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ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


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10/21

2人の魔法

テルナ村の朝は、穏やかだった。


 畑からは土の匂いが漂い、遠くからは村人たちの話し声が聞こえてくる。


 ヴァルセーヌの家の裏手には、小さな作業場があった。


 そこには、大小さまざまなゴーレムが並んでいる。


 人の腰ほどの高さしかないもの。

 荷物を運ぶために、腕を大きく作ったもの。

 足場の悪い場所でも動けるように、足の形を工夫したもの。


 中には、頭が大きすぎたり、腕の長さが左右で違ったりする、奇妙な形のものもあった。


 それらはすべて、ノエルがテルナ村に来てから作り続けてきたものだった。


「……こんなにあるの?」


 作業場を見渡したリーゼが、驚いたように呟いた。


「うん。土の性質や形によって、動かしやすさが変わるからね。いろいろ試していたら、いつの間にか増えちゃったんだ」


 ノエルは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「これ、全部ノエルが作ったの?」


「そうだよ。まあ、まだ動かせないものばかりだけどね」


 ノエルにとって、ゴーレムを作ることは特別なことではなくなっていた。


 土を集め、形を整え、どの部分に力を加えれば動きやすくなるのかを考える。


 失敗すれば、作り直す。


 テルナ村で暮らし始めてから、何度も繰り返してきたことだった。


 けれど、今日はいつもと違う。


 ノエルはリーゼのほうを向いた。


「この中から、一体選んでみてくれない?」


「……私が?」


「うん」


 リーゼは戸惑った。


「どうして?」


「昨日、君の魔法について話しただろう? 僕が作ったゴーレムに、君が命を吹き込む。二人の力を合わせたら、どんなことができるのか試してみたいんだ」


 リーゼは、並んだゴーレムたちを見つめた。


 どれも、ただの土の塊だった。


 動かない。

 話さない。

 何も考えない。


 けれど、自分が触れれば、動き出すかもしれない。


 そう考えると、少しだけ胸が落ち着かなくなった。


「……でも、私の魔力は」


「うん。ヴァルセーヌから聞いているよ。今は、あまり容量が残っていないんだよね」


 リーゼは小さく頷いた。


 ドラグノア帝国で、何度も命を吹き込んできた。


 成人男性ほどの大きさをした死者の兵士たち。


 五千もの身体を動かすために、リーゼの魔法は使われ続けた。


 今も、その力を自由に使える状態には戻っていない。


「……大きなものは、無理だと思う。たくさんの魔力が必要になるから」


「だったら、小さなものにしよう」


 ノエルはあっさりと言った。


「大人の半分より小さいくらいなら、必要な魔力も少なく済むんじゃないかな?簡単な作業をさせるだけなら、今の君でもできるかもしれない」


「……できるかな」


「やってみないとわからないよ。でも、無理をする必要はないからね。難しそうなら、そこでやめればいい」


 リーゼはノエルを見つめた。


 できなかったら、どうなるのだろう。


 失敗したら、怒られるのだろうか。


 そんな考えが頭をよぎった。


 けれど、ノエルは急かさなかった。


「ゆっくり選んでいいよ」


 リーゼは、もう一度ゴーレムたちを見た。


 大きなものは、今の自分には難しい。


 腕が長いものは、少し怖い。


 足の太いものは、動きが重そうに見えた。


 ひとつずつ、形を確かめるように歩いていく。


 やがて、作業場の隅に置かれた小さなゴーレムの前で足を止めた。


 それは、子供ほどの大きさもなかった。


 丸みを帯びた胴体に、短い腕と脚。


 頭には目のような窪みが二つあり、顔らしい形はあるものの、表情はない。


 腕も脚も、ほかのゴーレムと比べて簡素だった。


「……この子」


 リーゼが呟いた。


 ノエルは、そのゴーレムを見た。


「ああ、それか」


「……だめ?」


「ううん。だめじゃないよ」


 ノエルはゴーレムの前にしゃがみ込んだ。


「それは、土の形を変える練習をしていたときに作ったんだ。大きなものを作る前に、小さいものでもきちんと形を保てるか試してみたくてね」


「……どうして、これがいいと思ったの?」


 ノエルが尋ねると、リーゼは少し考え込んだ。


「……わからない」


「そっか」


「でも……なんとなく、この子がいいと思ったの」


 リーゼは、自分でも不思議そうにゴーレムを見つめた。


 理由は説明できなかった。


 ただ、ほかのものよりも、この小さなゴーレムが気になった。


 ノエルは笑った。


「じゃあ、こいつにしよう」


 その言葉を聞いて、リーゼは少しだけ目を見開いた。


 理由をうまく説明できなくても、選んでよかったのだ。


 それだけのことが、なぜか嬉しかった。


     


「まずは、どんなことをさせたいか決めよう」


 ノエルは小さなゴーレムを作業台の上に置いた。


「今の君の魔力なら、簡単な動きから試すのがよさそうだね。歩くとか、物を運ぶとか」


「……物を運ぶ?」


「うん。たとえば、これ」


 ノエルは、近くに置いてあった小さな木片を手に取った。


「これを持ち上げて、あっちの箱まで運んでもらうんだ」


 リーゼは木片と箱を交互に見た。


「……それだけでいいの?」


「それだけでいいんだよ」


 ノエルは頷いた。


「最初から難しいことをする必要はないからね」


 リーゼはしばらく黙っていた。


 帝国では、できることを増やすように求められた。


 もっと多くの死者を。

 もっと強い兵士を。

 もっと効率よく敵を倒せる軍勢を。


 けれど、ここでは木片をひとつ運ぶだけでいいという。


 それで十分だと、ノエルは言っている。


「……わかった」


 リーゼは小さく頷いた。


 ノエルは、ゴーレムをリーゼの前に置き直した。


「触れればいいんだよね?」


「うん。触れて、魔法を使うの」


「わかった。僕はここにいるから、ゆっくりやってみて」


 リーゼは、そっと手を伸ばした。


 指先が、土でできたゴーレムの腕に触れる。


 冷たく、ざらざらしていた。


 それは、ただの土だった。


 リーゼは目を閉じた。


 自分の中に残っている魔力を確かめる。


 以前のようには使えない。


 大きな力を引き出そうとすれば、すぐに限界が来るだろう。


 だから、必要な分だけ。


 目の前の小さなゴーレムに、ほんの少しだけ命を与える。


 リーゼの指先が淡く光った。


 その光は、すぐに消えた。


 何も起こらなかった。


「……あれ?」


 リーゼは目を開いた。


 ゴーレムは、相変わらず動かない。


「……失敗、したのかな」


 声が小さくなった。


 ノエルはゴーレムを見てから、リーゼに視線を戻した。


「どうかな。もう一度、確かめてみよう」


「……でも」


「まだ失敗って決まったわけじゃないよ。何かが足りなかったのかもしれない」


 ノエルは、ゴーレムの腕や脚を観察した。


「リーゼ。魔法を使ったとき、いつもと違う感じはあった?」


「……少しだけ、魔力が流れた感じがした。でも、すぐに止まっちゃった」


「そっか。じゃあ、少しだけ調整してみよう」


 ノエルはゴーレムの脚を確かめ、足元の土を整えた。


「この子は、足が短いからね。立ち上がるときに、少しでも重心がずれると倒れるかもしれない。動き出す前に、ちゃんと立てるようにしておこう」


 土の形を少しだけ整える。


 ノエルはゴーレムを安定した場所に置いた。


「これでどうかな。もう一度、やってみる?」


 リーゼは、ゴーレムを見つめた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……うん」


 もう一度、指先を触れさせる。


 今度は、魔力を無理に引き出そうとしなかった。


 小さなゴーレムに、必要な分だけ。


 リーゼがそう意識すると、指先から淡い光が広がった。


 光は土の表面を伝い、ゴーレムの身体へと染み込んでいく。


 そして――。


 こつん。


 小さな音がした。


 ゴーレムの指が、わずかに動いた。


「……!」


 リーゼは息を呑んだ。


 ゴーレムの腕が持ち上がる。


 少し遅れて、脚が動いた。


 ぎこちない動きだった。


 身体が左右に揺れ、倒れそうになりながらも、ゴーレムは自分の足で立ち上がった。


 その頭が、ゆっくりとリーゼのほうを向いた。


「……動いた」


 リーゼが呟いた、その直後だった。


「――動いたあああっ!」


 ノエルの叫び声が、作業場いっぱいに響き渡った。


「動いた! 本当に動いた! 見た!? 今、腕が動いたよね!? それから立った! 自分で立ったんだよ!」


 ノエルはゴーレムの周りをぐるりと回り、あちこちから身体を観察した。


「すごい……すごいよ! 足も動いてる! 土の形を変えるだけじゃ駄目だったんだ! やっぱり、命が必要だったんだ!」


 普段のノエルからは想像できないほどの大騒ぎだった。


 いつもなら、何かに成功しても、まずは結果を確かめて、失敗したところを探す。


 けれど、今は違った。


 嬉しくて仕方がない。


 胸の奥から込み上げてくる喜びを、どうすればいいのかわからない。


「先生! 見て! 見てよ! 僕のゴーレムが動いたんだ!」


 作業場の外にいたヴァルセーヌが、驚いた顔で振り返った。


「おやおや、何事かと思えば……」


「動いたんだよ! 僕が作ったゴーレムが! リーゼの魔法で!」


 ノエルはリーゼを振り返った。


「リーゼ、すごいよ! 本当にすごい! 君の魔法って、こんなことができるんだね!」


 その顔は、まるで長年追いかけてきた夢が叶った子供のようだった。


 リーゼは、呆気に取られていた。


 帝国で、自分の魔法を褒められたことはあった。


 けれど、それはいつも、次の命令につながっていた。


 もっと多くの死者を動かせ。

 もっと強い兵士を作れ。

 もっと役に立て。


 褒められても、嬉しいとは思えなかった。


 そこにあったのは、期待に応えなければならないという重圧だけだった。


 でも、今のノエルは違う。


 彼は何かを要求しているわけではない。


 もっと大きなものを作れとも、もっとたくさん動かせとも言わない。


 ただ、自分が作ったものが動いたことを、心の底から喜んでいる。


 まるで、自分のことのように。


「……そんなに、嬉しいの?」


 リーゼが尋ねると、ノエルは勢いよく頷いた。


「嬉しいに決まってるよ!」


 あまりに即答だったので、リーゼは目を丸くした。


「だって、今まで何体も作ってきたんだ。でも、どれだけ形を工夫しても、僕が作っただけじゃ動かなかった。どうすれば動くのか、ずっと考えていたんだよ!」


 ノエルは、ゴーレムの小さな腕を見つめた。


「それが今、動いたんだ。僕が作ったものが、本当に動いてくれたんだよ!」


 そう言って、もう一度ゴーレムに向き直る。


「すごいなあ……。ねえ、もう一回歩いてみて!」


 リーゼは思わず、小さく笑いそうになった。


 ノエルは、まるで自分が初めて魔法を使えた子供のようにはしゃいでいる。


 けれど、その喜びは少しも嘘には見えなかった。


 リーゼは、自分の指先を見つめた。


 自分の魔法で、誰かがこんなに喜んでくれる。


 誰かを傷つけるためでも、命令に従うためでもない。


 ただ、嬉しいから。


 自分の魔法が何かを生み出す手助けになったことが、嬉しいから。


「……私の魔法で」


 小さな声が、口からこぼれた。


 ノエルが振り返る。


「ん?」


「……私の魔法で、こんなに喜んでくれるんだね」


 言葉にした途端、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 不思議な感覚だった。


 ずっと、自分の魔法は誰かを傷つけるためのものだと思っていた。


 自分の力で動くものは、戦場へ向かい、誰かの命を奪う。


 それ以外の使い方なんて、考えたこともなかった。


 けれど、目の前のノエルは、たった一体の小さなゴーレムが動いただけで、あんなにも喜んでいる。


 その姿を見ていると、自分の魔法が、今までとは違うものに思えてきた。


「……ありがとう、リーゼ!」


 ノエルが、改めて言った。


「僕一人じゃ、こいつを動かすことはできなかった。君が力を貸してくれたから、動いたんだ!」


 リーゼは、少しだけ俯いた。


 嬉しかった。


 誰かに感謝されることが。


 自分の力を喜んでもらえることが。


 そして何より、自分が何かをできたことを、こんなにも嬉しいと思えたことが。


「……うん」


 リーゼは、小さく頷いた。


「……私も、嬉しい」


 ノエルは笑った。


「じゃあ、次は何を作ろうか!」


「えっ……?」


「もちろん、今日は無理しなくていいよ。でも、魔力が戻ってきたら、また一緒に作ろう! もっと歩きやすいゴーレムとか、畑の手伝いができるゴーレムとか!」


 ノエルは、すでに次のことを考え始めていた。


 リーゼは、そんな彼を見つめた。


 少し前まで、自分は何のためにここにいるのかさえわからなかった。


 それなのに今は、もう一度、この人と何かを作ってみたいと思っている。


「……うん。次も、一緒に」


 そう答えたリーゼの顔には、今度こそ、はっきりとした笑みが浮かんでいた。


 小さなゴーレムは、二人の前でゆっくりと一歩を踏み出した。


 そのぎこちない動きを見て、ノエルがまた歓声を上げる。


 リーゼは、その声を聞きながら笑った。


 自分の魔法で、誰かを笑顔にできる。


 その喜びを、彼女は初めて知ったのだった。


     


 その日の夕方。


 リーゼは、小さなゴーレムのそばに座っていた。


 ゴーレムは、木箱の横でじっと立っている。


 命令がなければ、勝手に何かを始めることはない。


 それでも、リーゼが声をかけると、ゆっくりと頭を向けた。


「……ありがとう」


 小さな声だった。


 何に対しての言葉なのか、リーゼ自身にもよくわからなかった。


 木片を運んでくれたこと。


 自分の魔法が、まだ誰かの役に立てると教えてくれたこと。


 それとも、自分で選んだものが、目の前で動いてくれたことだろうか。


 ゴーレムは、何も答えない。


 ただ、リーゼのほうを向いている。


 そこへ、ノエルがやってきた。


「ここにいたんだ」


「……うん」


「その子、気に入った?」


 リーゼは少し考えてから、頷いた。


「……うん。気に入った」


「そっか。よかった」


 ノエルは隣に腰を下ろした。


 二人はしばらく、何も話さずにゴーレムを眺めていた。


 やがてリーゼが、ぽつりと言った。


「……また、作ってみたい」


 ノエルは驚いたように顔を向けた。


「本当?」


「うん。でも、今は……小さいものだけ」


「それでいいよ。次も一緒に考えよう」


 リーゼは、小さく頷いた。


 まだ、魔力は戻っていない。


 できることも、限られている。


 それでも、初めて自分の意思で選んだゴーレムが、今ここにいる。


 そして、自分はもう一度やってみたいと思っている。


 それだけで、今日は十分だった。


 小さなゴーレムが、夕暮れの光を受けて静かに立っていた。


 その小さな命は、誰かを傷つけるためではなく、誰かの暮らしを支えるために生まれた。


 リーゼが、自分で選んだ未来の、最初の一歩だった

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