悲しき現実
翌朝。
ノエルの工房には、いつもより少しだけ緊張した空気が流れていた。
机の上には、小さな土の塊と、いくつかの道具が並んでいる。その中央で、リーゼは腕を組み、目の前のゴーレムをじっと見つめていた。
「……もう少し、丸くしたほうがいいかな」
「そうかもしれないね。持ち上げたときに角が引っかからないほうが、使いやすいと思う」
「うん。それなら、ここも滑らかにして……」
リーゼは指先で土を撫で、少しずつ形を整えていった。
できあがりつつあるのは、小さな人型のゴーレムだった。
背丈はリーゼの腰ほど。頭も胴体も丸く、手足は短い。表情こそないものの、どこか愛嬌のある姿をしている。
そのゴーレムは、エレンへの贈り物だった。
前日、マリーの家を訪れたとき、リーゼはエレンが家事をする姿を見ていた。体調のよい日は自分で家のことをこなそうとするけれど、長い時間動いたり、重いものを運んだりするのは大変そうだった。
マリーも母親を気遣い、家事を手伝っている。
その光景が、リーゼの心に残っていた。
「これなら、洗濯物を運んだり、軽い荷物を持ったりできると思うんだ」
リーゼが言った。
「いい考えだね」
ノエルは素直に頷いた。
「でも、どこまでできるかは、動かしてみないとわからない。重いものを持たせすぎると、腕が壊れるかもしれないし」
「そっか……。じゃあ、最初は軽いものから試してみよう」
「うん。失敗したら、直せばいい」
その言葉に、リーゼは少しだけ目を見開いた。
以前の自分なら、失敗することを恐れていたかもしれない。
魔法をうまく使えなければ、役に立てない。期待に応えられなければ、価値がない。
そんな考えが、心の奥に染みついていた。
けれど、ノエルは失敗を恐れていない。
うまくいかなければ、考え直せばいい。壊れたら、直せばいい。
それだけのことなのだと、彼は当たり前のように言う。
「……よし」
リーゼは小さく息を吸い、ゴーレムの頭に手を置いた。
「動いて」
指先から魔力が流れ込む。
土でできた小さな身体が、ぴくりと震えた。
そして――。
ゴーレムはゆっくりと頭を上げ、短い腕を持ち上げた。
「……動いた!」
リーゼの顔がぱっと明るくなる。
ゴーレムはその場で一度だけ身体を揺らし、リーゼのほうへ顔を向けた。
ノエルはしゃがみ込み、動きを確かめる。
「うん。ちゃんと動いているね。腕も問題なさそうだ」
「本当?」
「本当だよ。あとは、実際に荷物を持たせてみよう」
リーゼは何度も頷いた。
自分の魔法で生まれた小さな存在。
けれど、今回のゴーレムは、戦うためのものではない。
誰かを傷つけるためでも、命令に従わせるためでもない。
誰かの暮らしを、ほんの少し楽にするために生まれたのだ。
それが、たまらなく嬉しかった。
昼前、ノエルとリーゼはマリーの家を訪ねた。
「リーゼ? どうしたの?」
扉を開けたマリーが、二人の姿を見て首を傾げた。
「エレンさんに、渡したいものがあって」
「お母さんに?」
マリーが不思議そうにしていると、家の奥からエレンが顔を出した。
「あら、ノエル。それにリーゼちゃんも。どうしたの?」
リーゼは一歩前に出た。
少し緊張しながら、小さなゴーレムを紹介する。
「これ……ノエルと作ったんです。軽い荷物を運んだり、洗濯物を持ってきたりできるようにしました」
「まあ……!」
エレンは驚いたように目を丸くした。
「私に、くれるの?」
「はい。エレンさんが少しでも楽になればいいなと思って……」
リーゼは言葉を続けようとして、ふと口を閉じた。
喜んでもらえるだろうか。
余計なことをしてしまったのではないだろうか。
そんな不安が、ほんの少しだけ胸をよぎる。
すると、エレンは優しく微笑んだ。
「ありがとう、リーゼちゃん。とっても嬉しいわ」
「……本当ですか?」
「ええ。私のことを考えて、こんな素敵なものを作ってくれたんでしょう?」
エレンはゴーレムの頭をそっと撫でた。
土でできた小さな頭は、少しひんやりとしていた。
「それじゃあ、さっそくお仕事をお願いしようかしら」
エレンは、近くに置いてあった軽い洗濯物の籠を指さした。
リーゼはゴーレムに指示を出す。
「それを、あっちまで運んでくれる?」
ゴーレムは籠に手をかけ、ゆっくりと持ち上げた。
少しふらついたものの、落とすことなく歩き出す。
「まあ、上手ね!」
エレンが声を上げた。
「すごいじゃない、リーゼ!」
マリーも嬉しそうに笑った。
「えへへ……」
リーゼは照れくさそうに頬を緩めた。
その笑顔を見て、ノエルも自然と笑った。
「難しいことはできませんが、エレンさんの指示でも動きます」
「本当にありがとう。リーゼちゃん」
リーゼが自分の魔法を使い、誰かが喜んでくれる。
その光景は、彼女がこれまで過ごしてきた場所では、決して見ることのできなかったものだったのだろう。
帰り際、エレンはリーゼの手をそっと握った。
「またいつでも遊びに来てね」
「……はい」
リーゼは小さく頷いた。
その言葉を、忘れないように心に刻む。
自分は、何かを生み出せるからここにいていいのではない。
役に立てるから、受け入れてもらえるのでもない。
ただ、自分がここにいることを喜んでくれる人がいる。
それが、どれほど温かいことなのか。
リーゼは少しずつ、知り始めていた。
その日の夕刻。
テルナ村の外れにあるヴァルセーヌの家へ、一人の老人が戻ってきた。
旅の埃をまとい、疲労の色を濃くしたヴァルセーヌだった。
彼は荷物を下ろすこともなく、家の中へ入ると、机に広げてあった地図を見つめた。
その指先が、ある街道の上で止まる。
「……やはり、か」
低い呟きが、静かな部屋に落ちた。
ここ数日、ヴァルセーヌは帝国周辺の動きを調べていた。
かつて死者を利用した軍勢の研究が行われていた施設。その記録と、そこに関わった人々の証言。
そして、リーゼが逃げ出したあとも続いていた、帝国側の捜索。
それらをつなぎ合わせた結果、ひとつの事実が浮かび上がってきた。
ドラグノア帝国の軍勢が、テルナ村へ続く街道を進んでいる。
まだ距離はある。
到着するまでには、数日はかかるだろう。
しかし、偶然と片づけるには、状況が揃いすぎていた。
「リーゼの居場所が知られた……そう考えるべきだろうな」
彼女の魔法は、帝国にとって貴重な戦力だった。
死者を動かす力。
戦場で失われた兵士すら、再び軍勢の一部に変えることのできる力。
帝国が、その力を簡単に手放すはずがない。
リーゼが逃げ出した以上、連れ戻そうとする可能性は極めて高い。
そして今、帝国軍が村へ向かっている。
ヴァルセーヌは地図から目を離した。
「……急がねばならん」
彼はすぐさま家を出た。
夜。
ノエルは、ヴァルセーヌに呼ばれた。
部屋にはヴァルセーヌのほか、リーゼもいた。
二人の表情を見た瞬間、ノエルはただ事ではないと悟った。
「何があったの?」
ヴァルセーヌは短く息を吐いた。
「ドラグノア帝国の軍勢が、この村へ向かっている」
ノエルは言葉を失った。
「……帝国軍が?」
「ああ。まだ遠いが、数日以内にはこの近くまで来るだろう」
「どうして、この村に……?」
ノエルが尋ねると、ヴァルセーヌはリーゼへ目を向けた。
リーゼの肩が、小さく震えた。
「私の……せい、ですか?」
かすれた声だった。
「私が逃げたから……。帝国が私を探して、ここまで……」
「その可能性が高い」
ヴァルセーヌは、誤魔化さなかった。
「リーゼの力を取り戻すために、軍を動かしたのかもしれん」
リーゼは俯いた。
あの施設での日々が、頭の中によみがえる。
命令されるまま、死者に命を吹き込んだ日々。
動かなくなった身体を見つめ、何も感じないように自分の心を押し殺した日々。
ようやく逃げ出せたのに。
ようやく、自分の意思で魔法を使えるようになり始めたのに。
また、誰かを傷つけるために連れ戻されるのだろうか。
「……ごめんなさい」
リーゼの唇から、そんな言葉がこぼれた。
「私がここに来たから……みんなが、危険な目に……」
「リーゼ」
ノエルが呼びかけた。
リーゼは顔を上げられなかった。
「私がいなければ……」
「違う」
ノエルは、はっきりと言った。
リーゼがびくりと肩を震わせる。
ノエルは一度息を整え、言葉を選んだ。
「君がここに来たことは、間違いじゃない」
「でも……」
「君は、自分でここに来たんじゃない。僕たちが君を連れてきた。そして、ここで暮らしてほしいと思ったんだ」
ノエルは、リーゼの目を見つめた。
「今日、君が作ったゴーレムを覚えている?」
リーゼは戸惑いながら頷いた。
「エレンさん、すごく喜んでいたよね」
「……うん」
「君の魔法で、あの人は笑顔になった。マリーも喜んでいた。僕だって、嬉しかった」
ノエルは静かに続けた。
「君がここに来てくれたから、生まれたものだよ」
リーゼの目に、涙が滲んだ。
「だから、君がここにいることを、間違いだったなんて思わないでほしい」
ヴァルセーヌは、二人のやり取りを黙って見守っていた。
やがて、彼は重い口を開いた。
「ノエル。帝国軍が来る以上、村の人々にも知らせねばならん。備える時間はあるが、相手の規模も、どこまで本気で攻めてくるつもりなのかも、まだわからん」
「……うん」
「村人たちを守るための準備が必要だ。お前にも力を貸してほしい」
ノエルは頷いた。
頭の中では、すでにいくつもの考えが動き始めていた。
村の周囲の地形。
街道から村へ入る道。
土を盛り上げて壁を作ることもできる。道を変え、進軍を遅らせることもできるかもしれない。
けれど、相手は帝国の軍勢だ。
これまでノエルが経験してきた戦いとは、規模が違う。
簡単に勝てる相手ではないだろう。
それでも。
ノエルは、ゆっくりと拳を握った。
アンティヴェラにいた頃、彼は自分の居場所を選ぶことができなかった。
生まれた街に拒まれ、家族に拒まれ、自分には何もできないのだと思い込んでいた。
けれど、テルナ村で過ごした年月は違った。
失敗しても、やり直せる。
知らないことがあっても、学べる。
誰かとぶつかっても、もう一度向き合える。
そして、自分の力で誰かを守ることができる。
ここには、ノエルが初めて自分の意思で築いてきた暮らしがあった。
オーティスがいる。
マリーがいる。
エレンも、マティルダも、村のみんながいる。
そして、リーゼがいる。
「……僕たちで、この村を守ろう」
ノエルは言った。
それは、誰かに命じられたからではない。
誰かに認めてもらうためでもない。
自分が守りたいと思ったから。
ただ、それだけだった。
リーゼは涙を拭い、ノエルを見つめた。
「……私も、できることをしたい」
「うん。でも、無理はしないで。君にしかできないこともあるけれど、君一人で背負う必要はないから」
リーゼは小さく頷いた。
ヴァルセーヌは二人を見て、静かに目を細めた。
「よし。明日から準備を始める。村の者たちにも、事情を説明しよう」
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
穏やかなテルナ村の夜。
その静けさの向こうで、帝国の軍勢が少しずつ近づいている。
まだ、誰もその姿を見てはいない。
けれど、ノエルはもう知っていた。
自分が守りたいものが、ここにあるということを。
そして、そのために戦うことを、自分自身で選んだのだということを。




