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墓神  作者: 示右来
GIRL-HOOD
6/9

 日時丸は、彼女はこの国きってのスラム街、三四区に生を受けた普通の少女だった。

 が、しかし生を受けたは良いものの、彼女の母親はお産による疲労と慢性的な栄養不足により、一ヶ月足らず息を引き取ったそうだ。

 彼女の母親は、非常に真面目で献身的な性格だったためか、我が子を放っておくはずもなく、母親としての責務を全するため、日時丸の父親の弟夫婦の元へ預けた。


「日時丸のママはね、献身的でもあったし、その分信仰深い人でもあったんだよ」


 さらに加えて、強かな人でもあったと彼女は言った。


「日時丸はね、あの時はまだ生まれたばっかりだったけど、ママのお腹の中にいた時からママが言ってたことは覚えてるし。顔だって忘れたことない。今はこんななりだからさぁ、()()信じるしかないだろうけど」


 日時丸は皮肉っぽく笑う。


「日時丸がちゃんと人間だった時から、ずっと今まで忘れたことない」


 日時丸は物思いに耽るように遠くを見つめるので、十开もそちらに目線をやると、そこは断熱性の高いリビングではなく、極寒の空の下であった。

 十开の場合、視覚に訴えられるだけ彼の気分は盛り下がるというのに、急に冬の空気にさらされ直接肌で感じさせられ、更に急降下。

 目線の先にいたのは、アイシェと共に訪れたあのアパートから出てくる彼女の母親であろう人物。不遇な人生を送ってきただろう、その見てくれは、お産が終わり数週間と言うこともあってか、酷く痩せこけていた。ロングコートを羽織っている胸元あたりが盛り上がっているのは、抱っこ紐で日時丸を抱いていることが窺える。中はもこもことして暖かそうだが、毎日洗っているであろう努力の見えるボロボロのスニーカーと、冬物の生地とは思えない薄手のロングスカートが、寂し気に冬の夜風に靡いていた。

 ものの数秒で吹雪に埋もれてしまいそうな雰囲気だが、視界、その眼差しは強く、娘への愛情に満ちたものであった。何が何でも、自分が娘を幸せにするのだと。


『私の愛しい娘。あなたの成長を見れないことが、これから一緒にいられないことがすごく心残りだわ』


 母の切実な娘への思いが、直接脳内に響いてきた。


『今は冬で真っ白だけれど、春は桜が咲いてとても綺麗なのよ。夏って言うのもあってね、暑い季節なんだけれど緑がすごく綺麗なの。秋は紅葉って言って緑だった葉っぱが赤に黄色にオレンジに染まっていくの。あとはねぇ、あなたがランドセルを背負っているところ、それから制服姿とか、あなたの素敵な旦那さんとか、子供とか……生まれたばかりなのに、ね。でもそれくらい貴方と、本当はずっと一緒に生きていたかったんだよ……。私がもっと筋骨隆々で丈夫だったら良かったんだけどね〜』


 あははっ、と子供を抱えた母親が笑った。すると抱えられた赤ん坊も頬を上気させ笑ったのだ。


『あら〜、笑いどころのわかる娘だわ。でもね、きっとこれからあなたには辛いことが沢山あると思うの……。いいえ、これは確定事項だもの。絶対にあるわ。あの人間共はクズの中の塵だもの……ってあらやだ、可愛い娘の前でクズだのゴミだの言ってしまったわ。ここまで影響されてるなんて、やっぱりゴミ以下だわあの人たち』


 途中で自分の口から出た汚い言葉に、反省するかと思いきや、何かをクズでありゴミであることを再認識している。


『中には生まれてから死ぬまで恵まれてる人もいるけれど……けれどそれは沢山の要因と境遇に左右されてしまうものだから、どちらも仕方ないことなのよ。

 それで済まされてしまう世界なの。

 確かに不幸であることは痛いし怖いくて、苦しくて死にたくなることもあるのかもしれないけれど……でもね、ママは知ってる。

 出生や境遇に限らず、あなた自身を見てくれる人はちゃんといるってこと。

 だから大丈夫。あ

 なたはあなたを信じていて。あなたのママがあなたを正しいと言うんだもの。今は__今はそれでいいの』


 今にも力尽きそうな母親の腕がぎゅっと、抱いている赤子を顔の方へ持ち上げた。

 上空の空気で凍った雨の雫が、何も身につけていない母親の頭上にずいぶん降り積もっていた。それを側から眺めていた十开と日時丸は二人して沈黙していた。

 その沈黙を破ったのは、珍しいことに十开の方だった。


「あのさ、思ったんだけど、お前が今ここにいるってことは、お前の母さんと父さんを忘れる事、つまり存在の否定と同義じゃないの?」

「……んっと、そういうとこだけ目ざといんだから」


 十开の正論すぎた言葉に、苦虫を嚙み潰したような顔で、彼を睨み上げた日時丸。


「日時丸は日時丸が正しいと思ったことやってるんだから、ママもその日時丸を正しいって言ってんだからい・い・の! これで!」


 母の言葉は偉大である。

 十开の解せない様子を敏感に察した彼女は、再びああだこうだと虚を突かれる前に、事の行先を速やかに話し出す。


「このあとすぐに預けられたのが、パパの弟のところ。ほら、あれがパパの弟の住んでる家なんだけど」


 彼女が指をさした家は、それはもう大層立派な家だった。富裕層が挙って家を建てたがる、人気の土地のようだ。

 だが十开は驚くことも感嘆することもなく、流し目のまま彼女の話を聞いていた。

 それもその筈、十开の実家も墓守筆頭の家の生まれだ。富裕層顔負け且つ泣きを見るほどの屋敷に住んでいたのだ。驚くほどのことではなかった。


「でも、なんで預けることができたかわかる? ママは差別・侮蔑の対象の区画生まれなのに、何で日時丸があの家に住めたか、それがわかる?」


 十开は問いに静かに首を振った。彼女が今まで吐いた言葉による様々な考察はつくもののも、こういう他人の人生の難儀な部分を憶測で済ませた言葉を口にすることは、彼の性分上憚はばかられた。


「ママは強かだって言ったでしょ?」

「ああ、言ってた」

「ママはねアイツらの罪を知ってたの」

「罪?」

「これはさ、日時丸が小学生くらいに知ったんだけど……パパは墓守だったらしいの。ママ曰く、出会った頃のパパはすごくチャラチャラしてて、不誠実そう、なんて思ってたって」


 “チャラい“と言う単語を聞いて、『なるほど、日時丸は父親似だろうか』と、彼女の恰好かっこう然り、十开は安易な推測を脳内で出力しながら言葉の続きを待った。

 日時丸の父はと母が出会ったきっかけは、とある一件の依頼事。墓守の業務の一環には葬儀の執り行いや、その後の供養事等もある。

 差別区にはありきたりな話だが、動物の死体や、ごく稀に人骨などが捨てられている事もあるそうで、それを見つけるたび、彼女の母は毎度墓守へ依頼をしていたそうだ。その偶然の一回に当たった父は、母のその謙虚で清楚な信仰を曲げない姿に、一目奪われたのだ。


「それから色々あってさ、パパの印象も払拭されたわけなんだけど……結婚して二、三年ぐらいだったかなぁ、日時丸がママのお腹に来て四ヶ月くらいだったかな________________


 __________________パパが死んだって」


 事実は恐ろしいくらいに無機質で簡単だ。


「もう言わなくても分かるでしょ。かんたんな話」

「父親を殺したのが、弟夫婦ってことか」


 弟夫婦の罪と言う要点にのみ重きを置いて、簡潔な言葉で括る。

 日時丸の言う通り、簡単な話。非常に安易な話。


「大正解。でも、正確に言うと死んだ事にされてんの。死体も、骨も、何一つママの元には帰らなかったのよ。最後の最後まで。ママはパパのこと大好きみたいだったから」


『必ず死んでしまうほど、だから必死だった』


 話を聞く限り、日時丸の父と母は仲睦まじい相思相愛の夫婦だった様で、死ぬ覚悟で、一目でも会いたかったのだろう。

 愛しい娘を腹に託した愛しい夫に、どんな姿でもいいから、と。

 必死で探していた日がいない。

 そんな母の記憶を辿りながら、日時丸もまた、父をずっと探している。もう一度、母に会わせてやりたいと願っている。


「同じ墓に入れてやりたいし、もし生きてたらなんでさっさとママに会いにこなかったか、一発ぶん殴ってやろうとは思ってんだけどー? でも、ママの骨もどこにあるのか分かんないんだよね。死に際はもう一緒じゃなかったから」


 両親を亡くして、加えて看取ることも形見もなく、父の弟とはいえ赤の他人の家で暮らしていた日時丸の気持ちは計り知れない。

 しかし、共感という感情を母親の腹に残してきてしまったのが、この無風流な墓守十开という男である。


「お前がまだ父を探しているなら、俺も協力出来るかもしれないな」

「ふーん?」

「墓守の世界は狭いから情報はすぐ流れてくるし、なろうと思ってなれるものでもないし」

「へぇー、日時丸が何年も探し回って、それでも見つかんないんだしあんま期待しないで待っておくわ」


 しかし、彼女も十开に負けず音あらず雅な性格はしておらず、気にした様子は微塵もない。

 目には目を歯には歯を同士の会話は、酷く殺伐としているが、それくらい気が置けない仲だということに違いない。


「それから、まぁ、一応あの家で育てられはしたんだけど、赤ちゃんの頃はそんな家庭の事情があるなんて聞こえはしても理解は出来ないから、いびられてたし、そのおかげで日時丸の胸は膨らまなかったんだけど」


 話したくないとあれほど固くなに口を割らなかった彼女が、冗談ブラックジョークを口にするとは。十开は内心疑問を持った。

 それからは淡々と自分の人生を叙事した。


 暴力、ネグレクトは当たり前。

 弟夫婦の間には二男一女の子供がおり、長男長女は無論、夫婦の様に日時丸を虐げてきた。

 一切部屋から出るなとゴミを見る様な目でそう告げられ、薄暗く手入れの行き通っていない、カビ臭い押入れに追いやられて一日を過ごす。

 食事は一回あれば良い方。その一回さえも、長男・長女に見つかれば床に落とされ「食え」だのと言われる始末。

 だが、周りに影響されない強靭な精神を持っていたことが幸いし、日々衰弱していくわけでもなく、むしろ、成長するにつれ機能し始めた脳により知恵をつけた。

 鬼の居ぬ間に何とやら__バレない程度に冷蔵庫から食料を確保したり、本を読んで知識をつけたり、そうやって生活水準を(僅かなものだが)徐々に上げていった。見た目がどんなに派手であろうとその努力の結果、彼女は勉学の方も非常に優秀な成績を収めている。

 加えて日時丸の救世主と言っても過言ではない、次男坊。

 彼らの産んだ次男という人間は、まごう事なき人格者であった。彼らの腹から生まれてきたことが、今でも不思議で仕方ないほど。


「お兄ちゃんだけは、日時丸のこと日時丸として見てくれてた。今もずっとね」


 当たり前のように、生まれたばかりの彼女の育児を放置気味だった。こっそり担っていたのもまた彼だった。

 バレてなかったのは次男の采配もあるが、だったからだ。

 彼らにも同情心と体裁はあったようで、行われていたのは死なない程度の育児放棄。利益と声を張るようなことではないが、その要因が濡れ手で粟となり、彼らは気付かなかった。

 結果、日時丸を日時丸として接してくれていた次男を、彼女が慕わないはずがなく今ではお兄ちゃんと呼ぶようになった。


 くして、母の言っていた事は間違っていなかったのだと、彼女は誇らしく思ってもいた。


『母の言葉を信じている自分を信じている』


 この二つ重なった特殊な概念は、また強く、より強固な彼女の精神を作り出した。


「お兄ちゃんはあんたみたいに墓守になりたいからって、家を出る時、日時丸のことも連れてってくれようとしてた。一緒に行こうって……」

「そうか、それでお前はその誘いを受けたのか?」

「んなわけ。断るに決まってる。だってお兄ちゃんに着いて行くだけじゃん」

「着いて行くだけ?」

「そう。だって、墓守になったお兄ちゃんは絶対に墓神と契約するじゃん。墓守あんたみたいに、先天性の概念を持たない墓守にんげんはみんなそうするのが当たり前でしょ?」

「そうだな……。と言うとつまり、お前は自発的に、必然的に墓神ぼじんになったと?」

「おおあたりー!」


 カランカランと、どこから出したのか、日時丸の手元のハンドベルが軽快な音を鳴らした。こうなんでもあるのは、彼女がこの時間軸の主であるからだろう。

 日時丸が描いた幸福な、もう一つの現実。


「あいつらにはね、その糧になってもらったの。日時丸のきっちょぉーっな、人生の全部を奪ったっていう、その代償を払ってもらっただけなんだけど」


 兄が墓守になると家を出たその日から、兄と本当の意味で一緒に生きるため、元より散々だった人生を捨て自身が墓神となる概念環境を作りながらその家に居たのだ。


「墓神になりたくてなったやつ、初めて見た」


 十开は考えていた。墓神になりたくてなる人間がいるのか、と。十开も固有の概念を持って生まれた特殊な人間__。

 否。

 寧ろ墓神に近い存在ではあるが、あるからなのか、そんな事など一度も思ったことがない。理屈で考えるべき事ではないだろうが、十开は彼女の思考が不思議で仕方なかった。


「思い出したくないとは言ってたけど、そこまで根に持ってるわけじゃないんだな」

「根に持つ? そんな薄っぺらい感情で日時丸があいつらを糧にしたと思わないで」

「復讐したんだろ?」

「それはただのメトニミーだっての。ラノベ風タイトルは一目でわかりやすく簡潔にがモットーなの!」

「メトニミー……」


 彼女の言葉を繰り返しながら、『今度からの朝読はラノベ読んでみるか』と十开はひっそり思った。


「第一、お兄ちゃんの家族は日時丸だけでいいし。日時丸の家族もお兄ちゃんだけでいいんだもん。お兄ちゃんにあんな下衆い家族いらないし、恥でしかないんだけど? 恥っていうか黒歴史? 日時丸にはもう血縁なんてあってないようなもんだけど、お兄ちゃんの史実にあの家族が居たって事実が汚点なのわけよ。わかる?」


 彼女は言い切った。


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