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第4話 恐怖のホラーゲームと、完璧なエスコート

 配信開始まで、あと十分。若菜は机の上のマグカップを両手で包み、通話ソフトに表示された花宮可憐の名前を見つめていた。接続は済んでいて、今はそれぞれ最後の準備をしている。


 生声の配信から数日が経っても、可憐の話題は途切れなかった。短い切り抜きが次々に流れ、その度に新しい誰かが、あの声に驚いている。今日のコラボの告知にも、普段は見かけない名前からたくさんの反応が寄せられていた。


 嬉しいことだ。自分が以前から好きだった配信者を、他の人も好きになってくれる。それなのに、可憐を見つけたと喜んでいる投稿を見ると、自分はもっと前から知っていたのに、と言いたくなってしまう。


「......今日は、先輩だからね」


 小さく呟きマグカップを置いた。画面に映るのは、いつもの四ノ宮若菜だ。初めて一緒に配信する相手を安心させ、リスナーにも楽しんでもらう。その役目なら、これまで何度も果たしてきた。


 今日遊ぶのは、二人で廃病院を探索する『シャドウ・アサイラム』。怖いものは得意ではないが、一人で遊ぶわけではない。隣に誰かがいると思えば、きっと大丈夫だ。


 可憐が怖がったら声をかけてあげよう。自分の名前を呼んで助けを求められたら、今度こそ落ち着いてこたえたい。そんな場面を想像すると、少しだけ口元が緩んだ。


「若菜先輩。こっちの音、もう一度確認していただいてもいいですか?」


 不意にヘッドホンから声が届き、若菜はマグカップに伸ばしかけた手を止めた。何度聞いても、最初のひと言には慣れない。返事を急ぐと声が裏返りそうで、一度だけ息を整える。


「うん。ちゃんと聞こえてるよ。ゲームの音とのバランスも大丈夫」


「ありがとうございます。初めてお邪魔するので、何かあったら遠慮なく言ってください」


「そんなに緊張しなくていいってば。今日は、お姉さんに任せてね」


 今度は思っていた通りに言えた。可憐の「頼りにしてます」が返ってきて、若菜は満足そうに背筋を伸ばした。


 ◇


 通話のマイクを一度切り、俺は隣のモニターへ目を向けた。そこにはゲームの操作説明と、自分でまとめた簡単な表が開いている。目的地、困った時に戻れる場所、それに協力して動かす仕掛けを、見返しやすい順に並べてあった。


 若菜先輩は、ホラーがあまり得意ではないと言っていた。だからといって、先回りして何もかも済ませればいいわけではない。せっかく誘ってくれた相手を、俺の後ろについてくるだけの人にしたくはなかった。


 調べたのは、序盤の操作と敵の基本的な動き、それに最初の病棟て詰まりやすい所だった。海外の先行プレイ動画も少し見たが、物語の結末までは追っていない。驚く余地まで取り上げたら、一緒に遊ぶ意味がなくなってしまう。


 もっとも、気づけば表に色までつけていた。楽しみにしているはずなのに、出来上がったものが取引先との打合せ資料に似ているのは、どうしたものだろうか。


「......議事録はいらないからな」


 自分に言い聞かせ、飲み物を手元へ寄せた。昼間に買い物へ出たときの帽子とマスクは、玄関にまとめてある。髪を収めるのに思ったより手間取ったが、次はもう少し早く支度ができるはずだ。


 外へ出るときのことも、初めてのコラボのことも、先輩に教えてもらってばかりだ。せめて今夜は、誘ってよかったと思ってもらいたい。俺はゲームの画面へ戻り、通話のマイクを入れなおした。


 ◇


「こんばんは、四ノ宮若菜です。今日は、一緒に病院を探検してくれるお客様をお呼びしております!」


 夜十時。若菜の配信画面に、二人のモデルが並んだ。ゲームの待機画面を背にした可憐が、紹介を受けて小さく頭を下げる。


「花宮可憐です。はじめましての方も、いつも来てくれる方も、こんばんは。今日は若菜先輩にお世話になります」


『王子きた!』


『この声と若菜さんの組み合わせ、もう落ち着く』


『今からホラーなんですが』


 若菜はコメントを拾いながら、音量の具合を確かめていた。可憐の視聴者に向けて、自分の配信ではどんなゲームをしているかも簡単に話す。初めて来た人が会話へ入りやすいよう、二人の話を交互につなぐ運びは滑らかだった。


「可憐ちゃん。こういうゲーム配信は、あまりしてこなかったんだよね?」


「そうですね。このゲームは今日が初プレイです。ただ、操作と序盤の動画は少し見てきました。完全な初見ではないので、そこは先に言っておきます」


「えっ!? 予習してくれたの?」


「二人して操作で困ると申し訳ないので。先輩が解いているところで答えを言ったりはしませんから、ご安心ください」


 そこまで準備してくれたのは嬉しかった。けれど、画面の隅にいる可憐があまりにも真面目にも頷くものだから、若菜は思わず笑ってしまった。


「大丈夫だよ、今日は試験じゃないんだから。失敗しても一緒に笑えばいいの」


「......そうですね。ありがとうございます」


 少し柔らかくなった返事に、若菜は胸をなでおろした。緊張している後輩をほぐすという意味では、出だしは順調ではなかろうか。ゲーム開始のボタンを押し、暗い病院の玄関へ足を踏み入れた。


 受付には篩新聞が散らばり、奥の廊下では蛍光灯が点滅していた。操作する人物の足音が、やけに大きく聞こえる。若菜は懐中電灯を左右に振り、掲示板の案内を読んだ。


「まずは管理室で病棟の鍵を探すんだって。可憐ちゃん、こっちに案内図があるよ」


「助かります。俺、受付の裏ばかり見ていました」


「ふふっ。置いていかないから、ちゃんとついてきてね」


 振り返ると、可憐の操作する人物がすぐ近くにいた。二人で動く姿が嬉しくて、若菜は歩く速度を少し落とした。視聴者に話しかける余裕も、まだこの時は十分にあった。


 机の引き出しが勝手に開いた時は、さすがに肩が跳ねた。それでも声を上げるほどではなく、何も入っていない引き出しに文句を言って笑いに変えられた。壁の古い集合写真も、可憐が「この人数分の勤怠管理は大変そうですね」などというので、怖いよりも先に可笑しくなってしまった。


『見るところが管理職なんよ』


『病院の経営を心配するな』


「可憐ちゃん、今は幽霊の心配をしようね?」


「すみません、つい気になってしまって」


 素直な返事に笑いながら、若菜は管理室の鍵を拾った。この調子なら大丈夫だと思った。二人で話している間は、薄暗い場面も、ただの配信の背景にできそうだった。


 廊下へ戻る扉を開けた途端、天井の照明が一斉に消えた。


 何かを引きずる音が右耳のすぐそばで鳴った。若菜が反射的に視点を向けると、懐中電灯の端に白い服が映る。人の形だと分った瞬間、それが不自然な速さでこちらへ走ってきた。


「いやっ! 待って待って、待って! 来てる、こっち来てる!」


 逃げようとしたのに、画面には壁しか映らなかった。方向を変えるつもりでスティックを倒すと、今度は天井が見える。足音だけが近づき、どちらへ進めばいいのか、全く分からなくなった。


「可憐ちゃん、どこ? 私、壁、うごけな......!」


「います。先輩の左です」


 低い声が短く帰ってきた。続いて、画面の端を懐中電灯の光が横切る。白い服の敵がそちらへ向きを変え、若菜の画面から消えた。


 ◇


 俺は廊下の中央を走り、角をひとつ曲がった。敵は光と走る音に反応する。動画で見た通り、近くで動いたこちらを追ってきてはくれたが、予想していたよりも敵の足が速い。


「先輩。今、敵は俺を追っています。まずは視点を下げて、正面を見られますか?」


「うん……えっと、壁が見える」


「そのまま、ゆっくりと左を向いてください。扉に緑の明かりがついている部屋があるはずです」


「あった! 休憩室って書いてある」


「そこへ入って扉を閉めてください。俺もあとから行きます」


 安全な部屋を先に確認しておいてよかった。若菜先輩の位置は、ゲーム内の仲間の表示でわかる。彼女が休憩室へ動き始めたのを確かめ、俺は曲がり角の先にある処置室へ駆け込んだ。


 奥の扉を抜ければ廊下へ戻れるはずだった。ところが、ノブを回しても開かない。通り抜けられると思っていた部屋には、鍵の必要な扉が一枚挟まっていた。


「……なるほど。ここは通行止めか」


「えっ? 可憐ちゃん?」


「大丈夫です、別の方法にします。先輩は部屋に入れました?」


「入った。閉めたよ」


「ありがとうございます。そこで少し待っていてください」


 懐中電灯を消し、部屋の隅のロッカーへ滑り込んだ。直後に扉がきしみ、白い影が細い隙間を通り過ぎる。俺は移動キーから指を離したまま、近づいてくる足音を聞いた。


 声を出すと反応する仕組みではないと分っていても、それでも思わず息を止めてしまう。画面に映る細い隙間を何かが横切った。やがて音が遠ざかり、俺は止めていた息をゆっくり吐いた。


「......よし、こっちも隠れられました」


「ごめんね。私のせいで、そっちに行っちゃって」


「いや、追ってくる相手が変わっただけですよ。先輩、今は飲み物でも飲んでいてください。急がなくても大丈夫です」


 休憩室へたどり着くと、先輩の操作する人物が扉の前でこちらを向いていた。俺が入るのを待ってから、すぐに扉が閉まる。その動きが妙に人間らしくて、ようやく笑う余裕が戻った。


「お待たせしました」


「……おかえり」


 ほっとした声だった。画面に顔が映る訳ではないのに、扉の向こうで待っていてもらえたことが嬉しい。俺は先輩の隣へ移動し、ゲーム内の地図を開いた。


 休憩室は敵の入ってこない安全地帯で、最初に操作を確かめた部屋でもある。先輩にもそれを伝えてから、少し休みますかと尋ねた。返事までの間は、こちらから言葉を重ねずに待った。


「もう大丈夫。びっくりしちゃって……ごめん、みんなも音、大きかったよね」


『こっちも叫んだからお互いさま』


『無事に合流できてよかった』


『可憐ちゃん、帰還の挨拶が会社帰りなのよ』


 先輩がコメントを読み、ようやく小さく笑った。マイクから少し離れて飲み物を飲んだらしく、短い静けさが挟まる。戻ってきた声には、いつもの聞き取りやすさがあった。


「可憐ちゃんを引っ張っていくつもりだったのになぁ」


「ここまで、ちゃんと案内してくれたじゃないですか。俺一人だったら、まだ受付で書類を読んでいたかもしれません」


「それは読みすぎ」


「はい。なので、この先も分担でお願いします」


 笑って返してくれたので、俺も地図へ目を戻した。先輩が持っている管理室の鍵で中央の区画へ進める。そこから先は、二人で別々の仕掛けを操作する必要があった。


 敵が怖いこととゲームができないことは違う。さっきまで先輩は案内図を読み、必要なものを見つけ、俺が話しやすいように何度も会話を振ってくれた。その全部をなかったことにして、俺だけで進めるつもりなどなかった。


「先輩、もう少し続けられそうですか?」


「……うん。ただ、しばらく前を歩いてもらってもいい?」


「もちろん。俺の姿が見えるところで、ついてきてください」


 扉を開ける前に、足音が遠いことを確かめた。俺が廊下へ出ると、先輩も少し遅れてついてくる。さっきよりも近い距離を見て、走るのをやめて歩く速さを合わせた。


 ◇


 若菜は、目の前を進む背中から視線を離せなかった。ゲームの中の人物だから、可憐のモデルとは似ても似つかない。それでも、その背中が少し遠ざかるだけで、すぐにでも追いかけたくなる。


 怖くなかったわけではない。足音がすれば立ち止まりたくなるし、扉の向こうを確かめるのも嫌だった。けれど、可憐は曲がる前に声をかけ、若菜が追いつくまで待っていてくれた。


「右へ行きます。突き当りまで行かずに手前の扉です」


「これ?」


「はい、それです。上手です、そのまま入ってください」


「ただ扉を開けただけなのに、そんな言い方しないでほしかった。怖さで速くなっていたはずの鼓動が、違う理由で落ち着かない。返事をすると何かが口から洩れてしまいそうで、若菜はゲームの操作に集中するふりをした。


『若菜さん、返事が素直になってる』


『ホラーを見に来たのに、なぜか安心する』


『可憐ちゃん、わたしも案内してください』


 最後のコメントだけは読まなかった。可憐は自分の画面を見ていて気づかなかったらしく、部屋の中にある配電盤の説明を読んでいる。若菜は小さく息をつき、その隣へ移動した。


 中央の鉄格子を開くには、配電盤の電源を復旧させたたあと、離れた場所にある二本のレバーを操作する必要があった。片方はこの部屋にあり、もう片方は廊下を回った先の警備室にある。最後の解除ボタンは、鉄格子の内側に置かれていた。


「俺が警備室へ行きます。先輩は、こっちのレバーをお願いできますか?」


「……離れるの?」


 思っていたよりも心細い声が出た。若菜が言い直すより先に可憐が穏やかに答えた。


「声は繋いだままです。どこまで進んだか、ずっと伝えますから」


 そのひと言で断る理由がなくなってしまった。若菜はレバーの前へ進み、操作方法を確かめた。押している間だけ作動する仕組みで、可憐が向こうへ着くまで待つことになる。


 扉が閉まり、ゲームの画面から可憐が消えた。急に部屋が広くなったようで、若菜は何度も扉へ視点を向けたくなった。それでもヘッドホンから届く声は途切れなかった。


「今、曲がり角です。……あ、壁に写真がありますね。さっきの職員さんたちだ」


「また勤怠管理の話?」


「今度はちゃんと見てます。全員、笑ってないなと思って」


「それも、ちょっと嫌なんだけど」


 話しているうちに、扉の向こうへ向けていた視点がレバーへ戻った。可憐が警備室に着いたと告げ、二人でカウントを合わせる。若菜がボタンを押し続けると、遠くで想い金属の動く音がした。


「開きました。先輩、先にて嗣の向こうへ入ってください。俺はこっちのレバーを押してます」


 若菜は部屋を出て教えられた方へ走った。廊下の先で半分ほど持ち上がった鉄格子が見える。その下をくぐると、ようやく明るい非常灯のある通路へ出られた。


「入れたよ。可憐ちゃんも来て」


「はい、今から―――あ、こっちに戻ってきてますね」


 声は落ち着いていたが、走る足音が通話越しに聞こえた。鉄格子が少しずつ下がり始める。若菜は反射的に来た道を振り返り、そのわきに点滅しているボタンを見つけた。


 非常開放。さっき説明を読んだ、内側から扉を固定するためのボタンだった。


「可憐ちゃん、そのまま来て。私、開けておくから!」


 ボタンを押すと、鉄格子の下降が止まった。向こうから懐中電灯の光が近づいてくる。その背後には、嫌になるほど見覚えのある白い服があった。


 若菜は視線を逸らしかけて踏みとどまった。可憐がまだ通り抜けていない。今は画面を見て、どこまで来たのかを確かめなくてはいけなかった。


「入りました! 閉めてください!」


 若菜が捜査を切り替えると、鉄格子が大きな音を立てて落ちた。追ってきた敵が向こう側で立ち止まり、やがて暗がりへ戻っていく。すぐ隣にいる可憐の操作する人物を見て、若菜はようやく指の力を抜いた。


「……間に合った?」


「はい、助かりました。俺、追われてて最後の操作をお願いするのが遅れました」


 その声には、はっきりと安堵があった。予習してきた可憐も、全部を思い通りにできるわけではない。それが分かると、怖さの残る胸に少しだけ別の暖かさが広がった。


「先輩が待っててくれて、よかったです」


 若菜はすぐに返事をしなかった。自分を安心させるために言ってくれたのかもしれない。それでも、ついさっきまで守られてばかりだった自分の手が、今は可憐の役に立ったのだと思えた。


「……ちゃんと、お姉さんできた?」


「ええ。頼りになりました」


 セーブの表示が出ると同時に、若菜は椅子の背へ身体を預けた。たったひとつの病棟を抜けただけなのに、ずいぶん長い時間が経った気がする。コメント欄には、二人の名前と、おめでとうの文字が並んでいた。


『最後の若菜さん、かっこよかった』


『ちゃんと協力プレイだった』


『これが吊り橋効果ってやつか……』


「病院だから、橋はなかったよ?」


 可憐のまじめな返事に、若菜はとうとう声をあげて笑った。たぶん、分かって言っているのではない。そういう人なのだと、今夜は何度も思い知らされていた。


 ◇


 最初の病棟を抜けたところで、俺たちは休憩を挟んだ。次の区画へ進むこともできたが、時計を見ると予定していた終了時刻が近い。先輩に相談し、続きはまた今度ということになった。


 先輩はゲーム画面を閉じると、すぐに配信の終わりを整え始めた。感想を振り、来てくれた視聴者へ礼を言い、俺のチャンネルの案内までしてくれる。その間に飲み物を口にできた俺は、やはり進行に慣れた人は違うと感心していた。


「可憐ちゃん、今日はどうだった?」


「楽しかったです。準備していても、実際に動くと全然違いますね。最後は本当に助けていただきました」


「私は、ほとんど助けてもらってた気がするけど……」


 先輩の言葉が途切れた。俺が続きを待っていると、少しだけ声を落として付け足された。


「このゲーム、もう可憐ちゃんがいないとできないかも」


『次回の相手も決まりました』


『若菜さんから継続指名はいりました』


「では、ぜひ続きをご一緒させてください。今度は、閉まってる扉に突っ込まないようにします」


「そこは突っ込んでもいいよ。……ちゃんと、戻ってきてくれたら」


 先輩が笑うと、またコメントの流れが速くなった。どうやら最後まで楽しんでもらえたらしい。俺も肩の力を抜き、来てくれた人たちへ挨拶をした。


 配信が終わると、ヘッドホンの中が急に静かになった。放送が止まったことを確認した先輩が、お疲れ様、と普段より小さな声で言う。俺も礼を返し、用意していた表を閉じる。


「怖いところ、無理させませんでしたか?」


「怖かったよ。すごく」


「……すみません」


「違うの。怖かったけど楽しかった。途中でやめなくてよかったなって思ってる」


 そう言ってもらえるなら準備した甲斐があった。何も失敗しないようにと考えていたのに、振り返って最初に思い出すのは、出口で俺を待っていてくれた先輩の声だった。表には書けなかった場面の方が、ずっとよく残っている。


「俺もです。また誘ってください」


「……うん。あのね、可憐ちゃん」


 通話を切るつもりで伸ばしかけた手を止めた。先輩は少し迷ってから、週末は空いているかと尋ねてきた。次の配信の相談だろうと予定を開くと、そこに思いがけない言葉が続いた。


「よかったら、お茶でもどうかな?配信のことも話したいし……ちゃんと会ってお礼も言いたいから」


「お礼なんて、こちらこそです。俺でよければ是非」


 返事の向こうで、先輩がほっと息をついた。落ち着いて話せる場所を相談することになり、俺は予定に書きこんだ。画面越しに一緒に遊んだ人と、今度は向かい合って話せる。それが、思っていた以上に楽しみだった。


 ◇


 通話が切れてから、若菜は冷め切った飲み物をひと口飲んだ。机の上には、配信前に書いた進行用のメモが残っている。可憐が怖がったら励ます、と書いてある行を見つけ、指先でそっと隠した。


 頼ってもらうはずだったのに、自分ばかり名前を呼んでいた。けれど、その度に可憐は返事をくれた。慌てても、うまく動けなくても、困ったような声にはならなかった。


 先輩らしくできなかった時間を、あの人は失敗にしなかった。最後には、自分が待っていてよかったとさえ言ってくれた。その言葉を思い返すと、今度は怖くもないのに胸がきゅっと苦しくなった。


 公開されたアーカイブを開きかけて、若菜は手を止めた。今すぐ声を聞きなおしたい気持ちはあったが、最後の約束は、そこには入っていない。二人だけで話した言葉は、自分の記憶から取り出すしかなかった。


 終末の予定を開き、その欄をしばらく眺めた。次に会ったら何を話そう。配信の相談だけでは終わりたくないと思っていることを、可憐はきっとまだ知らない。

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