政都 中央地区α 二月十五日 午後八時四十八分
程良く薄暗い店内に温かみのある照明。
聞き取れない程度の人の細やかな話し声の中、軽やかで心地よいシェイク音が耳に届き、疾風は伊達眼鏡を外して目をこすり掛け直す。
(……まだ来てねえ、か)
ボックス席の角壁に頭を預けていたせいか、首が怠い気がする。
首を回しつつ、周囲の客達が皆一様に振り向いているその方向へと視線を向ければ、シェイカーを振る馬奈木が見える。
カウンターに座る数人の客のうち誰かがアルコールドリンクを頼んだのだろう、今では珍しいその技術を見せる店主の姿に喜んで携帯端末を向けていた。
間もなく空になりそうなカップへ目を落とし、自分も何か頼もうかと店主の手が空くのを待っていると、カウベルが小気味よい音を立てて来客を知らせた。
「いらっしゃい」
シェイカーをグラスへ傾けながら、馬奈木はガンケースを背負った紫髪の青年に言葉を掛ける。
客の数人は「誰かに似ていないか」と噂を始めるが、当の本人はその言葉と視線に構う事なく自分の席まで歩み寄る。
無言で渡されたケースを受け取り座席横へ立て掛ければ、向かいの席に上衣を掛けた弟は眼鏡下の紫電の目を細めたまま座った。
「お疲れさん」
「……本当に疲れた」
「そのようで」
馴染みの店に来られた事で気が緩んだのだろう。唸るように呟いて乱れていた髪へ手櫛を通し、携帯端末をテーブルへ半ば投げ置いて、何かを言い淀むように頭を掻く。
幼い頃から抜けていないその癖を見せる様子からして、今の彼はただただ気が荒れている。それもどうやら疲労から来る苛立ちではないらしい。
頬杖をつき疾斗が見つめる先を確認すれば、遊具銃が詰められたケースへと向けられていた。
「…珍しいな、表側の仕事で苛立ってんのは」
「撮影自体は悪くなかった。腹が立ってるのは一部の人間が私情を持ち込んで指名してきた事と、決められた負け戦に有る事無い事書き立てられる事。ただの引き立て役にされるだけの方が数倍マシだ」
珍しく淡々と吐き出される毒に疾風は頷きつつ、冷めきったコーヒーを飲み干す。
「相手には箔がつくがこっちには何の得もない」
「確かに、書かれる側は堪ったモンじゃねーわな」
読者の興味を引くために使われる事よりも、ライターによって作り出されるであろう見えすいた嘘によって貶められることが屈辱なのだろう。
これまでも同じ状況になる度にその口から不満を落としてはいるが、「自分で選んだ仕事だ」と落とし所を決めて身を置き続け、今年で十三年。その忍耐力の高さには疾風も感心していた。
「カツサンドとサラダお待ちどうさま。荒れてるね、疾斗くん」
「趣味事で煮え湯呑まされたんだってよ」
「正しくは呑まされた上に後でまた呑む事になってる」
「…それは気分も悪くなるね」
「たかがゲーム、されどゲームだ。気を揉むようなモノにするべきじゃない」
「随分と健全的な考え方だな」
「僕は良いと思うよ。疾斗くんらしい」
外食ではほとんど口に運ぶ事が少ない肉類を注文していた所を見ると、顔と気配に出しているもの以上にストレスは高かったらしい。
目を細めて笑う馬奈木に「そうだろうか」と首を傾げた疾斗が息を吐き、食事へ手を合わせる。空いたカップを手に取る店主へスコーンとココアを追加で頼めば、ゆるりと頷いて席を立つ。
その背を見送り視線を実弟へと移す途中、携帯画面端末へ通知のポップアップが表示され、それを遠巻きに確認したのか舌打ちを響かせた。
「どうかしたか?」
「…撮影で一緒だった奴からの嫌味だ。画像付きのな」
手に持っていた食べかけのカツサンドを一口に放り込み、片手で何事かを打ち込むと携帯端末を伏せてサラダに手を伸ばす。
自分であればトレーニングや実益を兼ねた趣味のダーツで鬱憤を払うが、疾斗の場合は信頼を置いている人間以外には私情を話さない上、幼少期の生活状況もあってか、今でも感情を内側に溜めて呑み込んでしまうことが多い。
今回に限っていえば、昇華方法の一つでもある模擬戦闘遊戯で理不尽な負を負わされたのだ。彼にとって余計な心労であり、疾風が考えている以上に腹立たしいことなのだろう。
(献本来るまでこの件はしばらく機嫌悪いな、こりゃ…)
「はいお待たせ、スコーンとココア」
運ばれて来たスコーンを受け取り、真ん中から割れば小麦と僅かなアールグレイの香りが鼻腔を擽る。
置かれた付け合わせをバターナイフに掬いつつ、険しい表情を崩せない疾斗に同情の息を吐いて焼菓子を齧れば、ほろほろと口の中で溶け崩れてゆく。
「……そういえば、二人ともゲームセンターって行っていたよね?」
「中学と高校の頃は里央と三人で行ってたな」
「あぁ。俺は見てるかクレーンで、お前らは対戦ゲームやってたっけな」
「その対戦ゲームっていうのは、こういうのかい?」
銀盆を脇に抱え直し、サロンエプロンから四つ折りの紙が開き出され、テーブルに置かれる。
赤地に黒影でデザインされた広告にはゲームタイトルの白抜き文字が印字されており、周囲に描かれた男女のイラストには、十数年前に見た記憶があるキャラクターの他に、新規設定を持っているであろう馴染みの無い者が描かれている。
「なんでも、ロケテストっていうのが近々あるらしくて、この広告を持っている人だけが遊べるそうなんだ。常連さんから[声を当てているから見てほしい]って言われたんだけど、そもそもこういうゲーム自体やったことが無いし、何ぶんこの歳で行くのも気恥ずかしくてねぇ…」
「つまり、替わりに俺らに行ってきてくれ、って事かマスター?」
「おつかい分のサービスはさせてもらうよ」
数枚を重ね折られている広告を見やり、興味のない誘いに軽く肩を上げて二口目を口に運ぶ。
スコーンの程良い甘さと付け合わせのホイップクリームの濃厚さが噛み合い、練り込まれた紅茶葉の香りも相まって心が弛む。
疾斗は如何するのかと顔を上げると、見つめていた広告を手に取って枚数を確認し始める。
「お、珍しい」
「兄貴どうせ行かないだろ?」
「さすが弟殿、よーく分かってらっしゃる。見るのは良いが自分がやるのはどうにも」
「疾斗くん、良いのかい?」
「ちょうど事務所の後輩が行きたがっていたんだ。チラシが手に入らないと嘆いていたから丁度良かった」
数枚分けた紙束を携帯端末の下へと置き、軽く頭を下げた疾斗が緩く口角を上げれば、余りをエプロンへ戻した馬奈木もほっとした表情で席を離れてゆく。
多少の不機嫌も緩和されたのか、纏っていた怒気が緩んだ疾斗の眉間からは皺も取れていた。
(……よく覚えてたな、俺らがゲーセン通ってたの)
請負業務監視調査機関の最高峰に身を置いていたのは伊達ではない、ということか。
店主の記憶力の良さに感心しながら、夢で幼い弟へゲームの進行を聞いていたことを思い出し、疾風はココアへ口を付ける。
「「……ゲームに縁のある日だな」」
同時に放った言葉に驚いて顔を上げれば、同じ顔で目を見開いた弟も此方を見ていた。




