Ⅴ・真の支配者2
※若干残酷な描写が含まれております。
◆ ◆ ◆
――…他にどうすれば良かったというのか。
かのチカラを使った後の自分には、あの数の賊を蹴散らす余力など微塵も残っていなかった。限界を超えた体には策を練る余裕すら許されなかった。他に手などなかった…。
焦りが思考を極端に狭めていくが、深い呼吸を繰り返し続ける事で自分をなだめていく。
今は休息が必要だ。自分が復活するまでにどれ程の時間が必要となるか想像もつかない。だからと今の自分が魂を削ってチカラを絞り出したとしても、業火に一滴の水を落とす程度のそれしか得られまい…。
光の羽虫が舞う視界に吐気を感じ、強く強く瞼を閉ざした。全ての感覚を外界から隔絶する。
一刻も早く休まねば――…。自分が保たないだけではない。回復が遅れれば遅れるだけ、不要な苦痛を与えてしまう。一秒でも早く回復し、あの場所から解き放たなければ。
一刻も、早く――。
落雷のような衝撃と熱を後頭部に知覚したのと、背後にあまりにも強烈な殺気を感じたのは、同時の事だった。
――――…気が付くと、自分は深く冷たい永遠の闇に囚われていた。
やれやれ、と自嘲する。さては、白き翼の民との共存を目指す自分を疎む連中の仕業か。消耗した身とはいえ、この自分が気付かなかったのだ。血族の誰か、側近の誰かかもしれないな。我が黒き翼の民はこれだから困る。…だが、だからこそ、私は民が愛しい。
死を呼吸のように理解し――…彼女が置かれた現実を理解し、愕然とした。自分と彼女が決死で張った守護の封印を破るなど、ましてやその後に賊から逃れるなど――…今の彼女に出来るはずがないッ!
死により狭まった思考が更に追い詰められ――…、魂を削り生み出したチカラで足掻く自分に気付いたのは、かなりの月日が経過してからだ。
…何を、しているのだろう。
深いため息をつき、目を閉じる。
石室に施された封印の質を冷静に探ると、生者でなければ解けないモノだと嫌でもわかった。死した自分では、どんなに足掻こうが、不可能――。
ぐったりとうなだれ…、失望と絶望に己という存在さえ見失っていく。
無に、呑まれていく――…。
――…長い長い年月が経ち…。次に自我を取り戻した時、自分以外の存在をその場に感じた。
まだ羊水にまみれた黒き翼の子。未熟な発育で産まれ落ち、産声をあげる事すら出来ない。死に近い生。その翼は二対――…自分の血族だ。
親の庇護から死をも辞さずに見放された子。このまま放置されれば間違いなく死ぬ。…自然と手を差し伸べていた。
消耗しきった霊体では、触れる事も声を掛ける事も出来ない。だが赤子が生きるための糧を――自分の霊力を与える事なら出来た。
結果、どれ程に放置し痛め付けられようが、この子は死なない。――いつしか父親と思われる者が、この子を餌代わりにするようになった。おそらくは現在の王だろうが、自分の存在には気付かないらしい。目の前で続く非情極まりない宴。…この子と父を助ける事が出来ない我が身を恨んだ。
この子の傍に在て見守る事で、結果として自分は再びの自我の崩落から逃れる事が出来た。乳代わりに霊力を与えると、この子は視点の合わない目を巡らせる。この瞬間ばかりは何らかの気配を感じるのだろうか。可愛いものだ…。
赤子が少年へと成長した頃、この子はこの闇の石室から引き出されていった。…胸が傷んだ。あの子は政争の具となる運命か、と。
再び一人となり、再び長い長い時が流れた。この耐え難い闇の中で過ごせば、また自分という存在を見失いそうになる。
まるで自分の全てが、じっ…くりと闇に溶け出していくかのよう――…。
…。
………。
「――随分と不様な有り様よ」
無に等しい意識の中で前触れなく響いた――…、まだ年若い声。
知覚をぼんやりと巡らせると、最小限に開けられた戸に青年が見えた。
「もしや、とは思うたが――。まさか、ほんにのぉ…」
聞こえる呟きに驚きのそれはない。底に潜むそれは無感情な――…否、これは疲労と孤独と…?
青年は中に踏み入る事を心底忌避しているようだ。覚えのある容姿と気配。
――…そうか…、あの子か…。そう思い、温かな心に顔がほころぶ。
だが…、死に覆われていたあの命が、理不尽な境遇からここまで成長した。――これが何を意味するのか、もちろんわかる。この子はあの後から今に至るまで、それこそ他者になど到底想像も理解も出来ない辛く暗い経験を強いられてきたのだろう。
――そしてそれは、今も続いている。…この目を見ればわかる。
全てに充たされない、目…。
その日から時折、この子は此処へ来るようになった。
中へ入る事もなく、何を語るでもなく、感情を出す事もない。ただ少しばかりの時を此処で過ごし、そして去っていく。
自分もまた無暗に触れず、ただ遠くで寄り添った。それがこの子の望みだとわかっていた。
だが――。ある日訪れたこの子は、違っていた。
「…わからぬ」
いつもならば他者に気取る事を許さない疲労と孤独を僅かに見せた、呟き。
「何故貴様は私を生かした? 私の魂が離れさえすれば、貴様はこの肉体を使い此処から出られたやもしれぬのに。…わからぬ」
『――…幼いな』
発する声を失った身での呟き。無意識にやわらかく笑んで。
この子には自分の声が聞こえるらしい。ますます眉をしかめ、立ち去ってしまった。
そしてこの子は、全てを棄てた。
容赦のない破壊のチカラは、石室に施された封印に亀裂を生んだ。此処から出られると気付いたのは、亀裂から流れ込んだあの子の破壊の魔力を感じたから。
目にした光景はまさに地獄。自分に次ぐチカラを持つ魔王の業火は、地上のあらゆる物を燃やし、灰にし、蒸発させていく。
――その狂暴な破壊の根底に、自分は孤独な悲鳴を聴いた。
弛みこそした封印だが、完全に断ち切れてはいないらしい。まるであの場に凝縮していた鎖が、城の敷地全体に伸び散ったかのよう。敷地の外には出られない。
だが――。未だ自由のない我が身を嘆くより、自分はあの子を捜した。
悲痛な波動を辿り、その姿を高台で見つけた。眼下で赤々と燃える大地。尋常ならぬ炎に呼ばれた上昇気流。熱風はその暗い頬を撫で、髪を巻き上げる。
「――これで、いい」
風に乗り聞こえたのは、そこに在る心とは偽りの呟き。傍らに降りると、生気のない睨みを向けられた。
「…怨みたくば怨め。憎みたくば憎め」
無感情な抑揚。――だがその奥底に在るのは、孤独に抉られた紛れもない感情。静かに閉眼し否定に首を振ると、この子は僅かに目を見開きこちらに顔を向けた。
『――お前の望みか?』
「…なに…?」
『これは真にお前が望んだ事か?』
「………」
微かにひそめられた眉。違和感のある無表情。硬く結ばれた唇は何かを告げたそうに僅かに震えて。
逸らされた視線が居所を求めた地面。紅蓮の炎に照らされたそこにいたのは、まだ小さな仔兎だった。元は裏庭の木立にでも棲んでいたのだろう。後ろ足に傷、ぎこちない足取り。血や煤に汚れた体は小さく震えている。
「……」
無言のまま仔兎を見つめていたこの子は、やがて小さなため息をついた。ゆっくり静かに身をかがめ、仔兎の首根っこを掴んで持ち上げる。負傷した後ろ足がプラプラと揺れる事に気付いたのか、尻を支えるように抱え直した。
「…」
さてどうするのかな、と見守っていると、視線に気付いて不満げな目線を寄越してきた。まるでご機嫌斜めな幼子のようで、思わず慈愛の笑みがこぼれる。
更に機嫌を損ねたのか、居心地が悪くなったのか。冷たく視線を逸らしたこの子は、兎を抱えたままどこかへと飛んでいってしまった。やれやれと苦笑し――…、眼下を見下ろす。
全てを消し去る無慈悲な炎。熱風の中で微かに聴こえてくる悲鳴、怒号。様々な何かを焼く臭い。
封印により回復を許されなかった今の自分には、今まさに潰えようとしている民達を救う術がない。だからといって、この地獄を引き起こしたあの子を責難するつもりもない。
『…あの子も被害者だ。そもそもの元凶は…、悠長に弑され封じられた私か』
空を仰ぎ、深いため息をついた。




