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ノエル・ヴァース  作者: ひむひりか


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12/19

悲しき現実

翌朝。


 ノエルの工房には、いつもより少しだけ緊張した空気が流れていた。


 机の上には、小さな土の塊と、いくつかの道具が並んでいる。その中央で、リーゼは腕を組み、目の前のゴーレムをじっと見つめていた。


「……もう少し、丸くしたほうがいいかな」


「そうかもしれないね。持ち上げたときに角が引っかからないほうが、使いやすいと思う」


「うん。それなら、ここも滑らかにして……」


 リーゼは指先で土を撫で、少しずつ形を整えていった。


 できあがりつつあるのは、小さな人型のゴーレムだった。


 背丈はリーゼの腰ほど。頭も胴体も丸く、手足は短い。表情こそないものの、どこか愛嬌のある姿をしている。


 そのゴーレムは、エレンへの贈り物だった。


 前日、マリーの家を訪れたとき、リーゼはエレンが家事をする姿を見ていた。体調のよい日は自分で家のことをこなそうとするけれど、長い時間動いたり、重いものを運んだりするのは大変そうだった。


 マリーも母親を気遣い、家事を手伝っている。


 その光景が、リーゼの心に残っていた。


「これなら、洗濯物を運んだり、軽い荷物を持ったりできると思うんだ」


 リーゼが言った。


「いい考えだね」


 ノエルは素直に頷いた。


「でも、どこまでできるかは、動かしてみないとわからない。重いものを持たせすぎると、腕が壊れるかもしれないし」


「そっか……。じゃあ、最初は軽いものから試してみよう」


「うん。失敗したら、直せばいい」


 その言葉に、リーゼは少しだけ目を見開いた。


 以前の自分なら、失敗することを恐れていたかもしれない。


 魔法をうまく使えなければ、役に立てない。期待に応えられなければ、価値がない。


 そんな考えが、心の奥に染みついていた。


 けれど、ノエルは失敗を恐れていない。


 うまくいかなければ、考え直せばいい。壊れたら、直せばいい。


 それだけのことなのだと、彼は当たり前のように言う。


「……よし」


 リーゼは小さく息を吸い、ゴーレムの頭に手を置いた。


「動いて」


 指先から魔力が流れ込む。


 土でできた小さな身体が、ぴくりと震えた。


 そして――。


 ゴーレムはゆっくりと頭を上げ、短い腕を持ち上げた。


「……動いた!」


 リーゼの顔がぱっと明るくなる。


 ゴーレムはその場で一度だけ身体を揺らし、リーゼのほうへ顔を向けた。


 ノエルはしゃがみ込み、動きを確かめる。


「うん。ちゃんと動いているね。腕も問題なさそうだ」


「本当?」


「本当だよ。あとは、実際に荷物を持たせてみよう」


 リーゼは何度も頷いた。


 自分の魔法で生まれた小さな存在。


 けれど、今回のゴーレムは、戦うためのものではない。


 誰かを傷つけるためでも、命令に従わせるためでもない。


 誰かの暮らしを、ほんの少し楽にするために生まれたのだ。


 それが、たまらなく嬉しかった。


 


 昼前、ノエルとリーゼはマリーの家を訪ねた。


「リーゼ? どうしたの?」


 扉を開けたマリーが、二人の姿を見て首を傾げた。


「エレンさんに、渡したいものがあって」


「お母さんに?」


 マリーが不思議そうにしていると、家の奥からエレンが顔を出した。


「あら、ノエル。それにリーゼちゃんも。どうしたの?」


 リーゼは一歩前に出た。


 少し緊張しながら、小さなゴーレムを紹介する。


「これ……ノエルと作ったんです。軽い荷物を運んだり、洗濯物を持ってきたりできるようにしました」


「まあ……!」


 エレンは驚いたように目を丸くした。


「私に、くれるの?」


「はい。エレンさんが少しでも楽になればいいなと思って……」


 リーゼは言葉を続けようとして、ふと口を閉じた。


 喜んでもらえるだろうか。


 余計なことをしてしまったのではないだろうか。


 そんな不安が、ほんの少しだけ胸をよぎる。


 すると、エレンは優しく微笑んだ。


「ありがとう、リーゼちゃん。とっても嬉しいわ」


「……本当ですか?」


「ええ。私のことを考えて、こんな素敵なものを作ってくれたんでしょう?」


 エレンはゴーレムの頭をそっと撫でた。


 土でできた小さな頭は、少しひんやりとしていた。


「それじゃあ、さっそくお仕事をお願いしようかしら」


 エレンは、近くに置いてあった軽い洗濯物の籠を指さした。


 リーゼはゴーレムに指示を出す。


「それを、あっちまで運んでくれる?」


 ゴーレムは籠に手をかけ、ゆっくりと持ち上げた。


 少しふらついたものの、落とすことなく歩き出す。


「まあ、上手ね!」


 エレンが声を上げた。


「すごいじゃない、リーゼ!」


 マリーも嬉しそうに笑った。


「えへへ……」


 リーゼは照れくさそうに頬を緩めた。


 その笑顔を見て、ノエルも自然と笑った。


「難しいことはできませんが、エレンさんの指示でも動きます」


「本当にありがとう。リーゼちゃん」


 リーゼが自分の魔法を使い、誰かが喜んでくれる。


 その光景は、彼女がこれまで過ごしてきた場所では、決して見ることのできなかったものだったのだろう。


 帰り際、エレンはリーゼの手をそっと握った。


「またいつでも遊びに来てね」


「……はい」


 リーゼは小さく頷いた。


 その言葉を、忘れないように心に刻む。


 自分は、何かを生み出せるからここにいていいのではない。


 役に立てるから、受け入れてもらえるのでもない。


 ただ、自分がここにいることを喜んでくれる人がいる。


 それが、どれほど温かいことなのか。


 リーゼは少しずつ、知り始めていた。


 


 その日の夕刻。


 テルナ村の外れにあるヴァルセーヌの家へ、一人の老人が戻ってきた。


 旅の埃をまとい、疲労の色を濃くしたヴァルセーヌだった。


 彼は荷物を下ろすこともなく、家の中へ入ると、机に広げてあった地図を見つめた。


 その指先が、ある街道の上で止まる。


「……やはり、か」


 低い呟きが、静かな部屋に落ちた。


 ここ数日、ヴァルセーヌは帝国周辺の動きを調べていた。


 かつて死者を利用した軍勢の研究が行われていた施設。その記録と、そこに関わった人々の証言。


 そして、リーゼが逃げ出したあとも続いていた、帝国側の捜索。


 それらをつなぎ合わせた結果、ひとつの事実が浮かび上がってきた。


 ドラグノア帝国の軍勢が、テルナ村へ続く街道を進んでいる。


 まだ距離はある。


 到着するまでには、数日はかかるだろう。


 しかし、偶然と片づけるには、状況が揃いすぎていた。


「リーゼの居場所が知られた……そう考えるべきだろうな」


 彼女の魔法は、帝国にとって貴重な戦力だった。


 死者を動かす力。


 戦場で失われた兵士すら、再び軍勢の一部に変えることのできる力。


 帝国が、その力を簡単に手放すはずがない。


 リーゼが逃げ出した以上、連れ戻そうとする可能性は極めて高い。


 そして今、帝国軍が村へ向かっている。


 ヴァルセーヌは地図から目を離した。


「……急がねばならん」


 彼はすぐさま家を出た。


 


 夜。


 ノエルは、ヴァルセーヌに呼ばれた。


 部屋にはヴァルセーヌのほか、リーゼもいた。


 二人の表情を見た瞬間、ノエルはただ事ではないと悟った。


「何があったの?」


 ヴァルセーヌは短く息を吐いた。


「ドラグノア帝国の軍勢が、この村へ向かっている」


 ノエルは言葉を失った。


「……帝国軍が?」


「ああ。まだ遠いが、数日以内にはこの近くまで来るだろう」


「どうして、この村に……?」


 ノエルが尋ねると、ヴァルセーヌはリーゼへ目を向けた。


 リーゼの肩が、小さく震えた。


「私の……せい、ですか?」


 かすれた声だった。


「私が逃げたから……。帝国が私を探して、ここまで……」


「その可能性が高い」


 ヴァルセーヌは、誤魔化さなかった。


「リーゼの力を取り戻すために、軍を動かしたのかもしれん」


 リーゼは俯いた。


 あの施設での日々が、頭の中によみがえる。


 命令されるまま、死者に命を吹き込んだ日々。


 動かなくなった身体を見つめ、何も感じないように自分の心を押し殺した日々。


 ようやく逃げ出せたのに。


 ようやく、自分の意思で魔法を使えるようになり始めたのに。


 また、誰かを傷つけるために連れ戻されるのだろうか。


「……ごめんなさい」


 リーゼの唇から、そんな言葉がこぼれた。


「私がここに来たから……みんなが、危険な目に……」


「リーゼ」


 ノエルが呼びかけた。


 リーゼは顔を上げられなかった。


「私がいなければ……」


「違う」


 ノエルは、はっきりと言った。


 リーゼがびくりと肩を震わせる。


 ノエルは一度息を整え、言葉を選んだ。


「君がここに来たことは、間違いじゃない」


「でも……」


「君は、自分でここに来たんじゃない。僕たちが君を連れてきた。そして、ここで暮らしてほしいと思ったんだ」


 ノエルは、リーゼの目を見つめた。


「今日、君が作ったゴーレムを覚えている?」


 リーゼは戸惑いながら頷いた。


「エレンさん、すごく喜んでいたよね」


「……うん」


「君の魔法で、あの人は笑顔になった。マリーも喜んでいた。僕だって、嬉しかった」


 ノエルは静かに続けた。


「君がここに来てくれたから、生まれたものだよ」


 リーゼの目に、涙が滲んだ。


「だから、君がここにいることを、間違いだったなんて思わないでほしい」


 ヴァルセーヌは、二人のやり取りを黙って見守っていた。


 やがて、彼は重い口を開いた。


「ノエル。帝国軍が来る以上、村の人々にも知らせねばならん。備える時間はあるが、相手の規模も、どこまで本気で攻めてくるつもりなのかも、まだわからん」


「……うん」


「村人たちを守るための準備が必要だ。お前にも力を貸してほしい」


 ノエルは頷いた。


 頭の中では、すでにいくつもの考えが動き始めていた。


 村の周囲の地形。


 街道から村へ入る道。


 土を盛り上げて壁を作ることもできる。道を変え、進軍を遅らせることもできるかもしれない。


 けれど、相手は帝国の軍勢だ。


 これまでノエルが経験してきた戦いとは、規模が違う。


 簡単に勝てる相手ではないだろう。


 それでも。


 ノエルは、ゆっくりと拳を握った。


 アンティヴェラにいた頃、彼は自分の居場所を選ぶことができなかった。


 生まれた街に拒まれ、家族に拒まれ、自分には何もできないのだと思い込んでいた。


 けれど、テルナ村で過ごした年月は違った。


 失敗しても、やり直せる。


 知らないことがあっても、学べる。


 誰かとぶつかっても、もう一度向き合える。


 そして、自分の力で誰かを守ることができる。


 ここには、ノエルが初めて自分の意思で築いてきた暮らしがあった。


 オーティスがいる。


 マリーがいる。


 エレンも、マティルダも、村のみんながいる。


 そして、リーゼがいる。


「……僕たちで、この村を守ろう」


 ノエルは言った。


 それは、誰かに命じられたからではない。


 誰かに認めてもらうためでもない。


 自分が守りたいと思ったから。


 ただ、それだけだった。


 リーゼは涙を拭い、ノエルを見つめた。


「……私も、できることをしたい」


「うん。でも、無理はしないで。君にしかできないこともあるけれど、君一人で背負う必要はないから」


 リーゼは小さく頷いた。


 ヴァルセーヌは二人を見て、静かに目を細めた。


「よし。明日から準備を始める。村の者たちにも、事情を説明しよう」


 窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。


 穏やかなテルナ村の夜。


 その静けさの向こうで、帝国の軍勢が少しずつ近づいている。


 まだ、誰もその姿を見てはいない。


 けれど、ノエルはもう知っていた。


 自分が守りたいものが、ここにあるということを。


 そして、そのために戦うことを、自分自身で選んだのだということを。

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