東都 中央地区α 二月二十四日 午後七時十分
「夕飯、どっかで食って来るべきだった…っつっても今更だよな…」
二つの店内用カゴに食糧を盛り、疾風は鮮魚売場でぼやきつつ魚の開きを入れて辺りを見回す。
夕食時から少し過ぎているとは言えど、店内はそれなりに人が賑わっている。
空腹状態の男二人で買物。日用品と食糧を別にしてカゴへ入れているが、混雑もあって店内の半分ほどしか進んでいない状態で、既に四分の三程が埋まっている。
少し考えてから動けばこの状況になるのは簡単に考えつく筈なのだが、そんなことすら思わなかった時点で、日常的判断力が鈍っていたとしか言えない。
─能力者は超人の様に思われる事が多いが、力を発症させなければ一般人と変わりはない。
何もなければ力を持たない者と同様に生活の為に働き、時に病に臥せることもある。
一緒に暮らしてはいるが、日常での職種や趣味が違うことがあり、日常生活で同じ時を過ごす時間はそこまで長くない。
子供の頃よりは一緒にいる時間は伸びたが、それでも今の様に二人で買物へ出るのは本当に稀なのだ。
「…ま、たまには良いか……」
「どうかしたか?」
別の売場から戻ってきた疾斗の問いに軽く首を振り、下カゴへと入れられる酒瓶を見送る。
雑誌で着飾り写っている彼を知る人間はこの場にも多々居る筈だが、地味な紺色のジーンズにパーカーを着込み、レンズ越しに見える両眼の色も栗色に変わっているせいか、人の目は引けども他人と思われているのか話しかけられるまでには至っていない。
「本当に気付かれねぇモンなんだな」
「頭に視界情報だけしか無いとそのイメージ以外持たないからな。先入観が強い分、気付いたとしても[人違い]と認識する」
「なるほど…俺らだって写真と目の前の人間が違ってたら最初は疑うもんな」
納得の声を落としつつ、カートを押して酒の肴になりそうな惣菜を見ようと足を進める。
夕飯時を過ぎているからか棚にはあまり残ってはいないが、目を引く色味のシールが貼られているものもいくつか残っている。
カゴの中身と似たような物を買わぬよう確認し、パック詰めされた揚げ物へ手を伸ばせば、白い手が同じ物へと伸ばされた。
「っと、失礼」
「あっ、いえ、大丈夫です!私、こっち…に…?」
先に手をカートへ戻した疾風に遠慮を見せた娘が顔を上げ、不思議そうに見つめてくる。
「…新堂さん、髪染めたんですか?」
「……はい?」
突然の問いに思わず間抜けた声で娘に一言で問い返す。
依頼で実弟と入れ替わりに南都に行った際には紫髪に染めたが、それは一ヶ月ほど前の話だ。緑髪は地毛なのだが、飲料瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けた女は驚いた様子でじっと此方を見ている。
「兄貴、進まないと後ろが詰まって……って、倉井?」
「ふえっ?」
人の密集地帯から少し離れた棚を見ていた弟が軽く目を見開き、倉井と呼ばれた女は驚いた様子で自分と疾斗の顔を交互に見る。
「…え、と……お兄さん、なんです、か?」
「どーも、新堂兄です。弟が世話になってます…って、知り合いか?」
「事務所は違うが仕事仲間だ」
「……想像つかねェ」
思わず音に出してしまい、手の甲で口を押さえる。
掛けている野暮ったい眼鏡もそうだが、アースカラーで纏められたシンプルなパンツスタイルで、色素の薄い髪を二本のゆるい三つ編みに結い、化粧っ気も一切ない。
少々の後ろめたさを思いつつ左目に軽く意識を向けて隠された顔を透過して見れば、疾斗の言葉の意味を理解できた。
「は、初めましてっ、倉井冥那と申します。間違えてしまって申し訳ありません!」
「…挨拶は進んでからにしろ、詰まってる」
珍しく眉を下げて溜息をつく呆れきった様子の疾斗がレジの方を指し示す。
先ほどからやけに突き刺さる妙な視線に目だけを動かして見れば、妙齢の女性方が割引の高い商品を狙っているらしく、届かないことからの恨めしさに此方へ冷たい目を向けている。
互いに取ろうとした惣菜を倉井のカゴへと有無を言わさず入れ置き、自分達へは別の物を放りこんでショーケースを離れれば、待っていたと言わんばかりに人が雪崩れた。
「夜のお惣菜売場って、魅了上手な魔物いますよね…」
「…俺には雪崩れた人の方が魔物に見えるが」
「あ、それわかります。ゲームだと魅了に踊らされちゃってる感じですよね?」
「一番厄介な奴だな」
「人に進めって言っといてお前が話に興じるな」
人山を見る二人へ呆れ笑い、慌ててカートを進める倉井と片眉を上げて目を細めた疾斗と共に会計場へと向かう。
ゲートへ購入品を載せたカートを通せばすぐ会計されるシステムだが、どうやら最後の割引を狙っていた人間が一気に並んだのか、どの会計場にも人が既に溢れている。
娘が先順になるよう列に並んで他愛ない雑談を交わしていれば、倉井の頭が何度となく見比べるように動く。
「どうかしたのか?」
「はぇっ!?新堂さ…じゃなくて…えと、疾斗さんとお兄さん、髪以外は鏡みたいだなーと思いまして……」
「俺らは一卵性なんで。コイツが俺に間違われる事もありますよ」
「そのせいで昔はえらい目にあったがな」
疾斗の肩を叩けば迷惑げに息を落として目を逸らされ、その様子にさえも驚いた娘は再度顔を見比べてくる。
一歩、また一歩、と進めて足を止める度に此方を見上げ、時々首を傾げてくる。
間もなく自分達の会計になる所で漸く前を向くも、何事かを整理しているのか聞き取りきれぬ程の音で何事かを呟いていた。
「…でも……じゃ…」
「おい、倉井」
「疾斗さんっ!!」
「っ?!」
考えに没頭していたらしく、疾斗の呼びかけに気付かず振り向いた倉井の声に思わず慄く。
「この後少しだけお時間いただけませんか?ちょっと聞いて頂きたいコトが」
「いくらでも聞いてやるから早く進め、頼むから」
背後からくる無言の圧力に耐えきれなかったらしい実弟は、娘の言葉半ばで返事をして小さな背を押して会計ゲートへと進ませる。
苛立った様子を隠しもしない客に疾風もゆるりと頭を下げ、隣の会計場へと足を進めた。
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「─つまり、その[ハルさん]って人の態度がおかしい日があるって事なんです?」
「はい。ハルさん、確かに元々熱くなりやすい人ではあるんですけど、最近のサバゲとかは酷くて。口調とか動きが荒い気がするんです」
大皿のペスカトーレをトングで取り分け皿に分けながら、疾風はその言葉に首を傾げる。
倉井自身は様子がおかしいと思ったその日の内にそれを伝えようとしたが、帰路であまりに苛立っている様子の[ハルさん]─青山に近付く事が出来ず伝えられなかったらしい。
文章で伝えようにも意味が捻れてしまうことを懸念して送ることも出来ず、兼業手続きの為に三日程空けてしまったため、結局その件を話すタイミングを失ってしまったという。
「…確かに、この前のゲームの時に初めて悪態吐くのを見たな」
「仕事でやり合った時もか?」
「あの日は撮影のためにやっただけだからな…いつも通りのハルさんだった」
会ったこともない人間の状況を聞いただけで判断するのは難しいが、趣味と仕事で二面性が出ること自体は特におかしい事ではない。
職種が違う自分には回答し難く、疾斗の皿を受け取りながら目配せをすれば、思い当たる節があるのか視線が天へ向く。
「別のお仕事も始めたとかで少しお疲れ気味みたいですけど、ちゃんと話や相談も聞いてくれます」
「お疲れ気味ねぇ……」
聞いているだけの自分からすれば、疲労から本性を隠しきれなくなった様にしか思えない、というのが正直なところだ。
しかし、毎日ではないにせよ本人に会う機会が多い二人が不審に思っている現状、それが愚案なのも目に見えている。
具材とパスタをフォークに絡め、大目に巻いた一口を口へ運びながら疾斗へ眼を向けると、携帯端末を確認している。
その内容を見ることは出来ないが、彼にとって何か疑問があったのか、首を傾げつつ口に入れていた食事をあまり噛む様子なく呑みこんだ。
「倉井。ハルさんが最近体調崩したりはなかったか?」
「えっ?いえ、特にそんな話は聞いてないです。顔色が悪かったとかも無いですし」
唐突の質問に戸惑いながらも返された解に、実弟は再度首を傾げる。画面を見直しながら黙々と野菜を食べ始めた彼に呆気に取られた倉井が此方を見るも、疾風にもその行動がよく分からない。
横目で疾斗を確認しつつ「冷めきる前に」と言葉を添えて苦笑を見せる。
あまりにも黙り込んで食べ続ける彼に呆れつつ、時折雑談を交えて食事を進め、メイン料理を腹に収めた所で漸く疾斗が顔を上げた。
「お前な、自分の後輩ほっといて携帯見てんじゃねーよ」
「すまない。仕事仲間からハルさんの件で連絡が来たんで、つい」
「ハルさんのことなんですか?!」
リーダーの名を聞いた倉井に前のめりに訊ねられ、その勢いに少々押され気味になりながら疾斗が数度頷く。
明確に誰なのかを告げずに話すという事は、樹阪からの案件に絡んでいる人間からの連絡だろう。
「こないだのサバイバルゲームで、あの人の声が低かったのが気になったそうだ。そうだったか?」
「そう言われれば、確かにいつもの声よりは低かったです。喉痛めてるのかなって思ったので言わなかったんですけど…」
「……ちょっと待ってくれ。男だったら声が低いなんて普通じゃねえか?」
空いた食器を纏めながら不可思議な会話に何気なく問いを投げれば、二人は顔を見合わせて目を数度瞬かせる。
何かおかしい事を言っただろうか。首を傾げて肩を竦めてみせれば、「そういえば言ってなかった」と疾斗が頬を掻いて苦笑した。
「公式発表はしていないが、ハルさん…青山遥は女性なんだ」
「…は?」
「見た目も体格も中性的なのでどちらの仕事も受けられるオールラウンダーさんで、私の所属事務所の大黒柱さんなんですよ」
「へぇ…」
疾斗の端的な説明へ嬉しげに言葉を付け足す倉井の様子とは反対に、勝手に男性と認識して聞いていた疾風からは感心の音が喉から抜ける。
元々衣服に対しての興味が薄く、ファッション雑誌も実弟へ届く献本でたまに見る程度。被写体として写る人間を観察する事などほぼ皆無に等しい。
これまでの会話から頭に描いていたのは細身の男性だったが、それは疾風自身が抱えた先入観から生まれた偶像だったようだ。
今の二人が話している【その日】は、元以上に低音だった事に加えて粗暴な印象があった、という事なのだろう。
数ヶ月前にあった以来と同じように、能力者によって一般人と精神が入れ換えられているのだろうか。しかし仮にそうだとしても、入れ替わっている動機がまるで分からない状態になる。
似ている、と言うだけで入れ替わっているならば尚更違和感を感じて相手に問うはずだ。
それがない、という事は倉井以外に何かを思った人間が居ないということだろう。
(…そもそも倉井の言うメンバーとやらがゲームに夢中だったら、気に留めてねえだろうしな…)
人が一番最初に忘れやすいのは《声》と言われている。特徴が強かったり、余程強い印象をもたない限りは記憶に残りにくい媒体。実際、先の会話からしても疾斗の記憶にはさほど残っていなかったのだろう、娘との会話に時折首を傾げている。
「今度はどうした?」
「……兄貴、能力者の力で──」
何かを問いかけようとした疾斗の声が、テーブルに伏せて置かれた携帯端末の呼び出し音にかき消される。
忌々しげに画面を確認し、不思議そうな表情で通話を始めた実弟の表情が崩れたのは、その数分後のことだった。




