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ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


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9/20

リーゼの魔法

テルナ村に来て、数日が経った。


 リーゼは、少しずつ村の暮らしに慣れ始めていた。


 マリーが訪ねてくると、以前ほど怯えなくなった。差し出された食べ物を受け取ることも、短い言葉を返すこともできるようになった。


 それでも、知らない人の声が聞こえると、身体が強張ることがある。


 何かを頼まれると、断るより先に、どうすれば相手の望むとおりにできるかを考えてしまう。


 そんな自分に気づくたび、リーゼは少しだけ戸惑っていた。


 その日の午後。


 ヴァルセーヌの家で、ノエルは机に広げた紙に何かを書き込んでいた。


 向かいにはリーゼが座り、その隣ではヴァルセーヌが古い本を閉じている。


「リーゼ。少し聞いてもいいかな」


 ノエルが顔を上げた。


「……なに?」


「君の魔法について、もう少し知りたいんだ。無理に話してほしいわけじゃない。嫌なら、話さなくてもいい」


 リーゼは、すぐには答えなかった。


 魔法について尋ねられることには慣れている。


 けれど、それはいつも命令だった。


 何体動かせるのか。

 どれだけ長く動かせるのか。

 次は何体の死者に命を吹き込めるのか。


 答えられなければ、何度も繰り返し試させられた。


「……話しても、いいの?」


「もちろん」


 ノエルは頷いた。


「僕は、君の魔法を知りたいんだ。君が何をできて、何ができないのか。それを知れば、これから一緒に考えられることもあると思うから」


「一緒に……?」


「うん」


 リーゼは視線を落とした。


 少し迷ったあと、小さく口を開いた。


「私の魔法は……触れたものに、命を吹き込むの」


「触れることが必要なんだね」


「うん。離れたところから、いきなり命を吹き込むことはできない。最初に触れて、魔法を使うの」


 ノエルは紙に短く書き留めた。


「命を吹き込めるのは、どんなもの?」


「土で作った人形でも、木でも、石でも……形があれば、できると思う。死んだ人や動物にも使える。でも、生きている人や動物には使えないの」


「死んだ人にも……」


 ノエルは一瞬、言葉を止めた。


「粉々になったものは?」


「……無理。元の形がほとんど残っていないと、命を吹き込めない」


「なるほど。形そのものも、大切なんだ」


 ノエルは紙に書き加えた。


 リーゼは、その手元をじっと見つめた。


「……そんなことを書いて、どうするの?」


「忘れないようにするんだよ」


「忘れないように?」


「うん。知っていることを整理すれば、今まで気づかなかったことが見つかるかもしれないから」


 リーゼには、その考え方が不思議だった。


 帝国では、魔法について記録を取ることはあった。


 けれど、そこに書かれていたのは、戦いに使うための数字ばかりだった。


 何体動かせるか。

 どれほどの兵力になるか。

 どこまで命令に従わせられるか。


 ノエルの紙には、まだ何も書かれていない。


 ただ、リーゼの言葉がひとつずつ記されているだけだった。


「……それで、命を吹き込まれたものは、ずっと動き続けるの?」


 ノエルが尋ねた。


「うん。基本的には、一度命を吹き込めば、私がずっと魔法を使い続けなくても動けるの」


「動き続けるために、魔力を注ぎ続ける必要はないんだね」


「そう。私が魔法を使うときに必要なのは、命を吹き込むための魔力。でも、どれだけの魔力を使うかは、相手によって違うの」


「相手によって?」


「簡単な命令しか理解できないものなら、たくさん作れる。でも、自分で考えたり、複雑なことを理解したりできるものは、ずっと少なくなる」


 リーゼは指先を見つめた。


「……私が一度に命を吹き込める数は、普通のものなら五千体くらい。だけど、人間みたいに話せるものや、賢いものは、五十体くらいが限界だと思う」


 ノエルの手が止まった。


「五千と五十……ずいぶん違うんだね」


「うん。大きなものも、たくさんの魔力が必要になる。だから、同じ五千体でも、全部が大きなものだったら無理だと思う」


「つまり、数だけじゃなくて、大きさや知能も関係するんだ」


 ノエルは考え込んだ。


 もし、自分が土で作ったゴーレムにリーゼが命を吹き込めば、動かせるようになる。


 だが、どんなゴーレムを作るかによって、リーゼが必要とする魔力は変わる。


 ならば、ただ数を増やせばいいわけではない。


 小さくても十分な仕事ができる形。

 少ない知能でも安全に動ける仕組み。

 必要なときだけ、高い判断能力を持たせる方法。


 考えるべきことは、いくらでもありそうだった。


「……ノエル?」


「あ、ごめん。ちょっと考え込んじゃった」


「何を考えていたの?」


「君の魔法を、もっと役立てる方法があるんじゃないかって」


 リーゼの表情が曇った。


「……役立てる?」


 その言葉は、彼女にとって馴染み深いものだった。


 役に立つこと。

 期待に応えること。

 できる限り多くの死者を動かすこと。


 それができなくなったとき、自分には価値がないと思った。


 ノエルは、リーゼの変化に気づいた。


「ごめん。変な意味じゃないんだ」


「……変な意味?」


「君が何かをしなきゃいけないってことじゃない。僕が知りたいのは、君の力で何ができるかなんだ。何をしてもらうかは、君自身が決めればいい」


 リーゼは、ゆっくりと顔を上げた。


「……私が、決めていいの?」


「もちろん」


 ノエルは、迷わず答えた。


「君の魔法なんだから」


 その言葉に、リーゼは何も返せなかった。


 自分の魔法なのに、自分で使い方を決めていい。


 そんなことを、考えたこともなかった。


 しばらくして、ヴァルセーヌが静かに口を開いた。


「もうひとつ、聞いておきたいことがある。命を吹き込んだものは、どこまで自分で考えられるんだい?」


「……それは、私がどれだけ知能を与えるかによって変わるの」


 リーゼは、少しずつ言葉を選びながら答えた。


「簡単な命令だけを理解するものも作れるし、自分で周りを見て、何をすればいいか判断できるものも作れる。もっとたくさんの命を与えれば、人間みたいに話せるものだって……作れると思う」


「思う、ということは?」


「そこまで試したことは、あまりないから」


 最後の言葉は、小さかった。


 帝国で求められたのは、意思を持つ存在ではなかった。


 必要なのは、命令を聞き、戦い、敵を倒す兵士だった。


 考えることも、話すことも、望むことも求められなかった。


「……それなら、命令には絶対に従うのかな?」


 ノエルの問いに、リーゼは首を横に振った。


「ううん。知能が高いものは、命令の意味を考えるから……従わないこともあると思う」


「従わないことも?」


「うん。私が命令したからって、必ず言うとおりにするとは限らないの」


 ヴァルセーヌは、興味深そうに顎へ手を当てた。


「それは、命を吹き込まれたものが、自分で考えているからだろうね」


「……そう、なのかな」


「自分で考えることができるなら、命令の意味を理解することもできる。意味を理解できるなら、その命令を受け入れるかどうかを判断する可能性もある」


 リーゼは俯いた。


「たぶん……私もしっかりと試したわけじゃないから」


 その言葉に、ノエルは顔を上げた。


「作ったら、全部自分の思いどおりになるわけじゃないんだね」


「そう……だと思う」


「そっか」


 ノエルは、少し考えてから続けた。


「だったら、命令するんじゃなくて、お願いしてみるのはどうかな」


「お願い……?」


「うん。何かを手伝ってほしいときに、理由を話して、手伝ってくれるか聞いてみるんだ」


 リーゼは、目を瞬かせた。


 帝国で、兵士にお願いをする者はいなかった。


 命令する者と、従う者。


 それだけだった。


「……もし、断られたら?」


「別の方法を考えるよ」


「怒らないの?」


「どうして?」


 ノエルは本気で不思議そうな顔をした。


「嫌だと言われたなら、何か理由があるのかもしれない。それを聞いてから、どうするか考えればいいと思う」


 リーゼは、ノエルを見つめた。


 彼は、自分の魔法で生まれた存在が命令を拒むことを、恐ろしいことだとは考えていないらしい。


 それどころか、拒む理由を聞こうとしている。


 リーゼには、まだ理解できなかった。


 けれど、その考え方を嫌だとは思わなかった。


「……ノエルは、変わってるね」


「そうかな?」


「うん」


 リーゼは小さく頷いた。


 ほんの少しだけ、表情が和らいだ。


 ヴァルセーヌは二人を見守りながら、別の問いを投げかけた。


「リーゼ。君自身の意思で、命を吹き込んだものを止めることはできるのかな?」


「できるよ。私が命を吹き込んだものに触れれば止められる」


「止めたあとは、どうなる?」


「……それは、どう止めるかによって違うの」


 リーゼは、慎重に説明した。


「動かすのを一時的に止めるだけなら、また動かせる場合もある。でも、命を完全に手放したら、元のものに戻ることもあるし、もう一度命を吹き込む必要があることもある。全部が同じ結果になるわけじゃないの」


「なるほど。停止と解除は、分けて考えたほうがよさそうだね」


 ノエルはまた紙に書き込んだ。


「……それから、もうひとつ」


 リーゼが言った。


「命を吹き込んだものが壊れたり、消えたりすると、使っていた魔力の容量が戻ってくるの」


「容量が戻る?」


「うん。だから、五千体を動かしていても、そのうちの何体かが壊れれば、その分の容量を使って、別のものに命を吹き込めるようになる」


「それなら、状況によって使い方を変えられるんだね」


 ノエルは紙を見下ろした。


 少しずつ、リーゼの魔法の仕組みが見えてきた。


 けれど、同時に気づいたこともあった。


 この力は、使い方を間違えれば、再び誰かを傷つけるためのものになる。


 だからこそ、何を作るかだけではなく、何のために作るのかを考えなければならない。


「……ノエル」


「うん?」


「私の魔法で、何かを作れると思う?」


「作れると思うよ」


 ノエルは、少しも迷わなかった。


「君が命を吹き込めるなら、僕は土で形を作ることもできる。二人で考えれば、今までできなかったことだって、できるかもしれない」


「……たとえば?」


「畑を耕すのを手伝ってくれるゴーレムとか。重い荷物を運ぶものとか。村の人たちが困っていることを、少しでも減らせるようなもの」


 リーゼは黙って聞いていた。


 畑を耕す。


 荷物を運ぶ。


 人々の暮らしを助ける。


 それは、彼女が今まで命を吹き込んできたものとは、まるで違う役割だった。


「……戦わなくても、いいの?」


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


 ノエルは、真っ直ぐにリーゼを見た。


「もちろん」


「でも、私の魔法は……」


「君の魔法が戦いに使えることと、戦いに使わなきゃいけないことは、別だよ」


 ノエルの言葉は、静かだった。


「何に使うかは、君が決めていいんだ」


 リーゼの胸の奥で、何かが小さく揺れた。


 自分で決めていい。


 ここへ来てから、何度も聞いた言葉だった。


 けれど、まだ本当の意味では信じられない。


 自分が何かを選んでも、怒られないのだろうか。


 失敗しても、ここにいていいのだろうか。


 役に立てなくても、見捨てられないのだろうか。


 答えは、まだわからなかった。


 それでも。


「……少しだけ」


 リーゼは、小さな声で言った。


「少しだけなら……考えてみたい」


 ノエルは嬉しそうに頷いた。


「うん。一緒に考えよう」


 ヴァルセーヌも、穏やかに目を細めた。


「急ぐ必要はない。君がやってみたいと思ったときに、始めればいい」


 窓の外から、村の子供たちの笑い声が聞こえてきた。


 リーゼはそちらへ顔を向けた。


 マリーが、誰かに何かを話しているらしい。


 楽しそうな声だった。


 自分も、いつかあんなふうに笑えるようになるのだろうか。


 まだわからない。


 けれど、ここでは明日のことを考えてもいいのかもしれない。


 リーゼは机の上の紙を見つめた。


 そこには、自分の魔法について書かれた言葉が並んでいる。


 兵器としての価値を示す数字ではない。


 自分が何をできるのか。

 何ができないのか。

 そして、何ができるようになるかもしれないのか。


 その記録は、今までとは違うものだった。


 リーゼは、そっと指先を紙の端に触れさせた。


 いつか、この力で何かを作ってみたい。


 誰かに命じられたからではなく。


 自分が、そうしたいと思ったから。


 その小さな願いは、まだ声にするには頼りなかった。


 それでも確かに、リーゼの中に生まれ始めていた。

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