荒れ果てたテルナ村
ドラグノア帝国の軍がテルナ村に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
先頭を歩いていた兵士が足を止め、後ろを振り返る。
「イザール将軍。あれが目的の村かと」
イザールは兵士の横を通り、村を見渡した。
そして、わずかに眉を動かした。
村の入口へ続く道は、ところどころが崩れ、雑草が好き勝手に伸びている。道の脇に立つ木柵は傾き、何本かは地面に倒れたままだった。
その先にある畑も、ひどい有様だった。
作物は見当たらず、土は荒れ、伸び放題の草が畝を覆い隠している。人の手が入っている様子は、どこにもなかった。
村の建物も同じだった。
壁には土汚れがこびりつき、屋根の一部が壊れている家もある。家の前には使われていない道具が転がり、窓や戸が半開きになっている建物もあった。
生活の気配が、あまりにも薄い。
いや――。
薄いどころではなかった。
まるで、ずっと昔に人々が去り、そのまま忘れ去られた村のようだった。
「……なんだ、ここは」
イザールは低くつぶやいた。
彼の後ろでは、兵士たちが警戒しながら村の様子をうかがっている。
敵の拠点にしては、あまりにも無防備だった。
見張りはいない。柵もない。侵入者を拒むための仕掛けも、戦いに備えた痕跡も見当たらない。
それどころか、人が暮らしているのかどうかさえ怪しかった。
「今にも滅んでしまいそうな村だな」
イザールは吐き捨てるように言った。
「これほど荒れた場所に、あの娘がいるというのか?」
「報告では、この村に身を寄せている可能性が高いとのことです」
「可能性、か」
イザールは兵士を横目で見た。
「私は可能性を確かめるために、ここまで来たのだ。確かなものを持ち帰れ。分かったな?」
「はっ!」
兵士たちが一斉に頭を下げた。
「部隊を分けろ。村の中を隅々まで調べろ。家の中も、倉庫も、井戸の周辺もだ。見落としは許さん」
「了解!」
兵士たちは数人ずつの組に分かれ、村の中へ散っていった。
イザール自身も、ゆっくりと村の道を歩き始めた。
足元では、乾いた土が崩れる。
道の脇にある家をのぞき込むと、床には土埃が積もり、隅には蜘蛛の巣が張っていた。棚には空の容器が残され、壁際には古びた道具が置かれている。
しかし、食料はない。
衣服もない。
薪さえ、見当たらなかった。
「妙だな……」
イザールは家の中を見渡した。
人が住んでいるなら、薪の一束くらいは残っていてもおかしくない。食料を保管する場所も、日々使う道具もあるはずだ。
だが、この家には生活の痕跡こそあるものの、今も人が暮らしている証拠が見つからない。
かといって、完全に放棄された家とも言い切れなかった。
家具は残っている。道具も残っている。
まるで、人々だけが忽然と消えてしまったかのようだった。
イザールは家を出て、隣の建物へ向かった。
そこも同じだった。
次の家も、その次の家も。
誰もいない。
村の中央にある広場へ出ても、人影ひとつ見当たらなかった。
風が吹き抜け、乾いた草が音を立てる。
遠くで、壊れかけた木の看板が揺れていた。
その音だけが、妙にはっきりと耳に届く。
「将軍!」
部下の一人が駆け寄ってきた。
「村の北側を調べましたが、人影はありません。建物もほとんど空です」
「他の組は?」
「同じ報告が続いています。今のところ、誰も見つかっていません」
「……そうか」
イザールは表情を変えなかった。
「引き続き探せ。隠し部屋や地下の貯蔵庫がある可能性も考えろ」
「はっ!」
兵士が走り去る。
イザールは広場に立ったまま、周囲を見渡した。
村人が一人もいない。
リーゼの姿もない。
それどころか、家畜の鳴き声すら聞こえなかった。
人が暮らす場所には、必ず何かしらの音がある。
人の声。足音。作業の音。食事の支度をする音。
この村には、それらが何ひとつなかった。
静かすぎる。
イザールは目を細めた。
リーゼが逃げ込んだ村だというのなら、彼女を匿っている者たちがいてもおかしくはない。
だが、これでは匿うどころか、村そのものが死に絶えているようだった。
「……逃げたか?」
口にしてみたものの、確信はなかった。
村が放棄されたのなら、どこへ移ったのか。
リーゼだけが別の場所へ逃げたのなら、なぜ村人の姿まで消えているのか。
答えは、まだ何も見つからない。
やがて、村中を調べていた兵士たちが広場へ戻ってきた。
「報告します。村の東側、異常なし」
「西側も同様です。人影はありません」
「南側も確認しました。家屋は荒れていますが、誰も見つかりませんでした」
報告が重なるたび、イザールの表情から感情が消えていった。
「リーゼは?」
「発見できておりません」
「村人は?」
「一人も」
短い沈黙が落ちた。
イザールはゆっくりと息を吐いた。
ここまで来て、何も得られない。
それは彼にとって、到底受け入れられる結果ではなかった。
それからも、兵士たちは捜索を続けた。
家の床下を調べ、物置の中を探り、井戸の周囲や村の外れまで足を運んだ。
建物の陰に隠れている者はいないか。
どこかに人が通った痕跡はないか。
リーゼが残した手掛かりはないか。
考えられる場所は、すべて調べた。
それでも、何ひとつ見つからなかった。
日が傾き始める頃には、兵士たちの顔にも疲労が浮かんでいた。
しかし、イザールの苛立ちは、時間が経つほどに強くなっていった。
「将軍。村の捜索を続けておりますが、これ以上は……」
「何だ?」
イザールが振り返る。
報告に来た兵士は、思わず息をのんだ。
「いえ……村の中に、これ以上調べられる場所がほとんど残っておりません」
「つまり、見つからなかったということか」
「……はっ」
イザールの口元がわずかに歪んだ。
「ふざけるな」
低い声だった。
だが、その一言に兵士の肩が強張った。
「たった一人の少女を連れ戻す。それだけの任務に、どれだけの時間を費やしたと思っている?」
「申し訳ありません!」
「謝罪などいらん。結果を出せと言っている!」
イザールは近くにあった木箱を蹴り飛ばした。
乾いた音とともに木箱が倒れ、中に残っていた木片が地面へ散らばる。
「どこにもいない。誰もいない。手掛かりの一つもない。……何のために、この村まで来たというのだ!」
兵士たちは沈黙した。
誰も、口を開こうとはしなかった。
イザールは荒い息を吐きながら、村を見渡した。
荒れた畑。
崩れた道。
土に汚れた家々。
どこを見ても、得られるものは何もない。
ここまで追ってきたというのに、リーゼの消息は完全に途絶えてしまった。
その事実が、彼の誇りを傷つけていた。
「……もういい」
イザールは、静かに言った。
兵士たちが顔を上げる。
「この村を焼き尽くせ」
一瞬、誰も動かなかった。
「聞こえなかったのか?」
「し、しかし将軍。村にはすでに人影がなく、リーゼの所在も分かっておりません。焼き払っても、得られるものは……」
「私に意見するつもりか?」
イザールの目が、兵士を射抜いた。
「この村が何の役にも立たないというのなら、残しておく理由もない。リーゼを匿っていた可能性がある場所だ。消してしまえばいい」
「……了解しました」
兵士はうつむき、命令を伝えるために走り出した。
ほどなくして、村のあちこちで兵士たちが動き始めた。
やがて、煙が上がった。
最初は細い煙だった。
それが風に流され、次第に広がっていく。
誰もいない家々に火が回り、乾いた木材が音を立てて燃え始めた。
畑の枯れ草にも火が移り、村の入口まで赤い炎が迫っていく。
イザールは、その光景を黙って見つめていた。
怒りは、まだ消えていなかった。
だが、ここにとどまっても何も得られないことだけは、認めざるを得なかった。
「撤収する」
イザールは背を向けた。
「これ以上、時間を無駄にするな。帝国へ戻る」
「はっ!」
兵士たちは命令に従い、村から引き揚げていった。
誰もいないテルナ村。
そこに残されたのは、荒れ果てた畑と、崩れかけた家々。
そして、それらを呑み込んでいく炎だけだった。
村から離れた道を、帝国へ向かう部隊が進んでいた。
イザールは馬上から、背後を振り返った。
遠くに見える煙は、まだ消えていない。
リーゼは見つからなかった。
村人も一人として見つからなかった。
なぜ村があのような状態だったのかも、結局分からないままだ。
手に入った情報は、ほとんど何もない。
それでも、報告をしなければならない。
リーゼの消息を失ったという事実を、帝国へ持ち帰らなければならないのだ。
「……リーゼ」
イザールは少女の名をつぶやいた。
その声に、心配の色はなかった。
あるのは、任務を果たせなかったことへの怒りだけだった。
「必ず見つけ出してやる」
彼は前を向いた。
帝国へ戻った後、どのような報告をするのか。
そして、次にどのような命令が下されるのか。
それは、まだ分からない。
ただ一つ確かなことがあった。
リーゼを追うドラグノア帝国の手は、これで終わったわけではない。
イザールの部隊は、燃え続けるテルナ村を背に、帝国への帰路を進んでいった。




