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ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


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18/19

土の村

翌朝。


 テルナ村には、静かな風が吹いていた。


 かつて家々が並んでいた場所には、黒く焼けた柱と崩れた壁が残っている。畑は踏み荒らされ、村を囲んでいた柵も、子供たちが遊んでいた広場も、すべてが灰に覆われていた。


 朝日が昇っても、そこにいつもの暮らしは戻ってこない。


 ノエルたちは、地下の避難場所から地上へと戻ってきた。


 村人たちは誰もが言葉を失っていた。


「……ひどいな」


 オーティスが、かすれた声でつぶやいた。


 いつもなら朝早くから聞こえるはずの、農作業の音も、家族の話し声もない。


 父バルスと剣の稽古をした場所も、マリーと一緒に畑を手伝った場所も、ノエルが初めて土魔法を試した場所も、見渡す限り焼け跡になっていた。


 ここで過ごした六年間。


 ノエルにとって、テルナ村はただ暮らしてきた場所ではなかった。


 失敗しても、怒られても、何かを知らなくても、もう一度やってみようと思える場所だった。


 自分の力を認めてくれる人がいて、帰ってくれば迎えてくれる人がいた。


 その場所が、目の前で失われている。


 ノエルは、拳を強く握りしめた。


 隣に立つオーティスも、何も言わなかった。


 やがて、村人の一人が焼け落ちた家の前にしゃがみ込んだ。


「……俺の家だったんだ」


 その声を聞いて、別の村人が顔を伏せる。


「うちもだよ。何も残ってない」


「畑も、全部駄目か……」


 悲しみが、少しずつ広がっていく。


 誰もが、自分の失ったものを見つめていた。


 家族との思い出が詰まった家。

 何年も手入れをしてきた畑。

 毎日使っていた道具。

 明日も当たり前に続くと思っていた暮らし。


 それらが、一晩で消えてしまったのだ。


 マリーは、焼けた畑の前で立ち尽くしていた。


「お父さんが、大切に育ててたのに……」


 土を掘り起こし、種をまき、毎日様子を見てきた畑。


 マリーはしゃがみ込み、黒くなった土にそっと触れた。


「こんなの……ひどいよ」


 声が震える。


 悔しかった。


 悲しかった。


 何より、何もできなかった自分が情けなかった。


 そのとき、少し離れた場所から声が上がった。


「……でも、ここで終わりにするわけにはいかないだろ」


 声の主は、ダルクだった。


 彼は焼けた家を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。


「家はなくなった。畑も駄目になった。けど、俺たちは生きてる」


「そうだな……」


「なら、また作ればいい」


 その言葉に、何人かの村人が顔を上げた。


「簡単なことじゃないぞ。家を建てるにも、畑を戻すにも、時間がかかる」


「分かってるさ」


 ダルクは、苦しそうに笑った。


「それでも、何もしなかったら、本当に何も残らないだろ」


 彼は焼け跡を見回した。


「俺たちは、今までもそうやって暮らしてきた。畑が駄目になった年だってあった。嵐で屋根が飛んだこともあった。それでも、みんなで直してきたじゃないか」


「……ああ」


「だったら、今回だって同じだ」


 すぐに元通りになるわけではない。


 失ったものが戻るわけでもない。


 それでも、もう一度作ることはできる。


 一人の村人が、小さくうなずいた。


「……俺も手伝うよ」


「私も」


「まずは、使える道具を探さないとな」


「家の片づけから始めよう。焼け残った木材だって、使えるものはあるはずだ」


 少しずつ、声が増えていった。


 悲しみが消えたわけではない。


 それでも、人々は焼け跡から目をそらすのではなく、もう一度そこに暮らすために、何ができるのかを考え始めていた。


 その光景を見ながら、ノエルは静かに息を吐いた。


 ――この人たちは、強い。


 剣を持っているわけでも、強大な魔法を使えるわけでもない。


 それでも、失ったものを見つめたうえで、もう一度立ち上がろうとしている。


 ノエルは、その姿を忘れないように心に刻んだ。


     


 少し離れた場所では、リーゼがうつむいていた。


 彼女は、焼け落ちた村を見つめたまま、動けずにいた。


「……私のせいだ」


 かすかな声だった。


「私が、あんな魔法を使えたから……」


 彼女の脳裏に、帝国で過ごした日々がよみがえる。


 命を吹き込む力。


 その力を使って、何千もの死者を動かした。


 自分の意思ではなかった。


 そう分かっていても、彼女の魔法が帝国の軍事力を支えていたことは変わらない。


 そして今、その帝国がテルナ村を焼いた。


「私がいなければ……みんな、こんな目に遭わなかったのに」


 リーゼの目から、涙がこぼれた。


「せっかく、ここで暮らせるようになったのに……。みんな、優しくしてくれたのに……」


 声が途切れる。


「私……また、みんなから大切なものを奪っちゃった」


「リーゼ」


 ノエルが近づこうとしたとき、先にマリーが彼女のそばへ歩いていった。


 マリーは何も言わず、リーゼの手を取った。


「……違うよ」


「でも……」


「違う」


 マリーは、涙を浮かべた目でリーゼを見つめた。


「帝国が村を焼いたのは、帝国がそう決めたからだよ。リーゼが決めたことじゃない」


「でも、私の魔法を……」


「リーゼの魔法は、あの人たちだけのものじゃないよ」


 マリーは、リーゼの手を両手で包み込んだ。


「私、リーゼが家に来てくれた日のこと、覚えてる。お母さんにあの小さなゴーレムを作ってくれたでしょ?」


 リーゼは、かすかに顔を上げた。


「あれを見たとき、お母さん、本当に嬉しそうだった。私だって嬉しかった。リーゼが一生懸命考えて、作ってくれたんだって分かったから」


「……でも、私は……」


「うん。リーゼがつらい思いをしてきたことも、怖いことがあったことも、私には全部は分からない」


 マリーは、無理に笑おうとはしなかった。


「だから、簡単に大丈夫だなんて言わない。でもね、リーゼがここに来てくれたことまで、間違いだったなんて思わないよ」


 リーゼの目から、また涙が落ちた。


「……マリー……」


「私たち、リーゼと一緒に暮らしたいんだよ。魔法が使えるからじゃない。何かを作ってくれるからでもない」


 マリーは、そっとリーゼを抱きしめた。


「リーゼだから、一緒にいたいの」


 リーゼは、こらえていたものが切れたように、マリーの肩に顔を埋めた。


 声を上げて泣いた。


 マリーは何も急かさず、彼女の背中を撫で続けた。


 やがて、オーティスも近づいてきた。


「……俺だって、リーゼがここに来てくれてよかったと思ってるぞ」


 少し照れくさそうに頭をかきながら、彼は言った。


「一緒に村を歩いたり、みんなの手伝いをしたり。あのゴーレムだって、すごかったしな」


「……オーティス……」


「それにさ、俺たちだって何もできなかったんだ。昨日は隠れることしかできなかった。悔しいし、腹も立つ」


 オーティスは焼け跡を振り返った。


「でも、それはリーゼのせいじゃない。俺たちがこれからどうするかは、俺たちが決めることだろ?」


 彼は、リーゼに向き直った。


「だから、勝手に一人で全部背負うなよ。俺たちは仲間なんだから」


 その言葉に、リーゼは唇をかみしめた。


 自分の魔法を恐れられるのではないか。


 自分がいるせいで、また誰かが傷つくのではないか。


 そんな思いが、彼女の中から完全に消えたわけではない。


 それでも、今は手を握ってくれる人がいる。


 自分を責めるなと、ただ慰めるだけではなく、一緒に歩こうと言ってくれる人がいる。


「……ありがとう」


 リーゼは、涙を拭いながら、小さく言った。


「私……まだ、怖い。でも……みんなと、ここにいたい」


「うん」


 マリーがうなずいた。


「じゃあ、一緒にいよう」


 そこへ、エレンがゆっくりと歩いてきた。


 疲れた顔をしていたが、リーゼを見る目はいつもと変わらなかった。


「リーゼちゃん」


「……エレンさん」


「あなたがここに来てくれたこと、私は少しも後悔していないわ」


 エレンは、リーゼの頬に残った涙をそっと拭った。


「昨日のことは、本当に悲しいわ。でもね、誰かが悪いことをしたからって、その人のすべてが悪い人になるわけじゃないでしょう?」


 リーゼは、黙って耳を傾けた。


「あなたは、私にあの子を作ってくれた。私が少しでも楽に暮らせるようにって、考えてくれた。私は、その気持ちを覚えているわ」


 エレンは、優しく微笑んだ。


「だから今度は、あなたが苦しいときに、私たちを頼ってちょうだい」


「……はい」


 リーゼは、もう一度うなずいた。


 その返事はまだ小さく、頼りなかった。


 けれど、昨日までのように、すべてを一人で抱え込もうとはしていなかった。


     


「ノエル」


 呼びかけられ、ノエルは振り返った。


 ヴァルセーヌが、焼けた村を見渡していた。


「お前は、どうするつもりだ?」


 ノエルは、すぐには答えなかった。


 家も畑も、村の景色も失われた。


 帝国の兵士たちは、何のためらいもなく火を放った。


 彼らはまた来るだろう。


 リーゼを連れ戻すために。


 自分たちを排除するために。


 次に来たとき、今度は村人たちが逃げ切れる保証もない。


 ノエルは、焼け跡を見つめた。


「……村を作り直すよ」


 ヴァルセーヌは、黙って続きを待った。


「家も、道も、畑も。できるだけ早く、元の暮らしに戻れるようにする」


「土魔法で、か?」


「うん」


 ノエルは、自分の足元に目を落とした。


 土は、まだここにある。


 表面は焼け、踏み荒らされ、ところどころに灰が混じっている。


 けれど、その下には土が残っている。


 土は、燃えた家の跡にもある。


 崩れた道の下にもある。


 失われた村を、もう一度形作るための材料は、まだこの場所に残っているのだ。


「土を盛り上げて基礎を作ることも、壁や柱を形作ることもできる。水路も、道も……工夫すれば、今までより早く作れるはずだよ」


 ノエルは、少しずつ考えを言葉にしていった。


「もちろん、何でもすぐに元通りにできるわけじゃない。でも、僕の魔法なら、みんなが一から手作業で作るより、ずっと早くできることがある」


 ヴァルセーヌは、静かにうなずいた。


「なら、やってみるといい」


「……うん」


「ただし、忘れるなよ。村を作るのは、お前一人じゃない」


 ノエルは顔を上げた。


「お前が土で家を作っても、そこで暮らすのは村の人たちだ。どんな家にしたいのか、どんな場所を残したいのか。それは、彼らにも聞いて決めるんだ」


「……分かってるよ」


 ノエルは、村人たちを見た。


 焼け跡を片づける者。

 使えそうな木材を集める者。

 家族の手を握り、これからのことを話す者。


 みんな、失ったものを悲しんでいる。


 それでも、もう一度暮らすために動き始めていた。


 ノエルは、その輪の中へ歩いていった。


「みんな、少し聞いてください!」


 村人たちが振り返る。


 ノエルは、緊張を押し込めながら口を開いた。


「この村を、僕の土魔法で作り直したいんです」


 ざわめきが起こった。


「土魔法で、村を?」


「家も作れるのか?」


「道や水路も?」


「はい。全部を一度に、というわけにはいきません。でも、みんなが使う場所から順番に作っていけば、今より早く暮らしを取り戻せるはずです」


 ノエルは、言葉を切った。


「ただ……僕だけで決めるつもりはありません。どんな家にしたいか、どこに畑を作りたいか、みんなの希望を聞かせてください」


 しばらく、沈黙が続いた。


 やがて、ダルクが一歩前に出た。


「……それなら、畑を頼めるか?」


「もちろんです」


「土が焼けてしまった場所もある。作物を育てられるようになるまで、時間がかかるかもしれんが……もう一度、土を整えたいんだ」


「一緒に考えましょう」


 バルスも声を上げた。


「家の土台を、前より頑丈にできるか?」


「やってみます」


「なら、俺は木材を集めよう。土だけじゃ作れないものもあるだろう?」


「助かります」


 少しずつ、具体的な話が増えていく。


 ノエルは一人ひとりの声を聞き、必要なものを頭の中で整理していった。


 家の基礎。

 雨を流す水路。

 畑に適した土。

 村を行き来するための道。


 やることは多い。


 けれど、考えれば考えるほど、できることも見えてきた。


 オーティスが、ノエルの隣に立った。


「俺は木材集めと、力仕事をやるよ」


「うん。お願い」


「それから、村を守るためにできることも考えよう」


 その言葉に、ノエルは彼を見た。


 オーティスの表情には、まだ悔しさが残っていた。


 昨日、自分たちは村を焼かれるのを見ていることしかできなかった。


 けれど、今度も同じとは限らない。


「……そうだね」


 ノエルはうなずいた。


「村を作り直すだけじゃ、足りないんだ」


 村人たちの声が、再び聞こえてくる。


 誰もが、失ったものを悲しみながら、少しずつ前を向き始めていた。


 ノエルは、その光景を見つめた。


 この人たちが、もう一度ここで笑えるように。


 子供たちが、何も恐れずに走り回れるように。


 リーゼが、自分の魔法を恐れるだけではなく、誰かのために使える日が来るように。


 そして、二度と帝国の兵士たちに、この暮らしを踏みにじらせないために。


 自分にできることを、すべてやる。


 ノエルは、焼け跡の中央へ歩み出た。


 両手を地面に向ける。


 土の感触を確かめるように、ゆっくりと目を閉じた。


 土は、そこにあった。


 焼けたものを受け止め、踏み荒らされてもなお、そこにあり続けている。


 ノエルは、その土に意識を向けた。


「……もう一度、ここから始めよう」


 地面が、かすかに震えた。


 黒く焦げた地表の下から、土が静かに動き始める。


 崩れた家の跡に、平らな地面が広がった。


 焼け落ちた道のくぼみが埋まり、家を建てるための土台が少しずつ形を整えていく。


 村人たちは息をのんだ。


 それは、失われた村がそのまま戻ってくる奇跡ではない。


 ノエルが土を操り、村人たちが知恵と手を貸し、もう一度暮らしを築いていくための始まりだった。


 リーゼも、涙の跡が残る顔を上げた。


 ノエルの背中を見つめる。


 自分の魔法が、戦争のために使われた。


 その事実は変わらない。


 けれど、ノエルは土魔法で村を作り直そうとしている。


 壊されたものを、もう一度作るために。


 リーゼは、そっと自分の手を握りしめた。


 いつか自分も、誰かのために何かを作れるだろうか。


 誰かを傷つけるためではなく、誰かが安心して暮らせる場所を守るために。


 まだ、答えは出ない。


 それでも今は、ここにいたいと思った。


 仲間たちと一緒に、もう一度歩き出したいと思った。


     


 その日の夕方。


 焼け跡の一角には、小さな土の建物ができていた。


 まだ屋根も扉も仮のものだ。


 それでも、雨風をしのぎ、道具を置き、夜を過ごすための場所としては十分だった。


 村人たちは、久しぶりに少しだけ笑った。


「まさか、こんなに早く形になるとはな」


「ノエル、助かったよ」


「いえ。僕だけの力じゃありません」


 ノエルは首を横に振った。


「みんなが何を必要としているのか教えてくれたから、作れたんです」


 その言葉に、村人たちは顔を見合わせた。


 村はまだ戻っていない。


 失ったものも、傷ついた心も、簡単には元に戻らない。


 それでも、ここには人がいる。


 互いを気にかけ、手を貸し、もう一度暮らしを作ろうとする人たちがいる。


 ノエルは、空を見上げた。


 遠くの空には、夕焼けが広がっていた。


 帝国は、また来る。


 次は、もっと多くの兵士を連れてくるかもしれない。


 そのとき、自分たちはどうすればいいのか。


 正面から戦えば、村人たちが危険にさらされる。


 ただ逃げ続ければ、いつか逃げ場を失う。


 ならば、戦う以外の方法を探す必要がある。


 土魔法で作れるもの。


 リーゼの魔法で動かせるもの。


 オーティスたちが守れるもの。


 村人たちの知恵と力。


 それらを組み合わせれば、何かできるのではないか。


 ノエルは、まだ答えのない問いを胸に抱いた。


 そして、ふと、リーゼの力について考えた。


 彼女が命を吹き込めるものには、限りがある。


 その限りを知ったうえで、何を作り、どう使うのか。


 今まで、彼女の力は帝国によって戦争の道具にされてきた。


 ならば、今度は自分たちが、その力の使い道を考えるべきなのではないか。


 無理に戦わせるためではない。


 誰かを道具にしないために。


 誰かの命を、数だけで扱わないために。


 ノエルは、リーゼの方を見た。


 彼女はマリーたちと一緒に、集めた道具を整理していた。


 まだ表情には不安が残っている。


 それでも、少しずつ手を動かしている。


 ノエルは、静かに決意した。


 この村を、もう一度作る。


 そして次に帝国が来たときには、ただ隠れているだけでは終わらせない。


 自分たちに何ができるのか。


 どうすれば、少ない力で、多くの命を守れるのか。


 その答えを、必ず見つける。


 灰の中から、新しい村が生まれようとしていた。


 そして同時に、帝国の大軍に立ち向かうための、小さな一歩も始まっていた。

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