【9】
純白の法衣が返り血に染まっている。
鮮血を滴らせるナイフを、まるで愛おしいもののように握りしめている。
笑っていた。
冬の三日月のように口の端を吊り上げて、何も云わないままに笑い続ける。
春の草原のように、温かく、柔らかな女性だと思われていた。
トラブルメーカーである事は間違いないけれど、一方でムードメーカーだった。ふわふわとした綿毛のような笑みで場を和ましてくれる。大丈夫ですよ、と特に根拠のない励ましをよくしていた。それでパーティーが勇気づけられる事は少なかったけれど、肩の力は良い感じに抜けていく。冒険の合間に休暇を取る際には、レンリエと姉妹みたいに仲良く遊びに出かける事も多かった。
魔法使いという希少な肩書きの持ち主であるから、頭脳明晰である事は間違いない。しかし、バドンが「バカと天才は紙一重ってヤツですな」と茶化すぐらいには、いつでものんびり、ゆったりしていた。
そんな彼女の心の内に秘めたものがあるとは、誰も想像すらしていなかった。
裏表がないキャラクターと思われていたのに、裏側はあった。そして、真っ黒だった。
殺意と敵意。
それと、狂気。
何もかもたっぷり含んだ笑みで、今、シャーリーは笑っている。
「なぜだ、どうして……?」
クレイグは倒れたまま、必死に彼女を見上げていた。
勘が良く、何かと鋭いはずの男にも、何がどうなったのか全然理解できていなかった。
背後からの不意打ちにより、クレイグは脇腹のあたりを深々と突き刺されていた。激しい痛みにめまいすら覚え、ひゅーひゅーと呼吸がかすれる。傷口を手で押さえて血を止めようとしているが、どうやら焼け石に水である。冷たい石の床に血だまりがどんどん広がっていく。濃密な死の匂いが周囲に漂い始めるが、それでもクレイグはシャーリーから目を離さないように必死だった。
彼女はそもそも、正気なのか――。
アンデッドから呪いを受けたか、この地の不浄の気に当てられたか――そうした、それらしい理由に救いを求めようとするクレイグだったが、残念ながら、こちらを見下ろすシャーリーの瞳には理性の光が見て取れた。ぞっとする程に冷たい眼光だったけれど、それだけ力強い。操られた人間や狂った人間の眼にはない強固な意志が存在していた。
彼女は確かに、己の心に従いクレイグを殺そうとしている。
「ようやく……ようやく、目的を達することができました」
シャーリーは身を震わせながらつぶやく。
感情が抑え切れないと云うように、熱い吐息を吐きながら続けた。
「この一年、どれだけ待ったでしょうか。パーティーを組んでからも、あなたは隙を見せなかった。もしかして、疑われている? いいえ、違う。あなたは私をパーティーの仲間とは認めていた。あなたはただ単純に警戒心の強い男で、レンリエちゃん以外の誰にも心を開こうとはしないだけ。だから、どれだけ頑張っても、最後の一線、あなたは私を受け入れようとはしなかった。誘惑にあっさり乗ってくれれば、私は楽だったし、あなたも気持ちよく死ねたはずなのに――」
シャーリーは吐き捨てるように続けた。
「結局、あなたのせいです。すべて、あなたが悪い」
「……なんのことだ?」
クレイグはどうにか問い返した。
血は止まらない。意識も朦朧とし始める。
「どうして、俺を殺そうとする?」
「わかりませんか? そんな阿呆ではないと思っていましたよ」
シャーリーの声色には荒々しい怒りが含まれていた。
クレイグはそこに根深いものを感じ取る。
「パーティーに入ったのも、最初から、俺を狙って……」
「ええ、もちろん」
シャーリーはあっさり認める。
「あなたを殺す。そのためだけに、私はパーティーの一員になりました。それから一年……なかなか上手な演技だったと思いませんか? 絶対的な好機を得るために、どれだけ我慢したか。あなたの真後ろに立っている時、このまま首筋に刃を突き立ててやりたいという欲求を抑えるのにどれだけ苦労したか」
シャーリーの殺意は本物だった。
驚き、悲しむべき事実だったが、クレイグにはその点に動揺している余裕はない。彼女は敵だ。そのどうしようもない事実は受け入れた上で、さらに確認しなければいけない事がある。クレイグにはそもそも、彼女からそれ程恨まれる原因がわからないのだ。
「お前は何者だ?」
ここまで来ると、彼女の何もかもがわからない。
だから、シンプルな問いかけになった。
シャーリーはしばらく黙り込む。先程からそうであるように、爆発しそうな感情をコントロールするのに時間がかかっているようだ。深く息を吸いこみながら、シャーリーはこう名乗った。
「シャーリー・ヒル。二十七歳。魔法使い。魔法学校に入る事ができたのは、運が良かったから。才能があって、拾われたから。それまで、私は戦争孤児だった。十五年前、両親を失った。隣家の優しかったおじさんとおばさんを失った。学校で面倒を見てくれたお兄さんやお姉さんを失った。おいしいパン屋さんも、裁縫が得意なウェザーおばあちゃんも、先生も、お医者様も――。みんな、失った」
淡々と、彼女は続けた。
「私は、あなたを憎む者です。勇者の仲間を憎む者です。楽園を壊した者たちを憎み、恨み、呪い、この忌まわしき命を使い果たしてでも復讐を果たさんと誓った。すべて、あなた達が悪い。勇者と、その仲間たち。あなた達がすべてを奪った。愛すべき私たちの国を、私たちの望んだ死を――」
シャーリーは一粒の涙を流した。
祈るように、その涙と共に一言を捧げる。
「ああ、魔王さま」
クレイグは大いにうめいた。
「そうか、お前は死者の国の……」
「無粋な呼び方はやめてください。私たちは【楽園】の人間です」
十五年前、帝国と自由都市群の勝利で大戦争は終結した。
魔王は倒され、生ける者すべての敵であった魔王の国は滅んだ。
終止符を打ったのは勇者であり、戦争後に行方知れずとなった事も含め、十五年が経った現在では伝説的な人物として大陸中で讃えられている。また、勇者と行動を共にした仲間たちも英雄として持てはやされている。
クレイグも当然、その一人だ。
かたや、英雄。ただし、魔王の側に立っていた者たちからすれば、勇者とその仲間たちは最大の怨敵である事は間違いない。クレイグは深く刺された傷痕に加え、胸の内に大きな痛みを覚えていた。
「すまなかったと云っても、今さらだろうな」
クレイグは顔を伏せたまま、そう云った。
血は流れ続ける。
このまま手当てができないままでも、死は確実だろう。
「許せるわけ、ないじゃないですか」
シャーリーはそう答えて、クレイグに一歩近づいた。
ナイフを放り捨て、魔法使いらしく、杖を掲げる。
「このまま苦しんで死ぬのを待つのも良いですが……。焼き尽くしてあげますね。死体が残ると、アンデットになってしまいます。この場所で、私たちの家族や仲間と同じものになるなんて、それも絶対に許せません」
シャーリーが詠唱を始める。
杖の先端に魔法の輝きが生まれ、それが徐々に炎に変化していく。




