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ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


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14/19

荒れ果てたテルナ村

ドラグノア帝国の軍がテルナ村に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 先頭を歩いていた兵士が足を止め、後ろを振り返る。


「イザール将軍。あれが目的の村かと」


 イザールは兵士の横を通り、村を見渡した。


 そして、わずかに眉を動かした。


 村の入口へ続く道は、ところどころが崩れ、雑草が好き勝手に伸びている。道の脇に立つ木柵は傾き、何本かは地面に倒れたままだった。


 その先にある畑も、ひどい有様だった。


 作物は見当たらず、土は荒れ、伸び放題の草が畝を覆い隠している。人の手が入っている様子は、どこにもなかった。


 村の建物も同じだった。


 壁には土汚れがこびりつき、屋根の一部が壊れている家もある。家の前には使われていない道具が転がり、窓や戸が半開きになっている建物もあった。


 生活の気配が、あまりにも薄い。


 いや――。


 薄いどころではなかった。


 まるで、ずっと昔に人々が去り、そのまま忘れ去られた村のようだった。


「……なんだ、ここは」


 イザールは低くつぶやいた。


 彼の後ろでは、兵士たちが警戒しながら村の様子をうかがっている。


 敵の拠点にしては、あまりにも無防備だった。


 見張りはいない。柵もない。侵入者を拒むための仕掛けも、戦いに備えた痕跡も見当たらない。


 それどころか、人が暮らしているのかどうかさえ怪しかった。


「今にも滅んでしまいそうな村だな」


 イザールは吐き捨てるように言った。


「これほど荒れた場所に、あの娘がいるというのか?」


「報告では、この村に身を寄せている可能性が高いとのことです」


「可能性、か」


 イザールは兵士を横目で見た。


「私は可能性を確かめるために、ここまで来たのだ。確かなものを持ち帰れ。分かったな?」


「はっ!」


 兵士たちが一斉に頭を下げた。


「部隊を分けろ。村の中を隅々まで調べろ。家の中も、倉庫も、井戸の周辺もだ。見落としは許さん」


「了解!」


 兵士たちは数人ずつの組に分かれ、村の中へ散っていった。


 イザール自身も、ゆっくりと村の道を歩き始めた。


 足元では、乾いた土が崩れる。


 道の脇にある家をのぞき込むと、床には土埃が積もり、隅には蜘蛛の巣が張っていた。棚には空の容器が残され、壁際には古びた道具が置かれている。


 しかし、食料はない。


 衣服もない。


 薪さえ、見当たらなかった。


「妙だな……」


 イザールは家の中を見渡した。


 人が住んでいるなら、薪の一束くらいは残っていてもおかしくない。食料を保管する場所も、日々使う道具もあるはずだ。


 だが、この家には生活の痕跡こそあるものの、今も人が暮らしている証拠が見つからない。


 かといって、完全に放棄された家とも言い切れなかった。


 家具は残っている。道具も残っている。


 まるで、人々だけが忽然と消えてしまったかのようだった。


 イザールは家を出て、隣の建物へ向かった。


 そこも同じだった。


 次の家も、その次の家も。


 誰もいない。


 村の中央にある広場へ出ても、人影ひとつ見当たらなかった。


 風が吹き抜け、乾いた草が音を立てる。


 遠くで、壊れかけた木の看板が揺れていた。


 その音だけが、妙にはっきりと耳に届く。


「将軍!」


 部下の一人が駆け寄ってきた。


「村の北側を調べましたが、人影はありません。建物もほとんど空です」


「他の組は?」


「同じ報告が続いています。今のところ、誰も見つかっていません」


「……そうか」


 イザールは表情を変えなかった。


「引き続き探せ。隠し部屋や地下の貯蔵庫がある可能性も考えろ」


「はっ!」


 兵士が走り去る。


 イザールは広場に立ったまま、周囲を見渡した。


 村人が一人もいない。


 リーゼの姿もない。


 それどころか、家畜の鳴き声すら聞こえなかった。


 人が暮らす場所には、必ず何かしらの音がある。


 人の声。足音。作業の音。食事の支度をする音。


 この村には、それらが何ひとつなかった。


 静かすぎる。


 イザールは目を細めた。


 リーゼが逃げ込んだ村だというのなら、彼女を匿っている者たちがいてもおかしくはない。


 だが、これでは匿うどころか、村そのものが死に絶えているようだった。


「……逃げたか?」


 口にしてみたものの、確信はなかった。


 村が放棄されたのなら、どこへ移ったのか。


 リーゼだけが別の場所へ逃げたのなら、なぜ村人の姿まで消えているのか。


 答えは、まだ何も見つからない。


 やがて、村中を調べていた兵士たちが広場へ戻ってきた。


「報告します。村の東側、異常なし」


「西側も同様です。人影はありません」


「南側も確認しました。家屋は荒れていますが、誰も見つかりませんでした」


 報告が重なるたび、イザールの表情から感情が消えていった。


「リーゼは?」


「発見できておりません」


「村人は?」


「一人も」


 短い沈黙が落ちた。


 イザールはゆっくりと息を吐いた。


 ここまで来て、何も得られない。


 それは彼にとって、到底受け入れられる結果ではなかった。


     


 それからも、兵士たちは捜索を続けた。


 家の床下を調べ、物置の中を探り、井戸の周囲や村の外れまで足を運んだ。


 建物の陰に隠れている者はいないか。


 どこかに人が通った痕跡はないか。


 リーゼが残した手掛かりはないか。


 考えられる場所は、すべて調べた。


 それでも、何ひとつ見つからなかった。


 日が傾き始める頃には、兵士たちの顔にも疲労が浮かんでいた。


 しかし、イザールの苛立ちは、時間が経つほどに強くなっていった。


「将軍。村の捜索を続けておりますが、これ以上は……」


「何だ?」


 イザールが振り返る。


 報告に来た兵士は、思わず息をのんだ。


「いえ……村の中に、これ以上調べられる場所がほとんど残っておりません」


「つまり、見つからなかったということか」


「……はっ」


 イザールの口元がわずかに歪んだ。


「ふざけるな」


 低い声だった。


 だが、その一言に兵士の肩が強張った。


「たった一人の少女を連れ戻す。それだけの任務に、どれだけの時間を費やしたと思っている?」


「申し訳ありません!」


「謝罪などいらん。結果を出せと言っている!」


 イザールは近くにあった木箱を蹴り飛ばした。


 乾いた音とともに木箱が倒れ、中に残っていた木片が地面へ散らばる。


「どこにもいない。誰もいない。手掛かりの一つもない。……何のために、この村まで来たというのだ!」


 兵士たちは沈黙した。


 誰も、口を開こうとはしなかった。


 イザールは荒い息を吐きながら、村を見渡した。


 荒れた畑。


 崩れた道。


 土に汚れた家々。


 どこを見ても、得られるものは何もない。


 ここまで追ってきたというのに、リーゼの消息は完全に途絶えてしまった。


 その事実が、彼の誇りを傷つけていた。


「……もういい」


 イザールは、静かに言った。


 兵士たちが顔を上げる。


「この村を焼き尽くせ」


 一瞬、誰も動かなかった。


「聞こえなかったのか?」


「し、しかし将軍。村にはすでに人影がなく、リーゼの所在も分かっておりません。焼き払っても、得られるものは……」


「私に意見するつもりか?」


 イザールの目が、兵士を射抜いた。


「この村が何の役にも立たないというのなら、残しておく理由もない。リーゼを匿っていた可能性がある場所だ。消してしまえばいい」


「……了解しました」


 兵士はうつむき、命令を伝えるために走り出した。


 ほどなくして、村のあちこちで兵士たちが動き始めた。


 やがて、煙が上がった。


 最初は細い煙だった。


 それが風に流され、次第に広がっていく。


 誰もいない家々に火が回り、乾いた木材が音を立てて燃え始めた。


 畑の枯れ草にも火が移り、村の入口まで赤い炎が迫っていく。


 イザールは、その光景を黙って見つめていた。


 怒りは、まだ消えていなかった。


 だが、ここにとどまっても何も得られないことだけは、認めざるを得なかった。


「撤収する」


 イザールは背を向けた。


「これ以上、時間を無駄にするな。帝国へ戻る」


「はっ!」


 兵士たちは命令に従い、村から引き揚げていった。


 誰もいないテルナ村。


 そこに残されたのは、荒れ果てた畑と、崩れかけた家々。


 そして、それらを呑み込んでいく炎だけだった。


     


 村から離れた道を、帝国へ向かう部隊が進んでいた。


 イザールは馬上から、背後を振り返った。


 遠くに見える煙は、まだ消えていない。


 リーゼは見つからなかった。


 村人も一人として見つからなかった。


 なぜ村があのような状態だったのかも、結局分からないままだ。


 手に入った情報は、ほとんど何もない。


 それでも、報告をしなければならない。


 リーゼの消息を失ったという事実を、帝国へ持ち帰らなければならないのだ。


「……リーゼ」


 イザールは少女の名をつぶやいた。


 その声に、心配の色はなかった。


 あるのは、任務を果たせなかったことへの怒りだけだった。


「必ず見つけ出してやる」


 彼は前を向いた。


 帝国へ戻った後、どのような報告をするのか。


 そして、次にどのような命令が下されるのか。


 それは、まだ分からない。


 ただ一つ確かなことがあった。


 リーゼを追うドラグノア帝国の手は、これで終わったわけではない。


 イザールの部隊は、燃え続けるテルナ村を背に、帝国への帰路を進んでいった。

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