リーゼの魔法
テルナ村に来て、数日が経った。
リーゼは、少しずつ村の暮らしに慣れ始めていた。
マリーが訪ねてくると、以前ほど怯えなくなった。差し出された食べ物を受け取ることも、短い言葉を返すこともできるようになった。
それでも、知らない人の声が聞こえると、身体が強張ることがある。
何かを頼まれると、断るより先に、どうすれば相手の望むとおりにできるかを考えてしまう。
そんな自分に気づくたび、リーゼは少しだけ戸惑っていた。
その日の午後。
ヴァルセーヌの家で、ノエルは机に広げた紙に何かを書き込んでいた。
向かいにはリーゼが座り、その隣ではヴァルセーヌが古い本を閉じている。
「リーゼ。少し聞いてもいいかな」
ノエルが顔を上げた。
「……なに?」
「君の魔法について、もう少し知りたいんだ。無理に話してほしいわけじゃない。嫌なら、話さなくてもいい」
リーゼは、すぐには答えなかった。
魔法について尋ねられることには慣れている。
けれど、それはいつも命令だった。
何体動かせるのか。
どれだけ長く動かせるのか。
次は何体の死者に命を吹き込めるのか。
答えられなければ、何度も繰り返し試させられた。
「……話しても、いいの?」
「もちろん」
ノエルは頷いた。
「僕は、君の魔法を知りたいんだ。君が何をできて、何ができないのか。それを知れば、これから一緒に考えられることもあると思うから」
「一緒に……?」
「うん」
リーゼは視線を落とした。
少し迷ったあと、小さく口を開いた。
「私の魔法は……触れたものに、命を吹き込むの」
「触れることが必要なんだね」
「うん。離れたところから、いきなり命を吹き込むことはできない。最初に触れて、魔法を使うの」
ノエルは紙に短く書き留めた。
「命を吹き込めるのは、どんなもの?」
「土で作った人形でも、木でも、石でも……形があれば、できると思う。死んだ人や動物にも使える。でも、生きている人や動物には使えないの」
「死んだ人にも……」
ノエルは一瞬、言葉を止めた。
「粉々になったものは?」
「……無理。元の形がほとんど残っていないと、命を吹き込めない」
「なるほど。形そのものも、大切なんだ」
ノエルは紙に書き加えた。
リーゼは、その手元をじっと見つめた。
「……そんなことを書いて、どうするの?」
「忘れないようにするんだよ」
「忘れないように?」
「うん。知っていることを整理すれば、今まで気づかなかったことが見つかるかもしれないから」
リーゼには、その考え方が不思議だった。
帝国では、魔法について記録を取ることはあった。
けれど、そこに書かれていたのは、戦いに使うための数字ばかりだった。
何体動かせるか。
どれほどの兵力になるか。
どこまで命令に従わせられるか。
ノエルの紙には、まだ何も書かれていない。
ただ、リーゼの言葉がひとつずつ記されているだけだった。
「……それで、命を吹き込まれたものは、ずっと動き続けるの?」
ノエルが尋ねた。
「うん。基本的には、一度命を吹き込めば、私がずっと魔法を使い続けなくても動けるの」
「動き続けるために、魔力を注ぎ続ける必要はないんだね」
「そう。私が魔法を使うときに必要なのは、命を吹き込むための魔力。でも、どれだけの魔力を使うかは、相手によって違うの」
「相手によって?」
「簡単な命令しか理解できないものなら、たくさん作れる。でも、自分で考えたり、複雑なことを理解したりできるものは、ずっと少なくなる」
リーゼは指先を見つめた。
「……私が一度に命を吹き込める数は、普通のものなら五千体くらい。だけど、人間みたいに話せるものや、賢いものは、五十体くらいが限界だと思う」
ノエルの手が止まった。
「五千と五十……ずいぶん違うんだね」
「うん。大きなものも、たくさんの魔力が必要になる。だから、同じ五千体でも、全部が大きなものだったら無理だと思う」
「つまり、数だけじゃなくて、大きさや知能も関係するんだ」
ノエルは考え込んだ。
もし、自分が土で作ったゴーレムにリーゼが命を吹き込めば、動かせるようになる。
だが、どんなゴーレムを作るかによって、リーゼが必要とする魔力は変わる。
ならば、ただ数を増やせばいいわけではない。
小さくても十分な仕事ができる形。
少ない知能でも安全に動ける仕組み。
必要なときだけ、高い判断能力を持たせる方法。
考えるべきことは、いくらでもありそうだった。
「……ノエル?」
「あ、ごめん。ちょっと考え込んじゃった」
「何を考えていたの?」
「君の魔法を、もっと役立てる方法があるんじゃないかって」
リーゼの表情が曇った。
「……役立てる?」
その言葉は、彼女にとって馴染み深いものだった。
役に立つこと。
期待に応えること。
できる限り多くの死者を動かすこと。
それができなくなったとき、自分には価値がないと思った。
ノエルは、リーゼの変化に気づいた。
「ごめん。変な意味じゃないんだ」
「……変な意味?」
「君が何かをしなきゃいけないってことじゃない。僕が知りたいのは、君の力で何ができるかなんだ。何をしてもらうかは、君自身が決めればいい」
リーゼは、ゆっくりと顔を上げた。
「……私が、決めていいの?」
「もちろん」
ノエルは、迷わず答えた。
「君の魔法なんだから」
その言葉に、リーゼは何も返せなかった。
自分の魔法なのに、自分で使い方を決めていい。
そんなことを、考えたこともなかった。
しばらくして、ヴァルセーヌが静かに口を開いた。
「もうひとつ、聞いておきたいことがある。命を吹き込んだものは、どこまで自分で考えられるんだい?」
「……それは、私がどれだけ知能を与えるかによって変わるの」
リーゼは、少しずつ言葉を選びながら答えた。
「簡単な命令だけを理解するものも作れるし、自分で周りを見て、何をすればいいか判断できるものも作れる。もっとたくさんの命を与えれば、人間みたいに話せるものだって……作れると思う」
「思う、ということは?」
「そこまで試したことは、あまりないから」
最後の言葉は、小さかった。
帝国で求められたのは、意思を持つ存在ではなかった。
必要なのは、命令を聞き、戦い、敵を倒す兵士だった。
考えることも、話すことも、望むことも求められなかった。
「……それなら、命令には絶対に従うのかな?」
ノエルの問いに、リーゼは首を横に振った。
「ううん。知能が高いものは、命令の意味を考えるから……従わないこともあると思う」
「従わないことも?」
「うん。私が命令したからって、必ず言うとおりにするとは限らないの」
ヴァルセーヌは、興味深そうに顎へ手を当てた。
「それは、命を吹き込まれたものが、自分で考えているからだろうね」
「……そう、なのかな」
「自分で考えることができるなら、命令の意味を理解することもできる。意味を理解できるなら、その命令を受け入れるかどうかを判断する可能性もある」
リーゼは俯いた。
「たぶん……私もしっかりと試したわけじゃないから」
その言葉に、ノエルは顔を上げた。
「作ったら、全部自分の思いどおりになるわけじゃないんだね」
「そう……だと思う」
「そっか」
ノエルは、少し考えてから続けた。
「だったら、命令するんじゃなくて、お願いしてみるのはどうかな」
「お願い……?」
「うん。何かを手伝ってほしいときに、理由を話して、手伝ってくれるか聞いてみるんだ」
リーゼは、目を瞬かせた。
帝国で、兵士にお願いをする者はいなかった。
命令する者と、従う者。
それだけだった。
「……もし、断られたら?」
「別の方法を考えるよ」
「怒らないの?」
「どうして?」
ノエルは本気で不思議そうな顔をした。
「嫌だと言われたなら、何か理由があるのかもしれない。それを聞いてから、どうするか考えればいいと思う」
リーゼは、ノエルを見つめた。
彼は、自分の魔法で生まれた存在が命令を拒むことを、恐ろしいことだとは考えていないらしい。
それどころか、拒む理由を聞こうとしている。
リーゼには、まだ理解できなかった。
けれど、その考え方を嫌だとは思わなかった。
「……ノエルは、変わってるね」
「そうかな?」
「うん」
リーゼは小さく頷いた。
ほんの少しだけ、表情が和らいだ。
ヴァルセーヌは二人を見守りながら、別の問いを投げかけた。
「リーゼ。君自身の意思で、命を吹き込んだものを止めることはできるのかな?」
「できるよ。私が命を吹き込んだものに触れれば止められる」
「止めたあとは、どうなる?」
「……それは、どう止めるかによって違うの」
リーゼは、慎重に説明した。
「動かすのを一時的に止めるだけなら、また動かせる場合もある。でも、命を完全に手放したら、元のものに戻ることもあるし、もう一度命を吹き込む必要があることもある。全部が同じ結果になるわけじゃないの」
「なるほど。停止と解除は、分けて考えたほうがよさそうだね」
ノエルはまた紙に書き込んだ。
「……それから、もうひとつ」
リーゼが言った。
「命を吹き込んだものが壊れたり、消えたりすると、使っていた魔力の容量が戻ってくるの」
「容量が戻る?」
「うん。だから、五千体を動かしていても、そのうちの何体かが壊れれば、その分の容量を使って、別のものに命を吹き込めるようになる」
「それなら、状況によって使い方を変えられるんだね」
ノエルは紙を見下ろした。
少しずつ、リーゼの魔法の仕組みが見えてきた。
けれど、同時に気づいたこともあった。
この力は、使い方を間違えれば、再び誰かを傷つけるためのものになる。
だからこそ、何を作るかだけではなく、何のために作るのかを考えなければならない。
「……ノエル」
「うん?」
「私の魔法で、何かを作れると思う?」
「作れると思うよ」
ノエルは、少しも迷わなかった。
「君が命を吹き込めるなら、僕は土で形を作ることもできる。二人で考えれば、今までできなかったことだって、できるかもしれない」
「……たとえば?」
「畑を耕すのを手伝ってくれるゴーレムとか。重い荷物を運ぶものとか。村の人たちが困っていることを、少しでも減らせるようなもの」
リーゼは黙って聞いていた。
畑を耕す。
荷物を運ぶ。
人々の暮らしを助ける。
それは、彼女が今まで命を吹き込んできたものとは、まるで違う役割だった。
「……戦わなくても、いいの?」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
ノエルは、真っ直ぐにリーゼを見た。
「もちろん」
「でも、私の魔法は……」
「君の魔法が戦いに使えることと、戦いに使わなきゃいけないことは、別だよ」
ノエルの言葉は、静かだった。
「何に使うかは、君が決めていいんだ」
リーゼの胸の奥で、何かが小さく揺れた。
自分で決めていい。
ここへ来てから、何度も聞いた言葉だった。
けれど、まだ本当の意味では信じられない。
自分が何かを選んでも、怒られないのだろうか。
失敗しても、ここにいていいのだろうか。
役に立てなくても、見捨てられないのだろうか。
答えは、まだわからなかった。
それでも。
「……少しだけ」
リーゼは、小さな声で言った。
「少しだけなら……考えてみたい」
ノエルは嬉しそうに頷いた。
「うん。一緒に考えよう」
ヴァルセーヌも、穏やかに目を細めた。
「急ぐ必要はない。君がやってみたいと思ったときに、始めればいい」
窓の外から、村の子供たちの笑い声が聞こえてきた。
リーゼはそちらへ顔を向けた。
マリーが、誰かに何かを話しているらしい。
楽しそうな声だった。
自分も、いつかあんなふうに笑えるようになるのだろうか。
まだわからない。
けれど、ここでは明日のことを考えてもいいのかもしれない。
リーゼは机の上の紙を見つめた。
そこには、自分の魔法について書かれた言葉が並んでいる。
兵器としての価値を示す数字ではない。
自分が何をできるのか。
何ができないのか。
そして、何ができるようになるかもしれないのか。
その記録は、今までとは違うものだった。
リーゼは、そっと指先を紙の端に触れさせた。
いつか、この力で何かを作ってみたい。
誰かに命じられたからではなく。
自分が、そうしたいと思ったから。
その小さな願いは、まだ声にするには頼りなかった。
それでも確かに、リーゼの中に生まれ始めていた。




