!」
そして、いたずらっぽく笑いながら私の顔を覗き込んだ。
「安城さんって……神田君のこと、好きだよね?」
「…………え?」
その一言で。
体温が、一気に跳ね上がった。
心臓がどくん、と大きく脈を打つ。
「な、な……」
言葉が出ない。
そんな私を見て、桜間さんは楽しそうに笑った。
「もう隠さなくていいって!」
「普段はあんなにクールなのに、神田君のことになると恋する乙女って感じが、ぷんぷんするもん!」
「そ、そんなこと……」
否定しようとしても。
声がうまく続かない。
桜間さんは、そんな私を見ながら、さらに笑みを深めた。
「それにね」
「神田君も、絶対に安城さんのこと大好きだと思うよ!」
「…………!」
その言葉に。
胸の鼓動が、さらに速くなる。
「まぁ、席替えで安城さんの隣になれなくて、先生に直談判してた時はさ」
桜間さんは苦笑しながら肩をすくめた。
「正直、愛が重すぎるとは思ったけどね」
「…………」
神田君が。
私を、大好き。
その言葉が何度も胸の中で繰り返される。
熱い。
顔が熱い。
耳まで熱くなっているのが、自分でも分かった。
私は誤魔化すように視線を落とし、私服のスカートをそっと握りしめる。
ぎゅっと。
指先に力が入る。
(神田君が……)
(私のことを……)
胸の奥で、小さな期待がふくらんでいく。
嬉しくて。
信じたいのに。
どこかで、信じるのが怖い自分もいて。
その二つの気持ちが、静かに胸の中で揺れていた。
「は、は〜ん」
桜間さんは口元をにやりと緩め、面白いものを見つけたように私の顔を覗き込んできた。
その視線から逃げるように、私はそっと顔を逸らす。
胸の鼓動は、まだ落ち着いてくれない。
だから私は――。
また、いつものように。
本心とは正反対の言葉を口にしてしまう。
「……別に」
できるだけ興味がないような声を作って、私は小さく呟いた。
「神田君のことなんて、べ、別に好きじゃないわ」
一拍置いて。
自分でも無理かあると思うような嘘を重ねる。
「き、気になる人は別にいるけど!?」
その言葉を口にした瞬間、自分の胸がちくりと痛んだ。
(……嘘)
誰が聞いても分かるような、下手な嘘。
そんなこと、本当は私自身が一番よく分かっている。
神田君のことが好き。
好きで好きで仕方がない。
少しでも他の女の子と一緒にいるだけで胸がざわついてしまうくらい。
それなのに。
私は素直になれない。
人の心の声が聞こえる私にとって。
自分の気持ちをさらけ出すことは、ひどく怖いことだった。
もし想いを打ち明けた瞬間。
心の中で笑われていたら。
呆れられていたら。
軽い女だと思われていたら。
そんな本音を聞いてしまうくらいなら。
最初から嘘をついて、自分の心を隠してしまったほうが楽だった。
(……嫌になる)
また嘘をついた。
本当は。
こんなにも神田君のことが大好きなのに。
「…………」
しばらく、静かな時間が流れた。
私は恐る恐る桜間さんの様子を窺う。
すると。
「はははっ!」
桜間さんは突然、お腹を抱えるように笑い出した。
「もう、分かった分かった!」
笑いを堪えながら、何度も頷く。
「そういうことにしてあげる!」
その直後。
彼女の心の声が、私の耳へ流れ込んできた。
(本当に安城さんって、ツンデレで可愛い)
「……なっ!?」
思わず顔を上げる。
頬がかっと熱くなった。
「ち、違っ――」
何か言い返そうとした、その瞬間だった。
「…………!?」
桜間さんの表情が急に変わる。
ぴたりと笑みを止めると、不意に私の後ろへ視線を向けた。
そして、ゆっくりと振り返る。
「……どうしたの、急に」
私もつられて尋ねる。
桜間さんは首を傾げながら、小さく笑った。
「いや、なんかさ」
「誰か後ろにいる気がして」
その言葉に、私は静かに後ろを振り返る。
遊んでいる子供達。
ベンチで休憩している親子。
自動販売機の前で飲み物を選んでいる人。
そこには、ごく普通の光景が広がっているだけだった。
私はもう一度、周囲へ意識を向ける。
耳を澄ます必要なんてない。
誰かが近づけば、その人の心の声が自然と聞こえてくる。
「誰もいないわよ?」
そう答えると、桜間さんは照れくさそうに頭を掻いた。
「そだね……」
「なんか気のせいだったみたい」
私は小さく頷く。
「私の背後は、誰にも取られないわ」
人がどれだけ気配を殺そうとしても。
私には意味がない。
心の声は、隠せない。
だから誰かが近づけば、私はすぐに気づける。
桜間さんは、そんな私を見て感心したように笑った。
「すごいね」
「さすが――心眼の剣姫」
「で、今からどうする?」
桜間さんが、ベンチから立ち上がりながら私を見た。
「神田君と黒羽さんの監視、まだ続ける?」
そして、いたずらっぽく笑う。
「私は安城さんと一緒なら、ストーカーまがいなことでもやるよ?」
「……ふふ」
思わず、小さく笑みがこぼれた。
ついさっきまでなら。
私は迷わず頷いていたかもしれない。
神田君がどこへ行くのか。
黒羽さんと何を話すのか。
少しでも二人きりの時間が増えることが、不安で仕方がなかったから。
けれど――。
私はほんの少しだけ考えてから、静かに首を横へ振った。
「いいえ」
「……もう、帰りましょう」
その言葉を口にすると、不思議と胸の中が少しだけ軽くなった。
神田君は。
黒羽さんと遊んでいたわけじゃない。
私の隣の席へ戻るために。
デートの途中ですら時間を作って、真剣に数学を教わっていた。
その姿を見たことで。
胸の中を支配していた不安は、少しだけ静まっていた。
それに――。
『ストーカーまがい』
桜間さんが冗談交じりに口にしたその言葉が、妙に心へ引っかかっていた。
(……これ以上は、駄目よ……ね?)
ほんの少し安心したことで。
熱くなっていた頭が、ようやく冷静さを取り戻し始める。
ここまで追いかけてしまっただけでも十分だ。
これ以上踏み込めば。
私は本当に、自分のなりたくない自分になってしまう。
そう思った。
けれど。
安心したはずの胸に、小さな棘が残っている。
最近。
神田君の周りには、魅力的な女の子が増えてきた。
加賀夏美さん。
氷室麗華さん。
そして――黒羽さん。
一人、また一人と。
神田君の周りには、自然と人が集まっていく。
(……次、学校で)
私はそっと視線を落とす。
(それとなく、聞いてみようかしら)
もちろん。
「誰が好きなの?」
なんて、そんなことを直接聞けるはずがない。
そんな勇気は、私にはない。
だから。
いつものように。
遠回しに質問をして。
その時に聞こえてくる神田君の心の声で、本当の答えを知ればいい。
そのほうが、私らしい。
(……大丈夫)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
(……神田君は)
(きっと、今でも私のことが大好きなはずなんだから)
その小さな期待だけを胸に抱いて。
私は桜間さんと一緒に立ち上がる。
「じゃあ、帰ろっか!」
「ええ」
二人でゆっくりと歩き出す。
子供達の笑い声が、背中の向こうへ遠ざかっていく。
明るい陽射しが床を照らし、休日のショッピングモールは相変わらず多くの人で賑わっていた。
私達は人混みの中へ溶け込むように、その場をあとにした。
この時の私は、まだ知らなかった。
自分を守るためについた、あの何気ない嘘が。
『気になる人は別にいる』
そのたった一言が――。
これから先。
神田君との関係を、大きくすれ違わせることになるなんて




