Ⅴ・真の支配者1
死の瞬間に何を思ったのだろう…? 白き砂を前に、リオンは心に感じた痛みに強く目をつむる。
結界を展開した際に、これは外からの侵入を防ぐが、同時に中からの離脱――自身と我が子の魂の解放も不可能にする事もわかっていたはず。だからと結界を解除すれば、外で群れる賊の餌食となるのは明白。…まさに絶望的な状況だ。
それでも。この空間に広がる彼女の心には、一点の翳りもない――…。
「っ? ビビったぁ…」
驚きが混ざった寝起きの裏声。その正体は壁に背を預け、片膝を抱えて仮眠をしていた長髪のタオだ。見ると、あの小さな存在が無邪気にタオの顔をのぞき込んでいる。
同じ事を小間使の兎がしようものならば、彼は容赦なく蹴り飛ばしていた事だろう。だが、タオはぼやきつつ立ち上がると、逃げるように外へと飛んでいってしまった。友の珍しい姿に、リオンは思わず笑ってしまう。
「悪い人じゃないんだよ?」
リオンは幼子に話し掛けたが、対する反応は言葉が通じない鳥のよう。リオンに構わず、パタパタと外へ駆け出していった。やれやれとため息をつき、タオの後を追う事にする。
タオは屋根にいた。組んだ両手を枕に、静かに目を閉じている。髪と羽根をやわらかく揺らすそよ風――…。
「…なぁ、タオ」
返事はない。
だが、隣に座ったリオンは続ける。
「お前が考えた結論って…、何?」
「……」
「…俺が反対するような事?」
躊躇いの後にポツリと言うと…、一瞬の間を置き、タオは腹筋で身軽に上体を起こす。
「――だったら、なんだ?」
暗く、低い声。タオはリオンと目を合わせない。
「私は創世の大天使長とそのガキを殺すために来た。だから、なんだ?」
「……俺は…」
――…いつもなら迷わずにこう言っている。それは絶対に許さない、絶対にさせない、と。
「…」
リオンは古の大天使長とその子を救いたい。イシュヴァも慈悲も憐れみも関係ない。ただ純粋にこの母子を救いたい。自然な心理だ。
だが――…、タオはわかっているのだ。封印の結界が崩壊した場合、その後に間違いなく訪れる地獄絵図を。
三日前にタオに重症を負わせたモノは、此処までの道中で退けた中にはいないのだろう。つまりは結界の外で待ち構えており、更にはソレと同等のモノが複数存在すると考えて間違いはず。
そんな存在がチカラを得たら、どうなるだろう? 混血の民が支配者と呼ぶ存在を喰らい、更に犇めく他の亡者をも喰らい尽くしたその存在は、その後どうするだろう?
「…バハールドートが、危険だよな…」
「バハールドートが滅ぼうが、悪魔共が全滅しようが、まぁどうでも良いが。私はただ今の暮らしをぶち壊されたくないだけだ」
「…。同じ事だろ」
タオの天邪鬼は、今に始まった事ではない。リオンが目を細めて苦笑すると、タオは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
――…そもそも、バハールドートだけの問題ではない。あの扉を挟めば、イシュヴァが在るのだから…。
「兄貴はあの子の存在を知っているのかな…?」
無意識の呟きに、さぁな、と関心のない応え。タオの視線の先には、野原で寝転がっている幼子の姿。
「タオが持つ書で駄目なら、兄貴――大天使長が持つ書はどうだろう? 元は彼女の持ち物だろうし、彼女を救う手立てがあるかも」
「阿呆が。あのもやし兄貴を連れてくる気か?」
「もやし言うな。霊力も魔力もすっかり戻っているんだぞ、ウチの大天使長は」
「たかが齢百かそこらの小わっぱに、どうこう出来る問題ではないわ」
淡々と吐き捨てた魔族は、呆れた眼しでリオンを見下ろす。
「貴様、本命のガキはどうする気だ?」
「それは…」
「貴様が同情するのは勝手だが、アレを餌と見なすのは亡霊共だけじゃねーんだからな。
アレをバハールドートに? 冗談じゃねぇ。その瞬間に悪魔共の理性が飛び、一気に群れて喰い散らかすぞ。
イシュヴァに迎える? 阿呆が。迷信深いイシュヴァの民が、そんなブツを安々と歓迎し受け入れるワケがねぇ。ウチに行くよりも残酷な末路決定だな」
次々と放たれた言葉の数々。リオンは衝撃に絶句する。
「…ッんなのわかってる! だからッ――…、わざとそういう表現を言うのはやめろよッ!!」
自分達が今いる屋根の真下では、その子の母親が永遠の眠りについているのに…!
痛む胸を押さえるリオンに対し、タオはため息をついて乱雑に寝転がった。――あのように言う彼だが…、両者を消す覚悟で来たのだろうに、すぐに実行には移さない。
野原で風に揺れる花と合わせて踊る幼子の魂。本来なら空っぽの状態のはずなのに、この子は草花や風を愛でる心を持っている。タオやリオンに興味を示す感情を持っている。――つまり、成長しているのだ。生誕していない身でありながらも、この地に満ちた母の愛を受けて。
かつての残虐さを思えば、タオがこの状況に躊躇いを感じる事に、本来のリオンはただ単に喜びを覚えたかもしれない。
――…だが…。
「………」
どれ程の沈黙が続いただろうか?
重く口を閉ざしたままうなだれていると、隣の魔族が盛大なため息と同時に立ち上がった。
驚いて見上げると――、何か覚悟を固めたかのような、強い眼光。
「リオン」
長髪のタオに意図して名を呼ばれると、途端に緊張と重圧がのし掛かってくる。
「な…んだよ?」
「あのガキ、外へ出したいか?」
「…っ」
あまりにも直球な問いに言葉が詰まる。
――…それは…、このまま閉じ込められたままだなんて駄目だし…。
だからと、出すためには、色々と問題が山積みだし…。
「出したいか、出したくないのか。それだけを訊いている」
内の声が聞こえたかのような、淡々とした追撃。力ある声音に思わず身が縮む。
「…だ…だから……、そりゃあ…、出してやりたい…けど」
「あのガキは、この世のありとあらゆる苦痛の存在すら知らねぇんだぞ? 外に出すって事は、母親の比護から引き剥がすって事だ。大小問わず――いや、ガキにとっちゃあ抉るにも等しい苦痛を経験させる羽目になる、って事だ。
この温室でぬくぬくしたままサクッと消した方が、本人には良いと思わねーか? 俺も悪鬼じゃねぇ、苦痛なんぞ微塵のミの字も感じる暇なく消してやれる」
「…タオは」
――キリキリと食いしばった歯の隙間から、無意識に言葉が漏れていた。
「タオはその方が幸せだったのか…ッ!?」
――あの暗闇で。
何も知らないまま、自分を自分とさえわからないままで――…。
「今より幸せだったのかッ!?」
込み上がる様々な想い。爪が食い込む拳。
カッ、と目を見開き友を見ると――…、タオはキョトンとした顔で、不思議そうに目をぱちぱちとさせていた。
「…? 何をムキになってんだ、お前…」
タオがリオンを、お前、と呼ぶ時は、相当混乱をしている時か、脳内が疑問符で埋め尽くされている時か、そもそも何も考えていないのか、のどれかだ。そして、この顔を見れば、今回は本当にその言葉どおりの心情なのだろう。
リオンは一瞬返事に詰まり――、自嘲する。
――…あの時自分が視た事は、本人には言わないでおこう。言うべきじゃない。タオが知る必要なんてない。
とにかく、と立ち上がったリオンは、同等の目線でタオを据えた。
「…俺はあの子を此処から出したい。此処で消滅させる気も、外の連中の餌食にさせる気もない。このまま潰えるなんて、俺は認めない。
――出した後は、俺がキッチリと天国ってヤツに導く。大天使を舐めるなよ。この魂は絶対に次の世に繋いでみせるッ!」
「………」
僅かな隙もなく黒い眼を見据えて言い切ると――…、タオは困惑に眉をピクピクさせ、そして根負けしたかのように視線を逸らした。
「――…はぁ…、コレだからガキは苦手だ」
前髪をくしゃりと握るように乱し、漆黒の魔族は皮肉なまでの自嘲を浮かべた。
「だが…、俺も後味が悪いのは嫌だからな。
――…しゃあねぇなぁ…、腹ぁくくっとくか…」




