第七話「新しいノート」
父の電話から三日が経った。
三日間、私はいつもより静かに過ごした。
喫茶ハコニワには戻った。毎朝行った。でもリカさんとの会話は短くした。コーヒーを注文して、飲んで、出た。宇野時計店について話さなかった。来栖について話さなかった。
その代わりに、何をしていたかというと、仕事をしていた。
ウェブメディアから新しい依頼が来ていた。緑ケ丘市の「空き家バンク制度」の現状についての記事と、市内の老舗飲食店を紹介するシリーズの一本目。どちらも三千字程度で、単価は安かったが、やらないよりましだった。
老舗飲食店の取材で、商店街から一本外れた通りにある蕎麦屋に行った。
昭和三十年代から続く店で、店主は七十代の老夫婦だった。私が「取材させてください」と言うと、老夫婦はお茶を出してくれて、六十年近い商売の話を聞かせてくれた。最初は緊張していた老夫婦が、話しながら少しずつ表情を変えていった。思い出が多い人たちの話には、固有の質感がある。誰かと一緒に生きてきた時間の密度、とでも言うべきもの。
取材が終わって、蕎麦を一杯ごちそうになって、店を出た。
商店街に戻るとき、宇野時計店の前を通った。
表のショーウィンドウに、新しい時計が一本加わっていた。
アンティーク調の懐中時計だった。金色のケースに、細い鎖がついている。値段は書いていなかった。
私はそれを見て、先に進んだ。
何も書き留めなかった。
その夜、ノートを広げた。
いつものノートではなかった。
取材ノートの最後の一冊、二十七冊目を引っ張り出した。
三年前まで使っていたノート。最後のページは、誤報事件の前日の取材記録で終わっていた。残りの三分の一が白紙のままだった。
なぜこのノートを取り出したのかは、自分でもよく分からなかった。
ただ、今夜は今のメモ帳ではなく、このノートに向かいたかった。
最後のページを開いた。
三年前の自分の字。取材対象の発言を書き留めたもの。記者時代の字は今より少し大きく、勢いがあった。ペンの圧が強かったことが、紙の凹凸から分かった。
私はそのページに触れた。
指先で、文字の凹凸をなぞった。
別人が書いたもののように感じた。
同時に、まったく同じ人間が書いたものだとも感じた。
私が記者になったのは、理由があった。
理由を、今夜は改めて考えた。
大学四年のとき、就職活動をしていた。特にやりたいことがなかった。銀行を受けて、商社を受けて、製造業を受けた。どこに入っても同じような気がした。
そのとき、ゼミの教授が言った言葉を思い出した。
「お前は観察するのが好きだろう」
好きだったかどうかは分からない。ただ、見ることが習慣だった。街を歩くとき、人を見ていた。その人がどこに向かっているか、何を考えているか、という問いが自然に浮かんだ。答えは出なかった。でも問いが浮かぶこと自体が、私にとって普通のことだった。
それが記者という仕事に向いている、と教授は言った。
私は新聞社を受けた。受かった。
記者になって、最初の三年は地方の市政を担当した。市議会の議事録を読んで、市役所の廊下で情報源を作った。地味な仕事だったが、嫌いではなかった。観察することが仕事になった。見ることが、お金になった。
社会部に移って、事件を担当するようになった。
そのころから、「見る」ことの質が変わった。
市政の取材は、公開情報の確認だった。誰が何を決めたか、という事実の記録。でも事件の取材は違った。事実が隠れている。誰かが何かを隠している。それを見つけることが仕事だった。
見つける、という行為が、快感になった。
それが問題だった、と今は思う。
快感は判断を曇らせる。見つけたい、という欲求が、見つけた、という確信に化ける。
三年前の誤報は、その化学変化の結果だった。
ノートの白紙のページを開いた。
今夜書こうとしていることは、記録でも推論でもなかった。
ただ、書きたかった。
私は今、何をしているのか。
ペンを持ったまま、しばらくその問いを見ていた。
四週間。
宇野誠という男の行動を、深夜に繰り返し観察した。メモを取った。地図を描いた。元従業員に連絡を取った。商店街の人間から情報を集めた。
それを、私は何と呼べばいい。
調査、と書くことができなかった。調査には目的がいる。何を明らかにしようとしているかが明確でなければ、調査と呼べない。
観察、と書くこともためらった。観察には中立性がいる。結論を持たずに事象を記録することが観察だ。でも私は、何か結論に向かって動いている気がする。
では何か。
私はノートに書いた。
追いかけている。
書いて、少し驚いた。
その言葉が、一番正確だった。
何かを追いかけている。何かが、あの裏口の向こうにある気がして、それを追いかけている。
何を追いかけているのか。
その問いの答えを、私はゆっくりと考えた。
宇野誠の秘密、と書こうとして、止めた。
秘密がある、という確信はどこから来ているのか。
深夜の荷物運び。音。口コミの「なんか怖くて」。妻の写真。
これらが組み合わさって、何かを示唆している。
でも示唆は、事実ではない。
私はもう一行書いた。
あるいは私は、何かを作り出そうとしているのか。
作り出す。
その言葉を書いてから、しばらく目を閉じた。
父の声が聞こえた気がした。岡田さんの家の息子さんが万引きをしていると思い込んだことがあっただろう。
覚えていない過去。三ヶ月間、観察して記録した。
今回は四週間だ。
今回も、四ヶ月になるのか。四年になるのか。
私は目を開けた。
ノートを見た。
二行の問いが、白紙の上にあった。
答えを書かなかった。
書けなかったのではなく、書かなかった。
答えを書いた瞬間に、何かが確定してしまう気がした。「追いかけている」と書くことも、「作り出している」と書くことも、どちらも今の自分には早い気がした。
まだ分からない。
分からないまま、いることが、今の私にできる誠実さかもしれない。
その夜遅く、来栖が外に出た。
時刻は二十三時を少し回っていた。
今夜は配達の装備だった。背中のバッグ。ヘルメット。自転車の鍵を手に持っていた。
私は窓から見ていた。
来栖は商店街の方向へ歩いていった。
東。
いつもの方向だ。
私はメモ帳を手に取った。
そして、止まった。
来栖が東に向かう。それは配達ルートだ。商店街の裏通りを抜けるのは地理的な必然だ。
今夜は宇野時計店の裏口に灯りがついていない。
何も符合していない。
来栖は仕事をしに行く。それだけだ。
私はメモ帳を置いた。
窓から離れた。
机に戻って、先ほどのノートを見た。
追いかけている。あるいは私は、何かを作り出そうとしているのか。
その二行の間で、今夜の私は揺れていた。
深夜一時過ぎに、今度は宇野時計店の裏口に灯りがついた。
気づいたのは、眠れないまま横になっていたからだ。
薬は飲んでいた。でも眠れなかった。天井を見ていた。先ほどノートに書いた問いが、頭の中でまだ動いていた。
窓の外が少し明るくなった、という感覚があった。
起き上がらなかった。
横になったまま、頭だけを窓の方向に向けた。
カーテン越しに、橙色の薄い光が滲んでいた。裏口の電球の色だ。
私は起き上がらなかった。
メモ帳を取りに行かなかった。
ただ横になって、光が滲んでいることを知っていた。
しばらくして、光の質が変わった気がした。
ドアが開いた音が、かすかにした。
私は耳を澄ませた。
足音。路地を歩く、静かな足音。来た方向は東だ。いつもと同じだ。
足音が遠ざかっていった。
私は横になったまま、時計を確認した。
午前一時十四分。
目を閉じた。
眠れなかった。
翌朝、私はノートを開いた。
昨夜のことを書こうとした。午前一時十四分、灯りと足音。
書き始めて、止めた。
時刻を確認したのは、ドアの音の後だった。つまりドアが開いた正確な時刻は分からない。一時十四分は、確認できた時刻であって、出発した時刻ではない。
五分の誤差があるかもしれない。十分の誤差があるかもしれない。
でも、起き上がって窓から確認しなかったので、荷物を持っていたかどうかも分からない。足音の重さから推測することはできるが、横になった状態の耳で夜の路地の足音を聞いて重量を推測することは、信頼性が低い。
私は書くことを止めた。
確認できていないことは書かない。それが私のルールだった。
でも、書いた記憶のないメモが枕元にあった最初の夜のことを、思い出した。
あの夜、私は確認したはずだった。見たはずだった。でも記憶がなかった。
昨夜、私は見なかった。横になったまま、音だけを聞いていた。
見ない、と決めたわけではなかった。
ただ、起き上がれなかった。
「起き上がれなかった」と書くことと、「見なかった」と書くことの間には、何かの違いがある。私はその違いが何かを、うまく言葉にできなかった。
その日の夕方、真澄からメッセージが来た。
先日はありがとう。また連絡するね。最近どう?
短い文章だった。
私はすぐには返信しなかった。
最近どう、 という問いは、何を聞いているのか。
健康か。生活か。気分か。
それとも、別の何かか。
私は真澄のメッセージを三度読んだ。文章に変化はなかった。読む回数を増やしても、文字は変わらない。
わかっていることだった。
わかっていても、三度読んだ。
返信を書いた。
こっちも普通だよ。仕事してる。そっちは?
送信した。
数分後に返信が来た。
私も普通。寒くなったね。
それだけだった。
私は画面を見た。
普通、という言葉が二度、往復した。
私の「普通」と、真澄の「普通」は、同じ意味か。
そんなことを考えていることに気づいて、私はスマートフォンを置いた。
夜、コーヒーを飲みながら、ノートを広げた。
昨夜書いた二行を読んだ。
追いかけている。あるいは私は、何かを作り出そうとしているのか。
もう一行、書き足した。
どちらであるにしても、私は止まっていない。
書いた後で、その一行を消したくなった。
でも消さなかった。
書いたことを消すことは、書いたことを「なかったこと」にしようとすることだ。なかったことにしたものは、記録の外で生き続ける。記録に残っているほうが、まだ誠実だ。
私はノートを閉じた。
本棚の棚に、三年前まで使っていた取材ノートが二十七冊並んでいた。
その隣に、今使っているメモ帳が何冊か重なっていた。
そのさらに隣に、一冊の新しいノートがあった。
買った記憶があった。半年ほど前に、文具店で何となく手に取ったノートだった。A5サイズ、方眼罫、表紙は紺色。使わないまま棚に置いていた。
私はそのノートを手に取った。
表紙を開いた。白紙だった。
ペンを取った。
最初のページの右上に、日付を書いた。
それだけ書いて、ノートを閉じた。
棚には戻さなかった。
机の上に、置いた。
その夜、夢を見なかった。
深く眠れた夜だった。
薬が効いたのか、それとも疲れていたのか、それとも別の理由があったのか、分からなかった。
ただ、朝に目が覚めたとき、枕元のメモ帳には何も書き加えられていなかった。
机の上に、紺色のノートがあった。
昨夜置いたままの場所に。
私はそれを見た。
日付だけが書かれた最初のページ。その後ろに続く白紙。
今日書くかどうかは、まだ分からなかった。
でも机の上に置いた、という事実は変わらなかった。
その日の午後、仕事の原稿を一本書いた。
老舗蕎麦屋の記事だった。
三千字。
書きながら、昨日の取材を思い出した。老夫婦が並んでお茶を出してくれた場面。六十年の話をするときの、老夫婦の顔。
二人でいることの重さを、あの夫婦は体に持っていた。
私はそれを、記事に書かなかった。
書けなかった、というより、書く場所がなかった。三千字の観光記事に、それは入らない。
でも書きたかった、という気持ちが、原稿を送信してからも残った。
書きたいのに書けない言葉が、どこかに積まれている気がした。
どこに積まれているのかは、分からなかった。
夜、窓の外を見た。
宇野時計店の裏口に、灯りはなかった。
来栖の部屋の電気がついていた。一階の端の部屋の窓が、白く光っていた。
私はカーテンを閉めた。
机に向かった。
紺色のノートを手に取った。
表紙を開いた。
日付の下に、一行書いた。
宇野誠について、私が知っていること。
その一行の下に、空白があった。
私はペンを置いた。
また手に取った。
書き始めた。




