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EDGE LIFE  作者: 如月 巽
Case.02 雨
37/98

東都 北西地区β 二月二日 午前十一時二十三分

 意図せぬ旅立ちを嘆く雲が覆いつくし、冷えた涙を降らせている。


(逝く日まで雨なんてな)


 喪服を纏った疾風は香炉へ抹香を散らし、照れたように笑う遺影へと静かに手を合わせる。

 斎場は故人を偲ぶ啜り泣きと弔う経を読む声に満ち、葬送の儀は粛々と進められてゆく。


─綾果からの電話を終え、再度テレビへと目を向けたあの日。

 現場傍に止められていた警察車両から降り立っていた刑事が、足元の水溜りを波打たせながら息絶えていた、と報じた。

 元々強い正義感を持っていた男だ、自身の命の危険よりも目前の命の危機に体が反応したのだろう。


(…らしいっちゃらしいが、それで良かったのかよ)


 眠る唐須間の肩脇へ忘都(ミヤコワスレ)を手向けて棺の中を見れば、弔問に訪れた者達から捧げられた様々な色の花が、長旅への餞として詰められてゆく。

 黒無地の和服を纏う喪主へ一礼を納め、悲しむ参列者の合間を抜けて、赤く目を腫らして涙を落とす凛の隣へ座る。

 多くの餞別を受け取り、遺族からの弔辞と花輪が入れられれば、棺が閉じられる。出棺を知らせる鐘が衝かれ、一般葬列者の退席が案内された。

 遺族と挨拶を交わす者の中、顔に見覚えのある警察関係者を見つけ、下手に席を立つことのできない状況に溜息をついて、出口に詰まる人が少なくなるまでは再度席に座る。


「おっさん…アンタ、身体が残ってて良かったな」

 ほとんどの人間が席を立ったホールに、遺影を見上げて呟いた声が僅かに反響する。


 能力の代償症状最末期を迎えた者は、能力に殉ずる末路を迎えて肉体ごと失い消えて逝く事が大半だ。

 疾風の妻であった伊純もまたその一人で、ゆっくりと透けていった彼女は、自分の腕の中で笑って消えて逝った。

 内臓は変われども最期まで自身を象る肉体が残ったのは、彼の願いが代償症状に打ち勝ったからであろうか。

 少なくとも人知れず水に還って家族を待たせ続けるよりは良いのでは無いだろうか。


 今日の死が幸か不幸か。旅路に向かった本人にしか解らない。


 胸を締め上げられるような圧迫感に息を緩めながら立ち、笑う唐須間へ一礼。人が居なくなった出口と足を向けると、そこには遺族達が立っていた。


「新堂さん、今日はありがとうございます」

「いえ…旦那さんには、俺も世話になったんで」


 ゆるりと頭を下げた綾果に会釈で返せば、それに釣られた息子もまた頭を下げる。

 唐須間の目元に良く似たその顔は赤らんでおり、何かを伝えようとしているのか口が動いてはいるが音になるまでには至らない。


「っお礼なんて言わなくていいじゃない!!」


 兄の隣で俯き泣くのを食いしばり耐えていた娘が、声を張り上げると同時に飛び付き、上衣の襟を掴まれる。

を溜めた朱眼を細め睨みつけてくるその顔は、怒りを募らせた組頭の表情に似ていた。


「あなたのせいだ!あなたが請負人に会わせてくれてたら、もっと早く止めてもらえた!お父さんの治療ももっとしてもらえた!死んだりしなかった!!」

「美雨!お前、やめろ!!」

「あなたが悪いのよっ!勿体つけて請負人に会わせてくれなかったから!」


 沸き上がる感情を目元の水を雫に変えて流す娘に揺すぶられ、投げつけられる痛罵(つうば)に胸が貫かれてゆく。


「会わせてくれれば、あの日お父さんを止められたかもしれなかったのに!」

「…それは……」

「かえして…お父さんを、返してよぉ…っ!!」



── お姉ちゃんを、返してよ…っ!!



「っ…」

 投げつけられた悲痛な訴えに、伊純の葬儀を終えた後の義妹の姿が重なり、疾風は思わず息を詰める。


 彼女の言う通り、もしも自分が請負人だと話していれば、どちらも命を落とすほどの症状進行は無かったのかもしれない。

 あの頃も今回も、自分が相手の捜し求めている人物だと言うことを伏せた。それは、万一の事を考えたが故の結果だった。


 衿を掴んだまま泣き崩れてしまった娘を青年が宥めつつ、動くことが出来なくなってしまっていた自分へ謝罪して席を外す。

 しゃくり上げて此方を睨めつけるその目に憎しみが宿っているのを感じつつ、返す言葉もないまま見送った。


「…すみません。雄吾さんの身体について話はしたんですが、ずっとあの調子で…」

「いえ…こちらこそ、この様な事になってしまい、本当に申し訳ございません」


 頭を下げようとする綾果の肩に触れて止め、困惑気味のその顔へ苦笑し、疾風が深く頭を下げる。

 どんな叱咤も受け入れようと唇を引き結び、娘の言葉が重く刺さったままの体を起こして見れば、綾果は穏やかに笑っていた。


「どうかご自身を責めないでください。…雄吾さんは、自分の仕事を全うして逝ったんです。新堂さんのせいではありません。それに、お二人は私とあの人の【願い】を叶えてくれたじゃありませんか」

「願い…【依頼】では、なく?」

「ええ。確かに請負人であるお二人にとっては【依頼】でしょう。ですが、私と雄吾さんが頼んだ内容(こと)は、離ればなれになってしまってからずっと願っていたことでした」


 永い眠りの旅路についた男を送り出す女は、切長の朱眼を柔らかに細めて静かに涙を流し、思いの丈を言の葉に綴る。


「私達だけではどうしようも出来なかった事を、お二人は身を挺して遂げてくださった。そのおかげで、幸せな時間が過ごせたんです。ですからどうか、謝らないでください」

「……お気遣い、感謝します」


 依頼人の解への困惑と、自身の不甲斐なさに対する嘲笑が入り混じり、上手く顔を作ることが出来ないまま気丈に振る舞う喪主へ再度一礼する。

 此方を注視する僅かな視線を感じ、顔を上げてみれば、長く話す自分を不審に思っているのか二人が此方を見ていた。

 ただでさえ娘から怨みを買っている状況でこれ以上の長居をすれば、やり場を失っている怒りの矛先は母である彼女へ向きかねないだろう。

 上衣の乱れを直し、綾果の数歩前を歩き出口へと向かえば、封書の様なものを手に持つ青年と今だ睨むことをやめない娘が立っていた。


「早く帰ってよ!この人殺し!」

「美雨、いい加減にしなさい!」

「っ…!だ、って……」


 一種の興奮状態に陥っている娘が叫んだ言葉が鋭く背を突く。

 重く胸に響く脈を感じながら空を見てみれば、小降りの雨に変わっていた。


「新堂さん!」


 突然の呼びかけに閉まりかける自動ドアから身体を引き、青年へと顔を向ける。。

 ロビーと外界の狭間であるポーチの中、緊張しているのか息を整えている綾果の息子に向き直れば、父に似た口元を引き締めて手にしていた封書を差し出してくる。


「これは…」

「親父の部屋にあったんです」


 表書きには、初めて筆を握った幼子のような字で【うけおいにんさま】と書かれている。


「……【請負人さん】に、受け取って欲しいんです」

「…俺は【管理人】ですよ?」

「知ってます。【管理人さん】は会ってくれても【請負人さん】は俺達には会ってくれないでしょうから」

【管理人さん】に渡せば、きっと大丈夫だと思うので。


 腹を決めて真摯に此方に話し掛けていた千尋は、自信が揺らいでしまったのか徐々に語尾が消えてゆく。

 根の真面目さは父に似ているが、気の強さまでは受け継げていない青年に眉を下げて笑い、封書を受け取って頭に手を置く。


「勘の鋭さは親父譲りだ。負けたよ、こいつは受け取らせてもらう」

「っ!」

「何処で気付いたのかは聞かねえ。親父さんの分も、しっかり守ってやってくれな」


 敬語を砕いていつもの調子で話し掛ければ、驚いて目を見開いていた千尋が、困惑と照れを混ぜながらくしゃりと笑う。

 遺影に映っていた唐須間とそっくりなその顔から目を逸らし、顔を引き締めて青年へ一礼し、停車車両が疎らになった駐車場へと向かう。

 運転席に乗り込んでダッシュボードからナイフを取り出し封書の口を一文字に切り開けてみると、小切手と疎らに折れた便箋が一枚入っていた。


(そういや、手が上手く動かなくなってたって電話で言って…っ……)




ありがとう すまなかった




 拠れ折れた紙片に書かれた字。

 換金することが出来る長方型の紙に目を移せば、自分が見慣れていた唐須間の癖字で相当の金額と本人の氏名が記入されており、僅かに色褪せたインクから、それが数年前に書かれたものだと言う事が読み取れる。


「おっさん……アンタは、ずっと、俺等に依頼するつもりでいたのかよ…」


 仕事で何度となく会っていたとは言え、一言の相談も一切の連絡もされたことはなかった。

 五年間もの間、過去の自分と同じように愛する者がそばにいない日々に苦難していたのだろう。


「……何で、もっと早く言ってくれなかった…っ!」


 間もなく空へと旅立つであろう今は亡き依頼主へ、届くはずもない悪態を吐く。

 国家認可を受けている請負人とは言えども、何もなければ此方は動くことなど出来るはずもない。


「………巫山戯んなよ………クソったれ……」


 悲しくも苦しくも、涙を喪失してしまった自分に泣くことは一切赦されない。

 止みかけていた雨は疾風の心を読んだように、また強く降り始める。


 締め付ける様な胸苦しさに乱される呼吸音は、車体を叩く強雨の水音に掻き消えた。


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