2人の魔法
テルナ村の朝は、穏やかだった。
畑からは土の匂いが漂い、遠くからは村人たちの話し声が聞こえてくる。
ヴァルセーヌの家の裏手には、小さな作業場があった。
そこには、大小さまざまなゴーレムが並んでいる。
人の腰ほどの高さしかないもの。
荷物を運ぶために、腕を大きく作ったもの。
足場の悪い場所でも動けるように、足の形を工夫したもの。
中には、頭が大きすぎたり、腕の長さが左右で違ったりする、奇妙な形のものもあった。
それらはすべて、ノエルがテルナ村に来てから作り続けてきたものだった。
「……こんなにあるの?」
作業場を見渡したリーゼが、驚いたように呟いた。
「うん。土の性質や形によって、動かしやすさが変わるからね。いろいろ試していたら、いつの間にか増えちゃったんだ」
ノエルは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「これ、全部ノエルが作ったの?」
「そうだよ。まあ、まだ動かせないものばかりだけどね」
ノエルにとって、ゴーレムを作ることは特別なことではなくなっていた。
土を集め、形を整え、どの部分に力を加えれば動きやすくなるのかを考える。
失敗すれば、作り直す。
テルナ村で暮らし始めてから、何度も繰り返してきたことだった。
けれど、今日はいつもと違う。
ノエルはリーゼのほうを向いた。
「この中から、一体選んでみてくれない?」
「……私が?」
「うん」
リーゼは戸惑った。
「どうして?」
「昨日、君の魔法について話しただろう? 僕が作ったゴーレムに、君が命を吹き込む。二人の力を合わせたら、どんなことができるのか試してみたいんだ」
リーゼは、並んだゴーレムたちを見つめた。
どれも、ただの土の塊だった。
動かない。
話さない。
何も考えない。
けれど、自分が触れれば、動き出すかもしれない。
そう考えると、少しだけ胸が落ち着かなくなった。
「……でも、私の魔力は」
「うん。ヴァルセーヌから聞いているよ。今は、あまり容量が残っていないんだよね」
リーゼは小さく頷いた。
ドラグノア帝国で、何度も命を吹き込んできた。
成人男性ほどの大きさをした死者の兵士たち。
五千もの身体を動かすために、リーゼの魔法は使われ続けた。
今も、その力を自由に使える状態には戻っていない。
「……大きなものは、無理だと思う。たくさんの魔力が必要になるから」
「だったら、小さなものにしよう」
ノエルはあっさりと言った。
「大人の半分より小さいくらいなら、必要な魔力も少なく済むんじゃないかな?簡単な作業をさせるだけなら、今の君でもできるかもしれない」
「……できるかな」
「やってみないとわからないよ。でも、無理をする必要はないからね。難しそうなら、そこでやめればいい」
リーゼはノエルを見つめた。
できなかったら、どうなるのだろう。
失敗したら、怒られるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎった。
けれど、ノエルは急かさなかった。
「ゆっくり選んでいいよ」
リーゼは、もう一度ゴーレムたちを見た。
大きなものは、今の自分には難しい。
腕が長いものは、少し怖い。
足の太いものは、動きが重そうに見えた。
ひとつずつ、形を確かめるように歩いていく。
やがて、作業場の隅に置かれた小さなゴーレムの前で足を止めた。
それは、子供ほどの大きさもなかった。
丸みを帯びた胴体に、短い腕と脚。
頭には目のような窪みが二つあり、顔らしい形はあるものの、表情はない。
腕も脚も、ほかのゴーレムと比べて簡素だった。
「……この子」
リーゼが呟いた。
ノエルは、そのゴーレムを見た。
「ああ、それか」
「……だめ?」
「ううん。だめじゃないよ」
ノエルはゴーレムの前にしゃがみ込んだ。
「それは、土の形を変える練習をしていたときに作ったんだ。大きなものを作る前に、小さいものでもきちんと形を保てるか試してみたくてね」
「……どうして、これがいいと思ったの?」
ノエルが尋ねると、リーゼは少し考え込んだ。
「……わからない」
「そっか」
「でも……なんとなく、この子がいいと思ったの」
リーゼは、自分でも不思議そうにゴーレムを見つめた。
理由は説明できなかった。
ただ、ほかのものよりも、この小さなゴーレムが気になった。
ノエルは笑った。
「じゃあ、こいつにしよう」
その言葉を聞いて、リーゼは少しだけ目を見開いた。
理由をうまく説明できなくても、選んでよかったのだ。
それだけのことが、なぜか嬉しかった。
「まずは、どんなことをさせたいか決めよう」
ノエルは小さなゴーレムを作業台の上に置いた。
「今の君の魔力なら、簡単な動きから試すのがよさそうだね。歩くとか、物を運ぶとか」
「……物を運ぶ?」
「うん。たとえば、これ」
ノエルは、近くに置いてあった小さな木片を手に取った。
「これを持ち上げて、あっちの箱まで運んでもらうんだ」
リーゼは木片と箱を交互に見た。
「……それだけでいいの?」
「それだけでいいんだよ」
ノエルは頷いた。
「最初から難しいことをする必要はないからね」
リーゼはしばらく黙っていた。
帝国では、できることを増やすように求められた。
もっと多くの死者を。
もっと強い兵士を。
もっと効率よく敵を倒せる軍勢を。
けれど、ここでは木片をひとつ運ぶだけでいいという。
それで十分だと、ノエルは言っている。
「……わかった」
リーゼは小さく頷いた。
ノエルは、ゴーレムをリーゼの前に置き直した。
「触れればいいんだよね?」
「うん。触れて、魔法を使うの」
「わかった。僕はここにいるから、ゆっくりやってみて」
リーゼは、そっと手を伸ばした。
指先が、土でできたゴーレムの腕に触れる。
冷たく、ざらざらしていた。
それは、ただの土だった。
リーゼは目を閉じた。
自分の中に残っている魔力を確かめる。
以前のようには使えない。
大きな力を引き出そうとすれば、すぐに限界が来るだろう。
だから、必要な分だけ。
目の前の小さなゴーレムに、ほんの少しだけ命を与える。
リーゼの指先が淡く光った。
その光は、すぐに消えた。
何も起こらなかった。
「……あれ?」
リーゼは目を開いた。
ゴーレムは、相変わらず動かない。
「……失敗、したのかな」
声が小さくなった。
ノエルはゴーレムを見てから、リーゼに視線を戻した。
「どうかな。もう一度、確かめてみよう」
「……でも」
「まだ失敗って決まったわけじゃないよ。何かが足りなかったのかもしれない」
ノエルは、ゴーレムの腕や脚を観察した。
「リーゼ。魔法を使ったとき、いつもと違う感じはあった?」
「……少しだけ、魔力が流れた感じがした。でも、すぐに止まっちゃった」
「そっか。じゃあ、少しだけ調整してみよう」
ノエルはゴーレムの脚を確かめ、足元の土を整えた。
「この子は、足が短いからね。立ち上がるときに、少しでも重心がずれると倒れるかもしれない。動き出す前に、ちゃんと立てるようにしておこう」
土の形を少しだけ整える。
ノエルはゴーレムを安定した場所に置いた。
「これでどうかな。もう一度、やってみる?」
リーゼは、ゴーレムを見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
もう一度、指先を触れさせる。
今度は、魔力を無理に引き出そうとしなかった。
小さなゴーレムに、必要な分だけ。
リーゼがそう意識すると、指先から淡い光が広がった。
光は土の表面を伝い、ゴーレムの身体へと染み込んでいく。
そして――。
こつん。
小さな音がした。
ゴーレムの指が、わずかに動いた。
「……!」
リーゼは息を呑んだ。
ゴーレムの腕が持ち上がる。
少し遅れて、脚が動いた。
ぎこちない動きだった。
身体が左右に揺れ、倒れそうになりながらも、ゴーレムは自分の足で立ち上がった。
その頭が、ゆっくりとリーゼのほうを向いた。
「……動いた」
リーゼが呟いた、その直後だった。
「――動いたあああっ!」
ノエルの叫び声が、作業場いっぱいに響き渡った。
「動いた! 本当に動いた! 見た!? 今、腕が動いたよね!? それから立った! 自分で立ったんだよ!」
ノエルはゴーレムの周りをぐるりと回り、あちこちから身体を観察した。
「すごい……すごいよ! 足も動いてる! 土の形を変えるだけじゃ駄目だったんだ! やっぱり、命が必要だったんだ!」
普段のノエルからは想像できないほどの大騒ぎだった。
いつもなら、何かに成功しても、まずは結果を確かめて、失敗したところを探す。
けれど、今は違った。
嬉しくて仕方がない。
胸の奥から込み上げてくる喜びを、どうすればいいのかわからない。
「先生! 見て! 見てよ! 僕のゴーレムが動いたんだ!」
作業場の外にいたヴァルセーヌが、驚いた顔で振り返った。
「おやおや、何事かと思えば……」
「動いたんだよ! 僕が作ったゴーレムが! リーゼの魔法で!」
ノエルはリーゼを振り返った。
「リーゼ、すごいよ! 本当にすごい! 君の魔法って、こんなことができるんだね!」
その顔は、まるで長年追いかけてきた夢が叶った子供のようだった。
リーゼは、呆気に取られていた。
帝国で、自分の魔法を褒められたことはあった。
けれど、それはいつも、次の命令につながっていた。
もっと多くの死者を動かせ。
もっと強い兵士を作れ。
もっと役に立て。
褒められても、嬉しいとは思えなかった。
そこにあったのは、期待に応えなければならないという重圧だけだった。
でも、今のノエルは違う。
彼は何かを要求しているわけではない。
もっと大きなものを作れとも、もっとたくさん動かせとも言わない。
ただ、自分が作ったものが動いたことを、心の底から喜んでいる。
まるで、自分のことのように。
「……そんなに、嬉しいの?」
リーゼが尋ねると、ノエルは勢いよく頷いた。
「嬉しいに決まってるよ!」
あまりに即答だったので、リーゼは目を丸くした。
「だって、今まで何体も作ってきたんだ。でも、どれだけ形を工夫しても、僕が作っただけじゃ動かなかった。どうすれば動くのか、ずっと考えていたんだよ!」
ノエルは、ゴーレムの小さな腕を見つめた。
「それが今、動いたんだ。僕が作ったものが、本当に動いてくれたんだよ!」
そう言って、もう一度ゴーレムに向き直る。
「すごいなあ……。ねえ、もう一回歩いてみて!」
リーゼは思わず、小さく笑いそうになった。
ノエルは、まるで自分が初めて魔法を使えた子供のようにはしゃいでいる。
けれど、その喜びは少しも嘘には見えなかった。
リーゼは、自分の指先を見つめた。
自分の魔法で、誰かがこんなに喜んでくれる。
誰かを傷つけるためでも、命令に従うためでもない。
ただ、嬉しいから。
自分の魔法が何かを生み出す手助けになったことが、嬉しいから。
「……私の魔法で」
小さな声が、口からこぼれた。
ノエルが振り返る。
「ん?」
「……私の魔法で、こんなに喜んでくれるんだね」
言葉にした途端、胸の奥がじんわりと温かくなった。
不思議な感覚だった。
ずっと、自分の魔法は誰かを傷つけるためのものだと思っていた。
自分の力で動くものは、戦場へ向かい、誰かの命を奪う。
それ以外の使い方なんて、考えたこともなかった。
けれど、目の前のノエルは、たった一体の小さなゴーレムが動いただけで、あんなにも喜んでいる。
その姿を見ていると、自分の魔法が、今までとは違うものに思えてきた。
「……ありがとう、リーゼ!」
ノエルが、改めて言った。
「僕一人じゃ、こいつを動かすことはできなかった。君が力を貸してくれたから、動いたんだ!」
リーゼは、少しだけ俯いた。
嬉しかった。
誰かに感謝されることが。
自分の力を喜んでもらえることが。
そして何より、自分が何かをできたことを、こんなにも嬉しいと思えたことが。
「……うん」
リーゼは、小さく頷いた。
「……私も、嬉しい」
ノエルは笑った。
「じゃあ、次は何を作ろうか!」
「えっ……?」
「もちろん、今日は無理しなくていいよ。でも、魔力が戻ってきたら、また一緒に作ろう! もっと歩きやすいゴーレムとか、畑の手伝いができるゴーレムとか!」
ノエルは、すでに次のことを考え始めていた。
リーゼは、そんな彼を見つめた。
少し前まで、自分は何のためにここにいるのかさえわからなかった。
それなのに今は、もう一度、この人と何かを作ってみたいと思っている。
「……うん。次も、一緒に」
そう答えたリーゼの顔には、今度こそ、はっきりとした笑みが浮かんでいた。
小さなゴーレムは、二人の前でゆっくりと一歩を踏み出した。
そのぎこちない動きを見て、ノエルがまた歓声を上げる。
リーゼは、その声を聞きながら笑った。
自分の魔法で、誰かを笑顔にできる。
その喜びを、彼女は初めて知ったのだった。
その日の夕方。
リーゼは、小さなゴーレムのそばに座っていた。
ゴーレムは、木箱の横でじっと立っている。
命令がなければ、勝手に何かを始めることはない。
それでも、リーゼが声をかけると、ゆっくりと頭を向けた。
「……ありがとう」
小さな声だった。
何に対しての言葉なのか、リーゼ自身にもよくわからなかった。
木片を運んでくれたこと。
自分の魔法が、まだ誰かの役に立てると教えてくれたこと。
それとも、自分で選んだものが、目の前で動いてくれたことだろうか。
ゴーレムは、何も答えない。
ただ、リーゼのほうを向いている。
そこへ、ノエルがやってきた。
「ここにいたんだ」
「……うん」
「その子、気に入った?」
リーゼは少し考えてから、頷いた。
「……うん。気に入った」
「そっか。よかった」
ノエルは隣に腰を下ろした。
二人はしばらく、何も話さずにゴーレムを眺めていた。
やがてリーゼが、ぽつりと言った。
「……また、作ってみたい」
ノエルは驚いたように顔を向けた。
「本当?」
「うん。でも、今は……小さいものだけ」
「それでいいよ。次も一緒に考えよう」
リーゼは、小さく頷いた。
まだ、魔力は戻っていない。
できることも、限られている。
それでも、初めて自分の意思で選んだゴーレムが、今ここにいる。
そして、自分はもう一度やってみたいと思っている。
それだけで、今日は十分だった。
小さなゴーレムが、夕暮れの光を受けて静かに立っていた。
その小さな命は、誰かを傷つけるためではなく、誰かの暮らしを支えるために生まれた。
リーゼが、自分で選んだ未来の、最初の一歩だった




