↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/19

覚悟

テルナ村の地下では、朝から作業が続いていた。


 ノエルが土魔法で地面を掘り進め、ヴァルセーヌが土の状態を確かめる。掘り出された土は村人たちが運び、避難場所に必要な道具や資材も少しずつ集められていた。


 地下に作る空間は、村人全員が一時的に過ごせるほどの広さが必要だった。


 ただ穴を掘るだけでは、土が崩れる危険がある。


 ノエルは壁の厚さを確かめ、天井を支える柱を作り、空気が通る道を確保していった。


「ノエル、ここの壁は大丈夫なのか?」


 土を運んでいたオーティスが、天井を見上げながら尋ねた。


「今のところはね。でも、もっと広げるなら支えを増やした方がいいと思う」


「そっか。じゃあ、俺はそっちの資材を運んでくるよ」


「ありがとう、オーティス」


 オーティスは笑って駆け出した。


 ノエルは再び土に手を触れた。


 土の硬さ、湿り気、重さ。


 その一つひとつを確かめながら、崩れない構造を考えていく。


 いつもなら、こうして何かを作ることに集中していれば、時間を忘れることができた。


 けれど、今日は違った。


 手を動かしている間も、頭の片隅から離れないことがあった。


 ドラグノア帝国。


 リーゼを連れ戻すために、こちらへ向かっている軍隊。


 その軍隊が村へ到着したとき、自分たちはどうなるのだろう。


 地下へ避難すれば、村人たちは守れるかもしれない。


 しかし、もし敵が村人たちを見つけたら。


 もし、避難場所にまで攻め込んできたら。


 そのとき、自分は何をすればいいのだろう。


 土魔法で敵を止めることはできる。


 壁を作り、道を塞ぎ、地面を動かすこともできる。


 けれど、その力で人を傷つけることだってできてしまう。


 ノエルは、土に触れていた手を止めた。


 そのとき、少し離れた場所から声が聞こえた。


「父さん」


 オーティスだった。


 彼は資材を運ぶ手を止め、バルスの前に立っていた。


「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


「……戦いで、人を殺したことはある?」


 バルスの手が止まった。


 周囲では、村人たちが作業を続けている。


 だが、二人の間には、短い沈黙が流れた。


 バルスはすぐには答えなかった。


 やがて、手にしていた木材を地面に置き、息子の顔を見つめた。


「どうして、そんなことを聞く?」


「……帝国軍が来るから」


 オーティスは視線を落とした。


「今までは、剣を強く振れるようになりたいと思ってた。父さんみたいに、誰かを守れる戦士になりたいって」


 彼は、自分の手を見つめた。


「でも、もし本当に戦うことになったら……。俺は、敵を斬れるのかなって思ったんだ」


 バルスは黙って息子の言葉を聞いていた。


「相手だって、人間なんだよな。俺たちと同じように生きてきた人なんだよな」


「ああ」


「その人を、俺が殺すかもしれないんだ」


 オーティスの声が、わずかに震えた。


「俺は……それが怖い」


 バルスは、息子の肩に手を置いた。


「怖いと思うのは、悪いことじゃない」


「でも、怖がっていたら戦えないだろ?」


「そうかもしれん。だが、怖さを感じなくなることが、強さだとは思わない」


 バルスは、少しだけ視線を遠くへ向けた。


「剣を振るう相手にも、お前と同じように人生がある。家族がいるかもしれん。帰りを待っている人がいるかもしれん。そいつがどんな人生を送ってきたのか、俺たちには分からない」


 オーティスは黙って聞いていた。


「敵だからといって、そいつの命が軽くなるわけじゃない。だがな、だからといって、お前や仲間の命を差し出せばいいという話でもない」


「……じゃあ、どうすればいいんだよ」


 オーティスは顔を上げた。


「相手の命を大切に考えたら、剣を振れなくなるかもしれない。でも、剣を振らなかったせいで、守りたい人が傷つくかもしれない。俺は、どうすればいいんだ?」


 バルスは、すぐには答えなかった。


 答えが簡単に出るような問いではないからだ。


「俺にも、いつでも正しい判断ができるとは言えん」


「父さんでも?」


「ああ。戦いの中では、すべてを考える時間があるとは限らない。判断を誤れば、自分だけでなく、仲間の命まで危険にさらすことがある」


 バルスは、オーティスの肩に置いた手に少し力を込めた。


「だからこそ、戦う前に考えておくんだ。何を守りたいのか。どこまでなら戦うのか。そして、本当に戦わずに済む方法はないのか」


「戦わずに済む方法……」


「剣を振るうことだけが、戦士の仕事じゃない。戦わずに誰かを守れるなら、それも立派な働きだ」


 オーティスは、ゆっくりとうなずいた。


 まだ、答えが見つかったわけではない。


 それでも、父親の言葉は胸に残った。


     


 少し離れた場所では、ノエルが作業の手を止めていた。


 オーティスとバルスの会話が、耳に入っていたのだ。


 人を殺す。


 その言葉が、頭の中で繰り返される。


 自分は、誰かの命を奪うことになるのだろうか。


 そう考えたとき、胸の奥に冷たいものが広がった。


「ノエル?」


 声をかけてきたのは、マティルダだった。


 彼女は木箱を抱え、避難場所に運び込む道具を整理していた。


「少し休みなさい。ずっと作業を続けているだろ」


「……うん。ありがとう」


 ノエルは手を止め、マティルダのそばに腰を下ろした。


 しばらく、二人は地下の壁を眺めていた。


 やがて、ノエルが口を開いた。


「マティルダさん。歴史の中では、たくさんの戦争があったんだよね」


「ああ。数えきれないほどね」


「その中で、人を殺した人たちは……何を考えていたんだろう」


 マティルダは、ノエルの顔を見た。


「どうして、そう思ったんだい?」


「僕たちも、これから戦うことになるかもしれないから」


 ノエルは、自分の手を見つめた。


「僕の土魔法は、いろんなことができる。壁を作ったり、地面を動かしたり。でも、使い方を間違えれば、人を傷つけることだってできるんだ」


 指先を、ぎゅっと握る。


「もし、僕の魔法で誰かが死んだら……。僕は、それをどう受け止めればいいんだろう」


 マティルダは、しばらく考えていた。


「歴史の本には、戦争で勝った人の名前や、どんな戦いがあったのかが記されている」


「うん」


「けれど、そこには書かれていないことも多いのだよ」


 彼女は、木箱の上にそっと手を置いた。


「亡くなった人が、どんな人だったのか。何が好きだったのか。誰と笑い合っていたのか。どんな未来を望んでいたのか」


 ノエルは、顔を上げた。


「歴史には、英雄と呼ばれる人がいる。大勢の人を救った人もいるだろう。けれど、その人が英雄として名を残したからといって、失われた命の重さが消えるわけでもない」


「……そうだね」


「人の命は、戦争の勝敗だけで測れるものではないのだよ」


 マティルダの声は穏やかだった。


「けれど、命が大切だからといって、何もせずに誰かが傷つくのを見ていればいい、ということでもない」


 ノエルは黙って聞いていた。


「ノエルが今、村の人たちを守ろうと考えていること。それは、とても大切なことね」


「でも、もし守るために、誰かを傷つけなきゃいけなくなったら?」


「そのときに何が正しいのか、私が決めてあげることはできない」


 マティルダは、まっすぐにノエルを見つめた。


「ただ、絶対に忘れちゃいけない。相手の命を奪うことを、簡単なことだと思わないことね。そして、自分が守ろうとしている人たちの命も、決して軽く扱わないこと」


 ノエルは、ゆっくりとうなずいた。


 簡単な答えはなかった。


 それでも、マティルダの言葉は、自分が何を考えなければならないのかを教えてくれた気がした。


 自分の力を、何のために使うのか。


 どんな結果を招く可能性があるのか。


 そのことから目をそらしてはいけないのだ。


     


 午後になると、地下避難所の形が少しずつ整ってきた。


 壁を支える柱が並び、村人たちが一時的に過ごせる空間が広がっていく。


 ノエルは土の状態を確かめながら、ヴァルセーヌと支柱の位置を相談していた。


 作業がひと段落したところで、ノエルとオーティスは地上へ戻った。


 二人は村の外れにある木の切り株に腰を下ろした。


 しばらく、何も話さなかった。


 やがて、オーティスが口を開いた。


「なあ、ノエル」


「うん?」


「もし、本当に戦うことになったら……お前はどうする?」


 ノエルは、すぐには答えなかった。


「……まだ、分からない」


「そっか」


「でも、僕はみんなを守りたい」


 ノエルは、村の方を見つめた。


「リーゼも、マリーも、オーティスも。ここで暮らしているみんなを守りたいんだ」


「うん」


「そのために何をすることになるのか、ちゃんと考えたい。自分の魔法で何ができるのかだけじゃなくて、何をしてしまうかもしれないのかも」


 オーティスは、ノエルの横顔を見た。


「……俺も、父さんに聞いたんだ。敵を殺すことが怖いって」


「オーティスが?」


「なんだよ。俺だって怖いものくらいあるさ」


 オーティスは苦笑した。


「父さんは、怖いと思うのは悪いことじゃないって言ってくれた。怖さを感じなくなることが、強さじゃないって」


「……そうなんだ」


「だから、俺も考えようと思う。どうすれば、みんなを守れるのか。どうすれば、戦わずに済むのか」


 オーティスは、両手を握りしめた。


「でも、もし戦うしかないなら……そのときは、逃げずに向き合いたい」


 ノエルは、友人の言葉を聞きながら、自分の中にある不安を確かめるように考えた。


 覚悟を決めれば、怖くなくなるのだろうか。


 きっと、そんなことはない。


 怖さが消えないまま、判断しなければならないときもある。


 それでも、自分が何を守りたいのかを忘れなければ、選ぶべき道を探せるかもしれない。


「オーティス」


「ん?」


「一緒に考えてくれる?」


 オーティスは、少し驚いたあと、いつもの笑顔を見せた。


「当たり前だろ。俺たち、親友なんだから」


 ノエルも、ほんの少し笑った。


     


 夕方。


 地下避難所の入口では、ヴァルセーヌが作業の進み具合を確かめていた。


 ノエルとオーティスは、彼のそばへ歩いていった。


「ヴァルセーヌ、少し聞きたいことがあるんだ」


「なんじゃ?」


 ノエルは、ためらいながら口を開いた。


「人を殺す覚悟って、必要なのかな」


 ヴァルセーヌは、二人を見つめた。


 しばらくして、静かに息を吐く。


「覚悟という言葉は、便利なものじゃ」


「便利?」


「ああ。まるで、覚悟さえ決めてしまえば、何もかも耐えられるように聞こえるからな」


 二人は黙って聞いていた。


「じゃが、人はそんなに簡単にはできておらん。覚悟を決めたつもりでも、いざというときに恐ろしくなることもある。自分がしたことを後悔することもあるじゃろう」


 ヴァルセーヌは、村の方へ目を向けた。


「それを、弱いとは言わん。人の命を奪うことに何も感じなくなることが、必ずしも強さだとは思わんからな」


「じゃが覚悟を決める、決めさせるということは大切なことじゃ。その覚悟という言葉で人は向き合い、考える」


「……じゃあ、僕たちはどうすればいいのかな?」


 ノエルが尋ねた。


「まず、自分が何を守ろうとしているのかを忘れぬことじゃ」


 ヴァルセーヌは、ゆっくりと言葉を続けた。


「そして、自分が何をしてしまうかもしれないのかも、忘れてはならん。力を持つ者ほど、自分の力がもたらす結果について考える必要がある」


 ノエルは、自分の手を見つめた。


 土を動かす力。


 壁を作る力。


 地面を変える力。


 そのどれもが、人を守るために使える。


 けれど、使い方を誤れば、人を傷つけることもできる。


「戦うことを恐れるな、と言うつもりはない。じゃが、恐ろしいからといって、何も考えずに目を背けるのも違う」


 ヴァルセーヌは二人を見た。


「お前たちは、まだ戦争を知らん。だからこそ、今のうちに考えておくのじゃ。何を守りたいのか。どこまで戦うのか。そして、戦わずに済む道があるのなら、それを探すことを忘れぬようにな」


 ノエルとオーティスは、静かにうなずいた。


「わしが答えを与えることはできん。最後に選ぶのは、お前たち自身じゃからな」


 ヴァルセーヌは、二人の肩を軽くたたいた。


「じゃが、一つだけ覚えておくといい。命を守ろうとすることと、相手の命を軽く扱わないこと。その二つは、決して矛盾せん」


 ノエルは、その言葉を胸の中で繰り返した。


 村人たちを守ること。


 敵の命を軽く扱わないこと。


 その両方を忘れずにいるのは、きっと簡単ではない。


 それでも、忘れてはいけないのだ。


     


 日が沈み始めた頃、ノエルとオーティスは地下避難所の入口に立っていた。


 作業は、まだ終わっていない。


 明日も、明後日も、準備を続けなければならない。


 敵がいつ来るのかも分からない。


 どれほどの人数なのかも分からない。


 何が起きるのか、誰にも分からなかった。


 それでも、二人は逃げるようにその場を離れたりはしなかった。


「なあ、ノエル」


「うん?」


「俺、まだ怖いよ」


 オーティスは、正直に言った。


「本当に戦うことになったら、どうすればいいのか分からない。相手を傷つけることも、人の命を奪うことも、怖い」


「……うん」


「でも、怖いからって何も考えずに逃げたくはないんだ。俺には、守りたい人たちがいるから」


 ノエルは、友人の顔を見た。


「僕もだよ」


 二人は、静かにうなずき合った。


 今はまだ、何をするべきなのか、はっきりとした答えは出ていない。


 それでも、二人は一つのことを理解し始めていた。


 戦うことは、ただ敵を倒すことではない。


 自分の力が誰かに何をもたらすのかを考え、その結果から目をそらさないこと。


 そして、どんなときでも、守りたいものを忘れないこと。


 ノエルは、地下へ続く階段を見つめた。


 この場所に、村人たちが避難する。


 彼らの命を守るために、自分は何ができるのか。


 答えは、まだ見つかっていない。


 けれど、考えることをやめるつもりはなかった。


 ノエルは、もう一度、地面に手を触れた。


 土の感触が、手のひらに伝わってくる。


 明日も、作業は続く。


 村を守るために。


 そして、自分がこれから何を選ぶのかを、決して忘れないために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。