東都 東地区γ+ 同日 午後十一時二十八分
深い藍に飛沫のような白が散る空の下、所々灯を失ったネオン管と赤い提灯が町を彩る。
全都のγ地区の中でも、治安帯が比較的落ち着いている此処には、安価でありながら品質も悪くない肴を出す居酒屋が多い。
この辺りで暴れ出すのは大概が深酒に溺れた者で、店員達もそれを知ってか、理不尽な因縁をつけてくる相手の遇らいに慣れている。
「いやぁ~いーぃサケが呑めあ~なァ。こぉんな色男にぃ肩持ってもらっちまってうし」
「足元気をつけてください」
「あいあーいよ」
千鳥足で揺れる身体を支えながら、疾斗は陽気に絡む監督の言葉を聞き流して店外へ足を進める。
ハイペースで酒を進めた男は、新人スタッフ達を並べて数十分間に及んで不満を吐き出した後、一人満悦した様子で疾斗へ揉み手をして別件の話を切り出してきた。
目前の事態に茫然とした倉井を女性達のいるテーブルへ行かせ、監督と長く付き合いのある人間達と共に話を聞く事に徹した結果、幹事である彼がへべれけになってしまった為、お開きにしたのだ。
「うぉいスドー!テメーおれのクルマ運転しやがれや」
「い、いえ、お酒飲んでますし…もうすぐ代行が」
「ぅるっせえ!くひごらえしてんやえぇ、ひっひゃいばかりれ、メーワクかけたテメーが、やァんでのんでんだ、アァ!?」
元より声量の大きい男の罵声が音量を増して熱気の篭り残る路地中に響くと、須藤と呼ばれた小柄な人物はすっかり萎縮しきり、迷惑そうに目を眇めて通り過ぎる他人へと頭を下げ続ける。
次の怒声を紡ごうと息を吸った合間、向かって来る車のエンジン音が微かに聴覚へ届く。
スタッフへ向けられていた視線を此方へ引くように指先を目前へ遊ばせれば、呼気に酷いアルコールを漂わせる監督が此方へ笑う。
手を離せば体勢を崩しかねない状況に、別のスタッフに頼んで鍵を取らせて車を待つ間も「まだ帰りたくない」と駄々を捏ねるが、代行業者が現れると途端に落ち着く。
ふらついている監督を後部座席へ座らせ、助手席に乗っていた代行運転手の女性へ鍵と住所を渡して車を示せば、慣れた様子でそちらへと向かう。
酔いが回りきった男は二、三言葉を交わすうちに背もたれへ頭を預けて眠ってしまい、駐車場から出て来た車を確認した軽自動車が後続に着くと、静かに路地を出て行った。
「代行さんも自律制御式機体使っているんですね」
「安全性の面だろう。万一暴れられたとしても人への被害は皆無、せいぜい車内清掃で済むだろうしな」
監督を乗せた代行車両が完全に見えなくなり、僅かに寄れた上着を払い直して倉井の問いに答え、各々の方角へ帰路に着く他のスタッフの挨拶に会釈と笑みで返す。
八割方の見送りを済ませ、顔に赤みを残した若いスタッフ達が「二次会はどうだ」と誘うも、首を横に振って断れば別の店へと足を運んで、密集間から解放された感覚に呼吸を一つ落とした。
「倉井は良かったのか?行かなくて」
「はい、結構飲んじゃいましたし、泊めてもらうのに友人を待たせるのも良くないですし。疾斗さんはお兄さんが来るんです?」
「いや、兄貴は仕事で居ない。夜風に当たって酔い覚ましながら帰るさ」
「須藤さんは?皆さん行っちゃいましたけど…」
「じ、自分も歩いて帰ります」
突然話題を振られた事に驚いたのか、吃った須藤が視線を逸らして首を大きく振り、そうかと朗らかに笑う倉井に首が取れそうなほど頷く。
スタジオにいる時の行動もそうだったが、自分の予測していなかった発言や行動を取られると異様に驚き挙動不審になるところがある。
酔い潰れて家路に着いた監督からもその事について散々叱られていたが、この様子を見ていると本人の性質的なものなのだろう。
自身で見直さない事には言われてどうなる、と云う感じではない。
「──はへっ?…あわわっ、疾斗さん須藤さんすみません!近くまで迎えに来てくれてるみたいなので、申し訳ないんですが失礼します」
「あぁ、お疲れさま。気を付けてな」
携帯を見て慌てて頭を下げて走り出した倉井へ軽く手を振り、友人らしき女性と合流して夜闇へ溶けていくのを確認して時計を見れば、針はあと十数分で一つになる所まで廻っている。
暖簾や提灯を下ろそうと従業員が顔を出す様子が見え始めたところで、不意に服袖が引かれた。
「あの……は、ハヤトさんって、中央地区方面ですよね?途中までご一緒しても良いでしょうか…?」
「…構いませんよ」
「ありがとうございます」
先程まで仕事のパートナーに見せていた挙動言動とは異なり、視線を呼ぶように服を引いたまま頬を薄く色付かせて笑う。
その行動の意味が取れず首を傾げつつ店先から歩を進め始めれば、須藤もその後ろを付くように歩き出した。
**********
酒気と酔どれ達の賑わいに犇いていた γ 地区からどの位歩いただろうか。
深夜帯で人気こそは少ないが、先程まで居た場所に比べれば道は随分と整備されており、立ち並ぶ店構えも品が良さが見て伝わってくるものに変わってきた。
携帯端末画面で時間を確認すれば二つの0が3を挟んでおり、間もなく一時間近く歩いている計算になるが、前方を歩く紫髪長身の人気モデルは一言も発することなくただただ歩みを進め続ける。
スキャンダラスなスクープを狙う記者から依頼が入ったのは幸運以外の何物でもない。
この男には以前から目を付けて情報を集めていたが、浮いた話もなければ何一つ隙が見えなかった。
コネを利用して撮影スタッフとして紛れ込んで邪魔をして此方へ興味を引くように仕組んだが、結果として酷く呆れた様子で忠告されただけで終わってしまった。
しかし今はどうだ。
明度を限界まで落とした端末に表示する歩行用地図を確認すれば、此方が誘導せずともターゲット自ら依頼人の指定したアパートの方向へと進んでいる。
危うく依頼が失敗で終わるところかと思った所でチャンスが舞い込んで来た以上、逃すわけにはいかない。
(この仕事引き受けて正解だったー、この前の仕事は報酬良かったけど手こずったし…こんな間近で見られる上に話せるとか最高)
雑誌の写真で見るよりも背は高く、均整が取れた身体付きと長い脚。地色だという髪は街灯を浴びる度に蒼紫玉の様な艶を帯びてふわりと揺れ、長く見ていても飽きない。
「ハヤトさんって、この辺りの道に、お詳しいんですね」
「ええまぁ。元より東都の生まれで、学生時代の友人もいますので」
くっきりとして低く響く声。
脳髄が甘く痺れてくるような錯覚すら覚え、その音を耳に閉じ込めておきたくなる。
話を端的に切ってくる事にあまり好感は持てないが、それがまた彼らしさを引き立てる要因になっているようにも思え、須藤は内心に湧く興奮を抑えるように息を吐く。
「失礼ですが、家はどの辺りですか?」
「えーと、そこのアパート、です…」
「そうですか。なら、道が変わるので俺はここで失礼します」
さほどの危険性がないと判断したのか、目前に見えている建物の位置を確認した男は、ゆるりと頭を下げて背を向けようと足を引く。
先程まで同席していた異性達との扱いとはまるで違う様子に苛立ちつつ、引き留めようと手首は掴む。
銀縁眼鏡の向こうにある紫電は此方を冷たく見下ろし「何か?」と首を傾ぐ。
夜風に当たり多少なり酔いが落ち着いているのだろうが、男性らしい太骨を包むその肌は思っていたよりも冷たい。
「あ、あの、よかったら一休みしていきませんか?中央地区まで、まだ結構歩くでしょうし」
俯いて話す自分に視線は向けられていないのか、何も感じない。手を振り払われる事はなく、答えに迷っているのか言葉も返らない。
募る焦燥感に捉え続ける手首を僅かに握れば、困惑するように男が息を抜く。
「いえ、遠慮させていただきます」
「でも、ずっと歩きでお疲れじゃ──」
「俺の出身地区、須藤さんは何故ご存知なんです?」
何処にも公にしていないはずなのですが。
唐突に発せられた質問に、紡ごうとした誘いが音に変えられず喉を塞ぐ。
彼に酔いが残っている様子があれば、先の打ち上げで聞いたととぼける事は出来るが、紫水晶の双眼には赤みは見られず、酒気が全く感じられない。
ゆるりと細められる目には警戒が示され、足を半歩擦り引く音が須藤の耳を僅かに掠める。
「っ、待ってください!!」
後退ろうとするその身体へしがみ付き胸元から顔を上げれば、咄嗟のことに反応し切れなかった男は驚きに目を見開いてこちらを向く。
互いの視線が絡み合った瞬間、須藤は自身の両眼へ意識を集中させた。
「ハヤトさん、足が覚束なくなってますよ?」
口角を緩めて静かに言の葉を舞わせると同時、膝から力が抜けた無駄肉の少ない身体が腕の中で重みを増し、覆いかぶさるように降りてきた首元へ顔を埋める。
気温が下がり大気の熱が冷めた夜風に冷やされたのか肌の温もりは少ないが、微かに矢車薄荷の香りが鼻腔を擽ってゆく。
作り物の様な端正な顔立ちが間近にある事があまりにも嬉しく、数日前にも感じた高揚感に熱が上がり思わず顔がにやけてしまう。
(予定場所より離れているけど、このくらいなら許容範囲かな)
すっかり弛緩しきった男へ肩を貸し、依頼主の記者がいるであろうアパートへ向かう。
こちらの話し声は聞こえているのか、長身の人気者は紫髪を揺らして眠気に捕われた足を引きずる様に動かし、時間をかけて昇降口まで共に歩を進めてくれる。
少々重い身体を片肩で支えながら、空けた片手で預かっていた鍵を鞄から探り出して鍵穴へと差し込めば、ガチャリ、といかにも安い音を立てて解錠した。
「部屋着きましたよ、ハヤトさん。どうぞ上がって」
「あれだけ俺達を見ていたのに、演技どころか正体にすら気づかないとは、な」
「え──」
突然聞こえた脳が痺れる様な音が消えると同時、片手に喉を掴まれ鋼板扉へ首藤の体は叩きつけられる。
全身に奔る激痛と首を締め上げる圧迫感に嗚咽も悲鳴も上げられず、引き剥がそうとその手首へ渾身の力で爪を立てるが、顔を歪めるどころか無感情にこちらを見上げて目を眇めたまま首を傾ぐ。
「…な、んで……」
「言葉にした事をそのまま実行しただけのこと。お前の行動は理解不能だったが、不具合は何も起きていない」
「ふぐ、あ、い……って…お、前…まさ、か…」
「ようやく気付いたか」
俺が、#模造機体__コピリア__#だと。
「っ……う、そ……だ…!」
指が緩むと同時に入り込む酸素に咽せ、床へ落ちたまま男を睨み上げて再度目を覗いて意識を集中させるも、紫電の双眸は開かれたまま何も変わらない。
再度ゆるりと首を傾げた男は無感情な表情のまま首元を狙って手を伸ばす。
あまりの恐怖に息を詰め、壁伝いに這い逃げようと手を滑らせるが、抜けた腰に力が戻らず不快な音を奏でるだけの楽器に成り下がり、須藤は手を見つめながら訳もわからず首を横へと振って歯を鳴らす。
「模造機体クン、あんまりやり過ぎなさんな。お前さんがやりすぎると主サマに被害がいっちまうぞ?」
唐突に聞こえた声に反応し、首に触れかけていたその手が退いて行くのを確認。壁を掻いていた爪を止めて音の方へと視線をずらすと、人工光を背に受けた長髪の人間が立っていた。
「須藤 朱実、二十六歳・男性。能力タイプは視覚系で、目を見た相手を眠らせるコト。能力自体はこれといって珍しいモンじゃないが、その愛らしい見た目と声を悪用して女の真似をする事が得意。んでもってマスコミ業界にちょーっとばかり名を馳せてる仕立人。あってるかい?」
「な…なんなんだ、アンタ……」
「俺かい?俺ァ超人気モデル・HAYATOさんからストーカー拘束の依頼を受けた請負屋サンさね。いやぁ、事務所に無理言って彼を借りてきて正解だった。まさかここまで騙せるとは最新型模造機体サマ様様だねぇ、いいデータもとれたわ」
かんらからと笑う請負人の目を覗こうと頭を上げると視界が闇に奪われる。僅かに目蓋へ熱を感じ、男の手で塞がれたのだと理解した瞬間、顔面へ痛覚が集中したかの様な激痛に襲われた。
「アがっ!!!?」
「今のはストーカー行為への制裁分な。お前さんの依頼主、崖っぷち記者だったらしいな。大方スキャンダル狙いだったんだろうが、とっくの前に気絶させて出版社へ突っ返した。先に言っとくがウソのタレコミしようなんて思わん方が身のためだぜ?週刊誌垂涎モノの写真もぜーんぶこっちの手の中。真偽情報氾濫してる社会じゃあ文言なんかより画像持ってる奴の方がよっぽど強い。ただでさえ社会的地位を下げてる状況だ、自分で自分の首縄増やす真似はやめといた方がいい」
割れたコンクリートの床に這いつくばる自分が壊れたおもちゃにしか見えていないのか、請負人はただ面白がりながら罪状と忠告を読み上げる。
ただただ痛む顔面を揉みながら男がこちらに目を向ける瞬間はないかと隙を窺うも、目前には模造機体が立ちはだかり、うまく姿を追うことはできない。
せめて一矢を報おうと床を這い、降参を装いながらべらべらと話し続ける長髪の男へと近づいていけば、ピタリと言葉を止めて三日月の様に口角を歪めた。
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「──たーくよぉ、力の使い方を解ってない能力者はメンドくさいことこの上ないねェ。よーっぽどアキチビ相手にしてる方が飽きないわ」
激痛を重ねに重ね続けた青年の無様な姿を一瞥しつつ、疾斗の姿をした模造機体に拘束指示を出した月原は携帯端末を取り出す。
履歴を開くことなく頭に記録している電話番号を打ち込み、受話部を耳に当てれば、数コールで信号音は途切れて依頼人へと電話が繋がった。
『……どうだった、月原』
「さすがは副長殿、貴方様の読み通りでしたヨ。ストーカー被疑者・須藤朱実は真っ黒も良いところだった。疾風兄さんの居所も吐いたぞ。場所は──」




