Ⅴ・真の支配者3
* * *
神紋を刻んだ小袋を開け、一掴み分の砂を慎重に入れていく。どこまでも美しく透き通った白き砂は、まるで彼女の全てを表しているかのよう…。
ふいに現れた気配に振り返ると、重みを感じない幼子の歩み。リオンの傍らを通り過ぎて砂に寝転がり、砂に顔を気持ち良さそうにすり寄せる。
「…」
――…親に甘える姿のようだ…。リオンはいたたまれない想いに唇を噛んだ。
「…? タオか」
ふいに変化したチカラの流れを感じ、天井を見上げる。
「――私が直々に退路を守ってやろう。貴様はそやつらを連れ出す事だけに集中しろ」
そう告げた黒き魔族は今、屋上で何やら魔法陣を構築している。緻密に編まれた高度なそれは、リオンの知識では到底理解しきれない。
「退路を守る、か…。簡単に出来る訳がないのにな…」
大天使長の魂の欠片、そしてこの小さな魂。この両者をこの場から連れ出すだけならば、大天使たるリオンも決して不可能ではない。
――殺気、あるいは餓えに似たソレを剥き出しに待ち構える外野さえいなければ。
「その外野の相手を、全て、タオだけでやる、って事だろ…?」
彼の真たる――魔王たるチカラの全てをリオンは知らない。普段でも桁違いのチカラを有しているのだ。あの友が世界の一つや二つ吹き飛ばすチカラを放てたとしても、リオンは驚きも恐れも拒絶もしない。
だが…、彼は全快した訳ではないのだ。
「…人の心配をしている場合でもない、か」
砂に遺る彼女のチカラを借り、リオンは慎重に術を編む。フワリと靡く光の風。風は真綿のように優しく幼子の魂を撫で、人の姿から光の球へと変化を促す。
「…」
――…生誕前の魂故に小さな形となるだろう、とは思っていたが、ついには真珠の粒ほどになってしまった。胸にズシリと重い気持ちを抱え、リオンは魂の球もまた小袋に収めた。
「タオ」
屋上へと向かい声を掛けると、魔法陣の中央に立つ魔族は静かに目を開けた。その漆黒の眼光にまっすぐと射抜かれる。
…こんな状況だというのに、本来の気配を纏う彼の全てにいちいち魅せられてしまうのだから、全くたまったものではない。全快した身でもないくせにコレだ。つい、俺の親友は本当に規格外過ぎだな、と苦笑してしまうが…、おかげで少し肩の力が抜けた。
「準備は良いか、リオン」
「…」
この魔力みなぎる威厳の声音で名を呼ぶとは…、リオンは特大のため息をつく。
「…なぁ、わざとか? 滅多に名前で呼ばないくせに」
「ん? 名は嫌か。ガキ、青二才、ヘタレ、駄天使」
「…。お前にそれだけの余裕があるのなら、もうどうでもいいや」
苦笑するとタオもまた軽く鼻で笑い――、そしてその視線はリオンが持つ小袋へと移った。
「大天使の最上位封印、か…。ぬかりはなかろうな? そのチビが勝手に外へ出ても知らぬぞ」
「俺が本気を出せば、ちょっとした神だって封じられるさ。不本意だけど、ガッチリ閉じ込めたよ。
それにこの子は…、母親の傍から離れたりしないさ」
「合図と同時に結界を開ける。その瞬間に、扉の空間まで全力で飛び去れ。
あくまでも貴様の身が第一だ。最悪の場合、そいつらは捨て置け」
「そんな事はしないよ」
「まぁ、私がさせぬが」
「…」
魔法陣の中央で悠然と口元を歪ませる漆黒の魔族。…残虐な笑みに見えるが、これは悪意の笑みではなく自嘲なのだとリオンにはわかる。それがわかるだけの年月を共に過ごしてきたのだから。
それにしても…、この魔法陣は凄まじ過ぎる。一体何の魔法陣だろう? かなり気にはなるのだが、タオは訊かれたくないらしい。なので、リオンも無理に追求する真似はしない。
組み込まれた術式の数は千以上。ベースとなる式は――…ん? これは召喚陣…なのか? 一体何の…?
「貴様のおつむでは理解出来んよ。頭上に湯気が見えるわ」
陣を睨み付けるように眉を寄せて考えていると、見かねたタオに苦笑されてしまった。タオを見ると、鎌に左腕を絡ませてクツクツと笑っている。
「笑うなよ…、貧相なおつむで悪かったな。俺も数万年生きれば、こんなすげーの操れるかな?」
「寿命千年の大天使が寝ぼけた事を」
友の呆れ口調に対しリオンは、何を言う、と憮然としてみせる。
「俺はお前の長い人生に付き合う、そう言ったはずだよな?
だから――勝手に死にやがったり、無断で俺の不死の呪いを解いたら、お前に破邪の矢をぶっ射してやるからな。俺の呪いを解いて良いのは、お前が天寿を全うする瞬間だけだからな」
見事なまでのタオの破顔――、それが次第に失笑へと変わっていった。親友へ向けての大きなため息。
「…安心しろ。俺の命は連中にくれてやるほど安かねぇよ。貴様は後々に俺がきっちり殺してやるさ」
僅かに開けた結界の穴から光速で飛び出す大天使。彼自身が纏う聖域と自分が渡した羽根の波動が相乗し、たとえ二対の翼を持つ存在でも安易に触れる事も近寄る事も出来ないだろう。
それでも――彼は奴らが欲する極上の糧を抱えているのだ。
瞬時に集まる無数の注目。それを断ち切るように、両者の間へと一瞬で転移した。そして気を引き付けるために、わざと自らの掌を斬る。魔力溢れた血臭にざわめく気配。煽られ高揚するチカラ。破壊の衝動につい顔が歪む。
さぁ早く出てしまえ駄天使め。あの阿呆に貴様が逢う必要はない。それ以前に、私が正気でいられる自信などないぞ。
「――私を退けてみるがいい、下賤ども」
窒息しそうな敵意を一身に受け、漆黒の王は見る者全てを否応なしに凍てつかせる冷酷な微笑を浮かべた。




