↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/20

失いたくないもの

ノエルが十二歳になった春、テルナ村には穏やかな風が吹いていた。

 畑には新しい芽が顔を出し、村の人々は忙しそうに働いている。広場では子供たちの声が響き、遠くからマリーが父親を呼ぶ声も聞こえた。

 そんな村の景色を、ノエルは少し離れた丘の上から眺めていた。

「おーい、ノエル!」

 振り返ると、オーティスが駆け寄ってきた。

「こんなところにいたのか。探したぞ!」

「少し考え事をしていたんだ」

「また魔法のことか?」

「……まあね」

「本当に好きだなあ」

 オーティスはノエルの隣に座った。

 以前なら、ノエルはこうして誰かと並んで座ることすら落ち着かなかった。何を話せばいいのか分からず、沈黙が続くことを恐れていた。

 今は違う。

 話すことがなくても、隣にオーティスがいることを不思議だとは思わなくなっていた。

「なあ、ノエル」

「何?」

「俺、もっと強くなりたいんだ」

「知ってるよ」

「いや、そうじゃなくてさ」

 オーティスは膝を抱え、遠くに見える村の家々を見つめた。

「父さんみたいに強くなりたいって、ずっと思ってた。でも最近、それだけじゃ駄目なんじゃないかって思うんだ」

「どうして?」

「父さんが守っている人たちを、俺も守れるようになりたいんだ。父さんがいなくても、みんなが安心して暮らせるように」

 ノエルは黙って聞いていた。

「そのためには、父さんを超えなきゃいけないと思う。剣の腕だけじゃなくて、何が起きても逃げずに考えられるようになりたいんだ」

「……オーティスらしいね」

「そうか?」

「うん」

 ノエルは笑った。

 オーティスも笑い返した。

 けれど、その笑顔を見た瞬間、ノエルの胸の奥に、あの感情が再び顔を出した。

 父親に認められるオーティス。

 失敗しても、やり直すことを許されるオーティス。

 自分には、決して与えられなかったもの。

 ノエルは目を伏せた。

「……いいよね、オーティスは」

「え?」

「父さんがいて。失敗しても、ちゃんと見てくれる人がいて」

 オーティスは困惑した顔をした。

「ノエル?」

「何でもない」

「いや、何でもないって顔じゃないだろ」

「いいんだよ」

「よくないだろ。何かあるなら話してくれよ」

 心配してくれている。

 ただ、それだけだ。

 ノエルにも分かっていた。

 分かっているのに、止められなかった。

「お前には分からないよ!」

 ノエルは立ち上がった。

「できないだけで、いらないって言われる気持ちなんて!」

 オーティスの表情が固まった。

「……ノエル」

「僕は、何もできなかったんだ。魔法が使えないだけで、家族から捨てられた。僕がどれだけ頑張っても、何も見てもらえなかった!」

 言葉があふれ出した。

 今まで誰にも話せなかったこと。

 思い出すたびに胸が痛くなり、考えないようにしてきたこと。

 それらが、目の前の友人に向かってぶつけられていた。

「お前は違うだろ! 父さんに認めてもらって、家に帰れば家族がいて……そんなお前に、僕の気持ちなんて分かるわけない!」

 オーティスは唇をかんだ。

「俺だって、お前のこと何も知らないわけじゃない!」

 彼もまた、声を荒らげた。

「でも、俺の父さんが俺を大事にしてくれることまで、悪いことみたいに言うなよ!」

 ノエルは息をのんだ。

「俺は、父さんに認めてもらえるのが嬉しいよ。厳しいし、失敗したら何度でもやり直しだけど、それでも俺を見てくれてる。俺はそれを、大事にしたいんだ!」

 オーティスの手が震えていた。

「お前が苦しかったことは、俺には全部分からない。そんなの、当たり前だろ。でも、だからって俺まで、自分の家族を大事に思っちゃいけないのかよ!」

「……違う。僕は……」

 言い返そうとしたノエルの口が止まった。

 違う。

 そんなことを言いたかったわけではない。

 ただ、羨ましかった。

 自分にも、あんな父親がいたら。

 失敗した自分を見捨てず、何度でもやり直させてくれる家族がいたら。

 そんな願いを、ずっと心の奥に押し込めてきた。

「……もういい」

 オーティスは顔を背けた。

「今は、話したくない」

 彼は立ち上がり、その場を離れていった。

 ノエルは引き止められなかった。

 丘の上に、一人だけが残った。

     

 それから数日間、二人は一緒に行動しなかった。

 オーティスは剣の稽古に打ち込んでいた。

 ノエルはヴァルセーヌとの研究に没頭した。

 けれど、どちらも以前のようには集中できなかった。

 ノエルは土の形を変えながら、何度も同じことを考えた。

 自分は、オーティスにひどいことを言った。

 彼が家族を大切に思うことは、何も悪くない。

 それなのに、自分はその幸せを妬んでしまった。

「……先生」

 ある日の夕方、ノエルはヴァルセーヌに尋ねた。

「自分ではどうにもできない気持ちって、どうすればいいんだろう」

 ヴァルセーヌは研究の手を止めた。

「どうにもできない気持ち、か」

「分かっているんだ。相手が悪くないことも、自分が間違ったことを言ったことも。でも、どうしても嫌な気持ちになるんだ」

「そうか」

 ヴァルセーヌはしばらく考えた。

「ノエル。感情というものは、正しいか間違っているかだけで分けられるものではないよ」

「……でも、僕はオーティスを傷つけた」

「それは、きちんと向き合わなければいけないことだね」

 ヴァルセーヌは穏やかに言った。

「お前が苦しかったことと、オーティスを傷つけたこと。その二つは、どちらか一方だけが本当というわけではない」

 ノエルは顔を上げた。

「自分の苦しみを認めることは、相手を傷つけたことを正当化する理由にはならない。だが、相手を傷つけたからといって、自分の苦しみまで否定する必要もないんだ」

「……僕は、どうすればいい?」

「自分が本当は何を伝えたかったのか、考えてみるといい。そして、伝えられると思ったときに、相手と話してみなさい」

 ノエルはうつむいた。

「……もし、許してもらえなかったら?」

「それは、オーティスが決めることだよ」

 ヴァルセーヌは答えた。

「だが、何も伝えなければ、お前が何を考えているのかも伝わらない」

 ノエルは長い間、黙っていた。

 やがて、小さくうなずいた。

     

 翌日の夕方、ノエルは広場へ向かった。

 オーティスは一人で木剣を振っていた。

 ノエルに気づくと、動きを止めた。

「……何か用か?」

 以前のように、明るく声をかけてはくれなかった。

 それでも、追い払おうとはしなかった。

 ノエルは拳を握りしめた。

「この前は、ごめん」

 オーティスは黙っていた。

「オーティスが悪いわけじゃないのに、ひどいことを言った。オーティスがお父さんを大切に思っていることまで、否定するつもりはなかったんだ」

 ノエルは一度、言葉を切った。

「……本当は、羨ましかったんだ」

 胸が痛かった。

 それでも、目をそらさなかった。

「僕にも、オーティスみたいに自分を見てくれる家族がいたらよかったって。失敗しても、何もできなくても、それでも僕を必要としてくれる人がいたらって……ずっと思ってた」

 声が震えた。

「オーティスが悪いわけじゃない。分かってる。でも、オーティスを見ていると、自分にはなかったものを思い出して……それが、苦しかった」

 オーティスは木剣を下ろした。

 ノエルは続けた。

「オーティスのことが嫌いになったわけじゃないんだ。むしろ……一緒にいたかった。だから、あんなことを言った自分が嫌なんだ」

 沈黙が流れた。

 やがて、オーティスが小さく息を吐いた。

「……俺も、ごめん」

「え?」

「お前がどれだけ苦しかったのか、ちゃんと分かってなかった。分からないのに、分かってるつもりになってたのかもしれない」

 オーティスは頭をかいた。

「でもさ、ノエル。俺はお前と一緒にいたいんだ」

 ノエルの目が揺れた。

「お前といると、俺一人じゃ気づかないことが分かる。剣のことだって、魔法のことだって、お前と一緒に考えると面白いんだ」

「……オーティス」

「だから、俺の家族のことを羨ましいと思ってもいいよ。でも、俺が家族を大切に思う気持ちも、分かってほしい」

「……うん」

「それと、これからは嫌なことがあったら、ちゃんと言ってくれよ。俺も言うからさ」

 オーティスは、少しだけ笑った。

「そのほうが、二人で考えられるだろ?」

 ノエルは顔を伏せた。

 涙がこぼれそうになった。

 けれど、今度は隠さなかった。

「……ありがとう」

「おう」

 オーティスは木剣をノエルに差し出した。

「で、今日はどうする?」

「……何が?」

「剣の稽古。最近、お前とやってなかっただろ」

「僕は剣なんてほとんど使えないよ」

「知ってる!」

「だったら……」

「だから、一緒に練習するんだろ!」

 ノエルは思わず笑った。

 オーティスも笑った。

 二人は並んで木剣を構えた。

 以前とまったく同じではない。

 けれど、以前よりも少しだけ、お互いのことが分かるようになっていた。

 この先、また喧嘩をすることもあるだろう。

 考え方が違い、傷つけ合うこともあるかもしれない。

 それでも、何も言わずに離れるのではなく、言葉にして伝えよう。

 二人は、そうやって少しずつ大人になっていくのだった。


 同じ頃、ヴァルセーヌは再び村を離れていた。

 今度の目的地は、かつて交易で栄えた古い町だった。

 町の外れには、半ば崩れた建物が残っていた。昔の記録を保管していた場所らしいが、長い年月の間に多くの書物が失われていた。

 ヴァルセーヌは残された記録を調べ、町に住む老人たちから話を聞いて回った。

 その中で、彼は奇妙な話を耳にした。

 数年前、ある土地で亡くなった兵士たちの遺体が、戦場からまとめて運び出されたという。

 葬送のためだったのか。

 身元を調べるためだったのか。

 それとも、別の理由があったのか。

 話をした老人にも、それ以上のことは分からなかった。

 ヴァルセーヌは手帳に記録を残した。

 その数日後、別の町で似た話を聞いた。

 さらに別の土地では、死者に関する魔法を調べていた学者が、突然姿を消したという記録が見つかった。

 ひとつひとつは、偶然で説明できるかもしれない。

 だが、同じような話が別々の場所で続いている。

 ヴァルセーヌは手帳を閉じた。

「……まだ、断定するには早いな」

 彼は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 手がかりは増えている。

 しかし、それらを結びつける決定的な証拠は、まだなかった。

     

 テルナ村へ戻ったヴァルセーヌは、ノエルに旅先で見聞きしたことをすべて話すことはしなかった。

 代わりに、いつものように土魔法の研究を手伝った。

「今日は、水を通した後の土の変化を調べてみよう」

「昨日と同じ場所で?」

「いや、今日は別の土を使う。条件を変えなければ、何が原因なのか分からないからな」

 ノエルはうなずいた。

 土を崩し、粒の大きさを比べ、水を流して変化を記録する。

 研究は地味だった。

 思った通りの結果が出ないことも多い。

 それでもノエルは、一つひとつの違いを見逃さないようにしていた。

「先生」

「何だ?」

「土魔法って、土を操るだけじゃないんだね」

「ほう?」

「土がどうしてその形になっているのか、どうすれば変化するのかを知ることも必要なんだ。分からないまま動かしても、うまくいかない」

 ヴァルセーヌは満足そうに笑った。

「よく気づいたな」

 ノエルは少し照れくさそうに目を伏せた。

 自分が学んでいることは、確かに少しずつ身についている。

 そして、その知識を使えば、できることも増えていく。

 ノエルはまだ知らなかった。

 いつかその力が、誰かの命を救うために必要になることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。