Ⅴ・真の支配者4
※残酷な描写が含まれています。
* * *
二対の漆黒の翼は魔王の系譜。その血を餌にした効果は抜群だ。それなりのチカラを有する存在でさえ自我を失い、咆哮をあげて向かってくる。
目まぐるしく襲い来るそれらを適当に薙ぎ、裂き、押し潰す。呼吸の暇すら許さぬそれらは濁流の勢い。だが流れに翻弄され窒息するほど、自分は貧弱ではない。相手を意識する前に相手を潰していく肉体。相手を潰しながら淡々とめぐらせる精神。
この空間に彷徨いている連中を大分すると、古の混血の民、古の黒き翼の民、古以降の混血の民、古以降の黒き翼の民、となる。大天使長が此処へ逃げ込み最初に群れたのは、あの魂と大天使長のチカラを欲した古の混血の民。次にその連中を喰らいチカラを増そうと狙った古の黒き翼の民。淘汰され濃厚に凝縮していくこの餌場に目を付けた、後世の黒き翼の民。如何様に歪んだ伝承と根拠を元にしたのかは知らないが、後世の混血の民がこれに続く。
場に満ちた血臭に煽られてトランス状態となった霊体を一閃する。こうして血気盛んに向かってくるのは混血のそれらが多い。黒の――特に二対の翼の連中は、今現在は静観の構え。チカラを持っていた連中ほどに、生前の知能が残っている証拠か。
二対の黒き翼は魔王の系譜。…この遠いご先祖様共が何を目的として此処へ入ったのか、と。堅く忘却したはずのかつての記憶と経験が、思考と動きの邪魔をする。周囲の不愉快な瘴気が、連中もろとも自分を絡め取ろうとしているようだ。
「下衆が…」
全快とは言い難いのだが、雑魚共を相手に手間取るような無能ではない。確かにそう確信していたが――…それにしても、先程から妙に体が軽い。奇妙な違和感に顔をしかめつつも、わかりやすい撹乱を企んだ連中をまとめて薙ぎ払うと、勢い余って隣の集団まで一閃してしまった。
「…?」
乱闘の中で、大した障害ではない、と許した小さな傷が、いつの間にか治っている。自分の自然治癒力がずば抜けているとはいえ、どうも妙だ。
雑魚の大半を殲滅した時点で考えをめぐらせていると、それまで外野に徹していた二対の連中から、影の一つが一瞬で斬りかかってきた。内心で、邪魔だ、と舌打ちしつつ鎌を縦に振るうと、思いの外容易に、スッパン、と斬り裂けてしまった。
呆気なく黒い煙をあげて消えていくソレを淡々と見て、ある可能性に気付く。
「…」
奇妙な感情で鎌をよくよく観察し…、やはりそういう事か、と大きくため息をついてしまった。それを隙と勘違いし襲いきた二対の翼のモノを軽く薙ぎ払うと、またもやソレは黒い煙を不気味にあげて消えていく。
「…」
――…間違いない。鎌に破邪のチカラが乱入している。それどころか、自分の治癒力を高めている。
それらの出所も簡単に想像がついて、無意識に懐を――リオンの羽根を衣服の上から撫でた。
不意打ちで抜いた羽根なのだから、リオンが仕組んだチカラではないのだろう。つまり、この自分のチカラに勝手に割り込んでいるわけだ。他者――それも魔族に意図せず加護を与えるとは…、慈悲にも程がある奴だ。
――否。
そもそもこの羽根を抜く際に、自分はてっきり、羽根が自己防衛反応に基づいた何らかの報復をもたらすだろう、と覚悟していた。だが実際は静電気の一つすら起きず、一体どうなっているのだろう、と不審に感じたものだ。
本能による自己防衛も起こさず、羽根を抜いた狼藉者を加護する羽根。――つまり、この羽根の持ち主は、心の奥底から本当に自分を信じている、という証だ。
究極のお人好しめ、もう少し警戒心を持て。――そう思いながらも、不快ではない想いだ。他者に信じられる、というのも存外悪くはない。
「…」
だが…、とも思う。もしあの駄天使が不意打ちで自分の羽根を抜いた場合、あやつは如何様な目に遭うだろう?
――自分は、本当に、あやつを心の底から信じているのだろうか?
あやつと同じ程に――…。
「…ッ!?」
鋭利な風の刃を間一髪で交わす。くだらぬ考え事をしていたせいで、危うく首を刎ねられるところだった。
言い訳のつもりではないが、瘴気が思考を消極的な方向へと浸食している。この状態を長期間受け続けたとなれば、なるほど確かにこのゴミ虫的なご先祖様共の有り様も納得出来るというものだ。
「こンのッ…!」
大天使の加護の恩恵が在るとはいえ、雑魚が周囲から消えた今の相手は、くそったれなご先祖様共だ。単体ならば問題にもならないが、こうも集団で掛かってこられては――…さすがの自分も消耗してくる。
徐々に圧され、背後へと――破綻した古の結界内へと跳躍する。役目を果たさない結界は連中を留めず、一気に雪崩れ込んできた。禍々しい魂に毒された草花が瞬時に枯れ、清浄なる風が死臭のソレに変わり果てる。立ち上る瘴気は強烈で、かなり不快だ。バハールドートに在る上級魔族も、この瘴気の前では一瞬で心身が崩落するに違いない。大天使など論外だ。
視界の隅に、先刻用意した魔法陣が映る。今使うべきか――…否、まだ早い。
最速で飛び抜けた大天使の気配は、少し前にこの空間内から消えた。幼稚な面も多少はあるが、それでもあやつは大天使だ。無傷に違い状態で扉の空間に脱出できたはず。…だが、もう少し時間を稼ぐべきだろう。
「はァッ!」
魔力を乗せた一閃。数個の魂を刈り払ったが――…、最後の振り払いを容易に素手で受け止められた。ごり押しで手ごと切断してやったが…、いささか旗色が悪くなってきたか。
血や羽根が撒き散らかれた地面。乱闘に揉まれた枯れ草が砕け、足元が滑る。一瞬の焦りが死を招きかねない。
――死、か…。
自分は自身の死を予感した経験がほとんどない。これは過信などではなく、単なる事実でしかない。物心が付いた頃には周囲に自分より秀でたチカラの存在などいなかったし、刃を向ける者がいても一瞬で首を刎ね飛ばせた。万が一負傷したとしても、化け物じみた治癒力が働いて完治する。三日前に負った深手でさえ、死に繋がる出来事とは捉えなかった。
そう考えていくと…、死ぬかもしれない、というこの感覚は、初めて経験するものなのかもしれない。
数万という年月を生きてきたが、未知との出会いには何時でも新鮮さを感じる。最近ではリオンが放った破邪の矢に若干怯んだ記憶があるが、もしあの矢に射抜かれたとしても、死に至るとは思いもしなかった。自分の実力に驕っていた点も、リオンの実力を侮っていた点も否めない。
だが――…それら以前に、あの友が自分を殺すはずがない。
『お前は変わった。今のお前には、失っては惜しいと思うモノが数多くある。そうだろう?』
――…ああ…、そうか…。
確かに以前の自分には、失うモノなど何もなかった。世界も民も自分自身の命さえもどうでもよかった。目的も意味も見出だせず――見出だすことさえ見出ださないまま、ただ何となく生きていた。
だが――…今は?
「ッ…!」
放たれた魔弾の軌道を反らし、振り向きざまに鎌を払う。胸を貫くために迫り来ていた右腕が両断されて落ち、黒煙をあげて四散した。
余計な思慮は命取りだとわかっていたはず。そこに意思の介入などせずにただ淡々と応戦してさえいれば、自身の本能と長年培ってきた経験が自動的に反応する。ペースを崩されてはいけない。
一瞬詰まった呼吸を整え、魔法陣との距離を測り――。
「ハアァッ!!」
鎌と書に宿る魔王のチカラを爆破させ生まれた閃光。威圧。一瞬の隙。その刹那に素早く魔法陣へと滑り込む。
発動寸前の段階にまで練り上げ待機させた陣だ、あとは留め置いた堰を外せばいい。亡霊共に隙を与える悠長な詠唱など不要。
一度短くも深く息を吐き捨て心を鎮める。この間にも爆破の衝撃から立ち直った連中が、血走った眼光で迫っている。鎌を持つ手に感じる汗。
さぁ――…さっさと出てこい、引きこもりめ。私の頼みならば大抵聞くのだろう?
「貴様のケツは貴様で拭けぇッ!」
叫びと同時に魔法陣中央に手加減なく鎌の柄を突き立てる。巻き起こる漆黒の爆風。全てを巻き込もうとする吸引力。それは自分の体からチカラと魂を無理矢理に引きずりだそうとさえして――…、確かなモノが欲しくて、反射的にリオンの羽根にすがり付く。
「――…ッ!」
遠退き薄れ行く全ての感覚。意識を手放すその瞬間に奴の真名を叫んだが――…、はたして上手く喚び出せただろうか…?




